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ささめと大輝

 学生は、忙しい。


 何しろ、やらなければならないことが山のようにある。


 そこで学生なのだから勉強するのは当たり前だ、などと言うのは、寂しい青春を過ごした大人くらいのものだろう。


 かくいう有紗も、一度目は決して楽しい青春を過ごした口ではない。


 だが二度目の現在、一応青春真っ盛りの入り口に立ったばかりと表現される身としては、それなりに周囲と同様の忙しさを抱えていたりする。


(あーもう、先週の土曜日に聞いた注意事項なんて、きれいサッパリ忘れてるっての!)


 内心、そんなことをぶつぶつつぶやきながら有紗が眺めているのは、新入生が行わなければならない、授業の選択や提出書類の一覧を記載したプリントだ。


 ここ藤沢学園高校は、学区内で有数の進学校であると同時に、いわゆるお坊ちゃまお嬢ちゃまが通う学校としても有名である。


 その分、学費や必要経費もバカにならない高さなのだが、そのすべてを免除される奨学生である有紗は、『黙ってさえいれば、そこらのお嬢さまよりよっぽどお嬢さまに見える』と、中学時代からの友人たちの太鼓判を貰っている。


 黙ってさえいれば、なんだからね! と何度も念を押す彼女たちは、一体自分に何を期待しているのだろうか。


「そんなの決まってるじゃないー! あーちゃんをエサに、有望株のイケメンをゲット! それ以外にはなんにも期待してないから、安心してねー!」


 堂々とそんなことを言うのは、中学二年から同じクラスだった春日ささめ。


 ふわふわの猫っ毛を短くカットして、前髪を可愛らしいピンで留めている愛くるしい少女だ。


 有紗と並ぶと肩の辺りまでしか届かない小柄な身体に、ふっくらと丸い頬の童顔ながら立派な巨乳であるため、男子生徒から常に高い人気を誇っている。


「ささなら変なことしなくても、イケメンのひとりやふたり、余裕で引っかけられるでしょうが」


 ここは、一年F組の教室。


 各学年、AからFまでクラスがあり、その中でF組は特別進学クラスとして、ほかのクラスとは別のカリキュラムで授業を組まれている。


 それはつまり、忘れ物をすることが許されないということだ。有紗は今朝、随分久し振りに感じる通学鞄のチェックをしつこく何度も行った。


 まったく、気分的には長期の休み明けである。さっさと頭を切り換えなければ、同級生の醸し出す新生活ウェーブに乗り損ねてしまいそうだ。


「それ、同感ー。おれ、七瀬に一票」


 そう言って隣の席の机で組んだ足をぶらつかせているのは、同じ中学出身のもうひとり、城島大輝という少年だ。


 ちょっとツリ目の可愛らしい顔立ちをしていて、他校の制服より高級感のあるニットベストとパンツ、それにネクタイという制服を、既にばっちり着こなしている。


 大輝とは中学時代は一度も同じクラスになったことがなかったため、今までほとんど話したことがなかった。


 しかし同じ中学出身という親近感から、入学式以来、有紗とささめと大輝の三人は仲良くつるむようになっている。


 大輝が、ひょいと首を傾げた。


「つうか、七瀬をエサっつう発想がよくわからん。ここまでぶっ飛んだレベルの美少女相手だと、普通男って引くから。寄ってこねーから」


「だからいいんじゃないー! うわー、すげー美少女、でも近寄りがたいよなー、お、なんかちっこくてほどよく可愛いのがいる! みたいな感じでー!」


 ささめの力説に、なるほど! と大輝が拳で手の平を叩く。


 そんな彼らに、有紗は軽く眉を寄せた。


「そこで納得しないでくれる? 大体、その巨乳がある限り、わたしよりささの方がよっぽど男子の注目を浴びてんだから。そこら辺、しっかり自覚しときなさいよ?」


「うわーん、セクハラっ、セクハラようーっ!」


 ぷくう、と頬を膨らませるささめに、有紗はふふんと笑ってやった。


「はん、巨乳を巨乳と言って何が悪い。世の中に数多いる、控えめな乳の女性陣の嫉妬をせいぜい浴びるといいわ」


「あーちゃんだって、立派に巨乳じゃん! 貧しくないじゃん!」


 ぶんぶんと固めた拳を上下させるささめに、びしっと言い返す。


「わたしが巨乳なら、ささは爆乳」


「うわああああん!」


「……おまえらさー。一応おれ、男なんだけど?」


 呆れ返ったように、どこか気まずそうに大輝が言う。


 泣き真似をしていたささめと視線を交わした有紗は、同時に両の手の平を上にして軽く肩を竦めてみせた。


 HA! という効果音が相応しい、あのポーズである。


「素敵な年上の婚約者がいる、城島グループの御曹司サマが、何をおっしゃるうさぎさん」


「ねー、最初っから対象外なのに、男も何もあったもんじゃないよねー」


 その途端、こちらの会話を聞いていたらしいクラスメイトの女生徒たちが、ええええー!? と悲鳴を上げた。


「城島くん、もう売約済みなのー!?」


「なんだー、つまんない。さすが城島の御曹司、入学早々美少女ふたり侍らせて優雅なことねーとか思ってたのにい」


「えー、じゃあ七瀬サンと春日サンは、城島くん狙いじゃないんだ?」


 口々にそんなことを言うクラスメイトたちに少々引きながら、ふたりは最後の質問にだけはきっぱりと手を振って否定する。


「ないない。ね? ささ」


「ねー? 中学の校門に、赤い外車で乗りつけるような婚約者サマに、喧嘩売るようなマネなんて怖くてとてもとてもー」


 さらりとささめが落とした爆弾発言に、また周囲で盛大な悲鳴が上がった。同時に、顔色を変えた大輝が大声で喚く。


「あ……アホ春日! あれは……っつーか、婚約なんてじいさんが勝手に言ってるだけで、親もおれも認めてねーんだよ!」


「えー、そうなのお?」


「あんな美人の、どこが不満なのよ?」


 素朴な疑問に返ってきたのは、大輝の若干虚ろになった目と声だった。


「おれのやることなすことに口出しする権利があると思い込んでて、一般常識がなくて、親の言うことに従うのが当然だと思ってて、特技がお茶とお花で、八歳も年上で、顔を合わせるたびに子どもは何人にしましょうかとか、中学生だったおれに真顔で家族計画持ち出してくるとこ」


 思わず有紗とささめが揃って憐憫の眼差しを向けた先、大輝はふっと自嘲気味に吐息を零した。


「とゆーわけで、おれはあのひとと結婚するくらいなら、海外逃亡を断行する。そのときは、協力頼む」


 ささめが、おー! と片手を振り上げる。


「城島くん……いや、大輝くん! この春日ささめ、協力は惜しみませんのことよ!」


 有紗も、すちゃっと片手を挙げた。


「わたしも、できる範囲で協力する。がんばれ、城島」


「……おまえらの温度差って、結構すげえよな」


 有紗とささめを見比べてぼやく大輝に、ささめがそお? と首を傾げる。


「あーちゃんは冷静なふりして、結構熱血さんよう? あたしが電車で痴漢に遭ったときなんかー、痴漢をぼっこぼこにして駅員さんに突きだしたんだからー! カッコいいのよー!」


「ふん。ささのキュートな尻を無断で触るような変態に、遺伝子を後世に残す権利はない」


「……七瀬が痴漢に何をしたか、詳しく話さなくていいからな」


 完全に引いている大輝に、ささめが残念そうな顔をする。


「ええぇー、そこが聞いて欲しいとこなのにい」


「ささ。男っていうのは、多かれ少なかれ痴漢願望を持っている生き物なのだよ。その自分の中の同類項が、それを実行する卑劣極まりない変態にさえ同情を覚えさせるのだからして、いくら城島が女に不自由しないだろう可愛い顔をしていても、あまり油断してはいけないよ?」


 にっこり笑って言い聞かせると、大輝が盛大に顔を引きつらせる。


「あーちゃん……。そんな世間一般の善良な男性陣に喧嘩を叩き売るようなことを、力一杯断言しなくてもー……」


「うんうん。ささはいい子ね」


「七瀬って……ホント、残念な美少女なんだな……」


 大輝のぼやきに、有紗はむっと眉を寄せた。


「失礼な。城島も一度、見ず知らずの男に胸や尻を触られてみればいいわ。痴漢をすべてこの世から抹殺したくなる気持ちがわかるでしょうよ」


「いや、おれ男だから。おれの胸やら尻やら触るったら、それ真性の変態だから」


 有紗は目を丸くした。


「同性愛者を変態呼ばわりとは……。意外と差別主義なのね」


「そういう深淵なテーマとは違うだろ!」


 ぎゃあ、と喚いた大輝には構わず、再びプリントに目を落としていたささめが、幼い仕草で首を傾げる。


「そんなことよりー、部活ってやっぱり何か入った方がいいのかなあ? 帰宅部でバイトってのも捨てがたいけどー、やっぱ高校生っていったら部活で青春かなぁ」


 この学校は、進学校であると同時に、きっちりスポーツ関係にも力を入れている。


 F組が特別進学クラスであるように、E組はスポーツ推薦で進学してきた生徒たちで編成されている。彼らが牽引力となっている運動系の部活動は強豪チームとして名を馳せているものが多い。


 そんなクラス分けをしていると、当然のようにAからD組のお気楽青春の普通科、爽やかスポーツのE、ガリ勉のFとそこはかとない対抗意識が生まれるらしい。


 とはいえ、さすがに入学して二週間やそこらでは、今ひとつ実感もない。


 F組のメンバーは国公立進学コースが最初から決まっているようなものだから、運動部に入部する者が毎年それほど多くないというのもうなずける。


 ささめの視線が追っているのも、美術系や文化系の部活案内ばかりだ。


 しかし、有紗は部活で青春するつもりなどない。


「あ、わたし部活はパス。バイト探さなきゃだし、勉強も真面目にしないと奨学金取り消されたら困るし」


 そう言うと、ささめがくわっと目を剥いた。


「夢がない! 夢がないよう! あーちゃんはその外見なら、じゅーぶん芸能界狙えるんだから、夢を大きく持ってー!」


「失礼な。わたしは適当な大学に入って、国家公務員Ⅰ種取って、安定した老後の年金暮らしをするのが夢よ?」


 そんな世知辛い夢はいやー! と叫ぶささめの頭をよしよしと撫でる。


 大輝が溜息混じりに口を開いた。


「……春日。おまえの狙いは、正しいかもしんねーわ。七瀬を見てると、美少女ってモンに対する幻想がすげー勢いで崩壊する。なんつーかこう、おまえが物凄く善良な生き物に見える」


 ささめが、へにょりと眉を下げる。


「それ、あんまり褒めてるように聞こえないー……」


「ちょっと。ささを口説くんなら、あんたの痛い婚約者をきっちり切ってからにしてよね」


 びしっと牽制すると、大輝がむっと口を尖らせる。


「誰も口説いてねえし。――つか、やっぱ痛いよな……痛いんだよな……ふ、ふふふふふ」


 途中から、どこか遠くを見はじめた。


「ごめん城島、わたしが悪かったから戻ってきて」


「いや……いいんだ……マジで痛いひとだからさ……」


 あはははは、と虚ろな笑い声を零す大輝に、ささめが悲壮な顔で呼びかける。


「大輝くん、大輝くんー! 部活! 部活で青春しよう! 八つも年上のオバサンが、十五の青春パゥワーについてこられるモンならついてきてみろな感じでー!」


「ああ、おれ部活はバスケ部だから」


 途端にけろりとした顔で大輝が言って、半泣きだったささめが盛大にコケる。


「へ? バ、バスケ部?」


「ここのバスケ部って、結構レベル高くなかった? Fに入ってついていけんの?」


 有紗の指摘に、大輝はふふんと不敵に笑う。


「おれって結構、文武両道を地でいっちゃう美少年なんだぜ? ――いや、そんなブリザードな目で見なくたっていいじゃん。マジな話、一応ミニバスのチーム入ってたんだって。それに、今の藤沢のエースもF組なんだぞ。超かっけーの。おれ、あのひとに憧れて藤沢入ったんだよなー」


 思いのほか真面目な顔つきになった大輝が、瞳をきらきらと輝かせる。


 バスケット選手というには若干背丈が足りない気もするが、まだ高校一年。男の子は、これからが成長期だ。


「えー、そんなにかっこいいヒトがいるのー?」


「おうよ。この辺りでバスケやってて、あのひとを知らないヤツなんて――」


 ささめの興味津々な問いに身を乗り出した大輝が、中途半端な体勢のまま固まった。


「城島?」


「大輝くん?」


「え……ちょ、うええっ?」


 大輝の席は、一番窓際。有紗とささめは、そのすぐ横。


 つまり、有紗とささめは窓の方を向き、大輝は教室の入り口側を向いていた。


 その視線の先を追って振り返った有紗は、見慣れた姿を見つけ、ぱっと顔を綻ばせる。


 少し着崩した制服姿で、まるで見知らぬ相手のようだが、自分が彼を見間違えるはずもない。


「和馬。どしたの?」


 立ち上がって迎えると、一年の教室に周囲の視線をまるで気にした様子もなく入ってきた和馬は、妙に真剣な目つきで有紗の姿を上から下まで確認した。


「和馬?」


 どうかしたのか、と再び呼びかける。和馬は、ふっと目元を和らげた。


「ん? あぁ、おまえの制服姿を見にきただけだ」


「ふっふっふ、可愛いでしょう」


 藤沢学園の女子の制服は、ちょっとお嬢さまっぽいラインが可愛らしい、前をボタンで留めるタイプのジャンパースカートだ。胸には学年ごとに色の違うリボンタイ、それにアースカラーのショートジャケット。


 どこぞのデザイナーズブランドだというこの制服は、この辺りではかなり人気が高い。


 くるっとその場で回ってみせると、可愛い可愛い、と大きな手が頭の上で軽く弾む。


「有紗」


 柔らかな声で名を呼ばれ、瞬く。


 視界が翳って、馴染んだ感触が唇を覆う。ちゅく、と濡れた音とともに軽く舌先を舐められて、温もりが離れる。


「じゃあ、何か困ったことがあったらいつでも言えよ?」


「過保護だってば」


 かもな、と笑った和馬は軽く頬を撫でて、教室を出ていった。


 その背中を見送った有紗は、もしかしたらしばらくは兄妹モードが消えないのかも知れないな、と思いながら席に戻る。


 何しろほんの数時間前までいた世界で、和馬は「可愛い妹に余計な虫がつかないようにきっちりガードする兄」役を完璧にこなしていたのだ。


「……ささ? 城島?」


 つい先ほどまでバカ話をしていたふたりが、完全に目を剥いて固まっている。


 はて一体何ごと、と首を傾げたところで、あまりに日常となりすぎて当たり前のように受けてしまった和馬の行為を思い出す。


(ええええぇと)


 つい数時間前まで、毎朝の習慣だったことで。


 おはようの後は、必ずアレで。


 周囲の人々も、挨拶代わりにハグや頬ちゅーは当たり前の世界だったのだけれど。


 ここは日本で、学校の教室なわけで。


(――はい。朝っぱらからディープなキスをするような場所ではないですね)


 有紗は、心から反省した。


「ごめん」


 すちゃ、と片手を挙げる。


「あれ、あのひとのデフォなだけで、びっくりするようなことじゃないのよ。もうさせないようにするから、勘弁してくれる?」


 さん、にい、いち。


「あああああああーちゃんーっ!?」


「びびびびびっくりするなって、びっくりするわー!」


「だから、ごめんて」


 きちんと謝ったというのに、ふたりの上がりきったテンションはまるで落ち着く様子がない。


「ごめんってごめんってごめんってー! 何あの超イケメンのおにーさん!? あーちゃん、男嫌いのくせに、どこであんなおにーさん引っかけたわけ!?」


「あのひとは、三年F組志波和馬! 藤沢バスケ部エースにして、全国模試二桁常連の秀才だっ!」


「え、そうなの?」


 知られざる和馬の一面に驚いていると、そうなの、じゃねー! と力一杯怒鳴られた。耳が痛い。


「志波先輩っつったら、クールでストイックで、どれだけ女に騒がれても動じない、おれらの憧れだったのに……っ! 何もよりによって、おまえみたいな残念な美少女に引っかからなくたっていいじゃねーかーっ!!」


「大輝くんー、本音だだ洩れすぎー」


 ようやく少し落ち着いたらしいささめが、大輝にツッコむ。有紗は呆れた。


「憧れって……。男が男に幻想持つって、こんなに暑苦しいものだったのね」


「やかましいっ!」


 ぎゃあと喚いた大輝につられたのか、折角落ち着きかけていたささめが、再び食いついてくる。


「いやいやいやでもでもでも、あーちゃん、ふつーにあのおにーさんとべろちゅーしてたよね!? 名前呼びしてたよね!? なんで、どーして、いつからそんな関係にー!?」


「企業秘密」


 そんなー! とささめが絶叫したところで、がらりと音を立てて担任教師が教室の扉を開けた。


 入学式当日、生徒たちから即座に満場一致で『クール眼鏡』というあだ名を付けられた彼は、歴代のF組にあるまじき教室の騒々しさに顔をしかめ、やかましい! と一喝した。

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