45 自動車は電気羊の夢を見るか 後編
自動運転の定義というものがあります(以下お馴染みのウィキより抜粋、読みやすく編集してます)
日本政府や米国運輸省道路交通安全局 (NHTSA) では自動化のレベルを以下のように定義している。
レベル0
ドライバーが常にすべての主制御系統(加速・操舵・制動)の操作を行う。前方衝突警告などの運転支援システムもレベル0に含む。
レベル1
加速・操舵・制動の「いずれか一つ」をシステムが行う状態。自動ブレーキなどの安全運転支援システムによる。
レベル2
加速・操舵・制動のうち「複数」の操作をシステムが行う状態。アダプティブクルーズコントロール(ステアリングアシスト付き)等がこれに該当する。
この際、ドライバーは常時、運転状況を監視操作する必要がある。
レベル3
加速・操舵・制動を「全て」システムが行い、システムが要請したときはドライバーが対応する状態。
加速・操舵・制動を全て自動的に行うシステム。通常時はドライバーは運転から解放されるが、緊急時やシステムの限界時には、システムからの運転操作切り替え要請にドライバーは適切に応じる必要がある。事故時の責任はドライバーとなる。
レベル4
完全自動運転。加速・操舵・制動を「全てドライバー以外が行い、ドライバーが全く関与しない」状態。安全に関わる運転操作と周辺監視をすべてシステムや外部に委ねる。有人、無人両方がある。
現況もっとも熱く研究されているのがレベル3というところで、自動車専用道路のみの運航が可能、という枠組みで、この数年以内に市販化される可能性は大です。
日本政府はレベル4の自動運転の実現は2020年代後半を目指すとしていましたが、特定のルートを走る無人タクシー、バスという形で海外でレベル4の自動運転車の実用化が具体的になってきたこともあり、日本においても東京オリンピックが行われる2020年にレベル3の自動運転車の実現と平行して、レベル4の無人タクシーの運用開始を目標とする事を発表しています。
レベル4の実用化が先に公共交通であるのは路線が決定しているのと、管理の問題からでしょう。
みなさんあまり意識していないかと思われますが、自動運転車両というのは日本でも30年以上前に実現しています。
AGTと呼ばれる、自動案内軌条式旅客輸送システムで、小型軽量車両が自動運転により専用軌道上の案内軌条に従ってゴムタイヤで走行する中量軌道輸送システム。
なんですかそれ? と言ったあなたも一度くらいは乗ってるはずです。いわゆる第三セクターなどに敷設された、新交通システムのことです。台場のゆりかもめとか神戸のポートライナーとか、日暮里・舎人ライナーとか、南港ニュートラムとかがそれです。
彼らはすべて無人で、軌道上を走行しています。
まあこの、軌道上かそうでないかという部分が一番の難題であることが分かるかと思います。
自動運転自動車の雄といえばナイト財団が開発した「KITT」こと『ナイト2000』ですが、こちらは自動運転どころか喋りまくりの、ロボットカーです。他にもビートルベースなら『ハービー』で、こちらは喋りませんが、まあまあ表現力もあり、高度なAIを搭載しているのだろうなとは思います。
究極はこれらのレベルの自動運転自動車を目ざすことになるのだと思います。
要するに自動車が自動で動くというより、自動車型のロボット、という概念で開発する方が近道のような気もします。
さて、そんなロボット自動車が実用化された暁に、利点として考えられることは無数にあります。
以下お馴染みのウィキからの抜粋ですが。
1 交通事故の減少。
2 人間のとっさの状況判断には限界があるが、自動運転車は種々のセンサー(可視光や赤外線、音響、超音波)や、パッシブ、アクティブ両方のレーザーやLIDARによる360度視界により、危険性を素早く察知し、回避行動が可能。反応速度も人間を上回る。
3 人間ドライバーによる車間距離の詰め過ぎ、わき見運転(事故見物)、ながら運転、乱暴運転による事故の回避。
4 車間距離短縮による、道路容量の増加と、より優れた交通流量の制御。
5 乗員の運転や道案内からの解放。
6 最高速度規制の緩和。
7 乗員に制約がなくなる(子供や老人、無免許、全盲などの障害者、酔っぱらいなどでも乗れる)。
8 駐車場不足の緩和(乗員が降りたあと、無人で遠くはなれた駐車場への駐車が可能、必要なとき呼び戻せる。)
9 カーシェアリングによる自動車総数の削減。乗客を目的地まで運んだあと、別の乗客を乗せて別の場所へ行くことが可能。
10 自動駐車による物理的駐車スペースの削減。
11 送迎や車を修理に出す場合に無人運転が可能で無駄な乗員を無くせる。
12 自動車保険や交通警察の必要性が減る。
13 物理的な道路標識の削減。自動運転車は電子的に必要な情報を受け取れる。
14 乗り心地の向上。
15 車両の認識能力向上による車両盗難の減少。
16 ステアリングやその他の運転装置をなくすことで、キャビンが広くなる。乗員を進行方向に座らせる必要もなくなる。
17 過疎地のバス交通において、乗務員を乗せる必要がなくなるため、人件費による赤字や、慢性的なバス運転手の不足が解消される。
えー皆さんはこれを見て、どう思うでしょうか。
これらが実現できるのは前項で述べた「レベル4」以降の世代にあたる車で、ほとんどが無人航行できることが前提となっていると思います。要するにナイト2000、すなわちKITTくらいの性能です。
呼んだら飛んでくるんですよ、迎えに来て待っててくれるんですよ。飲酒でグダグダなっててもお持ち帰りしてくれるんですよ。
なーんて便利なんでしょう。
ほとんどが人間側の怠慢によるところ、まあ無駄な時間や手間が技術によってなくせるという事ですが、まあ体の不自由な方や、お年寄りには話し相手としてもいいでしょうね。
人工知能を持ったとて車のなりなら、反乱起こされても大したことできませんし。
それに対してデメリット、というか危険性も指摘されてるのですが。
さて続きで、デメリットの話です。
トラブルへの懸念と起こった場合の対処(2016年時点)
1 ソフトウェアの信頼性
2 車間通信によって車載コンピュータに不正アクセスされる可能性。
3 マニュアル運転が必要になるケースでのドライバーの運転技術・経験不足。
4 衝突不可避の状況で、自動運転車のソフトウェアが複数の事故コースのどれを選択するのか、トロッコ問題に類似する道徳的問題。
制度上の問題
1 損害賠償責任
2 自動運転車の法的枠組みと政府規制の確立
技術的限界
1 天候の影響を受けやすいナビゲーションシステム(2014年のグーグルのプロトタイプ車は雪や豪雨で走行できない)
2 自動運転車には高精度の特殊な地図が必要になるかもしれない。地図が古くなった場合、合理的な挙動にフォールバック(退3 縮運転)できる必要がある。
4 警察や歩行者などのジェスチャーや合図に自動運転車が適切に対応できない。
5 自動車の無線通信に使用する周波数帯域の確保の問題
6 その他、天候・路面状況による不作動・誤作動
社会への影響
危険物・爆発物を積んで自動運転車が爆弾化(武器化)される可能性
最後の、危険物を積んで云々は物騒な可能性ですが、まあテロリストは有人車でも同じ事やりますから、今更なんですけど。
この中で「 トラブルへの懸念と起こった場合の対処(2016年時点)」の4で言及されている「トロッコ問題」というのは、トロリー問題とも言われておりまして、、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という思考実験に起因する、「人間がどのように道徳的ジレンマを解決するか」という、道徳心理学、神経倫理学において重要な論題。(ウィキより抜粋)
要するに、あっちを立てればこっちが立たず、という問題に機械がどう判断を下すか、という事です。これは「制度上の問題」1の損害賠償責任にも関わってきます。これは自律式の人型のロボットが実用化された際にも同様の問題が発生します。
また、人と機械の間で運転をやり取りする場合、急にコントロール変更があると、挙動の変化が起こり、周囲の自動運転自動車に多大な影響を与える恐れがある。それに、「ユー・ハブ・コントロール」で咄嗟にマニュアル運転を渡されたとしても、人間が早々すぐに「アイ・ハブ」と対処できない可能性が大です。そういう意味では、マニュアル運転というのは無粋な行為とされる恐れがある上に最も危険な行為となる可能性が大です。
さらに人自身も、リスクを恐れてマニュアルモードに切り替えることを躊躇するでしょう。
要するに、人の力や能力など不要、むしろ邪魔で余計なものとなるのです。
レベル4の自動運転が確立した暁には、人は運転に関して考えることをやめるでしょうし、制度の中でロボット自動車同士が起こした事故についての、責任追及は行わなくなります(システムが正常であれば、現行自動車の扱いと同じように)メーカーには責任がないと結論されますし、ドライバーの手でどうにかなった問題でもないという事で、ドライバーは、責任を逃れるために絶対にマニュアルモードには移管しませんし、互いに不幸な事故だったと居直ることでしょう。
責任の所在を問うというより、責任が消失します。
司法の仕事はずいぶんと減るかもしれませんね。
前項で説明したように、自動運転というのは、社会全体が自動運転に包括的に則していなければなりませんし、その中で完全なアナクロマニュアル車などが走っていると、この自動運転社会を乱して、結果的に自動運転車オーナーは自車の持つメリットを享受できなくなる可能性が出てきてしまいます。
それに前編でもちらと触れましたが、自動運転車が航行する道路は整然と交通が流れているため、人もまた整然とした動きを要求されることになります。
別に人は今まで通りでもいいんじゃね? と思われるかもしれませんが、先にも述べた通り、自動運転車両が運行できる社会というのはそれだけ統制されなければ不可能だという前提があります。
人もまた機械に準じて判断して、心をコントロールするようになります。
これ、端的にいうと、人間は機械に寄り添うように生きることになります。人間が機械のために用意されたフォーマットに取り込まれてゆくことになるのです。今現在でもネット社会により、そういった状況は出来つつあります。
確実に言えるのは、人類は人間の尊厳を失います。というか知らない間に放棄してしまいます。
こういった未来を誰が望んだのか? と退廃的な未来社会が出来上がったあとで嘆いたところで、もはや遅いのです。
機械に人類が支配されるとは言いませんが、人類は自ら望んで機械化してゆくのは自明かと。
アニメやSF映画の観すぎだと思われるかもしれませんが、私が子供のころに観てきた未来のいくつかは現実になっていますし、予見されていた問題の湧出もやはり現実になっていますから、その積み上げでより正確な予測が今後もなされてゆくでしょう。
そもそも普通、出来るだろう、これだけの利点があるだろう、というポジティブな予測は飛躍しがちですが、出来ないだろう、問題があるだろうというネガティブな予測はかなり現実的に提示されますので、私はこういう書き方になります。
自動運転車が出来るだけでしょ、何を大袈裟な、とおっしゃるかもしれませんが、私は人間は「そんなに利口じゃないし、強くもないし、器用でもない」と思ってますので、恐ろしいなと感じています。
まあ、ロボットカーに乗るような未来の世代の人は、その世界に何の疑問も持たずに適応してゆくとは思いますが、その時私のような人間は老人になって、彼らと意思疎通そのものが出来なくなっていると思います。
んなわけなんで、自動運転自動車には全く興味ありませんし、実現はかなり難しいでしょう。
もちろんそんな世の中で車を運転するほど馬鹿でもありませんから、せいぜい自動運転社会が出来上がるまで、生きている間に自分の好きな車には乗ります。
ま、せいぜい自動車メーカーは電気羊の夢を見てくださればよいかと。




