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豪華な庭園は、権力の証なのです

 あの子どもは一体なんだったんだ、と首を捻りつつも、複雑な路地裏に入り込まれてしまうと地元民ではないカイルには手の出しようがない。

 近くに保護者がいるというなら、それほど気にかけることもないだろう。


 気を取り直して当初の目的地へと向かい、店主に挨拶すると如才ない笑顔で迎えられる。

 男性の礼服なんてどれも同じようなものだし、実際いくつかサンプルを見せられたけれど、それらの何がどう違うのかすらカイルにはさっぱりわからない。

 結局、ほとんど店員まかせで決めることになったのだが、服飾店の店員がこれほどテンションが高いものだったとは少し驚きだった。


「みんな、わかってるわね! こんなオイシ……いえ、やりがいのある仕事なんて、滅多にあるものじゃないんだから!」

「ええ、もちろんです! あぁ……っ、髪がこのお色ですと、上着は暗めのものを合わせた方が引き立ちますね!」

「クラヴァットは濃紺に銀糸でいいでしょうかっ、いえでもワインレッドも捨てがたい……。いえいえ、いっそゴールド、ああぁあああっ! ……すー、はー……」


 ……なんだかよくわからないが、楽しんで仕事をできるというのは結構なことなのだろう。

 カイルが出した注文は、とにかく動きやすく! というものだけだったが、あの気合いの入りようならばきっといい仕事をしてくれるに違いない。

 採寸と前金の支払いを済ませて店を出たカイルは、ひとまず宿に戻って休むことにした。王都への最短ルートを飛ばしてかなり疲労していた上に、先ほどの子どもの魔力にあてられて、かなり気力も持っていかれている。


 そうして、きちんと日に当てたにおいのするベッドでぐっすりと休んだカイルは、目を覚ましたときには、ほんのわずか過ごす時間が重なったおかしな子どものことをすっかり忘れていた。

 何しろ数日後には、大して会いたくもない血の繋がった相手との面倒な対面を控えている。

 ただでさえ憂鬱な気分になりがちだというのに、魔導具をぶっ放してストレス解消することもできない。

 かといって、お上品なこの町の店で酒を飲んでも大してうまくもなさそうだ。


 そういうわけで、丸一日馬を休ませたカイルは礼服が仕立て上がるまでの間、王都の郊外で思う存分遠乗りを楽しむことにした。

 愛馬を駆るときというのは、強行軍の全力疾走が常だったから、こうしてのんびりと馬の足の向くまま走らせることができるというのは、かなり久しぶりだ。

 途中立ち寄った村で、爽やかな香りのする果汁を煮詰めて作られたきれいな飴をエヴァンジェリンの土産に買うこともできたし、充分に気分をリフレッシュすることができた。


(ったく……。これがただの休暇なら、何も文句ねェってのにな)


 招待日の前日に街に戻って礼服を取りにいくと、見るからに「やりきった!」という顔をした店員たちがずらりと顔を揃えていて、なんだかちょっと怖かった。

 とはいえ、できあがった礼服は確かに体にぴったりだったし、思っていたよりもずっと動きやすい。

 礼を言って残金を支払い、明日一日を飛ばして東に帰ることができたらいいのにな、と子どものようなことを考えながら店を出る。


 ――そして、翌日。

 ユージィンに言われた通り、辻馬車ではなくきちんと箱形の馬車を使って訪れたランドクリフ伯爵邸は、カイルの想像を遙かに超える『THE・金のカタマリ』だった。

 豪華な庭園が王侯貴族の権力を誇示するためのものである、というのは、知識としては知っていたものの、実際に目にするとまったくとんでもない迫力である。

 まさか華麗な装飾を施された門から屋敷までの距離が、それこそ馬車が必要な距離であるとは思わなかった。


 うんざりしながら馬車を降りたカイルは、ほかの招待客に倣って内ポケットから招待状を取り出したのだが――


(……なんだ?)


 ――それまでにこやかに客たちの招待状を確認していた相手が、カイルの顔を見るなり目を見開いて固まった。

 上級貴族の屋敷を支える者としては、かなりあるまじき接客態度だと思う。

 だが、白いものの混じりはじめた総髪をきっちりと後ろに撫でつけ、形良く口ひげを整えた彼は何度もカイルの顔と招待状とを見比べると、驚いたことに目を潤ませて深々と腰を折った。


「カイルさま……! よくぞ……よくぞ、おいでくださいました……っ」


 そうして彼は、やはりこちらを見て硬直していた従僕やメイドたちを振り返ると、若干上ずった声で命じた。


「おまえたち。すぐに、みなさまにお伝えしなさい。――カイルさま。私は当家の執事、ネビルと申します。どうぞこちらへ」


 その命令でようやく我に返ったような彼らが、慌ただしく駆けだしていく。

 若干呆気にとられていたカイルは、ふと自分たちが佇んでいる玄関ホールの壁に、どーんとでっかくその存在感を誇示している肖像画に気づいた。

思わず、息を呑む。


 それはおそらく、当代のランドクリフ伯爵一家の姿を写し取ったものなのだろう。

 中心の長椅子に壮年の男性と若々しく美しい女性が並んで座り、その周囲を取り囲むようにして三人の子どもたちが立っている。

 子どもたちは、揃って母親に似たらしい。

 年上の青年も、年下のそっくり同じ顔をした少年少女も、みんな柔らかに繊細な印象の優しげな面立ちをしている。


 だが――その当代ランドクリフ伯爵と思しき男性の姿は、あまりにカイル自身の姿によく似ていた。否、血の繋がりを言うなら、自分が彼に似ている、と言うべきなのか。

 瞳の色こそ違うけれど、華やかな赤銅色の髪といい、甘さと精悍さを矛盾なく併せ持つ男性的な顔立ちといい、肖像画の中の人物は数十年後にはこうなるだろうという己自身の姿を見せられているかのようだ。


(なんだかなぁ……)


 げんなりとため息をつくのを噛み殺すのには、結構な気合いが必要だった。

 自分を捨てた相手と自分が同じ顔をしているというのは、少々――否、かなりやるせないものがある。

 それにしても今回の招待は、むかーし昔に捨てた子どもがなんだか使えるカンジに育ってるみたいだから、ちょっと話の種に呼び寄せてみるか、というくらいのノリだと思っていた。

 しかし、それにしてはネビルを筆頭に、使用人たちの向けてくるあからさまな好意と歓迎ムードが、まったくもって意味不明だ。


 つくづく上級貴族ってのはわけがわからんな、と達観したカイルは、深く考えるのが面倒になった。相手が好意的に接してくるのなら、こちらも適当にそれに合わせていればいいだけだ。

 そう思いながら案内された豪奢な客間で次のアクションを待つ。

 しかし、なかなか相手の動きがない。

 ここに飾られている調度品を全部売ったら自警団の予算何年分になるのやら、と考えているのもなんだか虚しくなってきた。

 それくらいなら、窓の外に広がる庭園を眺めていた方が気分がいい。


 きっとカイルには想像することもできないほどの資金と技術が投入されているのだろう庭園は、そこはかとなくこみ上げてくる僻み根性を無視してしまえば、充分目に楽しかった。

 幾何学模様を描いて配置された背の低い庭木が単純な迷路のようになっていて、そこかしこに色鮮やかな花々が咲き乱れ、人々を心地よい空気で迎え入れている。

 迷路のあちこちで緩急をつけて水を遊ばせている噴水の数は、ランドクリフ伯爵家が王宮内で多大な権力を保持していることの証なのだろう。

 まったく、こんなことに人員と予算を回している余裕があるなら、少しは地方の援助に回して欲しいものである。


 結局、ぐるっと回って再び貧乏性の抜けきらないことを考えていたカイルは、扉の開け放たれたままだった客間に近づいてくる気配に気づいて振り返った。


「カイ……ル……?」


 ――こちらを見るなり、細く掠れた声で名を呼んだのは、先ほど眺めた肖像画の中で美しくほほえんでいた伯爵夫人だった。

 ホワイトブロンドの髪を複雑な形に結い上げ、ほっそりとした体を豪奢なドレスに包んでいる。その姿は文句のつけようのない貴婦人なのだろうが、赤く染めた口元を隠すように持ち上げられた白い手袋に包まれた手は、細かく震えていた。

 どんなときでも感情を表に出すことなく、穏やかにほほえんでいるのが上級貴族の女性のタシナミだと聞いていたのだが、どう見ても彼女の顔は激しい動揺に彩られている。

 とはいえ、さすがに初対面の相手にいきなりダメ出しをするのもいかがなものかということで、カイルは黙って彼女の動揺に気づかなかったことにした。

 さてこれからどうしたものかと思っていると、やはり華やかな装いをした彼女の子どもたちが次々にやってきて、母親と同じようにカイルの姿を見て立ち竦む。

 彼らから敵意は感じないが、使用人たちのようなわかりやすい好意も感じない。

 カイルはとりあえず、こちらに敵意がないことだけは示しておくことにした。にこりと対上級貴族用営業スマイルを浮かべて、きっちりと目上の相手に対する礼を取る。


「お初にお目にかかります、ヒューバートさま。伯爵夫人。グレゴリーさま。クリスティンさま。フォルティス男爵ユージィンが長子、カイル・ムート・フォルティスと申します。このたびはお招きいただき、ありがとうございました」


 慣れない言葉遣いに何やら背中が痒くなる心地がしたが、これくらい我慢できなければ地方貴族の後継者などやっていられない。

 だが、顔を上げたカイルが目にしたものは、先ほどよりも一層蒼白になってかたかたと震えだした伯爵夫人が、両手で顔を覆ってその場に座り込む姿だった。


「お母さま!?」


 真っ先に高い悲鳴を上げて伯爵夫人に寄り添ったのは、ピンク色の可愛らしいドレスをまとった少女――クリスティンだ。

 慌てて同じように床に膝を落としたグレゴリーとは双子だと聞いていたが、確かに肖像画そのままのそっくり同じ顔をしている。服を入れ替えてシャッフルしたら、嗅覚の弱い人族には見分けがつかないかもしれない。

 そんな子どもたちに気遣われている伯爵夫人の顔からは、完全に血の気が引いている。


(うーん……大丈夫か? 伯爵夫人)


 上級貴族の女性たちは、コルセットの締めすぎでしょっちゅう気分を悪くするものだと聞いている。

 そんなに無理をしてまで窮屈なドレスを着ることもないだろうにと思うのだが、そういった理屈では割り切れない何かが彼女たちの中にはあるのだろう。


 ダンスのパートナーでもないのに公然と貴族女性の指先以外に触れられる男は、その夫と親兄弟、子どもたちだけだ。

 残念ながら、貴族女性の失態を目の当たりにしたときにはどんな対応をするのが正解か、という知識は、まだまだ社会経験の足りないカイルにはない。

 結局、一応心配そうな顔をしながら突っ立っているばかりという非常に情けない選択しかできなかったのだが、どうやらそれは少なくとも、無礼打ちにされるような判断ではなかったようだ。よかった。


 伯爵夫人を自室へ連れて行くよう兄に命じられた少年少女が、どうにか立ち上がった母親を両側で守るようにして歩き出す。

 彼らが視界から消える寸前、双子たちが今度は明確な敵意を孕んだ視線で睨みつけてきた。やはり何か失敗したらしいな、とカイルは密かにため息をつく。

 とはいえ、この場にはまだ自分の招待状に署名したヒューバートが残っている。まだまだ気を抜くわけにはいかない。


「伯爵夫人は、お加減が悪かったのですか?」


 ここで何もツッコまないのは、さすがに不自然だろう。

 ヒューバートが、ゆるりと首を振る。


「……いえ。母は今日の園遊会を、ことのほか楽しみにしておりました」


 カイルは困ってしまった。

 いろいろと準備してきた「素敵なお庭ですネ」的会話シミュレーションを、この微妙に重たい空気の中で展開してもいいものなのだろうか。


 それからふっとこちらを見たヒューバートは、母親や弟妹と同じホワイトブロンドの髪に、父親と同じ茶色の瞳をしていた。

 ちょうどカイルと逆の色彩を両親から受け継いだらしいが、やはりその顔立ちは全面的に母親寄りだ。こうして間近に見ても、お互いに似たところなどどこにもない。


「母は、私たちが幼い頃からずっと、あなたのことをよく口にしていました。……今は遠いところで暮らしているけれど、私たちには、もうひとり兄がいるんだと」


 どうしてまた、そんなことを。

 そう不思議に思ったのが伝わったのか、ヒューバートは淡く苦笑を浮かべた。


「あなたは、違うのですね?」

「ええ、まあ。私があなた方のことを父から聞かされたのは、成人したときのことですから」


 すでにカイルはフォルティス家の養子として法的にも認められていたし、それで何も問題はなかった。むしろ、幼い子どもたちが混乱してしまうようなことを口にしていた伯爵夫人の方が、少々思慮が足りないのではないかと思ってしまう。

ヒューバートは、小さく息を吐いた。


「母は……あなたを手放したことを、ずっと悔やんでおりました。その気持ちだけは、汲んでやっていただけませんか?」

「……はぁ」


 どうやらあの伯爵夫人は、赤ん坊だった自分を捨てたつもりはなかったらしい。

 そのことは理解したが、もしや本当に『家族ごっこ』を所望されているのかと思うと、カイルはしみじみとため息をつきたくなった。

 面倒ごとは、嫌いだ。

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