プロポーズの答えは?
――体のあちこちが、鈍く軋む。
あれから再び和馬と話してみてわかったのだが、彼が炎を制御し損ねたのは、有紗の発言に驚いたというのももちろんあるが、それ以上に朝からずっと体の不調を覚えていたらしい。
眩暈と頭痛、倦怠感。
一晩寝れば治る、と言い張る和馬に「プロポーズの返事は?」と尋ねられる雰囲気でもなかったので、ひとまず様子を見ることにした。
そうして翌朝目を覚ました有紗は、和馬が言っていた通りの症状に、こういうことか、と呻いた。
多少の時間差はあったようだが、これはキツい。
頭は脳みそを茶巾絞りにされているように上手く働かないし、立ち上がろうにもぐらぐらと眩暈はするし、何より鉛でも詰まっているかのように体が重い。
よくこんな状態で、和馬は平気な顔をしていたものだ。
その忍耐力には心の底から感嘆するが、有紗はこんな状態がずっと続くなんてことには耐えられそうになかった。
……和馬はいやがるかもしれないが、これはもう拝み倒してでも彼とにゃんにゃんするしかないのかもしれない。
これも人工呼吸のようなもの――と言いきるにはかなり覚悟と勇気が必要だが、冗談抜きに、そう長い時間は保たないだろうとなぜだかわかった。
ずきずきと頭が痛みはじめて、体の端々が痺れるような感覚に一層眩暈が酷くなる。
いつもの時間になっても有紗たちが朝食の場に現れないのを心配したのか、様子を見にきたメイドさんたちに尋ねてみると、何度和馬の部屋の扉をノックをしても返事がないらしい。
言葉が通じないのだから仕方ないが、自分よりも先に症状の出ていた和馬が本気で死にかけていたらどうしようと不安になる。
ちょっと疲れが溜まっただけだから、と看病してくれようとする彼女たちにお引き取り願い、ヴァンフレッドにも心配しないよう伝言を頼んだ。
痛む頭を抑えつつ、和馬の部屋の前でおろおろしているメイドさんにも同じことを言って下がってもらった。
そこから、イロイロとあったはずなのだが――
(えぇと……? 何がどうなったんだっけ……?)
ぼんやりと瞬いて、額に鬱陶しくかかる髪を掻き上げる。
思い出したくない気もするが、残念ながら記憶が飛んでいるわけではないらしい。
眠気の薄れた脳裏に浮かんできたあれこれに、有紗はじんわりと頬が熱くなるのを覚えた。
(なんだかよくわかんないけど……。とりあえず、和馬のフォローが先か)
現在、和馬はベッドの下でジャパニーズ土下座を披露中である。
体にタオルケットを巻きつけただけの格好で、広い背中に何本も走っているみみず腫れが痛々しい。
それをつけたのが自分であることを思い出し、なんともいたたまれない気分になる。
「……あの、和馬?」
喋ると、ひどく喉が痛んだ。声を上げすぎで喉が嗄れるというのは本当にあるのだな、と妙なことに感心してしまう。
「すまん」
さっきから和馬は、これしか言っていない。
(うーん……)
ほとんど何も話さないまま、わけもわからない状態でベッドに引きずり込まれたのは確かだが。
これはお腹をすかせた獣の前に、のこのこと出ていったおバカな羊が食われただけというか、そもそも自分から食われにいったようなものだというか。
「――和馬ってさ、女のひと苦手とか言ってなかったっけ?」
ぼそりとつぶやくと、和馬の肩が揺れる。
「なんか、こっちははじめてなのに、物凄く気持ちよかったんですけど?」
純情な女嫌いのふりをして、実はどれだけ遊んでいたのだろうか。
なんとなく面白くない気分でいると、ぎこちなく顔を上げた和馬がようやくこちらを見た。
「そう……なのか?」
物凄く覚束ない口調に、首を傾げる。いや、と目を逸らした和馬の顔が赤い。
「その……。覚えてねえっつうか、さっき気がついたらこうなってたっつうか。オレだってこんなんしたことねえし、わけわかんねえけど。やっぱヤった……んだよな?」
(ちょっと待てい! なんだそれは!?)
有紗は、声をひっくり返した。
「うえ、ちょ、あんだけエロエロにひとのこと責めまくっといて、無意識ですか!? あの百戦錬磨のエロ魔神が幻だったと!?」
「ななななんだよそれ!?」
途端に首まで真っ赤になった和馬は、間違いなく有紗の良く知る和馬だ。先ほどまではなぜか金色に染まっていた瞳も、元の黒に戻っている。
(うーあー……)
アレが和馬、というか竜の本能なのだとしたら、竜というのはどれだけエロエロしいイキモノなんだろうか。すっかり、竜に対する印象が変わってしまった。
はぁ、とひとつ溜息をつく。
動かしにくい腕をどうにか持ち上げ、乱れたままだった髪を後ろに払う。
「……まあ、お互い調子悪いのは治ったみたいだし。結果おーらい?」
和馬が、はっと目を瞠る。
「って、え? おまえも……?」
「うん。頭痛いわ、眩暈がひどくて歩くのやっとだわ、体は重いわ。もしかして和馬もそうなのかなーって様子見にきたら、こんなことに」
物凄く複雑な顔をした和馬を、ひょいひょいと手招く。
「和馬さん、和馬さん」
「……なんだ?」
応える声が、ひどく硬い。
「えっとね? 和馬はなんにも、謝らなきゃなんないこと、してないでしょ?」
何か言いかけるのを片手で制して、笑ってみせる。
「むしろ、謝らなきゃならないのは、わたしの方。勝手にくっついてきて、キスだってしたのはわたしなんだし」
「ちが……っ」
「違わないって。でも、何回同じことがあっても、きっとわたしは同じことをする。……多分、和馬が今自己嫌悪? でぐるぐるしてるのって、覚えてないからだと思うんだよね」
喉が、まだ少し痛い。できるだけゆっくり、静かに話す。
「自分で決めて、したことだったら、後悔はしても自分の責任だーって思えるけどさ。目が覚めたらコレでしたとか、そりゃびっくりだわ。わたしでもスライディング土下座するしかないわ」
おまえ、と和馬が気の抜けたような声で呼ぶ。
「怒って、ねえの……?」
「ないない。過去は振り返らない主義なのです」
なんだそりゃ、と和馬が肩を落とす。
「まあ、そんなこと言っても、和馬が禿げたメタボのおっさんだったら、世を儚んで自殺してたかもだけど」
「……そーかい」
(む? フォローの仕方を間違ったか)
なんだか、和馬がどんよりとしている。
「えぇと、ほら。世の中には、体からはじまる愛もあるとゆーし」
「……た」
和馬が何か言ったようだけど、よく聞こえなかった。
「え? 何?」
「……悩んでんのが、バカらしくなっただけだ」
「それはよかった」
ほっとしたら、なんだかまた眠くなってきた。
和馬が黙り込んでしまったものだから、訪れた静寂の中でとろとろとまどろんでいるうちに、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
もう一度目を開いたときには夕方で、あれこれべたついていたはずの体はきれいに清められ、ネグリジェのような寝間着を着ていた。
「和馬……?」
ぼんやりと呼びかけると、ソファで本を読んでいたらしい和馬が近づいてくる。
「腹は? 減ってないか?」
「……お腹はそうでもないけど、喉は渇いた」
うなずいた和馬が、枕元の水差しからグラスに水を注いでくれる。少し柑橘系の香りのする、美味しい水。
「有紗」
「んー?」
「……なんつうかこう、いろいろすっ飛ばした感がありまくりでアレなんだが」
すい、と和馬の手が、有紗の頬に触れる。
「生涯、あなたを愛します。結婚してください」
(……っそうきたかーっっ!)
真面目に。誠実に。正面から。
あぁそうか、と思う。
和馬は、そういう青年だった。
年上ぶって、加害者ぶって、プロポーズを「責任を取る」なんて言葉で飾るのは、相手に失礼な話だった。
どんな理由でも、きっかけでも、一生をともに生きましょうという約束に、言い訳なんてしてはいけなかったのだ。
(敵わないなぁ……)
本当に、驚かされる。
「責任」ならば、楽だった。
余計なことを考えなくてもできるから。
いろんなものを見ないふりをして、蓋をして。
……本当に、いつの間にこんな狡い考え方をするようになってしまったのだろう。
(うん……。そうだね)
全然、普通じゃないはじまりだけど。
恋人にすらなっていなかったけれど。
まだ、会って二週間だけど。
……こんなプロポーズをもらえたのだ。なんだか上手くいきそうな気がする。
「はい」
自分でも意識しないままに、笑っていた。
誰かを安心させるためでもなく、警戒を解くためでもなく。
何も考えないまま、ごく自然に。
「一緒にいきましょう」
人生という長い道を、一緒に生きていきましょう。