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8 南極物語

「南極物語」といえば約30年前、日本オリジナル版が公開されたときは全国が涙の洪水でした。


タロとジロです。樺太犬。


当時どっちがタロでどっちがジロなのか見分ける方法をイロイロ目を凝らして模索した覚えがあります。今になってみればどっちでもよかったような気もします。


2006年にディズニーがリメークをしたので、さほど古い印象は受けないかもしれませんが、実はこのリメーク版の当のプロデューサーが20年前にオリジナルを見て「感動して」ぜひリメークを自分がやりたいと念願だったそうな、長き恋だったわけです。


今では考えられませんが、南極に取り残されたお犬様たちがバタバタと力尽きてゆくさまをまざまざと描き、ちょっとしたそのての団体からも非難が上がったこともあります。


無論ディズニー版はそのあたり配慮をして、少々毛色の違ったものにはなったようです。


私はその作品を観ていないのでなんともですが、でも世代が二まわりしたのだからいい作品を再び世に発表するにはいい機会でしたでしょう。


昔から「困ったときの動物もの」と業界では言うそうで、はっきり言って邦画でヒットしたのはアニメかヤクザか動物ものしかなかったという悲しい邦画界が浮き彫りにされます。


当時、この南極物語のヒットを皮切りにその後、「動物感動もの」がイヤというほど発表されて世間は飽きてしまい、日本映画界を不穏な影が覆った暗黒時代だったかもしれません。その苦い経験から業界もここのところ敬遠している節はあるでしょう。



今回は映画評だと思った方はすみません、私、そんなマジメな人間ではありません。



今回は私の幼少の思い出をお話ししようと思ってました。


時を同じくして30年前の我々、まだ毛も生えそろっていないハナタレ小僧でした。


あの頃はまだ近くの河川が遊び場で土手に秘密基地なぞをこしらえては暗くなるまで走り回って遊んでいたものです。


のべて男の子というのは冒険ロマンを求めるものです、何でまたそんなせせこましく小汚いところに仲間とたむろするのか、女の子からすると理解に苦しむところだったでしょうが、他のグループとの抗争などもあり自分たちの基地が破壊されると本気になって怒ったり、悲しんだりしたものです。


その基地を中心にして我々の毎日は冒険でした。


子供ですから自転車で移動できても隣町がせいぜい、すぐに迷いましたし、足が遅いので大人にとってはどうってことないフィールドがとても広大で、知らないところに行くたびにすごい冒険をしてきたと感じたものでした。


ある日我々がいつもの土手の基地に行くとなにやら川べりに見慣れないものが張り付いてるではないか。


当時は今のように「簡単に川に入れもしなければ、はまっても這い上がることができないような危険な河川整備」がされていない時代で、簡単に川べりまで降りてゆくことができたので、その不可解な物体を確認しに行くことはいとも簡単だった。しかも「それ」は我々の基地のフィールド内にある。


これは調査しなければいけない、南君、高木君そして私の三人は妙な使命感と連帯感でその物体に恐る恐る近づいていった。


「ひっ、ひとがしんでる!」


我々が驚愕したのもつかの間、それはしおれてペタンコになったビニールの人形であると判り安堵した。


それから我々はさらに接近し調査を続けた。まずは木の棒である、つついてみる、とりあえず。私たちにはあまりにも見慣れない人形であったため警戒感は隠し切れなかった。顔の部分は川面の中に沈んでいて見えない、何とかあまり触れないようにしてその顔を見たかった、なぜかはわからない、たぶん顔を見たら正体がわかるような気がしたのだろう。


深さはほとんどない川で、飛び石に乗って両方向から棒でつついたりすることは出来たので、三人で力をあわせてほどなくその顔をひっくり返すことに成功した。そこから現れたのは、つぶらな瞳をパチクリパチクリさせる、愛らしい顔、その当時の私たちにとってはリアルな造形、何だこれは?


我々少年探偵団はあらゆる可能性と記憶の辞典をもって照合を試みたがそのものを説明するだけのボキャブラリを持ち合わせていなかった。


あえて、あえて言うならば「マネキン」という形容しかなかった。


その瞬間から我々にとって「それ」は「謎のマネキン殺人事件」(もはや意味不明だが)と呼称する対象となった。


我々が次にとった行動はお判りだろう、そう、空気を入れて復元するという目的に奔走するのである。


一体この肌色のマネキンもどき人形がどんな形をしているのかを知りたくて。「空気入れが必要だ。」誰かがそう言った。


自転車の空気入れはどこにでもあったがどうもこれは浮き輪用の空気入れでないと口が合わない様な感じだった、季節は夏ではなかった。海やプールの季節はすで遠い昔に終わっている、それが家のどこかにしまってあるだろうことは皆が思い返していたのだが、母親になんと説明すべきかと考えをめぐらせたのも事実だった。


なにかこう、触れてはいけないものに触れている、このことは秘密任務だと、そんな気分が我々の中に蔓延していたのだ。


我々は西へ東へ町内の友人宅を回って「空気入れ」を求めた。その時の必死さはなんと純粋なものであったか。


「きっと近藤のうちならあるぞ!」誰かがそういった。


我々は近藤こと近ちゃんのうちに行き、空気入れをゲットした。さあ、膨らますぞ!


謎のマネキンに空気入れを接続し、フミフミする、フミフミする、フミフミ……。


「あかん!やぶれてるぞこれ!」


なんということだ、先にそんなことも確認しなかった我々の愚かさはマル一日の徒労感を一気に感じさせるには十分だった。


つぶらな瞳をパチクリパチクリする謎のマネキン、日が落ちかけてそれはいっそう不気味な姿に映った。一人ひとりが後ずさりを始める、誰かが謎のマネキンを棒でつついて流れの中に離した。ゆっくりと川の深い部分の流れに沿って流れてゆく謎のマネキン。


コクリコクリと水面が揺れるたびに目がパチクリパチクリと瞬きする。


我々3人はゆっくり彼女が流れて行く先を見えなくなるまで見つめていた。


アキコ(仮名)は主人以外の男を拒むかのように、我々の目の前に肢体を晒すことなく、自らたゆたう川面の中へと姿を消したのだった。


そんな少年時代の果たしきれなかった挫折感を秘めたある春の日の出来事。



これが私の「南極物語」です。




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