下半身の衝動も制御できないようなヘタレはすっこんでなさい
それから、ヴァンフレッドは服と一緒に買ってきたパンとチーズを振る舞ってくれた。
しかし、飲み物として当然のようにワインを出されたのには、少し参った。
胡椒で風味付けをされたそれは、少しだけ舐めてみたが、とんでもなく辛い上にアルコール度数が半端ない。かっと喉が灼けて、派手に咳き込む羽目になった。
なのに、同じものを口にした和馬は、至極不思議そうな顔をして首を傾げる。
「そんなにキツいか?これ」
「キツいですよ! キツイっていうか、痛いです!」
涙目になりながら少し炭酸の混じった井戸水を呷っても、まだ喉がひりひりしている。
「うむ、若い娘向きではなかったかもしれん。すまんな、次は甘めのものも用意する」
「いえ、水でいいです。水がいいです。爽やか炭酸水バンザイです。――ていうか、和馬先輩。未成年のくせして、何当然みたいにワイン飲みまくってんですか」
うっかりしていたが、お酒は二十歳からである。
教育的指導をびしっと入れたが、和馬は悪びれもせずに笑ってグラスを傾ける。
「いやこれ、美味いし」
「なんだ、おまえたちは未成年なのか? いくつだ」
意外そうな問いかけに、それぞれ十五、十八、と答える。
ヴァンフレッドは、ふむ、と言いながらワインを一口含んだ。
「我が国では十六が成人だ。しかし、未成年だからといって、酒も制限されてはいないぞ」
「だとさ」
ここが日本ではない以上、確かに日本の法律は適用されない。
和馬のドヤ顔がムカついたものの、郷に入れば郷に従えだ。
「……いいんです、わたしは日本の法律を守るんです。って、和馬先輩、もう十八なんですか?」
「ああ、一昨日なったばっか。ヴァンはいくつなんだ?」
和馬の問いに、ヴァンフレッドがさらりと応じる。
「僕は十九だ。……しかし、アリサは本当に可愛らしいな。どうだ、僕の側室にならないか?」
「な……っ」
絶句する和馬を尻目に、有紗は剣呑に眼を細める。
「寝言は寝てから言ってください」
「いや、本気なのだが」
笑いながらそんなことを言うヴァンフレッドに、呆れ返って口を開く。
「どこが本気ですか。側室って言ってる時点でアウトです。本命がちゃんといるのに、ほかの女を口説いてんじゃありません。生物学上、男のひとがあちこち種つけしたくなる気持ちはわかりますが、女からしたらふざけんなって話ですよ。浮気は男の甲斐性だなんて、ふざけた迷信を信じてるわけじゃないでしょうね? 奥さんひとり大事にできなくて、何が甲斐性ですか。下半身の衝動も制御できないようなヘタレはすっこんでなさい」
淡々と言ってやると、何やらヴァンフレッドだけでなく、和馬まで顔を引きつらせている。
「和馬先輩も。お酒くらいはいいですけど、このアホ王子に感化されて、旅の恥はかき捨てなんて真似したら、わたしはひとりで元の世界に帰りますからね」
じろりと横目に睨みつければ、音がするんじゃないかと思うくらいの勢いで青ざめる。
「わわわわかってる! って、するわけねーし! オレをこのアホと一緒にすんな!」
「そうですか。ならいいです」
よしよし、とうなずく。和馬が溜息混じりの声でぼやいた。
「つうかおまえ、そのツラでそのオカン的性格とか、ちょっとどうかと思うぞ」
「あぁ、この容姿は結構便利ですよ? か弱い女の子のふりをすれば、大抵のひとは親切にしてくれますから」
「確信犯かよ!」
なかなかキレのあるツッコミだが、有紗とて好きでそんなことをしているわけではない。
「利用できるものは、なんでも利用しますよ。それに、便利なだけってわけでもないです。誘拐未遂、拉致未遂、暴行未遂、痴漢にストーカー。もう男のひとに、夢も希望も持っちゃいません」
ふっと遠い目をすれば、男ふたりが揃って押し黙る。そんな彼らに、有紗はすちゃっと片手を挙げた。
「あ、見ている分には、美少年も美青年も大好きですよ? その点、ふたりともばっちりです。ぜひとも、そのヴィジュアルを維持してください。とっても目に楽しいです」
「……いや、おまえ……」
「……苦労したのだな……」
なんだかどんよりとされてしまったけれど、女がひとりで生きていこうと思えば、強くなければやっていられないのだ。
「というか、王子さまは結婚してたんですね」
さすがは腐っても王族。結婚するのも早いらしい。
感心していると、ヴァンフレッドはどこか疲れたように苦笑した。
「隣国クレタの三の姫が、一応僕の正室となってはいるが……。結婚式でしか顔を合わせたことはないな」
「はい?」
「なんだって?」
揃ってクエスチョンマークを浮かべたふたりに、ヴァンフレッドは苦笑を深める。
「どうやら、ほかに好いた男がいるらしくてな。常に部屋の前に侍女を置いていて、何度訪ねても追い返されるものだから、もう顔もよく思い出せん」
有紗と和馬は揃って顔をしかめた。
「なんですかそりゃ。ダメダメじゃないですか」
「なんでそんな女と結婚したんだ?」
「さてな。陛下が決めたことだから、よくわからん」
あっさりとそんなことを言うヴァンフレッドに、思わず憐憫の眼差しを向けてしまう。
「……そうか。王子さまって、王子さまなんですもんね。そりゃあ、政略結婚ですよね」
「庶民には、まるでわからん世界だな……」
そんな相手が奥さんなら、愛人のひとりも欲しくはなるか。
自分が愛人になるのは真っ平ご免だが、その気持ちは理解できなくはない。
それから、いざ王宮に向けて出発となったのだが、ヴァンフレッドの馬が和馬が近寄るだけで怯えてしまう。結局、少し離れて彼の後を追うことになった。
「……結構、動物には好かれる方だったんだけどなあ」
和馬は冗談抜きに、少々落ち込んでいるらしい。
だが、仕方がない。動物は、自分より強い生き物の気配に敏感だ。
「あとで、王子さまに和馬先輩を召喚するのに使った本を見せてもらいますから。そのままじゃ、どんなびっくり人間よりハイスペックですもんね」
「……おまえ、これどうにかできんの?」
ぼやきながら、ひょいと和馬が振った指先に、小さな炎が浮かんでいる。
有紗が眠っている間に、あれこれ試していたらしい。
「やってみないとわかりません。ダメなら、他の方法を探しましょう」
「……そうか。そうだな」
はぁ、と苦く息を吐いた和馬が、ふと改まった口調で有紗、と呼ぶ。
「なんですか?」
見上げると、少し考えるようにしてから、きれいな瞳が見つめてくる。
「いや……その。――ありがとうな」
「……はい?」
「なんつーかこう、最初から世話んなりっぱなしで、借りばっかりできちまって。つーか、これからもおまえ頼みなことばっかで、すげえ情けなくて参るんだけど。……オレにできることがあれば、なんでもすっから言ってくれな」
この年頃の青年にしては随分と素直な言葉に、少し驚く。
見た目は年下の少女に借りを作るなど、さぞいやがりそうなものなのに、卑屈になるでもなく、真っ直ぐに感謝を向けてくるのがくすぐったくも清々しい。
「それじゃ、遠慮なく」
「おう」
有紗は、にこりとほほえんだ。
「はい。ここまで運が悪いって共通項も、何かのご縁ですし。一緒にがんばりましょう」
「……あ?」
不思議そうな顔をした和馬に、少し考えてから口を開く。
「いや、正直自分並に運の悪いひとが身近にいるなんて思いもしなくて。わたしも大概ですけど、和馬先輩の運の悪さは同情に値します。本当に、よく正気を保てているなーと感心します」
心底真面目に言ったのに、和馬はなんともいえない奇妙な顔をしたかと思うと、ぶはっと吹き出した。
「一応、褒められてるモンだと思っとくけどな。オレはむしろ、ラッキーって思ってたぜ」
「……はい?」
それは一体、なんの冗談だろうか。
この状況のどこに幸運要素があるんだ、と首を傾げた有紗に、和馬は大きな手でくしゃりと髪をかき混ぜてきた。
「ひとりだったら、そりゃもうどん底もいいとこだったろうけどよ。おまえがいるから、こんな状況でも、なんだか楽しめそうな気がするもんな」
「楽しみですか……?」
なんだろう。
心臓が、不思議な感じに、跳ねた。
(む……。これが噂の「撫でポ」というやつか。イケメンスキル、恐るべし)
まさか自分がそんな事態に遭遇するなど考えたこともなかったのだが、どうやら和馬は無意識にしているらしい。
もしかしたら不安な気持ちが「同類」との接触を求めているのかもしれないけれど、彼の将来がちょっと心配である。
このヴィジュアルで天然タラシであるとなると、さぞ女性関係が騒がしいことになるに違いない。
「今んとこな。まあ、なるようにしかならねえだろって、感覚がどっか麻痺してんのかもだけど」
その言葉に、力一杯うなずく。
「ああ、それはわかります。あまりにも非常識なことが目の前で起こると、とりあえず現実逃避のひとつやふたつは基本ですよね」
和馬が、小さく溜息をつく。
「妙に慣れた感のある感想が寒いぞ」
「好きで慣れたわけじゃないんですけど。――それで、和馬先輩は火のほかにも何か出せるんですか?」
ちょっとわくわくしながら聞いてみると、そうだな、と言いながら今度は指先にシャボン玉のような水の球を作り出す。有紗は、惜しみなく拍手を送った。
「おお、水筒要らずですね!」
術式の構成もへったくれもなく、大気中の水分を集めてみせる非常識な力に感動する。
和馬が少し困ったような顔をして口を開く。
「……おまえさ。そのデスマス口調、しなくていいぞ」
「え? そうですか?」
「ああ。普通に話せ、普通に。先輩ってのもいらねえから」
ぶっきらぼうな口調で言われて、わかった、とうなずく。
「なんか意外。体育会系っぽいから、そういうの気にするひとかと思った」
「そりゃ、部活の後輩がタメ口なんかきいたら、速攻シメるけどな」
有紗は、ひょいと首を傾げた。
「部活って、何やってるの?」
「バスケ部」
あまりに似合いすぎる答えに、思わず吹き出しそうになる。
「へえ、モテるでしょう」
「……あのな。オレには、年の離れた姉が、ふたりいる」
「はい?」
いきなり変わった話題に、目を丸くする。
和馬は苦虫を噛み潰したような顔で、低く続ける。
「あいつらは、弟のものは自分のモノ、弟と書いてパシリと読む、狙った男の前では別人になりきる天才だ。バリバリの猛禽肉食系女子を見て育ったオレは、おまえじゃねえが、その辺の女に夢も希望も持ってねえ」
有紗は、少し戸惑った。
「……えぇと、ひょっとして女嫌い?」
「嫌いなわけじゃねえが、女が計算して作った女らしさってヤツはぞっとするな。くねくねされるとバカっぽく見えるし、鬱陶しい」
冷めた声音で言われて、有紗は思わずいやいや、と顔の前で片手を振る。
「ちょいとお兄さん。そんなこと言ってたら、いつまで経ってもカノジョなんてできないよ? 女のひとは普通、気になるひとの前では多かれ少なかれ計算するから」
「別に、今は部活で手一杯だし。周りの女もうるせえばっかでどれも同じに見えっから、どうでもいい」
それはもう、十分女嫌いというのではないだろうか。
折角美形なのに、もったいない話だ。
そんなことを思いながら、まだ和馬の指先でふよふよと浮いている水球をつつく。壊れることなくうにゃっと歪んで、元に戻ろうとするのが面白い。
「でも、あれだね。火と水が出せるってことは、いつでもお風呂に入れていいね」
「ひとを、瞬間湯沸かし器みたいに言うんじゃねえよ」
和馬が憮然とした顔になる。
「いや、大事なとこだから。でも、どうやってんの? これ。なんの言霊もなしにノーモーションって、どんな反則技ですか」
「……なんとなく?」
残念ながら和馬の感覚は、既に人類から相当遠ざかっているようである。