第5話 気付かないフリ
今日も、いつものように直正とローサは二人で帰っていた。
すると、今日はいつもと違う声が聞こえてきた。
「火事だー!! 助けてくれー!!!」
二人が声のする方へ行ってみると、そこには轟々と燃える家があった。
火が発生してから、しばらく時間が経っているのだろう。近隣住民のバケツの水をかける必死の消火活動も、とても効果があるようには思えなかった。
「ああっ……ああ……た、助けてくれ!! 中にまだ……子どもが……っ!!」
「お、落ち着いて下さい! 消防車は呼びましたか?!」
裸足で、煤で全身が真っ黒になったおじさんが、直正にしがみつく。体には無数の擦り傷があった。必死で逃げだして来たのだろう。
「消防車は呼んだ……けど、気付くのが遅かったんだ!! 消防車を待ってたら、死んじゃうよ!! ど、どうしたらいい!? なあ、頼むよ!!」
「お、落ち着いて!! 絶対だいじょ……」
直正は、ある言葉を口にしようとして、途中でためらった。その時、直正の脳裏にはある言葉がフラッシュバックしていた。
『では、“事実とは異なること”を言ったのですか? 今、ナオはこの子に“嘘”をついたのですか?』
直正はどうしていいか分からなくなっていた。自分の無力さに苛立ちさえ覚えた。
行き場のない苛立ちを抑えるように、グッと拳を握り締めた。
こんな気持ちになるぐらいなら、気付かないフリでもすれば良かったのだろうか。
いや、そんなことはその場しのぎに過ぎない。気付かないフリなど出来やしない。
そう考えていた瞬間だった。
「あ、おい! こら! 君!! 待ちなさい!! 危ないから行っちゃダメだ!!!」
叫び声を耳にして顔をあげると、火の中に走り込んでいくローサの姿が一瞬見えた。
ローサは、煙の中に突入し、すぐに姿が見えなくなった。
「ローサ!!」
周囲は唖然とした。それもそのはずである。若い女性が燃え盛る火の中に飛び込んで行ったのだ。
「ああ……どうしよう……おれが助けを求めたから……。すまん……おれが行けば良かったんだ……でも……どうしようもなくて……」
助けを求めてきたおじさんは膝をつき、燃えていく自分の家をひたすら見つめていた。
なんと声をかけてあげたらいいか分からなかった。こんなとき、ローサだったら何と言うだろう。
しばらくすると、黒煙の中にうっすらと人影が現れた。
それは、子どもを抱えたローサの姿だった。
「おお!!! おおお…おおお!!!」
おじさんは走って子どもを迎えに行き、ローサから受け取ると強く抱きしめた。
子どもは泣いていた。おじさんも泣いていた。何度も何度もありがとうと言っていた。
ローサは、おじさんと同じように煤で真っ黒になっていた。皮膚も火傷をしているところが多々ある。ひどいところは、ただれているようだった。
「……ローサ」
かける言葉が見つからなかった。名前を呼ぶのが精一杯だった。
「熱くはありません。感覚はもっていませんから」
「その……火傷は?」
「前に、言ったではないですか。いざという時にバレないように、怪我をすれば血も出ますし、火傷をすれば皮膚もただれます。そう作られているのです」
質問をしながら、なんて間抜けな質問をしているのかと直正は思っていた。
そして、ただ立ちつくすのみの直正に向けて、ローサはこう言った。
「ナオは私にこう教えてくれました。“困っている人がいたら助けるのが人間なんだ。そうやって、今日まで人間はたくさんの困難を共に乗り越えて生きて来たんだ”と。
ナオ、質問しても良いですか」
質問は聞きたくなかった。答えられる気がしなかった。
だが、それを拒否することもできなかった。
直正は静かに黙っていた。
「人が困っていたら、助けるべきではないのですか?
そう思っているのに、行動しないのは何故ですか?
認識と異なる行動をするのですか?
その行為は、自分に“嘘”をついていることにはなりませんか?」
きっと、ローサに悪気はない。悪気がないだけ、余計にタチが悪かった。
思った通り、その質問には答えられなかった。
ただ何も言わずに立っている直正を、ローサは不思議そうな眼で見ていた。
時を間もなくして、サイレンの音が聞こえてきた。消防車と救急車がやってきたのだ。
「……行こう」
ローサの見た目は明らかに重傷患者である。間違いなく救急車に乗せられる。
しかし、病院でいろいろ診察されれば、アンドロイドであることがバレてしまう。
二人は逃げるようにその場をあとにした。
ひとまず、直正の家に帰った。家にある包帯などを使い、ローサの応急処置をした。
「この火傷が原因で、君が壊れることはあるのかい?」
「いや、それはまずないと思われます。外傷ではなかなか壊れないように作られています。皮膚も、何日か放っておけばいずれ治ります。自然治癒力は、本物の人間には負けませんよ」
そう笑ってローサは話す。
「……君はすごいよ」
「えっ?」
ローサにも聞きとれないようなか細い声で、直正は呟いた。
「いや、何でもない……」
その夜、直正はベッドで考え事をしていた。今日のことが頭から離れない。ローサのことが頭から離れないのだ。彼女は、本当に自分に正直に生きている。自分の思った通りに、自由に生きている。そのことが羨ましかった。今日の出来事は直正にとって少々ショックな事件ではあったが、同時にローサの素晴らしさを実感もしていた。ローサにそんな気がなかったにしても、自分の身を犠牲にしてまで自分が思ったことを貫き通すその姿に尊敬の念を抱いていた。自分もそういう風に生きられたら、と思っていた。
ローサが転校してきてから今日までの間、直正は人間というものについて、たくさんのことを教えて来た。しかし、時にはむしろ直正の方が人間というものについて考え、悩み、そして教えられていた。そんな時間が直正にとってかけがえのないものとなっていた。
そんなことを考えていると、なかなか寝付けなかった。
体は疲れているはずなのに、頭が冴えてしまっている。
直正は、次第に自分の中に何か新しい感情が芽生えてきたような気がした。
「……そんなまさかね」
しかし、気付かないフリをした。その感情が育ってしまわないように。
その夜、直正が眠りについたのは午前3時頃であった。