第4話 ついても良い嘘 悪い嘘
「いただきまーす」
「ナオ、質問をしても良いですか」
「ん?」
それはローサがアンドロイドだと判明した、翌日の昼食の時のことだった。
「何故、人は誰かと食事をするのですか?」
「えっ、どうして?」
「食事は、一人でもすることが可能です。なのに、わざわざ誰かと食べるのには何か重大な意味があるのでしょうか」
確かに、特に何があるというわけでもないが、一人で食べるのはなんとなく気が引ける。
もちろん一人で食べるのが好きな人もいるし、一人で食べてはいけないわけでもない。
「うーん、みんなで食べると美味しいからじゃない?」
「“美味しい”? 美味しいとは、味覚で判断するものでは?」
「いや、まぁ、そうだよ。でも、人間は舌だけで食事をしているわけじゃないんだよ」
そう言うと、ローサは目を真ん丸に広げて直正の方を見た。
「それは興味深いです。我々には、“美味しい”という感覚はありませんので」
「うーんと、“美味しい”というのは、味覚が第一なのは間違いないんだけど、例えば料理の匂いを嗅覚で、あとは料理の見た目を視覚でとか、いろいろなものを総合して判断しているんだよ。例えば、他の人と会話をしながら食事すると、楽しい気持ちとか明るい気持ちになる。だから、そのプラスの気持ちが、味にも影響してくるんだと思うなぁ」
「成程。理解しました」
毎日、こういったやり取りの繰り返しである。ローサは疑問をもったことを全て直正に質問する。直正が今まで考えもしなかったことを聞かれることもあるが、自分なりに考えて答えるようにしている。それが間違った内容であることもあるかもしれないが、自分なりの考えを伝えることが大切ではないかと考えていた。
―――
「……ひっく……ひっく……」
ある日の放課後、いつものように直正とローサが二人で帰っていると、小さな男の子が泣いている現場に遭遇した。
「どうしたの?」
直正が男の子に声をかける。
「“安藤”とはぐれちゃったの……」
「“安藤”……? お友達かな? 大丈夫、絶対見つかるよ。一緒に探そうか?」
「ナオ、質問をしても良いですか」
このタイミングで……と思ったが、今までもタイミングを考えてローサが質問をしてきたことなど一回も無かった。少し不機嫌そうに、ローサに質問の許可を出す。
「何故、その子と一緒にその“安藤”とやらを探すのですか? ナオの知人なのですか?」
「え? いや、この子も、安藤とかいう人も全然知らないけど……」
「では、何故ナオが探すのですか? ナオには関係ないではありませんか」
この時点で、やはり聞き返さなければ良かったと後悔を始めていた。本当に人の気持ちが分からないアンドロイドだと思った。
「それは……“人助け”ってやつだよ」
「“人助け”?」
ローサは不思議そうな顔をする。
「そう。困っている人がいたら助けるのが人間なんだ。そうやって、今日まで人間はたくさんの困難を共に乗り越えて生きて来たんだ」
「成程。納得しました。しかし、どうして見つかると分かったのですか?」
「えっ?」
ローサの質問の意味が良く分からなかった。
「今、ナオは“絶対見つかるよ”と言いました。どうして見つかるということが分かったのですか? 見つからないかもしれないのではないですか?」
ローサのセリフを聞いて、男の子は不安そうな顔を浮かべる。
今までこのタイミングでそんなことを聞くなと思ったことは多々あるが、その中でも一番嫌なタイミングだった。
「そ、それは……その……そうなんだけど……」
「では、“事実とは異なること”を言ったのですか? 今、ナオはこの子に“嘘”をついたのですか?」
直正は焦りながら男の子の顔を横目で見る。今にも泣きだしそうな顔をしている。
困った。嘘と言っては男の子を傷つけるが、見つかるあてが無い以上、否定するわけにもいかない。
「可能性が……た、高いという意味で……」
「では、絶対ではないのですか? 絶対という言葉は“嘘”なのですか?」
もうこの場から一刻も早く逃げ出したかった。どうすればいいのか分からずにいた。そんな時、遠くから声が聞こえてきた。
「おーい!! そうー!!」
「あっ! 安藤!!」
若い大学生ぐらいの男性が遠くから走って来た。その人は男の子が“安藤”と呼ぶ人だった。そしてどうやら、男の子は“そう君”という名前らしい。
「どうもすみません、少し目を離した隙にはぐれてしまって。声をかけてくれていたようで、ありがとうございます。ほら、そうもお礼を言いなさい」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!」
直正は微妙な顔でどういたしましてと言った。安藤とそう君が二人で帰っていき、さっきの話の続きが始まった。
「いいかい、あれは確かに嘘だったかもしれないけど、ついて良い嘘だったんだよ!」
「ついて良い嘘? 事実とは異なるのに、正しいのですか? 良く分かりません」
ローサは顔をしかめている。頭を悩ませているようだった。
「結果、事実になっただろう。“絶対見つかる”と言った時点では、確かに嘘だったかもしれない。本当に正しく言うのであれば、“見つかる可能性もある”という表現になったかもしれない。でも、それじゃああの子は安心できないだろう? 嘘というのは、相手の気持ちを考えた上でつくものなのさ。その結果が、相手を守ろうとしてならついても良い嘘、自分を守ろうとしてなら悪い嘘と言われるのさ」
「半分程度、理解できました」
あまりローサは納得した表情ではなかった。しかし、全く分からないというわけでもなさそうだった。直正自身も、自分の考えを述べてみたものの、その考えが本当に正しいのかどうかは自分でも判断はついていなかった。このアンドロイドは、今までなんとなくで捉えていたものを、明確にしようとしてくるから扱いが難しい。
ローサは、直正の考えを一生懸命考えて聞いている。しかし、ここでいう“考えて”というのは、人間のそれとは少し違う。人間は、考えた結果、自らの知識や理解を再構築して新しい概念や考え方を作り出すということができる。
しかし、ローサは違う。あくまで彼女の脳はプログラムで出来ているのだ。プログラムにない新しい考えを得たとき、彼女はあらかじめ設定されている言葉や考え方の集合から、近似している集合を検索し、その集合の新しい要素としてそのまま分類することしかできない。“後から得た新しい考え方”と“自分の既存の考え方”を統合して、“全く新しい考え方”を作り出すということは出来ないのだ。
「はぁ……。人間を教えるって難しいな……」
直正は、夜一人で自分の部屋のベッドに横たわりながらそんなことを考えていた。
でも、そんな生活が嫌ではなかった。確かに嫌なタイミングで質問されることばかりだが、ローサの質問は人間の核心をつくようなものが多い気がする。中途半端な答えをすると、更に質問でまくし立てられる。しかし、そのやりとりが楽しかった。自分の考えが深まり、新しい考え方を発見することもできた。そこに直正は喜びを感じていた。
「明日は、どんな質問をされるかなぁ」
こうして、今日もローサと直正の長い一日が終わったのだった。