王宮内恋愛事情?
結婚しましょう、そうしましょう。
そういったところで、元の世界に戻ればふたりともまだまだ未成年だ。
とりあえず、まずは「恋人からはじめましょう」ということになった。
普通、この手のフレーズは「お友達からはじめましょう」というのが常套句だとは思う。
だが、もうやることをヤってる上に、将来どころか生涯も約束してしまっているのだから、今更まだるっこしい話はパスだ。
……実際のところ、有紗は今までオツキアイとか、そーゆー甘ったるいことをしたことがないので、何をどうすれば「恋人」なのか、その定義について少々悩んだりしている。
(にゃんにゃんか。いや、そんな単純なものでもなさそうな)
「別に、フツーにしてりゃいいだろ? どうせ、先は長いんだ。無理したっていいことねえし」
あっさりとした和馬の言葉に、そりゃあそうだ、と納得する。
不幸中の幸いとでもいうのか、もう一晩眠って起きてみると、有紗の体調は完全に復調していた。
試しにそれまではできなかった術式をあれこれ使ってみたのだが、今までにないほど調子がいい。
竜の生命力ハンパないとか、そういうことだろうか。
(――にゃんにゃんするなりこれとか、なんだか妙にやるせないものがあるのですが。なんというかこう……いえ、いいです。どこのエロゲだよとか、そんなこと思ったりしてませんよ?)
精神衛生上、そのような思考は全力で排除させていただくことにする。
とはいえ、これなら今すぐにでも元の世界に戻ることができる。
その日の晩、夕食の席でそう言うと、ヴァンフレッドは少し寂しそうな顔をしてうなずいた。
「また遊びにこられるか?」
「ええ、もちろん。今度はわたしたちの世界のお菓子でも持ってきますよ」
この王宮で出てくるお菓子は基本、洋菓子だ。
どれも今までに食べたことがないほど美味! なものばかりだったが、ポテトチップスのような塩味系のお菓子という概念はなさそうだった。王宮では、ばりばり音が出るようなものは御法度なのだろうか。
(ま、こっそり食べる分には問題ないでしょ。美味しいんだし)
すっかり忘れていたが、和馬が蒸発させた図書館の壁は、ヴァンフレッドが王宮魔術師に頼んで修復させてくれたらしい。
一体何をどうしたらこんな高出力の攻撃魔法で、被害がこんな小規模で済むのかと散々問い詰められたものの、「異国の術だから、よくわからん」でごまかしきったのだという。
「おまえたちのことを、異国のスパイか何かじゃないかと疑ってくる者までいてな。あれはちょっと参ったぞ」
ヴァンフレッドは呑気に笑っているけれど、仮にも一国の王子たるものが、そんなユルいことでいいのだろうか。
心からツッコみたいところだったが、彼にとんでもない迷惑をかけた自覚はあるので、そこはぐっと我慢する。
脳天気なヴァンフレッドに、和馬が小さく苦笑を浮かべて口を開く。
「そういうことなら、さっさと出てった方がよさそうだな。次は普通に遊びにくる。オレは、古代遺跡巡りとかしてみたい」
途端に、ヴァンフレッドがぱっと顔を輝かせる。
「おお! それはいいな! 僕も一度ネルフィアやイグルの遺跡を、じっくり見て歩きたいと思っていたのだ!」
男の子というのは、どうして遺跡だの探検だのという話になると、子どもみたいにわくわくした顔をするんだろう。うっかり可愛いと思ってしまうではないか。
有紗はどちらかといえば、あれだけヴァンフレッドがブラコンっぷりを披露している弟くんに会ってみたかった。
たまに王宮を散歩していると、ほかの王子さまたちはときどき見かけたのだが、やはり体が弱いからなのか、末っ子王太子さまの姿だけは、結局一度も見ることができなかったのだ。
「……あ、そういえば。一番上のお兄さんと二番目のお兄さんが取り合ってた、儚げーな美人さん。あの性格悪そうな五番目の王子さまが、横から掻っ攫っていったみたいですよ」
ふと思い出したことを口にすると、ヴァンフレッドが全身でこちらを振り返る。
「何! 本当か!?」
それは、気晴らしにヴァンフレッドに王宮内を案内してもらっていたときのこと。
あまりほかに知るものはいないという抜け道を通って、庭師がその素晴らしい技術のすべてを投入しているという中庭へ向かおうとしていたとき、和馬が誰かが喧嘩してるみたいだぞ、と言い出した。
王族以外は滅多に使うことのない抜け道で、争いごとというのは穏やかではない。
すぐさまそちらに向かったのだが、そこで三人が目にしたのは――煌びやかな衣装をまとった男ふたりが、美人さんだがどことなく幸の薄そうな女性を挟んで険悪なムードという、ある意味とてもありふれた光景だった。
その様子を目にしたヴァンフレッドは、すかさず物陰に身を潜め、わくわくした顔で実況中継を開始した。それはもう、競馬中継もびっくりの滑舌で。
『あれに見えるは、オーガスタ兄上が以前から執心していらっしゃるというユリア嬢! しかし、おとなしく家の中での読書を好むというユリア嬢にとって、脳みそ筋肉のオーガスタ兄上はまったく好みではないと専らの噂! おおっ! ギルバート兄上はドヤ顔だ! たった一日遅れで第一王子の座をオーガスタ兄上に持っていかれた恨み辛みを母君に愚痴られ続けて幾星霜。歪んだ性格は螺旋階段並とはいえ、女性受けするのは自分の方だと知っている自信からか!? ユリア嬢の立ち位置も若干ギルバート兄上寄りだが、こーれーはーどうだろうか、単にオーガスタ兄上の暑苦しさから逃げたがっているようにも見える!』
――ヴァンフレッドは、いつでも中継レポーターになれると思う。
それから少しして、有紗と同じ年頃に見える少年がユリア嬢の付き添いらしい女性を連れてきた。
あからさまにほっとした顔をしたユリア嬢は、そそくさとその場を去っていった。
その少年が、第五王子のエイオース。
去り際にふっと兄たちに勝ち誇った微笑を残していった彼が今日の午後、ユリア嬢と中庭で楽しげに語らっていたとメイドさんズが噂していたのだ。
さすがは王宮、見事な愛憎劇の宝庫である。
「そうか……。それは兄上たちが、さぞのたうち回っていることだろうな」
「……おまえら兄弟って、仲悪いのか?」
ふふふ、と邪悪な笑みを浮かべたヴァンフレッドは、若干引き気味の和馬の問いに、あっさり首を振った。
「母親同士は、何やらおどろおどろしくやり合っているようだがな。兄上たちが角突き合わせているのはいつものことだし、エイオースがそれをからかって遊んでいるのもいつものことだ。遠くから見ている分には、結構愉快だぞ?」
ヴァンフレッドも、さすがに近づきたくはないらしい。
それから彼に、明日の朝に元の世界に戻ることを告げ、再会を約束して食事を終えたときだった。
滅多にこの離宮では聞こえない足音――即ちばたばたと騒々しい、優雅さのかけらもないそれが近づいてくる。
扉の前に控えていた家令のヴィクトールが、すいと廊下に出ていく。
何ごとだろうかとそちらを注視していると、少ししてヴィクトールがはじめて見る「動揺してます!」という青ざめた顔で駆け込んできた。
その様子に、ヴァンフレッドが軽く眉を寄せる。
「で、殿下……!」
「何ごとだ、ヴィック」
低い声での問いかけに、はっと瞬きしたヴィクトールが、即座に居住まいを正して一礼する。
「……申し訳ありません、取り乱しました。落ち着いてお聞きくださいませ」
(おお、さすがナイス執事のヴィクトールさん。今の一瞬で冷静になりますか。いまだに顔色はアレですが、声はしっかりしてます、ステキです)
それから、すう、と息を吸ってヴィクトールが告げた言葉に、その場にいた人間すべてがあんぐりと口を開いた。
「奥方さま――トリスティアさまが、駆け落ちなさいました」
駆け落ち。……駆け落ち!?
「置き手紙には、『わたくしは、愛に生きます』としたためられていたとか」
(わぁ、びくとーるさん。ぼうよみですね)
「すげえな……どこの昭和文学だ?」
しみじみと感心する和馬を、そっと窘める。
「お兄さま。ツッコミするにしても、内輪ネタは今はちょっと」
「ツッコミじゃねえ、感想だ」
「似たようなものじゃないですか」
そんなことを言ったら、関西人にどつかれてしまうか。
「殿下。いかがなさいますか」
抑えきれない焦慮と憤りを滲ませたヴィクトールに、ヴァンフレッドは少しだけ困ったような苦笑を浮かべる。
「誘拐や、そのほかの犯罪に巻き込まれた可能性は?」
「ございません。侍女たちをはじめ、殿下が贈った宝石もすべてなくなっておりましたが、鏡台の前に結婚指輪が置き手紙とともに残されていたとのことです」
それはがめついというか、しっかりしているというか。
「そうか。あれだけ持っていったのなら、しばらくは生活に困ることもないだろう。ろくでもない男に引っかかったのでないのならいいんだが」
あっさりとそんなことを言うヴァンフレッドは、ヴィクトールの様子とは裏腹に、なんだか妙に冷静だ。
「他人事だな、ヴァン?」
呆れたような和馬の言葉に、ヴァンフレッドが小さく肩を竦める。
「前にも言った通り、結婚式のときにしか会っていないしな。母親が平民の僕に嫁ぐなんて冗談じゃない、と侍女に喚き散らしているのも何度も聞いたし、今更驚くほどのこともない」
(わぁ、酷い)
そういえば以前ヴァンフレッドが、奥さんにはほかに好きなひとがいるらしいと言っていたような。
とはいえ、黙って敵前逃亡とは卑怯なヒトである。
「うーん。しかし、妻に逃げられた王族というのは、この国ではひょっとして僕がはじめてなんじゃないだろうか。前例がないから対処の仕方がよくわからんが、クレタと戦にはしたくない。陛下が動くと、大事になってしまうからな、僕からクレタの大使に話をすると伝えてくれ。それから、クレタの大使に、すぐにこちらへ来るように使いを頼む」
かしこまりました、とヴィクトールが慇懃に一礼して三十分後。
王宮の一画に居を与えられているというクレタ王国の正大使が、真っ青な今にも気絶しそうな顔で離宮にやってきた。
有紗と和馬は野次馬根性丸出しで、隣室からその様子をうかがう。マジックミラーと盗聴用の空気穴が完備された応接室というのは、とってもステキだと思う。
ヴァンフレッドと大使が相対するテーブルに載っているのは、間違いなくトリスティアという元嫁直筆の置き手紙と結婚指輪。
そして、神殿から取り寄せた彼らの結婚宣誓書。
普段は何重もの鍵をかけられた神殿宝物庫の奥深くに保管されているその紙きれひとつが、ふたりの結婚の事実を証明する唯一のものらしい。
「――僕の不徳のいたすところとはいえ、こういった次第ですので。これは、こちらで処分させていただきます」
ヴァンフレッドが少し黄ばんだ風合いの、びっしりと横文字の並んだ羊皮紙を手に取る。
大使がお待ちください! と悲鳴を上げる。
「しばし……しばしのお待ちを! 姫さまは、我らが必ず探し出してごらんにいれますゆえ!」
その言葉に、ヴァンフレッドはむしろ呆れたように口を開いた。
「探し出してどうします? また『愛のない』結婚生活に連れ戻したところで、姫が私を受け容れるはずもない。……ああ、ご存じのことでしょうが、私は姫に指一本触れてはおりません。この宣誓書さえなくなれば、姫は晴れて思い人と結ばれることができる。めでたしめでたしというものじゃありませんか」
にこりとほほえんだヴァンフレッドは、そのままなんのためらいもなく羊皮紙を真っ二つに引き裂いた。
途端に、その表面に記されていた文字が幻のように消える。どうやら、魔導具だったようだ。
あわあわとそれに手を伸ばしていた大使が、ぎゃー! と大の男とも思えない悲鳴を上げる。
「なな、なんということを……! 『貞節』の守護が失われてしまえば、姫さまの御身は……!!」
「ええ。姫の望み通り、愛するひとと結ばれることに、なんの障害もなくなることでしょうね。おめでとうございます」
にこにこにこ。
……この国初の女房に逃げられた王族の烙印を押されることに、実は密かに怒っていたんだろうか。確かに、かっちょ悪いといえばかっちょ悪いが。
それにしても、彼らの話から察するに、あの結婚誓約書というのは人妻に対する横恋慕防止措置であるようだ。
逆からいえば、奥さんの浮気防止。
男は側室がっつり抱えても問題ないのに、奥さんは魔導具で浮気は許さないなんて、不平等も甚だしい。みんな爆発してしまえばいいのに。
(ていうか、その結婚誓約書をそのまんまにしてトンズラするなんて……。ひょっとして、物凄く頭が気の毒なお姫さまなんだろうか)
その辺がちょっぴり気になったものの、なんにせよ、これでヴァフレッドも晴れて独り身となったわけである。
今度こそ、彼に似合いの可愛らしいお嫁さんがきてくれるといいね、と有紗は和馬とうなずき合った。
翌朝は蜂の巣をつついたような、という表現がぴったりの王宮の騒がしさだった。
有紗と和馬は、離宮の窓からその様子を眺める。
ひっきりなしに城門を行き来する馬車、各国の紋章を刺繍した衣服をまとって駆け回る人々。
最初に話を聞いたときは「駆け落ちするヒトって、本当にいるんだな」くらいにしか思わなかった。
だが、こうも王宮中が半ばパニック状態になっているのを見ると、その認識がいかに甘いものだったのかをしみじみ思い知らされる。
国のメンツ。プライド。外交問題。
政略結婚というのが、そんな面倒くさいものをすべて内包したものなのだと、この騒ぎを見ていればいやでもわかった。
昨夜、別れ際にヴァンフレッドが『しばらく忙しくなる。もしかしたら見送りはできんかもしれないが、また会える日を楽しみにしている。今度は湖で釣りでもしよう』と言った通り、彼は朝食の席には現れなかった。
代わりにヴィクトールが、彼が既に本宮へ行ったことと、別れの言葉を伝えてくれた。
驚いたことに、次々にやってくる各国の馬車が持ち込んできているのは、すべてヴァンフレッドへの縁談らしい。
昨日の今日で、もう縁談。
王宮って、凄い。インターネット並の情報伝達速度だ。
「――でも、なんだかんだ言っても、ご飯は美味しいし、いいところだったよね」
できることなら、老後はここで暮らしたいと思うくらい、居心地のいい場所だった。
「そうだな」
「夏休みにでも、また遊びにくる?」
隣に立つ彼を見上げて問うと、楽しげな笑みが返される。
「その頃には、もう新しい嫁さん貰ってたりしてな」
「あはは、そうかも」
今度のお嫁さんは、ヴァンフレッドを閉め出したりしないお姫さまだといい。そうしたらきっと、一緒に遊べる。
(うん。異世界の王子さまやお姫さまが友達っていうのも、楽しくていいよね)
その証は今頃、ヴァンフレッドの指で青く輝いているはずだ。
有紗特製、〈意思疎通〉の術式を組み込んだステキ指輪。持ち主認識機能付きで、本人にしか使えず、うっかりどこかへなくしても勝手に戻ってくる優れモノ。
次に遊びにきたときにはその指輪を通じて呼びかけるから、ちゃんと返事をするように、と言うと、次こそルカを紹介するぞ、とやっぱりブラコンで締められた。
そのときのことを思い出して小さく笑った有紗は、ゆっくりと和馬に向き直る。
「じゃあ、帰ろうか」
「ああ」
手を差し出すと、壊れやすい宝物のように握り返されるのが、少しくすぐったい。
(ああ――そうか)
帰る場所が同じというのは、それだけで嬉しいことなのだと思う。
今までいろいろな場所に行ったけれど、そこで出会う人々はどうしたって「いつか別れるひと」だった。
さよならは、いつだって寂しい。
それでもやっぱり、ずっと育ててくれた施設の肝っ玉母さんたちや、学校の友達より大切に思えるひとはいなかった。
けれど和馬は「お別れする心構え」をしなくていい。
ずっと、そばにいてくれる。
(いやむしろ、ホントに冗談抜きで不老長寿とかだったら、ふたりきりで生きていくとかそういう話? ……ま、いっか)
人生、なるようになる。
前向きに、前向きに。
自分たちが生きて、暮らしていくべき場所は、生まれて育ったあの世界なのだから。
(じゃあ、またね)
今回は、さよならじゃない。
笑ってまた会おうと言ってくれたひとに、また会いたいと思えるのだから。
「――〈次元転移〉!」
だから、王子さま。
ブラコンと賭けごとはほどほどにして、あんまりアホなことしでかさないで、兄弟ネタで愉快なことがあったら全部記録して、今度こそ可愛いお嫁さん貰って、次会ったときには猫耳犬耳のおにーさんたちも紹介してね!