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48 ゆくとしくるとし

おおみそかです。どーも。


さてさて大晦日といいますと、元来はおおみそかには「大三十日おおみそか」という字面がございまして、ま、読んで字のごとくですけど。月の最後の日を三十日みそかと呼んだことから、年末は最後の最後で大三十日となったそうです。


さらに書きますと、江戸には「三十日蕎麦」といった風習がありまして、従業員に対してまあ月末に御馳走食べて来月も頑張ろうや、っていう粋なはからいを店主がなさっていたのだそうな。

その当時、ソバには嗜好品的な位置づけがあったものと思われます。主食ではなく(金銭的にではなく)贅沢な物という位置づけ。


それが年末の大晦日に蕎麦を食べる風習だけがのこったようです。


こちらは後付けでしょうが、ソバはコシが弱く切れやすい事から、旧年中の縁を切る、といういみあいもあるとかないとかですが、切ってはいけない良縁もあるでしょうに。わたしは、従業員の労をねぎらって蕎麦を振る舞う店主のはからいという、風習の方が好きですね。


で、NHKの「ゆくとしくるとし」を見ながらそばを食べるなんてのも恒例行事で、こればっかりはいつまで経ってもやるもんだなぁ、とは思います。

厳かに響き渡る梵鐘。

百八つの煩悩。


さて、この108もの煩悩でございますが、これはげんぜつしんの六根のそれぞれにこう(:気持ちが好い)・あく(:気持ちが悪い)・へい(:どうでもよい)があって18類、これにそれぞれにじょうせん(:きたない)の2類があって36類、さらにこれを前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表すのだそうです。


昔から人の行いについて理屈っぽかったのはわかりますが、まあよく考えたものです。


しかしながら我々もそれに倣うところあり、常日頃煩悩との闘いではありますが、寺の坊主とてこの煩悩に打ち勝つことが出来ていないのは古今東西どこでも同じで、むしろ煩悩まみれの生臭坊主というのはいわずもがな、なかなかに良い暮らしをしてらっしゃるのが、現実からみても頷ける話だったりします。


そんな大晦日のエピソードとして有名なのが、栗良平氏の「一杯のかけそば」でして1989年のバブル真っただ中、狂喜乱舞の日本を涙で埋め尽くした、といっても過言ではない名作がありました。


あらすじは以下のようなもので、これを見て思い出す方も少なくはないと思います。(以下Wikより抜粋)


1972年の大晦日の晩、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると母親が「かけそば(つゆが入った器に茹でた麺を入れただけの、種を入れていない蕎麦)を1杯頂きたい(3人で1杯食べる)」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。そして母子は出された1杯(1杯半)のかけそばをおいしそうに分け合って食べた。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけそばを頼みにきた。「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が来るのが楽しみになった。しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。それでも主人夫婦は母子を待ち続け、そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に現れる。子供たちは就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ。


ま、ハッピーエンドなんですが、なんでこれで泣けるのか? という風に思われる方も少なくはないでしょう。いまとなっては、ですが。


このバブル期というのは、未曽有の好景気、日本人が未だかつて経験したことがない金満社会が大手を振っていた世の中で、今の世代からすると、「おっさんが調子こいてた時代」という風に捉えられてシラケるのですが、実にその中核を担っていたのが、戦前から戦後を貧乏しながら生き抜いてきた世代が多くであり、不遇な少年時を経験した人も少なくはなかった。そのためこういったエピソードは彼らの琴線に触れやすかったともいえましょうな。


また、蕎麦屋のおやっさんの心意気にも心打たれるところがあり、人とはこうあるべきじゃねぇかと、当時のバブルで浮かれた日本社会に、批評の意味をこめて一石を投じた作品となったわけです。もっとも、栗良平氏がそこまでを意図したのではなく、こぞって取り上げて大ブームにしてしまったのは諸悪の根源マスコミであり、こんな話を描く栗氏が聖人のように担ぎ上げられてゆく反面、実話だと書いていたが、実は創作なんじゃないか、とか彼の過去の行状を取り上げスキャンダルとし、最終的には、たった半年ほどで急激にブームが沈静化します。


といいますのも、栗氏を居候させていた、それこそ蕎麦屋の店主が「奴は詐欺師だ」と告発したことにより、一気にかけそば伝説は瓦解することになります。実際に詐称・詐欺を繰り返していたことはあるようで、多くの人間に恨まれ流浪の民のような生活をしていたらしく、そのうち姿を消し、今現在も消息は不明なんだとか。しかしながら、印税一億円はくだらなかっただろう、とされておるだけに、このたった半年の間に、「一杯のかけそば」が如何に売れた作品かは解ると思う。


作者に罪あれど、作品には罪はない、そう綺麗に言いきれないのは作品の性質もありましょうが、結果的にはこの「一杯のかけそば」は愚昧な世間により、散々レイプされたあげく、葬りさられるという、イタイ最期をみた、名作なわけです。


やはり煩悩にまみれた作品に未来はない、とするかどうかはお読みになった人次第といったところでしょうか。我々も後ろ指さされるような作家になってはいけませんな、ということで本年を締めくくりたく思います。




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