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白き竜

「和馬。今度、外でデートしよう?」

「……は?」


 突然の有紗の申し出に、和馬は目を丸くした。


 リビングのローテーブルで広げていた、有紗の幼い頃の写真を収めたアルバムを閉じ、いきなりなんだと首を傾げる。


「どこか、行きたいところでもあるのか?」


 有紗は首を振った。


「いや別に」

「あ?」


 和馬が部屋に来るようになってから欠かすことのなくなったミネラルウォーターに、レモン果汁を少し混ぜたものを注いだグラスをテーブルに置く。


 当然のように抱き寄せられ、既に定位置となっている腕の中に落ち着く。


(まぁ、「おうちデート」なら、現在進行形なんだけど)


 先日の学園祭の開始直前、ささめの「ダブルデートがしてみたいのー」という可愛らしいお願いに、有紗は深く考えることもなく安易にOKしたのだが――改めて考えてみると、初デートというものはやっぱり和馬とふたりがいいな、と我ながら少々オトメちっくなことを思ってしまったのだ。


 そう言うと、人間椅子になっていた和馬がくくっと笑った。頬に落ちかかっていた有紗の髪を、さらりと耳にかけてくる。


「そりゃーそうだな」

「でしょう? ……ってこら、いきなり耳を囓るな、胸を揉むなっ」


 突然不埒なことをしはじめた和馬が、少し困ったような声で言う。


「いや、おまえがあんまり可愛いこと言うから」

「え、ちょ、んん……っ」


 我ながらちょっと似合わないなーと思ったオトメ的思考を披露した結果は、久しぶりの「エロ竜モード」だった。


 しかし有紗も和馬も基本的に、いわゆるデートコースとされるような人混みにわざわざ行くのは面倒に感じてしまう方だ。遊園地のアトラクションなども、異世界で魔族討伐なんてものをしてしまったふたりにとっては、今ひとつそそられるものがない。


 映画館、アミューズメントパーク、有名どころの公園なんかのそれっぽい候補を一通り挙げてみても同様だ。


 いっそ海か山にでも繰り出すかとも思ったのだが、日帰り、もしくは土日の一泊で行ける範囲となると、やはり人混みが予想される上に移動だけで終わってしまいそうだ。


「どうせなら、景色の綺麗なところがいいんだけどな」

「そうは言っても、近場だとなあ。こっちでも空を飛べるんだったら、海だろうが山だろうがすぐ行ける――」


 ――そういうわけで、記念すべき初デートは異世界探訪と相成った。


 前回は運悪く魔族の繁殖期なんてものにバッティングしてしまったけれど、あんなレアなことはそうそうないだろうし、久しぶりにヴァンフレッドたちの様子を見にいくのも悪くない。


 ついでに、オススメのデートコースなんかを百戦錬磨のカイルに教えてもらえば一層楽しめることだろう、とうきうきしながら、今度は転移先の半径五十メートル以内に大型生物の生体反応がないことをきちんと確認してから移動した、のだが。


(さ……っ寒いいいいいいぃーっっ!! ぬくいいいいいいぃーっっ!!)


 一瞬で体温を奪われるようなブリザードに見舞われ、更に次の瞬間には和馬の腕の中に抱き込まれた。


 何をどうしたものやら、とにかくとんでもない突風も雪も冷気も遮断された空間の中、有紗はひしとばかりに和馬にしがみついた。あぁぬくい。


「びびびびびっくりしたぁ……」

「すげえ雪だな……」


 今まで、あまりこちらの世界との気候の差を感じたことはなかったのだが、こんな世界を白く染め上げるような猛吹雪なんてはじめてだ。


「こっちはもう冬だったんだ。……ていうか、ここ、王都じゃないよね?」


 目標であるヴァンフレッドの指輪からそう離れた場所ではないはずなのに、どちらに目を向けてもまるでシベリアのような雪原と針葉樹林が広がるばかり。


 いくら雪のせいで景色が違って見えるにしても、あの壮大な王宮や、それを幾重にも取り巻く見事な町並みがわずかも確認できないなんてことがあるのだろうか。


「ヴァンに、連絡取れないのか?」

「ん、ちょっと待って。……〈意思疎通〉・〈心話〉」


 ふたりとも以前この世界で入手した衣服を着ているものの、有紗は裾の切り替えが可愛らしいワンピースとカーディガンにブーツ、和馬は黒のパンツとブーツ、生成りのシャツにジャケットを羽織っているだけだ。とてもこんな「THE・冬!」に対応した格好ではない。


 残念ながら、今回はここでのデートは無理のようだが、折角来たのだから友人の顔くらい見てから帰りたい。


 有紗の呼びかけにヴァンフレッドが応じるつもりがあるなら、ぴこぴこと光る指輪の宝石部分に触れてくれれば話ができるようになるから、と伝えておいたのだが、なかなか応答がない。


 ひょっとして今は手近に置いていなかったのかな、と諦めかけた頃、脳裏に相変わらずの美形声が響いた。


『……アリサか? 久しぶりだな、元気にしていたか?』


 有紗はその声に、かなり本気で聞き惚れた。


 顔が美形な連中というのは、大抵声もいい気がする。やっぱり整った骨格とかが、そういう声を作ってるんだろうか。


「あ、王子さま。元気ですよー、そっちは?」


 あぁもちろん、と応じるヴァンフレッドに、今から会いに行っても大丈夫か、と問う前に、ぐいと和馬に頬を挟まれて深く唇を奪い取られる。


「んん……っ」

『アリサ、どうした?』


 訝しげなヴァンフレッドの呼びかけに応じたのは、和馬だった。


「……よう、ヴァン。聞こえるか?」

『ああ、聞こえるぞ。カズマも元気そうだな』

(こ、この……っ)


 しれっとした顔で術式を共有してヴァンフレッドと会話する和馬に、有紗はふるふると拳を固めた。


 不意打ちで持っていかれるキスなんてもう数えきれないくらいにされたというのに、妙なしてやられた感があってなんだかむかつく。


 むかついたので、足の甲でも踏んでやろうかと思ったけれど、それで和馬が吹雪を防いでくれている壁が崩れたら困るのでやめた。チッ。


(……ええそうですよ、今ちょっと思考回路がオトメモード優先状態だったから、「好きだよ」じゃないキスをいきなりされたのがなんだかいやだったんですよーだ)


 やっぱり、馴れない思考回路なんて使うものではないかもしれない。さっさと通常モードに復帰しよう。


 そうして「僕も暇だから、顔を見せてくれるとありがたいな」というヴァンフレッドの言葉に、「あ、じゃあ今から行くねー」ということになったのだが――







「……は?」


 有紗と和馬の声が、見事にハモった。


 一面の雪原に、そこだけ違う時間が流れていそうな威容を誇る、要塞としての姿を隠すことのない城の名はヒルデガルド。


 それまでに訪れた王宮や離宮とは明らかに雰囲気の異なる、この質実剛健を絵に描いて額に入れたような風情の城は、周辺の森に住まう人々からはただ「砦」と呼ばれているのだという。


 もちろん、中に入れば相変わらずの完璧な空調設備が整えられている。


 そのため、重厚な家具で統一された応接間で迎えてくれたヴァンフレッドをはじめ、お馴染みナイス執事のヴィクトール、お色気猫耳団長のカイル、肩にらぶりーな使い魔ノーラを乗せたアルフォンスもふたりと似たような生地の衣服を着ていたが、そんなことはどうでもいい。


 彼らの話を聞いて、「へぇ……」と口元だけで物騒な笑みを閃かせた和馬が、もしヴァンフレッドの父親である国王と対面することがあったなら、きっと有紗が頼まなくても、彼の髪だけでなく、眉毛まできれいサッパリハゲ散らかしてくれることだろう。


 ヒルデガルド城があるのは、この国で最北の地、ミュスカ。


 点在する鉱山と木材による収入はそこそこあるものの、王都から遠く離れた辺境と言っても過言ではないこの極寒の土地である。


 それをヴァンフレッドが「魔族討伐の報償」として与えられ、自ら赴いて治めるべし、と要は思いきり僻地にトバされたのは、彼が魔族討伐で活躍しすぎたためであるらしい。


 それまでは母親が庶出ということで、王宮内の勢力争いからは一歩外に出た位置にいたヴァンフレッドだが、そんな事情など知ったことじゃない国民は正直だ。


「イザというときに体を張って魔族と戦ってくれた王子さま」であるヴァンフレッドと、「その間ずっと安全な王宮でぬくぬくしてました」なその他の王族。


 どちらが国民の心を鷲掴みするかなど、火を見るよりも明らかである。


 そうなると機を見るに敏い貴族たちも、こぞって手のひらを返したようにすり寄ってきはじめたのだという。


「僕は元々、いずれルカの補佐に就くと宣言していたからな。それくらいのことは、別に構わないと思っていたんだが……」


 はぁ、とヴァンフレッドが溜息をつく。


「想像以上に、貴族たちの動きが大きくなってしまってな。このままでは王宮内で余計な紛争が起きかねんということで、こういうことになった次第だ」


 主の言葉を受けて、カイルが軽く肩を竦める。


「いやもう、マジで凄かったぜ? 俺やアルの屋敷まで、殿下と繋ぎをつけたがる連中の賄賂で溢れかえったもんなぁ」


 アルフォンスは相変わらず穏やかに笑いながら、ゆっくりと口を開く。


「賄賂なら賄賂らしく、すぱっと現金で寄越せというのですよ。趣味の悪い絵画や骨董は売りに出せばいいとしても、ご本人の原形を留めているのかもわからない見合い用の肖像画など、せいぜい暖炉の焚きつけにしかならないというのに、まったく困ったものです」


 燃やしたのか。この国の暖炉というのは、飾りというか、雰囲気を楽しむための工芸品だと思っていたのだが。


 ……これほど立派な暖炉で燃やされたなら、気の毒な肖像画たちもきっと成仏できたことだろう。


(でもどうせならそんな肖像画、小学生男子の教科書並の落書きをして、まとめて王都の壁に貼り出してやれば良かったのに。けっ)


 再会早々、そんな「ふざけてんじゃねェぞオラ」な話を聞かされて、有紗と和馬のはらわたはそれはもう力一杯煮えくり返った。


 だが、当事者であるヴァンフレッドたちがもう済んだこととして納得している以上、部外者のふたりがぶっちぎれて余計な騒ぎを起こすわけにもいかない。


 ……話を聞いている間、覚えただけで実際に使ったことは一度もない戦略用術式をあれこれ検討していたことは、とりあえず黙っておこう。


 彼らがこの城に移動してきたのは、一月ほど前のことだという。


 その頃はまだ雪もなく、少し離れたところにある美しい湖の水で仕込んだ穀物酒をぱーっと振る舞う祭りもあり、北国らしく素朴で大らかな気質の住民たちと親交を深めて楽しむ余裕もあったらしい。


 あの酒は美味かったなー、と思い出すだけでその素敵尻尾をくねくねさせているカイルの様子に、和馬があからさまに「いいなぁ」という顔をする。


 元の世界ではちゃんと「お酒は二十歳になってから」を守っている和馬だが、こちらに来るたび、アルコール度数ばっちりの果実酒を筆頭にさまざまなお酒を楽しんでいる。


 おかしな酔い方をしたことはないから別にいいのだが、有紗が即座に「無理っス」と白旗を揚げるようなシロモノを男たちだけで楽しまれると、なんだかやっぱりちょっと悔しい。


 この際、少しお酒に馴れてみようかな――と、未成年にあるまじきことを有紗が思ったときだった。


(……え?)


 突然、ソファの隣に腰かけていた和馬が弾かれたように立ち上がり、その腕に攫う勢いで抱き寄せられた。


 何を、と思う間に、視界の端で白い光が弾ける。


 瞬きののち、それがそれまでアルフォンスの肩の上でまったりしていたノーラが瞬時に実寸大の戦闘形態を取り、大きく広げた純白の翼だと知る。


 爛々と紅く輝く瞳。


 いつでも敵に飛びかかれるように低く伏せたしなやかな体躯を覆う毛皮は総毛立ち、ノーラは羽根の一枚一枚までを震わせて牙を剥き出しにしている。


 いまだ降りやまない吹雪ばかりを映す大きな窓から注意を外さないその様子に、ヴァンフレッドたちがすかさず立ち上がって『魔族狩り』を起動させる。


 しかし、そんなことよりも。


(和馬、が……)


 緊張、している。


 いや。緊張、なんてものじゃない。


 有紗を抱き締める腕は強張り、押しつけられた体から直接伝わってくる感情は、恐怖に近い。


 息苦しいほど強く抱きすくめられ、どうにか視線だけ動かして和馬の顔を見上げると、ノーラと同じように窓からわずかも逸らさないその瞳が、鮮やかな金色に染まっていた。


 どうして。


 一体、何が。


「ノーラ」

「……マスター、逃げて」


 微動だにしないまま応じるノーラに、アルフォンスがちらりとカイルに視線を投げる。


 それに軽くうなずいて応じたカイルが、おい、と声をかけてくる。


「カズマ、アリサ。悪い。殿下を連れて逃げてくれ」

「カイル!? おまえ、何を――」

「カイル」


 ヴァンフレッドが顔色を変えてカイルを振り返るより先に、今まで聞いたことのない、和馬の乾いた声が部屋の空気を震わせた。


「もう、遅え。……お客さんだ」

(……っ)


 ざわ、と全身の皮膚がそそけ立つ。


 一気に、部屋の重力が増した気がした。それほどの、圧迫感。


 窓の外は、白。


 ただし、そこにはもう、風に舞う細かな雪片の織りなす濃淡はない。


 代わりに磨き抜かれた水晶のような、或いは鍛え上げられた金属のように艶やかな光沢と、その白銀の輝きの中、更に美しく煌めく黄金の輝きがある。


 和馬の瞳と、同じ黄金。


 それは一抱えほどもある巨大な宝玉にも似て、しかしその中心に一層濃い黄金を宿すそこには、明らかな知性の光があった。


 その視線の重みに、息が詰まる。


(竜……)


 四角く切り取られた窓から見えるのは、その瞳と顔の一部だけ。


 もし全身を見ることが叶うなら、きっとこの城と遜色ない大きさがあることだろう。


 いや、もしかしたらそれよりもずっと大きいのかもしれない。ここから見える部位だけでは、全体像を想像するなんてとても無理だ。


 ……一体、どうやって重力に耐えているんだろう。これだけでかいと、体の向きを変えるだけで一苦労だろうに。


 あぁ、そういえば竜だから魔法を使えるんだよね、基本でしたねすいません、と有紗が思いきり力の限り現実逃避していると、縦長の瞳孔を持つ竜の瞳がきろりと動いた。


 カイルとアルフォンスが、ざっとヴァンフレッドの前に出て『魔族狩り』を構える。


『……「えーらっしゃいまっせー」』


 びしっと室内の空気が固まった。


 永遠のようにも思えた沈黙の後、再び少し困ったような深く響く声が聞こえてくる。


『む……間違ったか。ヒトの挨拶は、こんな感じだった気がするのだが……。そうだ、「えー、らっしゃいらっしゃい」だったか?』


 残念ながら、空耳ではないらしい。


『む、これもハズレか……。むぅ……おお、そうだ!』


 きらーん! と巨大な黄金がキラめく。


『「よっ、そこの美人の奥さん! ちょいと寄ってかないかい?」』


「――コンニチハ。ハジメマシテ」


 人間たちの声が、見事にハモる。


 この日人類は、目を伏せてがっくりと落ち込む竜というものを、はじめて目撃したのだった。

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