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11 風水

さて、4月に入り新生活を始めた方もおられることでしょう。

少し遅いですが引越しシーズンでソロソロこんな話題もいかがかと、皆さんも一度は考えた事があるでしょう。


先日ふと我が家の風水的家相を調べてみた。確か正面は不動産屋の平面図では東になっていた。だが、風水の言う北の方角は「磁北」といって地磁気が発生する点を指し、地球の地軸の北端である真北(つまり北極点)とは位置が少しずれますので(約10度) んなもんで、実際どうなのかと、家の中心を求めてそこに方位磁石を置いて見たわけです。


おお、見事にずれている。家の正面が東だとばかり思っていたのだが45度もずれている。不動産屋の平面図がいくら大まかな見取り図だとしてもこれでは詐欺といわれても仕方がないと思うのですが、まあ、今更です。


現在の家の玄関は正面から見て右端に位置する、つまりこれは家の中心から見たときに北東方向、いわゆる鬼門の玄関ではないか、と。


ちなみに家の中心をどうやって求めるかというと簡単に言えば長方形の平面図で対角線を引いて、交わった点が中心となります。当然です。

これが多角形になると二個、三個の四角が複数あるとみなしてそれぞれの交点からさらに対角線を伸ばして求めるという事になります。


そうして割り出した中心から方位を割り当ててゆくのですが、これは驚き。

狙ったかのように心中線上にばっちりとはまっており、長方形の我が家は「北東欠け玄関」とダブル凶相を呈しています。(一般的には)


少なからずハウスメーカー、工務店、不動産屋というのは物件が「北東玄関」というだけで顧客に売れにくくなるリスクを抱えるくらいなら、無理をしても避けるように建築するものですが、我が家は中古物件なのでその経緯はわからない。しかもいまさらリフォームでも変更出来ない間取りであり、無理しても北玄関が関の山。


まあ、北東が凶方位であるというその由来は諸説紛々あれど、私には見えないものなので今は何ら気にしてはいないんですけど。


その昔の私の彼女で風水に「はまっちゃっている」子がいました。


最初は私も面白いと思って彼女に習ってあれやこれやとやっては見たんです、よく言われる「西に黄色」とかね。


(最初に断っておきますが、私は風水をまるで否定するものではないという視点に立ってこれを書いていますが、内容に御気を悪くされる方もおいでかとは思いますがスミマセン)


ただ、こういった占いやまじないじみたことはどうしてもそれらを推奨する指導者や著作者をはじめとする、「それにより恩恵を受ける人々の飯の種」となりがちで、風水の本と言われるものを読めば読むほど「開運」「幸せになる」「お金が貯まる」「ラッキーアイテム」「ラッキーカラー」と、都合のいい言葉が並ぶ。


それも何冊も何年にも渡って一人の著者が何十冊もの風水本を書き列ね、インテリア術に始まり、服装コーディネート、はては食事のレシピまで網羅している。場合によっては○○年版というものもあるわけで、さすがにここまで来ると「ああ、これは」と考えたくもなります。


確かに、色や形が人や環境に与える目に見えない力があることは否定しない。色で気分が変わったり、食べ物の味が変化したり、構造物の設置の仕方や形で空気の流れの変化が起こり気温や湿度を変えることもある。そのせいで体調やあらゆる欲望や願望が変化し、行動に繋がるといえます。


ところがその彼女の部屋を訪れたとき、その珍妙なインテリアに、さすがに退くものを感じたことは否めません。


おそらくそれらの風水本を参考にして可能な限りの「補正」を行った結果の姿がそれだったのでしょう、妙なところに観葉植物があり、妙なところに鏡があり、妙な色の布が不自然に家具に被せてあったり、妙な家具の配置であったり、どう考えても不自然で、使いにくいだろうと思わせる部屋という印象が残っています。それで彼女が幸せだったのかはよくわかりません、幸せだと感じて安心していたかっただけかも知れません。あるいはプラセボ効果で擬似的に幸せだったのかもしれません。


仮に「置けば幸せになる置物」があればそれは置いてもみたくはなるでしょうが、置くだけでそのヒトの人生がどうにかなるようなモノは、逆にどうかしているとも言えるわけで、そんなに強力な呪詛がかけられているモノを手にするのは、その人の人生をかえって不自然なバランスに形成する可能性があると考えられるわけです。


あくまで私の主観ですが、彼女は決して本当に幸せだったとは言い切れないところがもどかしく、その珍妙なこだわりから抜け出せずに、ほぼ努力というものを自身の外に追いやり幸運だけを求めていた感は否めず、因果律を欠いた彼女の人生を私はしらけて見ることしか出来なくなり結果、離れることになりました。


巷に氾濫する風水術において、人間関係不和になりやすい、家族の健康を害する、金銭が貯まり難いなど人生の幸不幸が方角に当てはめられているなど、首をひねりたくなることは多分にあります。


「だから私達は不幸なのだ」とそれの所為にすることは至って簡単ですが、ならば幸せが叶う家に住んでいれば不幸ではなかったのか? と問いたくもなるものです。


例えば人間関係不和になるのが方角の所為だとしてそれを信じてしまうと、まるでコミュニケーション能力の欠如を認めないという不幸な人生を歩むことになる。同じく金銭も健康も自己管理能力をおろそかにすることを寛容しているだけで、欠点に気付かないというあまりに不幸な状態に陥ります。


まあ、信じている方々から言わせれば、地の理を信じず、地の利を生かすこともしない私のような不信心者はもっとも愚かで不幸なのでしょうけど。


方角や方位、あるいは色や形が「それほどまでに」一人の人生に影響するのならば、我々に与えられた「自由」とは一体何なのかと。

予算や都合の関係上気に入った家があっても、好みの服やインテリアがあったとしても、食べたいモノがあったとしても、運気を気にして選べないとすれば、結局現世で禁欲して来世で会おうぜ的な、馬鹿なことになるだけで、もはや生きて幸せを感じる以前の問題ではないかと俗世に生きる私などは思うわけです。


そもそも現在というか、この時代においては、とりあえず金とか良好な人間関係とか健康といったモノが神に拝み倒しても欲しいものであり、そういう意味では人間は強欲だなと思います。


無論ながら神頼みが精神安定剤のような人もいますから、うじうじと運勢や家相を気にして寝付けないようなら素直にそれに従って生きるほうが賢明なのかもしれません。


我が家に越してきてから九年が経ち、とにかくまあ、私の家は家相的には最悪な条件を兼ね備えているわけで、予言通り子宝には恵まれませんでした。


しかしながら、さてさて土地がもたらす不幸というものが何なのかと考えてみた時、各地の地震などで被る広域被災地の方々からすれば、風水ではけして納得がいくようなものではないよな、と、まあ思うわけです。


今週はこの辺で。


では、さよならいおーん!

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