51 ねこをひろった
少し思い出した話があります。過去に猫を拾った時の話です。
今までに何度か拾っているのですが、あの時は五匹もの大量。どの子猫もまだ目が開いていないくらいで、おそらく生後三日も経っていないくらいではないでした。
彼らはダンボール箱に入れられて捨てられていたので、明らかに人為的なもので憤りは隠せません。まさか親猫が段ボールにご丁寧に移して、屋外に放置したなんてことはないでしょうに。
おそらく、というか、確実なのは猫が知らないとこで妊娠し、出産して家の人は困ったということで、子猫を親から引き剥がしダンボールに詰めて捨てたということです。
発情期に勝手に子づくりと、動物のやることだから仕方ないというのは人間の言い訳で、メス猫を外飼いしているなら、必ず起こり得ることであり、それに予防策を講じないのは明らかに人間側の怠慢です。つまり避妊手術か完全な室内飼いにすべきなんです。雌雄で買っている場合ならもちろんこの限りではありません。
それで増えた子猫を置き去りにするというのは、最も卑怯なやり口です。未必の故意というやつです。(確定的に犯罪を行おうとするのではないが、結果的に犯罪行為になってもかまわないと思って犯行に及ぶ際の容疑者の心理状態。殺人事件の場合、明確な殺意がなくても、相手が死ぬ危険性を認識していれば、故意として殺人罪が適用される。)
当然動物を殺す(食用の家畜は除く)のはもちろん、捨てたり、えさをやらないなどの行為も虐待にあたり、動物愛護法により処罰対象となります。
原則的に動物愛護法とは、人間の生活や生命を脅かすことなく、かつ食用として飼われていない、動物を虐待、殺害、放棄することを禁じた法律です。しかし仮に食用として飼われている動物であったとしても虐待や放棄は、この法に抵触します。
しばしば動物愛護法違反よりも器物損壊罪のほうが罪が重くなるという理由で、動物を器物として扱って立件することがあるようですが、(道徳上、道義上を別にすると、動物とは書いて字の如く『動く物』という認識で、『モノ』です)むろん、まともな人間ならあれらを生命の宿る生物であると認識できない人はいないでしょうし、食用に飼われている鶏や豚、牛ですら、殺害を躊躇するだろうと思います。
まあ、殺害には加担出しなくとも食肉としては口を通ってしまうわけで、なにをかいわんやと言われればその通りなのですが。
そういった、片目を瞑りながらのお話になってしまいますが、こと犬猫という人間の歴史上からも最も近しい愛護動物は、虐待を受けるだけの存在となることはままあります。
そのひとつが飼育放棄であり、対処としては現社会においては二択あります。一つは私が遭遇したような段ボール箱に入れての放棄、もう一つは保健所での殺処分。
前者はその動物愛護法に抵触し、軽犯罪として裁かれますが、後者は法的に認められた権利として国民が持っています。理屈としては「飼い主が自身の生活を脅かされる恐れ、あるいは不可能性から飼育を拒む権利、あるいは放棄された際の野生化を防ぐ」という名目として認められます。
道義上私はどちらも認めたくはないのですが、所詮は人の作った法律です、人間都合で法は作られています。人よりも動物が、という論理はそこにはありません。
どうしても飼えないなら、自分で里親を探すとか、水を張ったバケツに沈めて自分が傷つけばいいのにそれをしない。
保健所に持って行って処分してもらえば自分は傷つかないですむでしょうが、殺害の委託には変わりありません。
私が拾ったくらいの、乳飲み子くらいの子猫は、保健所でも一時保護はしません。即処分です。世話もできないし、ほっとけば死ぬから、手っ取り早く殺します。
結果として、何の算段もないまま私は段ボール箱を持ち帰ってしまったのですが、これは私が優しいとかそういうのではありません。
私とてこの数を飼う事は難しいので、動物愛護法には抵触しますが、里親が見つからないまま彼らが自立したら、彼らが本来持つ野生を信じて、人里離れた野に放つのもひとつの方法かと思っていました。(もしその時が来て、その時点で捨てられたかどうかは私にはわかりませんが)
別に地球やこの世界は人間だけのものじゃありません。猫も犬も人に飼われ管理されなければいけない生き物でもありません。(駆除なんていうのは人間の傲慢です。猫が人間の生活圏にいつくのにはそれなりの理由があるということも合わせて考えてください。)
どっちがいいのかは図りかねます。が、少しでも長く生きたほうがいいという判断で、私はバケツに水を張ることを選びませんでした。野生で生き残り数年を生きながらえる場合も、里親に育てられ十数年の天寿を全うする可能性もあります。可能性が多い方を選択しました。
それだけのことです。
だけど、ほっとけば凍死か餓死するような子猫を捨てた人間の、一千倍はましなことをしていると思います。
いまでも不要になったペットを保健所に持ってゆく人間はいます。靴をかんだという理由だけで保健所に連れていかれる犬もいます。懐かなければ殺される犬もいます。自分都合で、自分の思うようにならなければ捨てるような人間はやはり普通にいます。
そんな人に責任感なんて説いたところで無駄です。立場的に飼うことが出来ない、金を出して買った『わが所有物』をどうしようと勝手だろう、と言う。なんの憤りも羞恥もなく。
ならば、自分たちの腹から生まれた子供も自分の髪や爪を切るように、捨てることが出来るのか。昨今はそういう親も割といますけど。
ペットは人間のおもちゃではありません。家具家電でもありません。
猫は猫、犬は犬、うさぎはうさぎです。「ペット」という呼び名はそれらが人間の保護下におかれたときに発生する蔑称であるべきでしょう。
もし、夫婦に子供が生まれたから飼っていた犬は捨てなければ生活ができない。
と言うならば、犬を捨てるか子供を捨てるかを真剣に悩んでほしいと思う。
それが出来ずに、飼い犬を保健所に殺害委託したのなら、犬の命と引き換えに子供の命を授かった、という事実を一生背負ってほしいと思う。
私は命こそが至上に尊いと説くような人間ではありません。
ですが目の前に差し出された課題に対して、できる努力をしないというのは万死に値する、人として無価値だとすら思います。
動物に対して責を負いたくなければ、彼らから距離をとって、近づいて来ようものなら全力で逃げるのもよいとは思います。きっとあの段ボール箱には子猫が入っていると予測しても、触れずに、開けずに、耳を澄まさず、無視して通り過ぎてもかまわないとおもいます。
でも、できれば、もし自分に何かできると思うならば、助けてあげることはしてほしい。
あなたの努力がそれに満たなかったとしても、誰かに協力を請う事で、何倍もの力に発展する可能性はある。
結果として、拾った五匹はめでたく里親に引き取られてゆきました。
里親に名乗り出てくれた方には本当に感謝です。




