09 条件反射とバナナ
早朝、目を覚ますと大きく深呼吸をした。昨日は動揺したまま気を失った様だがもう大丈夫、俺は精神を落ち着かせる方法を知っているからな。
一つはとにかく体を動かす。何も考えられない程集中して、倒れるまで動いて、目覚めたらまた動く。数日もすればショックなど薄れる。
二つ目はそれ以上の衝撃を受ける事。これはお勧め出来ないが最初の衝撃は随分と和らぐ。
三つ目は平気なフリをする。外見だけでも無理して平静を装う。これも数日すればショックは薄らぐ。
俺がやっているのは三つ目だ、前の二つは現状無理だからな。いつも通りを意識して周囲に気を配る。
周りに集中するんだ、体の事など、わ……忘れ……るんだ。だめだ、集中集中、とにかく今は周囲に集中するんだ。周りだけだ、周りだけだ!
少しして拷問係の彼女が扉から出て行くと、入れ違いに兵士達が沢山の桶を運び込み、牢屋の中に入れていった。
説明の無い事に不安な捕虜達を気にも止めず桶を配り終わると、色々と拷問部屋の中央に運び込み、個室から元男爵を連れ出すと中央の椅子に座らせる。
元男爵は手足はもちろん頭や胸・腰、手の指までも動かないようにベルトを付けられ、何故か猿轡だけが外された。自由に動くのは口だけだ。
捕虜達が心配そうに拷問の準備を見つめている。そういえば捕虜達は彼女の作業を見た事無かったな。階級も上がると万が一の心構として拷問の様子などは教わったりもするが、下っ端ではそれも無いので仕方ないか。
俺はと言うと予備知識として教わっているので捕まった時から覚悟は出来ているので動揺する事なんて無い、それに二年間彼女の仕事を見てきた俺にとっては日常茶飯事だ。今更動揺などありえない。
設置等が終わると兵士達は部屋を出て行く。椅子に固定された元男爵は最初こそ騒いでいたが今は大人しく座っている。少し震えてる事から無理して平静を装っている感じだ。
兵士達が出て行ってから三十分くらいしただろうか、扉が開く音がして彼女が帰って来ると捕虜達の動揺が増した。俺もまた予想外の事に動揺を抑えられない。
彼女は紺のズボンと茶色の革靴を履き、灰色の厚手のシャツと茶色の袖の無い皮製のジャケットを着て、長方形の小振りな鉄の箱を片手で脇に抱えていた。
彼女は箱を拷問道具の並ぶ台に置くと、上部に複数有る突起の一つを押す。軽快な音楽が流れ出すと音楽に乗る様に軽い足取りで椅子の周りを歩きはじめた。
今までの彼女と明らかに違う様子に全員が驚いている。そりゃそうか彼女は何時もマイペースで怒る事や驚く事があっても自分のスタイルを崩した事が無いのだ。
元男爵も怪訝そうに見つめていると、10cmくらいの針を右手中指の爪と肉の間に前触れ無く突き刺した。
おそらくは周ってる最中に針を取って隙を突いて刺したのだろう。痛がる男爵など気にも留めず針の反対側をロウソクの炎で炙る。
次に彼女は男爵の背後に立つとカミソリの様な薄刃のナイフを左耳の上に置き、音楽に合わせて前後に動かし、十往復もする頃には耳は削げ落ちた。
その耳を拾った彼女は男爵の前の置かれた炭酸入りのグラスの中に入れる。透明な液体が赤く染まりながら泡立つ。
彼女は変わらず椅子の周りを軽快に歩いている。時々、黒くなり痛みの鈍った指に回復魔法をかけては痛みを戻している。
そして先に剣山の様な無数の針の付いた棒を手にすると、クルクルと軽く回した後、右足の甲をザクザクと刺すと柑橘系の果実を一口齧る。結構酸っぱそうだ。
彼女は齧った面を下にすると右足の甲の上で絞る。痛がる様子を見た後、右足の拘束を緩め持ち上げると痩せたネズミが数匹入った檻を足元に置き、中に足を入れて固定し直した。
今までとは違う男爵の叫び声が響く。ネズミによって骨さえも砕かれ指が千切れていくがその指もネズミの腹に収まっていき、もう足首より下は無くなっていた。
叫ぶ男爵の口に刃物を入れると口の脇を裂く。まるで切れ味を試す様に引いた刃で今度は腹を切り開くと用意した小瓶の中のムカデをピンセットで摘み腹の中に入れ、雑に閉じると回復魔法で傷を無くす。
彼女は傷を治す以外にも気絶する度に魔法で起こすを繰り返している。今迄拷問に回復魔法を使う人を見た事が無かった。
いや、幾つかの拷問も音楽を聴きながらの奇抜なやり方も見聞きした事が無い。あまりに衝撃的な拷問に捕虜達の中には吐き出す者もいた。
ただ、無言で作業する彼女は何時も通り無表情で、その後も太く短い刃のハサミで指を縦に割ったり体中切ったり裂いたりしていった。
そしてそれが五日も続いた頃、衰弱しきった男爵は外へ連れて行かれた。何処か安堵した顔をしていたのが印象的だった。
あの日以降、彼女は機嫌がいい時に鼻歌を歌うようになった。そしてその曲を聴く度に俺や捕虜達は萎縮した。
「お前達はパブロフの犬か何かか?」
ビクッと反応する俺達を見て彼女はバナナを食べながらそんな事を言った。
――パブロフって何んだろう?