25 おひとりさまですか
「人は一人では生きてはいけない」とまあ申しましてこの人生は始まるわけですが、「人は生まれるときも死ぬときも一人である」と育つ間に悟るのは皮肉といえば皮肉。
さて、世の中にはお一人では何もできない人が割と多いようでして、喫茶店に一人で佇む事が出来ないだとか、一人で出かけられないだとか、まして飲み屋に行ってマスターと一対一で会話なんぞとんでもないといった、いわゆる「群れ」を是とし「孤独」を非とする傾向は「お一人様向上委員会」なぞが発足(?)される流れを見ても明らかであるなと。
よく、女性が一人で喫茶店などに入れない理由を聞くと「一人でいると他人から見られて勘繰られているように感じる」といった一種の強迫観念のようなものを吐露する事がありますが、自意識過剰というか単に臆病というか要するに「自分がどう思われるのか不安」であると言っているのと同じで、まったくもってお子様だなと感じます。
結論から言うと、他人が自分のことをどう思うとしても今ある姿の自分が自分なのだからそれをそのまま受け取って頂くしかないでしょう。例えば女性が一人で自殺の名所なんかで佇んでいたら「遺族の方かしら」とか「もしかして今から?」なんて勘繰りますけど、基本的には他人は他人のことには無関心であると言ってもいい。そうでなければ他人と自分との境界なんて必要がないのだから。
そんなわけで今回は一人ということについて。
男の美学の中には「孤独」という文字が潜んでおり、一人では何も出来ないではかっこ悪いと感じるようにできています。この世の全てを敵に回しても、なんて一度は言ってみたいような、言ってみたくないような気がします。
テレビや映画のヒーローなんかでもどっちかって言うと群れてるのは大抵悪役で、人海戦術で主人公を窮地に追いやります。しかしながらそこは孤高のヒーロー「キャシャーンがやらねば誰がやる」みたいに死をもいとわず一人立ち向かってゆくわけです。男子の本能に火をつけますな。
「貴様らは祖国を守る神となるのだ」と檄を飛ばされ、貴様らの命に帝国の存亡は懸かっているなどと言われれば、男ならばやるしかないだろう、戦時中の特攻隊精神なんかもこれに通じるものがあります。
無論特攻が成功すれば一人の命で数百から数千の戦力を海の藻屑にしてしまえるのだから、費用対効果を考えれば、あながち悪い作戦ではない。
が、まあ、特攻と言うのはそれほど上手くゆくものでもないのですな。
当時の艦船はボイラー艦ですから上手く煙突(あるいは弾薬庫)に突入すれば機関を破壊し撃沈に持ち込む事が出来るんですが、数百メートル上空からの垂直ダイブにとって煙突口は針の穴ほど小さく、そこまで一直線で突入することはまさしく文字通り「神業」に近いわけで、考えてみれば神風特攻などというのも言い得て妙であるなと思います。
さて、特攻といえば暴走族。
男気をもっとも曲解している春になれば現れ、秋には消えてゆく珍集団であります。
今となっては死語に近いですが、いまだ都市部辺境などでは元気にやっている姿も見かけます。かたや都市部では本物はほぼ絶滅してまして、見た目は暴走族ですが中身は「やんちゃに憧れるバイク少年」と「とっくに引退した30代以上のバイクお父さん」の小集団で、ちゃんと信号を守りながらもチョロチョロ走り回っている暴走族レプリカ、暴走族カムバック組のような、「旧車会」と呼ばれる珍装族が現存しています。皆さんも一度か二度くらい目にしたことはあるでしょう。
もはや今の若い世代にとっては「暴走=ダサい」が公式となりつつ、私なんぞは暴走族ルックも文化になったよな、と感慨深く眺めています。
そんな20世紀後半の不良の代名詞とも言うべき暴走族な彼ら、かつては集団での路上占拠、迷惑行為、窃盗、傷害、化学物質吸引あれやこれや悪事の限りを尽くしたわけですが、それでもそれが青春の一ページになり、今ではいいお父さんや生真面目なサラリーマンをやっている人がほとんどで、すっかりなりを潜めております。
これは業界の通例でおおよそ18くらいにもなれば引退となったこともあるようで、充分社会復帰が望める年齢、という打算的な思いもありました。
まあ、若いときは何かと群れて自身の不安定な立場を安定しようと支えあうことで安心もするものですから解らんでもありません。ただその表現方法が下手くそだなぁというより他ないでしょう。
ここの所を掘り下げるとですね、色々でてくるんですが簡単にまとめると、「なんだか解らないけど大人でも子供でもない頃のフラストレーション」を抱えた青年とは、えてしてその悩みを自己解決できずに友人などに打ち明けるわけですね。
これが親や先生ならよいのか? というと不満の元凶である立場の人間から大人の理屈で相対されても余計に反発するだけという結果しか招きません。大体本人達も何がそんなに不満で不安なのかもわかっていないのですから。
では、寄り添う友達がその話をわかってくれるかというと、不思議なことに同調してしまいます。でも結果は所詮アホ同士なので出口のない迷路を一緒に延々とさまようのみとなります。
これが自己確立への過程の不安さであり確立できない苛立ちであるということは明らかなのですが、アホな分その答えを見出すよりも今の不快感を払拭しようと行動に出るわけです。どんな形であれ誰かに何かを認めてほしい、自分はここにいるんだと知ってほしい、俺は子供じゃない、親のオマケについてきているんじゃない、とまあ言いたいわけです。「でも自分達が出来ることといえば……」となるわけで、悪気はないが悪いことをして世間を困らせることが自分の居場所になるということで、彼らにとってはとても大切な空間になるのです。
ある意味では、彼らは男ではなくお子様だから、群れないと不安で不安で仕方がないバンビちゃんなのであって、もし道路上で遭遇してもバンビちゃんの群れが走り回っているという風に大人からフィルターをかけてあげることです。まあ、撃ち殺したい気分は解らないでもありませんが。
同じ特攻でも、拡大誇張解釈をしたとしても彼らと戦時の特攻隊隊員と並べるのは相当失礼に当たるのですが、ちょうど特攻隊隊員もこの暴走する彼らと同年代な訳です。時代は変わるといえど個人が国を背負ってヒーロー譚を描かなければいけなかった一方、ヒーロー譚を描く為に自分を演出しなければいけない状況はどちらも相応に病んではいるのでしょうけど、今はそのどちらともが欠落しているように思えます。
特攻そのものが無謀で悲惨で無意味だと唱えたがる方々からすればどっちも正しくないと、あっさり切り捨てられることでしょうが、そもそもは種の段階から唯我独尊で卵子に向かってゆくわけですから、孤独を美徳とする傾向は女よりも強いのかもしれません。
お一人様を敬遠する方々に共通するのは、その他大勢の中の一人で突出しなくてもいいと考えているところです。それは分け前が減ることはもとより、リスクも細分化されますから精神的にも楽であることは言うまでもありません。
ではここでいうリスクとは一体なんなのかと申しますと、一言で言うと責任です。
責任とは自身が確立されない状態では生まれません。いずれかなりの保護下にある立場から個人的な責任感はかなり生まれにくいですし、それは年齢にもよります。
無論ながらある一定年齢に達すると急に自分の器の全貌が見える訳ではありませんし、勝ち得るようなものでもありません。
文字通り公に責務を任される立場に置かれた時、それはその他大勢の一人ではなく自分という個人に課されているものだと認識することになります。そしてそれを果たしたとき自分がやった結果であると認識できるはずです。自分で考えて自分で行動し自分で結果を出した。それが失敗であったとしても失敗を受け入れその先に邁進する意志を持つことで自己というものが確立されてゆく。
ですから、お一人様が耐えられない大人は真に大人とはいえないばかりか、責務の重圧に耐え切れず仕事をまっとうすら出来ないともいえるわけですな。もっとも全てのバンビちゃんが仕事が出来ないとは申しませんが、少なくとも喫茶店で待ち合わせも出来ないような相手を私は信用しません。
ま、こういった現象の反動から自立した素敵な女性像を「お一人様」などと賛美するようにはなりましたが、それに乗じて夜な夜な一人歩き飲み屋に入り浸るのは程ほどにしておくほうが無難かと、何事もわきまえることは大切であると、わたしはおもいますが。
本当に色々とややこしいことに巻き込まれることがお好きな方は、どうぞお止めしませんが。




