マジで××する五秒前
クラスの出し物である「男の娘はだ~れだ☆カフェ」において、女装を免除された一年F組の男子には、学園祭がはじまってしまえば特にすることはない。
大輝とランスレイルは、かなりカオスなことになっているだろう教室には、この学校に入学して以来なんだか妙に発達してしまった気がする自己防衛本能の命じるまま、決して足を向けないことにした。
極ふつーに学園祭を楽しむべく、二色刷のパンフレットを眺めながら校内をのんびりてくてく歩いていく。
一体どこの誰が判定しているのかは知らないが、飲食関係については「金取っていいだけのモノ以外は提供するんじゃねェぞ?」という通達が生徒会執行部から出ているため、何を食べてもハズレがないのが嬉しいところだ。
まずは、前評判の高かった二年E組のシシケバブをゲットする。スパイスの効いた肉にかぶりつきながら渡り廊下を進んでいると、窓の外に見覚えのある水色が見えた。
「お、ささめじゃん」
「ええ、いつ見ても小さくてキュートデス」
ほのぼのとそんなことを言うランスレイルの横顔をちらりと見る。
大輝は編入当初からランスレイルがささめに妙に懐いていた理由が、「あの黒くてまん丸い目が、子どもの頃、友達に貰ったマウス(よくよく話を聞いてみたら、どうやらハツカネズミの模様)にそっくりなのデスよ」というモノだということは、絶対に有紗とささめには知られてはなるまい、と改めてココロに誓った。
あのふたりは、基本的に一般的な女子と比べれば呆れるほど図太いくせに、虫だのネズミだのは普通にいやがる。なぜだ。さっぱり基準がわからない。
いや、授業中に現れたイニシャルGを、眉ひとつ動かさずに叩き潰す委員長のようになって欲しいわけではないから、それは別にいいのだが。
そこまで最強になられたら、むしろ引く。
それにしても、せめてハムスター辺りだったならまだよかったものを、なぜハツカネズミ。
アメリカでは、ハツカネズミにチーズをやるのが、子どもたちの間で通過儀礼だったりするのだろうか。
ここからはささめの小さな後ろ姿と、ほほえましく「お手々繋いで」状態の青年の大きな背中しか見えない。
それにしても、ささめが浮かれているのかぴょんぴょんと落ち着きなく跳ねているせいで、なんというか――
「……親子だな」
「親子デスねえ……」
今は学園祭真っ最中の学校の敷地内だから、周囲もどんな組み合わせのカップルがいようと完全スルーしている。
これが外だったなら警察に通報されてしまいそうで、他人事ながらちょっと心配だ。
とはいえ、当初の浴衣姿よりはマシだろう。
アレは七五三というよりむしろ、テイスト的には座敷童だったと大輝は思う。
今後も和服を着ない人生をささめが歩めることを祈りつつ、ふたりは十六歳の若い胃袋を満たしにいくことにした。
広島風お好み焼き、学食の厨房使用権を見事引き当てたクラスの本格ピッツァと粉モノを連続で腹に収め、甘いものが欲しくなってジェラートを購入すると、大分腹もふくれてきた。
「ディーは結構、甘党デスよね」
同じジェラートでも、甘さ控えめエスプレッソフレーバーをチョイスしたランスレイルが笑い混じりに言う。
チョコレートとマスカルポーネのダブルをチョイスした大輝は、やかましい、と軽くランスレイルを睨みつけた。
「ガキの頃、あんまり甘いモンが食えなかったからな。その反動みてーなもんだ」
「ディーの家は、子どもには甘いモノを食べさせない教育方針だったデスか?」
『おやつといえばピーナツバター、チョコチップ入りなら尚ヨシ』なアメリカ育ちのランスレイルにとって、子ども時代に甘いモノが身近にないという事態は信じがたいもののようだ。
しかし、大輝の幼年時代にあまり甘いモノが与えられなかったのは、両親の教育方針などという高尚な理由ではない。
「ささめんとこも、アニキと七歳だか八歳だか離れてるってんだから、結構離れてる方なんだろうけどなー。おれんとこ、兄貴は十七、姉貴は十三離れてるんだよ」
それはマタ、とランスレイルの瞳が丸くなる。
ちなみに、大輝の母親が兄を産んだのは十六歳。今の大輝と同じ年である。
いたいけな少女にナニしてくれとるんだアホオヤジ、ほとんど犯罪じゃねーかと呆れたものだ。
しかし父にそう言うと「ナニを言う! かーさんが十六になるまで待った、このとーさんのすんばらしい忍耐力を褒め称えんか、バカもんが!」と力一杯どつかれた。痛かった。
それはそれとして、大輝はぶっちゃけ「予定外の授かりもの」だったわけで、両親や祖父母だけでなく、兄と姉にまで「かーわーいーいいいいいい!」といじり倒されて育つ羽目になった。
兄や姉など、大輝が物心つきはじめた頃には「僕がパパだよ」「私がママよ!」などとふざけたことを大まじめに言ってくれたものだ。
そのお陰で幼い頃には「ぼくのかぞくは、おとーさんと、おかーさんと、ぱぱとままです」だと本気で思っていた。子どもが恥をかく前にちゃんと訂正しろ、親。
しかし、いくら「ママよ」と言ったところで、姉の玲奈は大輝の幼少時、まさに思春期真っ直中だったのだ。
お年頃の少女というのは、ダイエットに励み出すと相場が決まっている。
『私の見えるところに甘いモノなんて置かないでちょーだい! 置いたりしたら……ふふふふふ』という乙女の切実かつ脅迫じみた宣言は、彼女が就職して家を出るまで、城島家において遵守されることとなった。
兄の伊織は、『……大輝。ことダイエットというモノに関しては、女性の言うことに逆らってはいけないよ。ときには命に関わるからね?』と物凄く実感の籠もった先人の知恵を授けてくれた。
稀に姉が家にいないとき、兄が買ってきてくれるケーキがとてもとても美味しくて嬉しかったため、大輝はかなりのお兄ちゃんっ子である。
両親や祖父母も、誕生日やクリスマスにはちゃんとケーキを用意してくれたが、ソレとコレとは別だ。餌づけだなんだと言われようが、兄が大輝の好むものを覚えていて、普段から気にかけてくれているということのカタチがあのケーキだったのだ。
祖父の可愛がり方など、「うむ! 大輝にはワシがすんばらしい嫁を用意してやらねばのー!」などと言って持ってきたのがあの婚約話なのだから、根本的にすべてが間違っている。
じーさん、少しは兄貴を見習ってくれ、切実に。
万年新婚夫婦の両親はそこはかとなく頼りにならないし、「私の可愛い大輝を、あんな辛気くさい女にやるもんですか!」な姉が常日頃から防衛ラインを引いてくれているからそれほど気にせずに済んでいるが、その事実が普通に重い。
そういや、と大輝は自分より少し背の高い友人を見遣った。
大輝も高校に入ってから随分背が伸びたものの、その分ランスレイルも伸びているため、あまり身長差は縮まっていない。ちょっとムカつく。
少しは待ってろ、しんゆーだろうが、と思いながら口を開く。
「ランスは、弟もいるんだよな? ルーフェスだっけ?」
そう言うと、ランスレイルは何を思いだしたのか、小さく肩を揺らした。
「……ハイ。ワタシがニホンに行くことが決まった途端、ルーは『お土産はマンガでいいから!』と叫びましたデス」
アレはちょっと寂しかったデスねー、とランスレイルが苦笑する。
「へー。何読んでんだ? つーか、日本語読めんの?」
ランスレイルは、首を振った。
「いえ、ルーは日本語は少し話せるだけなので、ミリィが訳しているデスが……。ときどき、漢字の振り仮名がどうしてそうなるのかわからなくて、困っているようデスね」
「あー……」
マンガ独特の漢字の振り仮名というのは、結構――というか、かなりある。
だが、それも異文化交流の醍醐味というモノだろう。
日本で少し前に流行った少年漫画がランスレイルの弟のお気に入りらしいが、本国で英訳されたものは一冊千円近くするのだという。
それは確かに、子どもの小遣いではちょっと手を出しにくいお値段だ。お土産にとねだる気持ちも、わからなくはない。
「まぁ、お土産に何を選ぶか、悩まなくていいのは楽デスけどね」
「そりゃそうだな。……んじゃ、次は物理部の方行ってみっか」
パンフレットを確認しながら言うと、ランスレイルがぱっと顔を輝かせる。
「いいデスねー、熱気球デスね?」
学園祭当日が晴れで風がなければ、という条件付きで物理部が申請していたのが、黒いゴミ袋を何十枚も繋げてバルーンを作り、そこに送風機で空気を送り込んで燃料ナシの熱気球を飛ばすという実験コーナーだ。
幸い、今日の天候はバッチリである。時間は午後一時からとなっているから、今からグラウンドに向かえばちょうどいいだろう。
途中で、絞りたてのオレンジジュースを買い込む。
すぐに飲み終えたそのコップをちゃんとリサイクルボックスに投入してからグラウンドに到着すると、白衣を着た物理部の面々が、わくわくした面持ちで巨大な送風機を引っ張り出してきているところだった。
グラウンドには一体ゴミ袋をいくつ使ったものやら、これまた巨大なバルーンが「まだかー」とぺったり地面にひっついている。
……それにしても、この実験にあそこまで巨大な送風機は必要なのだろうか。風力を全開にしたら、人間くらい普通に吹っ飛びそうだ。
どこからあんなモノをレンタルしてきたのやら、と思っていると、やはり物理部の面々も扱い慣れていないのか、「あれ?」「いや、こっちがこうだろ」「おーい、誰かマニュアル持ってきてくれー」などと、なんだかちょっと不安な感じだ。
それから、ようやく景気のいい駆動音が聞こえてきて、「おおおー!」と歓声が上がる。
しかし、次の瞬間。
(のわあっ!?)
送風口が若干下向きになったまま送風機を駆動させてしまったのか、乾いたグラウンドに叩きつけられた空気は大量の砂埃を巻き上げた。
歓声が悲鳴に変わり、物理部の「申し訳ありません、申し訳ありませんー!」と叫ぶ声がスピーカーでハウリングを起こしている。
大輝は、まともに砂埃を食らってしまった。
「だっ、大丈夫デスか、ディー!?」
「い、いや……おまえは?」
「ワタシは、どうにか……ああ、擦っては駄目デスー!」
痛む両目を開けていられなくて、咄嗟に擦ろうとした手首を掴まれる。
「う……さ、サンキュー」
周囲では、悲鳴だの苦痛の声だのがあちこちで上がっている。
なのに目が開けられないというのは、かなりキツい。
「えぇと……。水飲み場に行くデスよ? 水で洗い流すのが一番早いデス」
「悪いー、頼むー」
ランスレイルに手を引かれ、痛む目を閉じたままどうにか校舎脇の水飲み場に辿り着く。
(あだだだ……ったく、ちくしょー)
冷たい水で洗い流すと、ようやく目を開けられるようになったものの、なんだかまだひりひりする。
「酷い目に遭ったデスね……。大丈夫デスか?」
ランスレイルが心配そうに言いながら、ハンカチを差し出してくる。
「あー……どうにか?」
「目が赤いデス、保健室に行くデスか?」
気遣わしげに覗き込んでくるランスレイルに、別にそこまでじゃない、と言おうとしたとき。
パシャ、と聞き覚えのある機械音が耳に届いた。
(……なんですと?)
もの凄く、それはもうもの凄ーくいやな予感を覚えつつ、ぎしぎしと音のした方を見る。
まだ少し見にくい視界に映ったのは、立派なカメラを構える女生徒の姿と、彼女の腕章にデカデカと記されている「広報部」の三文字。
「……ごちそうさまでした」
律儀にぺこりと一礼し、すたすたと去って行くその女生徒の後ろ姿に、ランスレイルは「あ、どうもデス?」などと言っているが――
「あぁ、今のが学園祭の様子を記録して回っているという、広報部のヒトデスか」
――非常に遺憾ながら、これは「お仕事、大変そうデスねー」なんて呑気に言っている場合ではないと思う。
近い将来の悲劇を正確に予測した大輝は、その場にへのへのと座り込みたくなった。
数日後。
「にょははははは! だっ、大輝くん、オトメー! これはオトメだようぅー!」
広報部がメインホールの掲示板に貼りだした「欲しい写真があったら、申込用紙にナンバーを書いて注文してね! 一枚百十円」の中に、その写真を見つけたささめが瞬時に爆笑した。
大輝はその頭を、丸めたノートで力一杯しばき倒した。
「いったーいいいいい! なんでノートなんて持ってるのようー!?」
「こうなることが予想できたからに決まってるだろう、この天然小悪魔。いいから黙れ」
いくらうるうるお目々で見上げられても、それを毎日のように見慣れている大輝に対する攻撃力は、もはやゼロだ。ざまあみろ。
ささめが爆笑をかましてくれた写真ナンバー、198。
そこには「目元を朱く染めて、なんだかとっても頼りなさげ(不本意)な表情を浮かべている大輝と、至近距離で見つめ合っている(ようにしか見えない)ランスレイル」のツーショットが、ばっちり写し取られていた。
……この場合、恨むべきは物理部か、広報部か、それともその元締めの生徒会執行部なのか。はたまた、許可を出した教師連中なのか。
大輝はぎりぎりと奥歯を噛んだ。
(腐った女子しか喜ばないようなこんな写真を、堂々と売りに出してんじゃねえッ)
「ササーメィ、ディーは砂埃に目をやられて、とっても大変だったデスよ? 笑っては失礼デス!」
「うー……そうなのー? ……っで、でも、コレって、コレってー!」
め! とたしなめるランスレイルに、ささめはぷるぷると震えてまたしても余計なことを口走ろうとする。
大輝はぎらりとそちらを向いて、丸めたノートをぽん、と手のひらで弾ませた。
「……ささめ」
地の底を這うよーな低音に、ささめがぴょ! と跳び上がる。
「は、はいー?」
「あんまり、余計なことは、言うな?」
一言一言区切って言うと、ささめが泣きそうな顔をして有紗に抱きついた。
「……っあーちゃあああんっ! 大輝くんが、大輝くんが怖いよううううー!」
「……うん。あのねー、ささ。男の子にはね、コレだけは譲れねェっていう大事なモノがあるのだよ? その辺りの事情を斟酌して、今はそっとしておいてあげようね?」
ぽんぽんとささめの背中を叩いた有紗が、小さく息を吐いて顔を上げる。
「大輝」
「んだよ」
「人の噂も七十五日よ?」
「おまえにしてはベタなフォローをありがとう」
有紗は透明な眼差しで大輝を見た。
「そうそう、この『マジでキスする五秒前』な写真の噂だって、いつかはきっと風化するから!」
「……っおまえなあああああっ!!」
ぐっとサムズアップなんぞして、改めて言葉にするとますます攻撃力の上がった気がする現実を指摘してくる有紗の隣で、ランスレイルがオヤ、と首を傾げる。
「オウ……。言われてみれば、そんなふうにも見えるデスね? よかったデスね、ディー。これでワタシが女性でしたら、またおかしな噂が広まってしまうところデスよ」
にこにこにこ。
「……ランス」
「ハイ?」
「……いや、なんでもないです」
大輝は、ふっと遠くを見た。
(おまえはそのままでいてくれ、ランス)
自分たちが男同士だからこそ、おかしな噂が広まりまくっているのだ、などという腐った事実は、きっと知らない方が幸せだ。