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10 殺る鹿ない


♪おとこはお~かみ~♪

という故河島英五アニキの歌でズラのCMがあったなぁ、とアニキの没後15年という節目、オオカミかぁ……と思い巡らせておりました。


最近というか里山では良くある話なのですが、獣と車の衝突事故。


野生動物は光源に飛び込む癖のようなものがあり、なかなか良いタイミングで道路に飛び出してくるのです。


餌の少ない冬場はなおさらその率が高くなります。


これは事故の中でもかなり泣きを見る羽目になる事故で、衝突した相手がいるとはいえイノシシやシカが保険に入っているわけでもなく、膝を突き合わせて示談できるわけでもなく、当たり所が悪ければそのままご逝去されてしまうという後味の悪さを残します。


まあ、そこで毛皮と肉が手に入ったと喜んでお持ち帰りするほどのつわものでしたら何も言うことはありませんが、大抵はドンとやってもすぐには死なず、そのまま弾みで茂みに逃げ込んでしまい、ひっそりと孤独に息を引き取るといったケースで、死体を目の当たりにすることは少ないかもしれません。


ちなみにシカはオスで体重100キロ前後ありますから、衝突すると結構な割合で車をぶっ潰してくれます。


ちなみに自動車保険の規定上では、シカもイノシシもクマも「モノ」でありまして、「落石」などと同じ扱いとなります。

細かい規定は保険会社によって色々ですが、修理代で泣きを見ないためには車両保険特約を付帯しておくことをお薦めしておきます。


さて


こういった事故が起こるのは実際のところ仕方がないのですが、そもそも人間が山林の開発を広げることで餌場を追われた動物が里に下りてくる為だと、そういう解釈をしておられる方も多いのではないでしょうか?


実はここの所、少し順序が違いまして。さらに言うとシカ自体の頭数は全国的に増えております。


シカは特に冬眠をしないため、冬でも餌を求めて山林を巡っています。

シカの主食は林床に生える下草であり、地面まで満足な日の光が届かない森はいい餌場になりません。

そこで、森の隙間、林の切れ目などで餌を調達することになります。


そういった個所というのは結局のところ人間が施設開発や道路建設などで森を切り開くことで生まれるわけで、皮肉にも人間が餌場を提供しているような側面もあるのです。


そもそもシカが増えたのはどういう経緯かと申しますと、人間による狩猟の減少と国内では天敵であるオオカミの絶滅、近年では気温の上昇により冬場に餓死、凍死する個体が減ったことが挙げられまして、それに先に述べた人間の作り出す意図しない餌場問題が加わるからです。


まあ、人間の功罪は巡りめぐってシカの繁殖に繋がっているわけです。


しかし、気のいい人が環境問題(あるいは動物保護)を語るときに必ずといっていいほど例にあげたがるのは、人間が野生動物の住処を追っている罪な様子、な訳です。


このところはシカによる農作物の食害も増えて問題視していることから、駆除の方向へ向かっているのは確かですけど、マッチポンプ式に、獣が人間に追われて里に下るようになったために起こる食害(=自業自得)という単純行動とは少し違うのだという、チョッとした知識として知っておいても損はないと思います。



無論過去に人間がオオカミの狩場を追い、家畜を襲うようになった結果害獣として駆除されたり、海外から伝染病などを持ち込んだせいで、結果絶滅させたという事実は紛れもないわけですから、めぐり巡れば自業自得には変わりありません。


しかしニホンオオカミが戻ってくることはなく、元の生態系を復帰させることができないとならば人間がオオカミの代わりを果たすことが最善であり、いまのところ野生のシカは積極的に間引きすることが望ましいのです。(もちろん捕り過ぎはダメ)


だからといって、車みたいな大層な機械で間引くこともありませんけど、人間は今まで得た高速道路も鉄道も街もインフラの全てをとっても、自然環境との「取引」の上にあると意識しなければならないということです。


私は開発を悪だとは捉えません。その昔は人間も脆弱だったため、常に自然環境との戦いだったわけです。それを克服したのが人類の英知ですが、ただそれに溺れてはいけないし奢ってはいけないということです。


行為には責任が付きまとう。これは人が人に対して使うのはもちろんですが、その行為によって影響を受ける部分をどこまで勘案できるか、という想像力を人類は育てるべきなのです。そして出来上がった結果を見据え、受け入れる、そこから生きてゆく。その先にあるものが絶望だったとすれば、人間はどこかで選択肢を間違えた、あるいは対等価な取引が出来ていなかったということでしょう。


というあたりが『もののけ姫』(1997年)が語った最大のテーマではなかったのかなと。


河島英五アニキの『生きてりゃいいさ』が沁みる春のある日でございます。 






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