41 裸で何が悪い
酒に酔っていたとはいえ名言だな、と。某アイドルのストリーキングを前回の記事書いてて思い出しました。
かなり著名有名な人間がちょっとした事件を起こすと、それはそれは多くの人間に迷惑がかかり、その周囲の精神的被害もさることながら金銭的被害も相当大きい。ひょっとすると億はくだらないかもしれない。
そういった部分では相応の憤りを感じはしても、事件そのものに関してはさほどの関心もなく同調意識もなく、微罪だなーという感想でした。
酔うと服を脱ぐという、いわゆる「脱ぎ癖」のある人はままおります。彼にその気があったかどうかはわかりませんが、大抵は宴席でウケるというのが多くのパターンです。
なんとなく気が大きくなって恥ずかしさを超えるというのも一つ、いわゆるチャレンジ精神をもって全裸で100メートル先の自販機までジュースを買いに行くなどといった行為も含め、タブーへの挑戦といいましょうか、ネタといいましょうか、いずれにしても第三者がいてこそこのストリーキングというのは功を奏するわけでして、あまり一人で行うことではありません。
一人で行うという点についてしたり顔で心理分析などをすると、潜在的に束縛からの解放を望んでいる、と言えなくもないかなという程度で、まあ一般サラリーマンにしても同様のことは起こりうるかなと。
で、タイトルの裸で何が悪いですが、確かに悪くないと思います。最初の人類が知恵の実を食べていなければですが。
人類の羞恥という概念は時を経て様々に変化してきておりますが地域民族、作法風習、地位立場などからくる経験的知識的羞恥においては今更話すまでもなく、とりとめがないのでここは置いておきますが、精神的羞恥は時代や地域や性別でも大きく異なるものの、延べて性的なものに絞る事が出来るといえます。
この羞恥が罪名の「公然わいせつ」にどうつながるのかを意味なく掘り下げますと、この場合は羞恥心を感じるのは自分ではなく周囲の他人である、ということです。
ここでは見せられる側の人が裸を隠すべきものとして認識していなければ何の感情も起きないわけで、散歩している犬を見て「服を着ていない」とは別段思うことではないのと同じです。もっぱら今では服着て歩いている犬のほうが多いような気もしますが。
感情の出所は、自分だったら服を着るのに何故この人は着ないのだろう、という事が非常に恥ずかしいと認識するわけです。これは公然と肌を晒す事が許されている水着というものと同じです。水着はピンポイントで隠すべき部分を隠すだけで、ほとんど裸と相違ありません。しかもそれを恥ずかしいと思っている人は皆無です。ところがこれと同じく下着で浜辺に降りろといわれると恥ずかしくて出来ないわけです。隠れている面積は同じなのにです。
要はそのヒトの常識の問題で、ここでは服を着る、ここでは水着を着てもいい、と決めているだけであり、それが相違すると頭が一時的に混乱し人によりそれが快感や不快感になって現れます。おおよそ世間の法律というのは多数決ですから、不快に感じるというヒトのほうが多いのでしょう、それで総意に相違する行動というのは違反行為、あるいは犯罪行為となるわけで、公の場で全裸になるという行為は多くの人に羞恥心のフィードバックという不快感を与える秩序を乱す行為として「わいせつ物」を晒した罪となるんですな。
さらに言いますと、近頃はコスプレイヤーなどが、アニメのキャラクターを模して、まあまあ過激な衣装を身に着けて街を闊歩したりしていますが、実際あれはNGでございます。
というのも、基本裸ないし、裸にほど近い、過度な露出のある服装で街に出てはいけない、という法律はあります。
ではなぜ浜辺はいいのか、コミケ会場はいいのか、というと、限られた場所、クローズドスペースである、という理由からです。したがって、男性などが上半身裸のまま海水浴場を出て、うろうろしていると、一応とっ捕まっても文句は言われません。
ここで面白いのは、仮に男性が上半身裸だったとしても「乳首」を隠していればセーフとなるそうです。
であるなら女性が上半身裸で乳首だけを隠していても適法となるのだろうか??? うんエロいな。
いまいち明確に基準を示せない理由は、時代とともにファッションが変遷するという理由もさることながら、人々の羞恥の意識が変化しているという理由もあり、情況、場所、行為の対象、といった公然性が問われるわけで、仮に捕まったとしても明らかに『性器を露出』していない限りは、注意で終わるというのが現実だそうです。
これを明確に線引きすると、今度は表現の自由などという、人権の分野にも抵触してくる可能性があるので、行政、司法としてはあんまり触れたくない部分なのでしょう。
ここ10年の間に若い人の服装は古い言葉で言うなら「過激」になり続けているといえます。下着の一部ないしほとんどを見せることもほぼ抵抗なくなり、女性に至っては半ケツして闊歩する姿も珍しくありません。というか、駅の階段なんかで公然と超ミニスカートってぇのは意図的露出なんじゃないかとも思うわけで、見せているんじゃない、といわれても見える物は仕方がないので見てしまうわけです。
男性は女性が考えているよりもエロいので、見せるつもりはなくても欲情していることは確かです。しかしながら、それを見て不快に思う男性は極少なく、割とそこんとこは本能に素直に、手を合わせて「ありがとうございます」と受け止めるものだなーと思います。
無論、純客観者が不快に陥らない場合は、「公然わいせつ」には当たらないわけでして、これは女性と男性の差かな、とも思います。
と、いいますのはね、きっとね、どこの居酒屋でも毎年更新される生ビールのポスターに、ビキニ姿の毛深い小デブのオッサンがにこやかに笑ってジョッキを掲げてるなんて絵面は即刻撤去されるわけですよ。「淫猥で不快」という理由でね。