9 うそうそバカんのエイプリルフール
うそよねーん
って、この日にマジで嘘をつく人って、少なくとも私は見たことがありません。そのくらい日本では定着していない文化というか、慣習というか、そういうものらしいです。
そもそも起源は釣りの解禁日に由来しているとかなんとかで、欧米では嘘のことを「ビッグフィッシュ」ということがありまして、いわゆる「逃がした魚は大きい」というのと同義でありまして、まあ釣り人にとって大物というのは古今東西永遠なる栄誉なのであります。
ですから、4月1日の解禁日に待ちに待っていた釣り人たちが意気揚々と「ビッグフィッシュ」を叫んでも、まあそれはそれはと、皆ほほえましく耳を傾けたということです。
うそうそと申しましても、嘘にもいろいろありまして、嘘も方便という言葉がありますが、こっちはシャレにならない嘘の話。
近頃とやかく言われる個人情報の漏洩ですが、まぁいろいろありますな。
データが抜き取られたとか、パソコンごと盗まれたとか、名簿が車上荒らしにあって紛失とか、ネット上で公開されたとか、個人の情報というものを今まで軽視していた側面もあり、その情報をもとに犯罪行為を犯す人間が急増してきたのも事実。
まあ計画的に犯行するなら先ずは情報からだよなー、といったかどうかは知らないがそのくらいの価値はあるので売買の対象にもなるし名簿業者というものも存在する。無論犯罪に使われることが前提ではないが企業の販売計画にも必要不可欠なものですから、企業はこれを合法的に獲得することを常々目論んでおります。
さて、個人情報というものが一体どこからどこまでなのかは知らないが、私としてはクラウドサービスが普及して以降は「もうすでに遅い」という感じです。
個人情報といえばかつて揉めに揉めた、住民基本台帳ですが、一応身分証明書の役割を果たしていたんですね。
じつは現在(2016年現在)日本国民にとっての身分証明書といえるものは三つしかないということをご存知でしょうか。
一つは住基ネットに変わり、マイナンバー登録カード、あとは免許証とパスポートです。(保険証や住民票は顔写真がないのでその場では本人確認が取れない)
いずれも自身で取得しないと持てないものであり、そういう意味では若年層のほとんどがそれを持っていないことになります。
先日銀行口座を開設しようと思ったのですが、添付する身分証明に免許証やパスポート以外に、住民票や、健康保険証なども含まれていた。
これでは簡単に他人名義の口座が作れてしまうわけです。
と、言うのも、ちょっと困ったことがあります。
変な話ですが、「免許証」を取りに行くにあたり必要な書類とは「住民票」だけだった時期がつい最近までありました。(ここ十年位の間の話です。もしかしたら都道府県別ではまだあるかもしれません。大阪では住民票と保険証が必要)
*公安委員会でもこのあたりは懸念しているのかいないのか、他に保険証やパスポートの提示を添えておねがいはしていた。(絶対にすべきだし確認は必要だが、そうはなっていなかった)おそらく今後はマイナンバーも必要になってくるでしょう。
つまりこれがどういうことかわかるでしょうか?
他人に合法的になりすますことはいとも簡単だったということです。
住民票は全くアカの他人でも自由に取得することができます。または「本人だ」と詐称しても取れます。(現在は委任状が必要なので、その際に身分証明書の提示を求められます)
それは個人情報保護法がしかれた今もあまり変わっていない。最も低いハードルの個人証明書取得手段であります。
それをもって、公安委員会で運転免許証を申請、試験を受けて合格すれば原付免許ならば即日発行されます。
これだけで一気に最大の効力を発効する写真入の身分証明書が2ステップでできあがり、他人になりすます第一段階が完了することになります。
免許証単体でもクレジット契約、キャッシングなど、十分使える物になるが、もっとすごい悪事も行える。
「偽造ではない、記載の間違っている免許証」を疑う一般人はまず皆無といっていいでしょう。
なりすまそうとしている相手の住民登録をこちら側で勝手に変更することもできます。
しかも保証人なしの不動産に入居してその住所そのものを完全に第二の自分名義に仕立て上げることが可能であり、のっとられた本人はさまざまな通知が近頃送られてこないことに不審を募らせるだけ。
そのうえで、郵便物などから情報を搾取し完全にのっとる側の人間関係以外の全てを奪い去ることが可能です。もちろん国民健康保険証を再発行してもらうことも可能。
それだけそろえばおそらく戸籍をいじることもできるだろうし、結婚もできるだろう。
しかしながらこれは当ののっとられた本人が異を申し立てれば一撃で終焉するという犯罪行為である。
だから、次の段階は如何に自然に、のっとられた人間を始末してこの世から消し去るかという穏やかではない話に突き当たるのですが、そこまでして個人をのっとることに普通はそれほどのメリットが生じ得ないため、(金や地位のある人間はのっとることが困難であるし、結果的にはメリットの少ない孤独な人間を狙う羽目になります)
せいぜい借金から逃げたり、犯罪行為から逃亡者となるような人間がこのような「他人のっとり」をすることになる、と思われます。
実際大阪の某所では戸籍を売るということが恒常的に行われている、という話もあったりなかったり。
という、少々乱暴ではあるが、先に書いたような「人間関係以外の全て」をうばってその本人になり変わることは十分可能であったわけです。
(ちなみに、この乗っ取りをテーマにした宮部みゆき著の「火車」は名作です。おすすめします。)
書面というものに人は弱い。
あたかもそれはすべからく真実ととれるような錯覚に陥れられる。
個人の住所、名前、生年月日、出自の情報漏洩はきつく取り締まるとしても、役所の窓口というのは、どうも抜け穴が大きすぎて抜け穴には見えないらしい。
商品のパッケージの銘柄を見て、誰もがその中身を偽りだとは疑いもしないように、それらが十中八九正確な情報を伝えていたとしても万が一には別物が混じってるという危険だって本来は考えなければいけない、恐ろしいのは嘘が嘘かどうかわからない、ということであり、個の(真贋の)特定を情報に頼る社会というものはそれくらい危うい側面もあるということです。
あ、真似する人がいたら嫌なので、一応断っておきます。
この話嘘です。