どーぶつとのオツキアイには、細心の注意が必要なのです
和馬が雪だるまから物騒な武器を奪い取った途端、大人が抱えるほどの大きさのあった銃剣は、細身の短剣になった。
その変化に驚いてか一瞬取り落としそうになったものの、どうにかその柄を掴んだ和馬が、心底いやそうに顔をしかめながら雪だるまに刃を向ける。
雪だるまもどうやら、それ以上抵抗する気はなくなったようだ。
和馬が慎重に雪だるまの頭部に手を伸ばし、えいやと赤いバケツを掴んで引っ張る。
キリッと凛々しい眉毛がなかなかにらぶりーだった頭が、意外と簡単に外れた。
中から、ふわりといかにも柔らかそうな、きれいな胡桃色の髪が現れる。
(子ども……?)
意外な正体に、思わず目を瞠る。
いや、雪だるまの着ぐるみを被って登場するような素っ頓狂な大人がいたなら、それはそれで即座に瞬殺したくなる気もするのだが。
ちょっとびっくりするほど鮮やかなエメラルドグリーンの瞳をした少年は、氷の上に転がったまま、ひどく醒めた目で和馬を見上げた。
「……なんだ。魔族じゃないのか」
ぼそっとつぶやいた少年の言葉は、間近に和馬の瞳を確認してのものなのだろう。
和馬は雪だるまに魔族呼ばわりされたのはひじょーに心外だったのか、むっと眉を寄せた。
「おまえこそ、なんだそのふざけた格好は」
「……何がふざけているというんだ?」
ひどく不思議そうな口調である。
ひょっとしてこちらの世界では、雪国で隠密行動をする際には雪だるまのコスプレをするのが常套手段なのだろうか。
確かに雪原に雪だるまがいても「あー、どっかの子どもが作ったのかな」で済むかもしれないけれど、雪だるまにはあんまり物騒な武器を持ってもらいたくないと思うのは、決して間違っていないと思う。
少年は、そんなこちらの疑問などはまるで意に介さず、わずかも感情を感じさせない声で淡々と続けた。
「勝手にこの土地に侵入した無礼は詫びる。だが、オレは人捜しをしているだけで、そちらに対する敵意はない。勝手な言い分だということは重々承知しているが、このまま見逃してはもらえないだろうか」
「人捜し?」
「そうだ」
ひどく訥々とした口調に、敵意やごまかしといったものは感じられない。
このタイプの魔導具を持っているということは、少年はグラン首長国の人間なのだろう。
おまけにこの年格好からして――
「おまえ、ひょっとして――って、おわああああぁ!?」
何か言いかけた和馬が、突然素っ頓狂な悲鳴を上げた。
次の瞬間、周囲で先ほどまでとは比べものにならない、凄まじい雪煙が巻き起こる。
咄嗟に和馬が作ったらしい障壁に守られ、こちらに被害は生じなかったものの、和馬と有紗の額にだらだらと冷や汗が滲んでいるのはほかでもない。
それが、あり得ない方向から――即ち、現在有紗たちがお世話になっているヒルデガルド城の方から放たれた攻撃だったからだ。
一体なぜ自分たちが城から攻撃されねばならんのか、と硬直していると、上空からとっても愛らしくも幼い声が降ってきた。
「あのね、あのね? そのヒト、いじめたらダメなの」
弾く光が虹色に輝く、真っ白の大きな翼。
紅玉の瞳を持つ、優美極まりないしなやかな体躯の白銀の豹。
それは、決して魔族などという呼び名には相応しくない――むしろ、神獣と呼ばれるのが相応しいだろう、白の純血種。
見た目だけなら、本当に見とれるほど美しいそのお姿に、常ならば有紗たちとてうっとりと見入っていたかもしれない。
「そのヒトをいじめたら、泣いちゃうから、ダメなの。だから、いじめないでお城に連れていかなきゃ、ダメなのね?」
美しい獣は、可愛らしく小首を傾げてそんなことを言う。
どうやら、人型になれば十歳児程度の外見であるノーラは、その中身もまだまだお子さまであるらしい。
一応成体である(多分)フィオは、シルヴィアの使い魔としてはそこそこ有能であったようだが、いまだ幼いノーラにできるのは「子どもの使い」くらいのことなのだろう。
だがしかし。
(アルフォンスさん……)
この美しくも物騒極まりないどーぶつに「子どもの使い」をさせるのは、もう少し育ててからの方がいいんじゃないかと思う。
はっきり言って、イジメられたのはこちらの方だ。
ノーラとしては、「イジメちゃダメ!」な気持ちで和馬を止めるべく先ほどの衝撃波を放ったのだろうが、一歩間違えば有紗と少年は今頃、跡形もなく消し飛んでいたのではないだろうか。
……フィオといい、ノーラといい、やはり「魔族」と呼ばれるだけのことはあるのかもしれない。
どれほど見た目が美しく愛くるしくても、たとえ人型になることが可能であっても、所詮彼らは「マスター第一」のどーぶつなのだ。
彼らにとってその他大勢でしかない自分たちは、彼らとのおつきあいに際して、決して油断してはならないのだろう。
有紗がどーぶつたちとのつきあい方を再確認している間、和馬もさすがにノーラに対してフィオにするような教育的指導をかます気にはなれなかったのか、じっと手に持ったままの銀色の短剣を見つめていた。
低い声で、ぼそっとつぶやく。
「……いや、やっぱり尻尾を剃るくらいは」
有紗は、ひしと和馬の腕に縋りついた。
「和馬ー! ノーラにはあとでわたしがお手から伏せまできっちり仕込んでおくから! ね! だからあの素敵尻尾を刈り上げの刑にするのはやめてください、お願いします!」
そうやって有紗が懸命にノーラの減刑嘆願を行っていたとき、城の方から雪に足をもつれさせながら駆けてくる小柄な人影があった。
「……っ!」
「ごふうっ」
駆け寄ってきた勢いのままに飛びついたジノに押し潰された雪だるま少年が、かなりヤバそうな声を漏らす。
だが、ジノにとってそんなことはどうでもいいことだったようだ。
ぎゅうぎゅうと相手に抱きつきながら、言葉を作ることもできないのか、ただ細い体を震わせている。
その様子からして、やはりこの雪だるま少年が、ジノが約束を残してきたという友達なのだろう。
彼らの感動の再会を邪魔する野暮は重々承知の上で、有紗はあのー、と声をかけた。
ジノが、ぱっと振り返る。
「……何、あんた」
剣呑極まりない声と視線に、有紗は目を丸くした。
そういえば、ジノとはこれが初対面であったか。
(その警戒心ばりばりの瞳が、フィオやノーラよりもずっと野生の獣みたいでキレイだなー、なんてうっとりしたりしていませんよ?)
警戒モード発令中のジノに、有紗が「コワくないよー」と笑いかけながら自己紹介をする前に、和馬がくるくると雪だるまの頭部を回しながらあっさりと言う。
「オレの恋人だ」
「スイマセンゴメンナサイ」
即座にへこへことコメツキバッタになったジノは、どうやらこの三日間で完全に調教済みであったようだ。
一体和馬が彼に何をしたものやら若干気になったものの、有紗は改めてジノに名乗り、先ほど言いかけた言葉を口にした。
「――えぇと、その子、気絶しちゃったみたいだから。早くお城の中に運んであげた方がいいんじゃないかな?」
「は? ……って、リヒト!? おい! なんでいきなり寝てんだよ!?」
声をひっくり返したジノは、がくがくと雪だるま少年を揺さぶった。
(いやいやいや、少年。少し落ち着け)
恐らくその着ぐるみの下に山越え道具を一式抱えていたのだろうし、その中の何かがジノのタックルによって彼にダメージを与えてしまったとしても、何もおかしなことはない。
力仕事担当の和馬が雪だるま少年を担いでもらい、城に戻る。
そうしてエントランスに入った途端、とっても穏やかな笑顔を浮かべて待っていたアルフォンスが「褒めて褒めて」と寄っていったノーラの口の中に、がすっと右手を突っ込んだ。
「もう一度あんなバカな真似をしてご覧なさい。煮ますよ?」
――確かにどーぶつのしつけは、飼い主の義務である。
アルフォンスは、心底申し訳なさそうな顔をしてこちらを見た。
「……カズマ殿、アリサ殿。先ほどはうちの子が、大変失礼致しました」
「いや……」
「はぁ……」
「……っ、……!」
使い魔の粗相を悔いているのは十二分にわかったから、恐らく舌を鷲掴みにされて「おえええぇ」状態になっているノーラを、そろそろ許してやってはいただけないだろうか。
見ているこっちまで吐きそうだ。
若干微妙な空気の中、ジノは和馬が雪だるま少年を床に下ろすのを心配そうに見ていた。
そんな彼に、アルフォンスの教育的指導をやはりかなり引き気味に眺めていたヴァンフレッドが静かに声をかける。
「――ジノ」
「え? ……あ、あの、おれ……っ」
途端に飼い主に叱られた仔犬のように体を縮めたジノに、ヴァンフレッドは軽く息を吐いた。
小さな頭をぽんぽんと軽く撫でて上着を脱ぎ、それを細い肩に羽織らせる。
「そんな薄着で外に出るものではない。風邪を引くぞ」
有紗は思わず半目になった。
(……すいません、王子さま。そうやっていたいけな子どもを、無意識にタラし込んでいくのは少し控えていただけないでしょうか)
どうやら和馬は、ここ数日の間に「オレは何も見ていない」スキルをやたらとレベルアップさせたらしい。
しかし現役女子高生の有紗は、ジノのもの凄くびっくりした顔をしたあとのほにゃあと緩みきった笑顔に、少し離れたところにいらっしゃるメイドさんたちがじたじたと悶絶していらっしゃる様子なのが気になった。
新たなる世界への扉というのは、結構簡単に開いてしまうものだったりするのである。
そんなことなど露知らぬヴァンフレッドは、若干困惑した顔をして雪だるま少年を見下ろした。
「それで? その……何やら愉快な扮装をした子どもが、おまえの友人か?」
「……う、ん。――でも、なんでこいつ、こんな冬祭りみたいな格好してるんだろ?」
どうやらこちらの世界でも、雪だるまがスパイ活動の標準コスチュームというわけではなかったようだ。よかった。
「う……」
「リヒト! わかるか!?」
友人であるジノからも不思議な目で見られた雪だるま少年が、低く呻いてゆるりと瞼を持ち上げる。
感情の窺えないエメラルドの瞳が、何度か瞬く。
少年は泣きそうな顔をして覗き込んでいるジノの姿を捉えると、なんだ、とつぶやいた。
「――やっぱり、生きてるじゃないか」
「え?」
目を瞠ったジノが、小さく声を零す。
「おまえは死んだと聞かされた。でも、信じられなかった。だから、捜しにきた」
「……リヒト」
「よかった」
「リヒト、おれ……っ」
顔を歪めて言葉を詰まらせたジノに、少年は淡々と続けた。
「生きてて、よかった。――ジノ」
「……っ生きてるよ! 生きてるけど……! なんでおまえ、スノーマンの着ぐるみなんだよ!?」
半泣きになったジノが、恐らくその場にいるすべての人間が抱いていただろう疑問をぶつける。
少年は、質問の意味がよくわからない、という顔をして首を傾げた。
「すのーまんって、これのことか?」
ジノの瞳が、大きく見開かれる。
「宿舎から抜け出すときに、近くの小屋で見つけた。顔も隠れるし、中にいろいろと隠せるし、ちょうどよかった」
――それは、戦うことしか知らない子ども。
離れていた二年の間に、自分が知ったことを何ひとつ知らない友人の顔に、ジノの瞳から溢れ出したものがぱたぱたと落ちる。
「なぜ、泣く?」
わずかに困惑を滲ませた声に、ジノはうん、とうなずいた。
「嬉しいから」
「嬉しい?」
不思議そうに繰り返した少年に、ジノがもう一度うなずく。
「おまえが、生きてて、嬉しいから」
「嬉しいと、泣くのか?」
「うん」
「腹が減ってるわけでも、どこか痛いわけでもない?」
「うん」
ならいい、と言った少年は、それから少し困ったような顔をして軽く首を傾げた。
「ところで、ジノ」
「なんだ?」
「さっきおまえに飛びつかれたときに、アバラの辺りでいやな音がした」
ひく、とジノの顔が引きつる。
そんな彼に、少年はあくまでもさらりと続けた。
「折れてはいないだろうが、ヒビくらいは入っているかもしれない。かなり痛い」
「……っそういうことは先に言え、このバカーっ!!」
「ひとが無防備に寝転がっているときに、手加減なしに飛びかかってきたおまえに言われたくはない」
……どうやらジノのお友達は、自分のことにはとことん無頓着ながらも、ツッコミだけは忘れない少年のようである。