最終話 心の中に刀を持つ
日本にはカタナという人を切り殺すために生まれた道具があります。
本物の刀を見たものは大抵その美しさに魅了され、そして恐怖する。殺傷を目的とした世界一切れる刃物といわれる日本刀、それがKATANAというものです。
この刀という刃物でチャンバラしていたのはまだ100年ほど昔のことで、日本史の中ではつい最近まで当たり前のようにありました。
もともとはもちろん戦争のための兵器である太刀というものがルーツなんですが、平安時代までの刀は後の日本刀ほどは切れるものではなかったといわれており、反りもなく、どちらかといえば殴るための鉄製鈍器といったところだったようで、突いて殺傷するというのがスタンダードだったようです。
それが奈良時代、鎌倉時代を経て、反りがついて現在の日本刀の形が出来上がったと言われています。
この反りがついて切れ味を増した背景には、連続攻撃性が関係しておりまして、感覚的にもわかるとは思いますが、最小限の接触で最大限の殺傷能力を発揮することにあります。これにより剣術の型が変わり、戦術までもが変わったことも想像には難くありません。
刀をはじめとする日本の刃物は引き切るものであり、力で刃を当てただけではほとんど切れません。包丁の刃を持っただけでは切れないのと同じです。
直剣の場合、最大の殺傷能力を発揮するのは突きによる攻撃でしたから、攻撃側として最接近戦になることは、相討ちなどを招く多大なリスクだったのです。それを考慮し、反りをつけることにより、側面の刃での攻撃力の増加と攻撃後の諸動作の円滑化に貢献し、兵士の生存率を上げることにも貢献したのです。
無論、いくら切れ味がよく、兵器として洗練されたモノでも、正確かつ速い振り下ろしが刀の本来の斬れを発揮するのであって、それなりの技量を要することはお分かりかと思います。
それに、いわゆる刀のように薄い刀身と刃を持つ剣は耐久性と戦闘継続性においては乱戦向きではないように思います――というよりいくら斬れる刀を持っていたとしても、戦場では弓矢や、リーチの長い槍がまず活躍しましましたし、(後年になると鉄砲隊ですが)ちゃんちゃんバラバラするのは槍の間合いに入ってからで、その時点で冷静に刀を振れるものがどれだけいたのかというと首をかしげるところではあります。
生身はある程度切れても鎧や刀同士などに数度ぶち当てるとすぐに切れなくなる、あるいは刀身が変形するか、折れる。
では、ヤワヤワな生身だけを切りつづけるならばいけたのかというと、そうではなく、刃こぼれや変形以上に刀の戦闘力を削いだのは、血や皮膚や脂肪の付着による汚れです。たいてい三人も斬れば切れなくななり、その後は突きによって対応するしかなかったそうです。
ですから100人切りなど単なる戦場神話ですし、いくら個人が強くても『戦国無双』などは実現できません。その点『お姉チャンバラ』はある程度斬るとカタナをリロードしなくてはならなかった辺り、よくできています。
脱線しましたが、数人切るたびに刀を洗って血や油をふき取るなら何とかなるかもしれませんが、戦闘中にそんなことをしている暇もなければ、正確に芯をとらえて刀を振り下ろし続ける体力や集中力も保てなかったでしょうから、さぞ乱戦時の戦場の兵士というのはグダグダで、刀という名の鉄棒を振り回していたのが現実ではないかと。
こういったことからも想像できるように、兵器としての刀は消耗品であり、そこに名刀と呼ばれる銘入りの刀は残りません。戦死者から盗賊などに盗まれて所持者不明で後世に残ることや、運良く生き残ったものが戦場から持ち帰ることもあるが、それらはほとんど人を斬っていないといって良いとおもいます。
かの剣豪将軍として知られる足利義輝は、御所に攻められ、討ち取られることとなった「永禄の変」の際、数本の刀を畳に突き刺し、取り換えながら敵と対峙し無双した(という伝説)が描かれるところからして、乱戦が予想される場合は、予備の刀を用意するのが当たり前だったことがわかります。
しかしながら時代が下るにつれ、武人と刀の関係性も変化してゆきます。
世に名刀と呼ばれる銘入りの刀が数ありますが、それは特定の一振りを指すのではなく、名のある刀工の作品であるというブランド名に過ぎません。
名刀にならび、伝説の妖刀というのも確かに存在します(私の友人の奥さんが「妖刀の後継者」であったというのは本当の話です)しかし、扱う者ではなく、その刀そのものに妖性を投射する精神性が示すのは、それだけ人々にとって「大切な物」であったという事なのです。
特に平穏な江戸時代に入ってからは刀に対して美術的要素を求めるようになり、果ては刀は心命であるという哲学にもなってゆきます。
すっかり銃器戦闘がメインになった太平洋戦争時でさえ、旧日本軍将校が軍刀を離さなかったのは、そういうところにあるのだろうとおもいます。
おそらく、というか、江戸時代以降の大部分の武士や兵士は刀で人を斬ってはいないし、人前で鞘から抜いてみせるようなこともほぼなかったと思われます。
無論現代の人は、刀を持ち歩くことはかないません。
しかし、我々の心は刀である、刀が形を変えて心にある、という言い方をしばしば日本人はします。
それは心という得体の知れない物は、美しくも妖しくも恐ろしくもあり、そして安らぎであり、力の象徴であるものだと、また身の内から自信を引き裂くものでもあると、心の持つ「危うさ」を表現したのではないでしょうか。
抜き身の刀身のままだと、持つものもさえも傷つけることになるため、人は柄を、鞘を、鍔をつけて刀を持ち歩きます。そして、めったなことでは抜かなくなります。
我々物書きにとっての刀とはペンに他ならんでしょう。現代の感覚ではキーボードということになりますが、転じれば、言葉は武器、真意を述べる言葉とは真剣です。
我々の言葉は時に人を助け、時に人を傷つけ、時に救い、時に恐れられ、時に喜ばれ、時に悲しませ、時に称賛され、時に絶望をもたらします。
刀はけして自分が強いことや偉大なことを誇示する為のものではなく、ましてや自身の鬱屈した精神性を解き放つためのアイテムでもありません。刀を携えることは、むしろ刀を得物として扱うサムライであると周囲に周知しているのに等しいのです。
それだけに我々は、刀を抜く行為にはそれぞれ意味を求めねばならないでしょう。
真剣を抜く時、その真向かいには必ず相手がいる。そうでなければ抜く意味も、構える意味もない。それを忘れてはいけない。
ですから、私はきちんと刃物が扱える人間でありたいと、在りし日の武人の覚悟をのせた刀を、心の中に持ちたいと、そう思うのです。




