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21 BLOOD TYPE 

世の中には血液型で性格がわかるという迷信が主に日本では根強い人気で、とかく初対面同士の会話に織り込まれることは珍しくありません。しかし、先天的に運命や宿命が決まることを嫌うのと同じく、変化させようのない血液型で性格が不変であると決めつけられることに否定的な方も一定数はおられるようです。


さて、では血液型で何故性格を決めるのか? ということですが、これは経験則的に実際、外れるよりもなんとなく当たっているという意見が多いからだと言えます。そうでなければこれほどまでに根付くことはありません。


 血液型で判断するのが馬鹿だとか、マスコミの影響だとか、差別だとか言う人はいますが、実際にそのくらい簡単に大体当たるから普及しているのです。私の主観では5割以上は当たっていると思います。それも20年以上付き合っている人間をずっと見てのことです。


よく例外を示すために同じ血液型で生存環境が同一の双子を例にとって「性格が違う」という方がおられますがそれは「自分の子供を長年見てきて」そう思うのか、たまたま「その時クラスメートの中にそういう双子がいた」ということなのかでも随分と論拠が違いますし、そもそも兄弟であれ姉妹であれ、同じシェルターの中に自分と「同一に近い人間」がいればおのずと自身から差別化を図ります。それも年頃になればなるほど、後天的に得るモノの積算で人格すら変化することもあります。


ある意味で、歳の離れた兄弟であれば最初から立場が違うため自ら無理に変化を意識しないで済む分比較対象にもなりえますが、この双子の例は最も当てにならないたとえ話となります。


さらに実に不思議なことですが、血液型を信じているのは世界でも日本人だけだ、というのを根拠(だから変だ)にする人がいますが。それを言うなら神式で冠婚葬祭をするのも日本人だけだ、ということにならないでしょうか。


どうして日本人だけが信じてはいけないのでしょうか。占いもグローバルスタンダードで世界に認められる欧米式のものでなくてはいけないのでしょうか。その国だけでしか通じない占いなど無数にあると思いますし、宗教観一つをとって見ても様々です。


血液型という確実に違う物質が人体を構成する組織の個性として4つあるということだけを考えても、A,B,O,AB、では「何か」が違うのではないかと考えたくなるのは無理のないことです。


日本は「ほぼ単一民族」で「経済的に安定」して「平和である」さらに「教育が行き届いている」という素地を考えると、データが安定しやすい傾向にある事はわかるでしょうし、そうでなければ性格判断や人格分類が意味を為さないこともわかると思います。何より分類が4種類しかないという簡素さが人気の秘訣です。


逆に、その上で血液型という個人にそれぞれ違うものが流れている不思議を考えてみれば、生物学的に考慮しても、行動原則か生体機能に若干の差異のある個体を人類として複数種類運用することが種の保存に繋がると考えるほうが自然です。


と、いいますのも、疫病などで一つの血液型にだけ感染するようなものがあれば、それだけで人類は絶滅の危機に侵されます。


それと同じことで、命のやり取りをするような究極の選択時に同じ行動をとるものばかりだと、それもまた一族の滅亡につながるわけです。まして人間は集団生活型の動物なのですから。


仮に人間は生まれた時点ではフラットな固体であるとして、個人の性格、性質の獲得に何十年もかけられる現代ほど悠長な世の中であればよいですが、私達が知っている人類史の大半は常に生きるか死ぬかを老若男女問わず突きつけられる日常を送ってきているといえます。


つまりその中でその時の自分の判断一つで生き残るものと死ぬものが分かれる。


したがって、性格や性質に端を発する行動原理が後天的にしか身につかないものであると考えるほうが無理があります。


このあたりを考慮しないで血液型などあてずっぽうの出来損ない占いだとしてしまうのはどうも思慮に欠けると思います。無論、現代においてはその際の決定的な証拠が見つかっていないだけ、とも言えますから血液型で性格が決まるというというのはあくまでも統計学であり続けるでしょうし、各種の占いと同列に並ぶものであり続けることは確かです。


もっと他に先天的に性格を決定づける定理があるのかもしれませんが、それは血液型で判断しないというだけで生まれ持って確定しているという点では同じ性質のものです。


ただ、たとえば、B型が性格悪いだの嘘つきだのと、一般的に言われているようですが、もちろんそんなことはありません。


血液型占いの面白さは人の欠点をフランクに笑い飛ばす部分にあります。ですからどの性格判断を見てもマイナスイメージのほうが強調されているはずです。読み物としてはそのほうが面白いし売れますし、話のタネにもなりやすいというのはわかるでしょう。


無論プラスイメージはいくらでも作れます。それぞれの言われている性格にもよい面はたくさんあります。私はB型のよい面をたくさん知っています。なにせ私の高校時代からの友人の半分はB型ですし、今まで付き合った彼女もすべてB型です。


ちなみに私はそのB型に翻弄される(といわれている)A型ですが。


このように私は血液型による性格判断を全面的に否定はしていません。

しかしあえてこの血液型占いをあくまで「遊び」としなければいけないとは思っています。理由として、これは大変重要なファクターですが、血液型は「変化させようがない個体性」であることから社会動物としての人類の倫理観に反する、というあたりに収斂されるのではないかと思います。


もっと簡単にいえば、ご自身に子供がいればよくわかると思いますが、血液型だけで可能性にふたをされてしまうといういい方が適当とは言いませんが、簡単であるだけに子供の間にも蔓延しやすく、安易な人格判断をしてしまう危険性はあります。


たとえばAB型は二重人格だから仕方がない、といって他の見方が出来ないまま相手を諦めてしまうような人間を育ててしまうことにもなりかねません。


血液型は基本性能、その行動原理から獲得してゆく能力は無限、まあそうありたいというか。

ある意味自身の血液型特性を知れば、基本性能を超えた能力開発もできるということでもあるかなと思いますし、人のふり見て我がふり直せという俯瞰ができるようになれば、しめたもの。


ま、それがなかなかできないから人生は苦労する訳で、占いに頼りたくもなるもんなのですが。




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