修行の終わり
水を頭から被る。
冷たい朝の空気と水滴が相まって、体はどんどん冷えていく。
「ふぅ……目が覚める」
少し離れたところでは、フィリーが横になってスヤスヤと睡眠を楽しんでいる。
今日は、ボクの方が早く起きた。おかげでフィリーの寝顔も堪能できた。美人は寝顔こそ美味しいと言った奴がいるのだが、そいつの言葉は紛れもない真実だった。
ついつい、頬をチョンチョンとつついたりして遊んでしまう。
だんたんと冗談でなく襲ってしまいそうな気分になったので、水を浴びることにしたのだ。目を覚ますためというより、煩悩をはらい清めるため。
もし本当にフィリーを襲ったら、ボクはリン・メイガさんの手で八つ裂きにされちゃうだろうなー。
「さて、朝食の用意だ」
髪に沁みこんだ水滴を振り払い、腕まくりする。今までは、朝食はフィリーは用意してくれていた。
珍しく早起きした今日こそは、ボクが朝食をつくろうではないか。
鍋をさっと洗い、昨日コルト町で買った海藻と水を投入して、火にかける。
あとは何を食べようか。川に行って魚を獲るか?
でも、昨日の夕飯は魚だったしな……。フィリーと修行を始めた日につくった燻製肉でいっか。
「燻製肉はリュックサックに入れておいたよな……? お、あったあった」
取り出した燻製肉を風魔法で細かくきざみ、鍋の中に入れた。
味付けに、クルミのような形の香辛料と、魚の骨を入れる。
朝食はこんな感じの簡単スープでいいだろう。
「もうすぐ出来上がるが、フィリーはしばらく起き上がってきそうにないな」
フィリーはまだ寝かせておいて、ボクだけ先に食べることにする。
ボクが朝食を食べ終わって、剣技の練習で棒を振っていたら、ようやくフィリーはお目覚めになった。
「ん~~」
寝ころんだまま目を擦っている。
「起きたかー?」
「あ、うん」
「朝食できてるけど、食べる?」
「あ、うん」
「じゃあ、器によそっておくからな」
「あ、うん。……ん? あれ?」
「どうした?」
フィリーは上半身を起こし、寝ぼけ眼でボクを見る。が、その目は、徐々に、大きく見開かれていく。
「あれ!? ストナード!?」
「おう、そうだぞ。今日は別人のようにイケメンに見えるか?」
「あれ!? うそ! 私、……あれ? 昨日……どうしたんだっけ??」
「…………スルーしないでくれよ、悲しいだろ」
フィリーはそんなボクのぼやきに全く耳を傾けず、半ば混乱気味に頭を捻っている。
「忘れたのか? 昨日、夕飯食べてるときに、フィリーは寝ちゃったんだよ」
「!」
思い出したようだ。
だが何故か、フィリーはいきなり飛び上がって、ボクに背を向けて走り出した。
「ちょ、おい! どこ行くんだ!?」
「……クッ!」
盛大に歯噛みする音を残して、フィリーの姿は彼方へと消えてしまった。
「どうしたんだ?」
追いかけるか? いや、フィリーの荷物はここに置かれたままだ。いずれ戻ってくるだろう。
ボクはここで待っていた方がいいな。
それにしても、どこに行ったんだ……?
それから数十分ほど過ぎて、フィリーは戻ってきた。
服が小ざっぱりしているから、水浴びをして、服も洗ったんだろう。
目も、寝ぼけ眼じゃなくて、パッチリしている。
「どこ行ってたんだ?」
「むぅ」
あれ?
フィリーがむくれている。ボク、何かしたっけ?
確かに寝顔をちょっと弄ったりした。ほっぺたがぷにぷにだった。でも、ちょっとしか弄ってないよ?
「はい、朝食」
さっきつくったスープの入った器を差し出すと、フィリーは受け取りはしたが、ボクの方をジロリと睨んだ。
「どうした?」
「……もーっっ!!」
「うわぁ!」
いきなり殴ってきた!
「もういやーっ!」
フィリーが叫びながら、ボクにパンチしてくる。必死で避けるが、フィリーの攻撃は止まない。
「昨日は何かヘンなこと言っちゃうし、寝顔は見られちゃうし、最悪よっ!!」
「そのな、ウワッ、気に障ることが、クッ、あったのかも、オット、しれないが、アッブネェ、何故ボクを、ヤベッ、パンチするの?」
パンチを避けながら喋るのって、すごい大変だ!
しかも避けるたびに、「ヴュオッ!」って風を切る効果音が鳴る。こんな激烈なパンチが直撃したらどうなるか……怖すぎる。
「何故かって!? もちろん八つ当たりよ!」
「やっぱりかー!!」
「私の痴態を見てしまったのが、あなたの運の尽きね」
「そんな恥ずかしいものでもないだろ!」
「恥ずかしいわよっ!」
「可愛いんだからいいじゃないか!!」
「それとこれとは関係ないわっ!」
「八つ当たりなんて、非生産的だとは思わないのか!?」
「十分に生産的よっ! 私の気が晴れるもの!」
「横暴すぎる!」
「くっ、当たらない!」
「こっちも避けるのに必死だからな!」
「当たりなさいよ!!」
「無茶苦茶だ!」
……。
攻撃を避けながら説得を続け、何とか落ち着いてもらえるまでに2時間ほどかかった。
非常に疲れた。
2時間もパンチし続けたフィリーの体力たるや、可憐な外見からは想像すらできないレベルだ。
一体何が気に食わなかったのかは、謎のままだが。
只今、当のフィリーは念仏のように「寝坊、それ乃ち死」と唱えながら、自分の頬を叩いている。悪霊にでも憑かれたか。
複雑な女心ってやつ、なのかな?
フィリーがやっと落ち着いた後は、雷法の修行を再開した。
フィリーが雷法の“新奇な感覚”を獲得したのは、それから6日後のことだった。
雷を生み出せるようになってから、雷を自在に操れるようになるための練習を続けた。
そして、2週間に渡るフィリーとの修行の最終日がやってきた。
起床して朝食を食べてから、ボクとフィリーはジェルドレア道場へと向かった。
リン・メイガさんに、修行の終了を伝えるためだ。
行くと、ジェルドレア道場の前で、リン・メイガさんが仁王立ちしていた。ボクたちを待ち構えていたんだろうか?
「メイガ師匠、お久しぶりです」と、早速フィリーが挨拶する。
「あぁ、久しぶりだね、フィリー。どうだった、この2週間は?」
「おかげさまで、新たな技を身に着けることができました」
「そりゃよかった。ストナード、フィリーとはうまくやってたかい?」
「ええ、もちろん。最高の抱き心地でしたよ。いたっ!」
フィリーに後頭部を殴られた。
「はっはっは。上々のようだね。じゃあ早速、フィリーが会得したっていう新しい技を見せてもらうとするかね。
あぁ、安心しな、ストナード。ちゃんと約束は覚えてる。フィリーの修行の成果を見た後で、教えてやるよ、白魔法を強化したいあんたが訪ねるべき場所を」
「ありがとうございます」
「何か、あたしが用意した方がいいものはあるかい?」
「いえ、ありません。メイガ師匠は、ただ見ていてください」
「分かったよ」
フィリーは、剣を抜いて構えた。
「ストナード、いつでもいいわよ」
「OK」
聖魔法で木を生やし、次々に風魔法の斬撃で切断していく。そうしてできあがった丸太を、今度は風魔法で宙に浮かせた。
瞬く間に、上空は無数の丸太で覆われる。
「用意はいいか?」
「もちろん!」
ボクは風魔法を展開によって、宙に浮かんでいた丸太は次々とフィリーへと突っ込んでいく。回避しなければ、あのまま丸太はフィリーにぶつかって、その体をへし折るだろう。
フィリーは落ち着いたもので、抜刀していた剣を天へと掲げた。
「――雷法『落雷』」
その瞬間、轟音が鳴り、天を指していたフィリーの剣に雷が落ちる。
フィリーの剣は、波打つ莫大な雷のエネルギーの核となって閃光を放つ。空気中への雷の放散はほぼない。見事なコントロールだ。
その稲妻の剣をフィリーがふりかぶった。
「はぁっ!」
迫ってきた丸太に剣を振るう。
その一撃は数十もの丸太を絡め取り、黒焦げにし、彼方へと飛ばしていく。
息を吐く間もなく、フィリーの次の斬撃が丸太へと駆ける。
次にフィリーは剣を突き出した。すると、剣から雷が丸太に向かって放たれ、空中に浮かんでいた丸太のほとんどが灰になった。
残っていた丸太は、新たにフィリーが展開した『落雷』によって、燃やし尽くされた。
フィリーの周囲には、もう丸太はない。地面に、焼け焦げた炭と、いくばくかの灰が転がるだけだ。
文句なしの出来だ。
雷のコントロールは至難の業だ。それを、剣に纏わせて、丸太という決して大きくはない的(しかも動く)に直撃してみせたのだ。
とても、たった2週間で体得した技だとは思えない。
「……どうでしたか? メイガ師匠」
隣で息を飲んでいたリン・メイガさんに尋ねる。どうだいフィリーの出来は? 素晴らしいだろう、ふはは。
「これはこれは……よくやったね、フィリー。上出来だよ。まさか雷法を2週間で会得するとは」
「スパルタでしたので」
フィリーがはにかむ。
「そんなに厳しくしたのかい? ストナード」
「いや、全然ですよ。フィリー自身が雷法と親和性が高かった故、ここまでの結果が出たかと」
「ふむ、親和性か。それもあるかもしれないね。雷の操作は、大したものだったから。
一つ難点を上げるとすれば、今のやり方だと魔力ばかり消費してしまうことだね。あそこまで自在に雷を操れるなら、今度から闘気と合わせて使うように心掛けてみるといい」
「合わせて、ですか?」
「例えば、闘気を軸にして、その外側に雷を纏わせるのさ。すると、雷法の攻撃範囲は広がるし、物理的な衝撃も加えられるから、一撃の威力が増すはずさね。
丸太だったら、バラバラに粉砕しながら雷で燃やし尽くすだろう」
「なるほど!」
「それは思いつかなかった……」
そんな使い方もあるのか。
闘気を満足に扱えない自分には不可能な芸当だが、フィリーならばできるだろう。
新たな修行の目標ができたためか、フィリーが握り拳をつくっている。微笑ましい姿だ。
「さて、フィリーの演目も見終わったことだし、ストナード、お目当ての話をしてあげようじゃないか。
どこで話をしようかね……?」
「ここでお願いします」
即座に、土魔法で椅子をつくった。
道場には入りたくない。
もう廊下を渡るときにお姫様だっこされるのは嫌だ。
「そうかいそうかい。フィリー、あんたはどうする? あんたも話を聞いてくかい?」
「はい、折角なので」
リン・メイガさんは頷いて、ボクがつくった椅子に座った。それに続いて、フィリーとボクも腰かける。
「さて…………ストナード、あんたは白魔法がどういうものか知ってるかい?」
「どういうもの……とは?」
「白魔法とは、あらゆるものを根源に還す魔法である、と習わなかったかい、ノルモン島で?」
「習いましたね」
他系統の魔法――火魔法・水魔法・風魔法・聖魔法は、物質を生み出すもしくは物質同士を結合させる作用を持つ。
一方で、白魔法は、物質を根源に還す。故に、白魔法は、魔法であれ物体であれバラバラに分解し溶解させることができる。
「上等上等。真面目に学んでいたようで何よりだよ、ストナード。
そもそも、人間は根源から遠い場所に存在する生物。最も新しくこの世界に現れたモノ、進化過程の最先端――それが人間。
本来、人間が白魔法を扱うってのは土台無理がある。
だから、白魔法を扱える人間は少ないんだろうね」
「……」
「あぁ、言い忘れたけど、あたしの白魔法に関する知識はほとんどゲイリーから教わったことだからね。
ノルモン島の長だった男の知識に間違いがあるとは思わないが、絶対に確実な情報だと太鼓判を押せる訳でもないことは承知しなよ」
「分かりました」
「で、話を戻すと、つまり人間は白魔法を巧く使えない生物なんだよ。
だから、人間から教わるべきじゃない」
「?」
「人間からじゃなく、妖精から教わるべきなのさ」
「妖精!?」
フィリーが妙に高い声で叫んだ。
「フィリー、なんでそんなに驚くんだい?」
「いえ、だって、妖精は絶滅したんじゃないのですか?」
「絶滅だって? あり得ないね、フィリー。妖精が絶滅する時には、人間も絶滅しているよ。あれは神に近い存在だ。
まぁ、この国にいたんじゃ妖精を見る機会なんてないから、絶滅だの何だの言いだす奴がいるってのは分かるがね」
「他の国には、妖精がいるんですか?」
「“天軸”を越えた先にある樹海の奥に、妖精の里がある」
「天軸!?」
「……」
フィリーが驚く一方で、天軸という言葉を知らなかったボクはきょとんとするしかない。
「おや、ストナードは知らないのかい?」
「はい」
「このトルカート王国を北上すると、とんでもない高さの大山脈がある。それこそ、山頂は雲を超えた遥か上にある。
天を支える軸のような大山脈、それがいつしか天軸って呼ばれるようになったのさ」
「並大抵の者では越えられないって話よ。山に踏み込めば、道中に人里なんか一つもないから休憩は取りにくいし、この国に棲息しているのとは比較にならない魔物がわんさかいるらしいわ」
要するに、かなり危険ってことか。
「その天軸を越えて、妖精の里に行けば、白魔法を教えてもらえるのか?」
「あんたが妖精と仲良くなれればね」
「OH……」
「なぁに、心配することないさ。あのゲイリーも、妖精から白魔法を教わったって言ってたよ」
「そうなんですか!」
あの無骨なジジイも仲良くなれたなら、大丈夫かな。
「なんでも、相手を怒らせちゃって、一ヶ月で里を追い出されたらしいがね」
「……何やったんだよ」
「ゲイリー曰く、ついつい尻を触ってしまってのぅ!――だそうだ。若い妖精は相当な美人らしく、つい出来心で手が滑ってしまったらしい」
擁護できない理由だった。
しかし、……そうか、美人か。
ゲイリーじいさんはすぐに教育的指導とのたまって子供を殴るクソジジイだったが、女性を見る目の素晴らしさだけは尊敬していた。
あのジジイが尻に手を伸ばしたとあっては、相当な美人だったと判断する他あるまい。
行くしかないでしょう、妖精の国へ。
「あたしは話はこんなところさ。ゲイリーによれば、白魔法は妖精に教わるのが一番いいらしい」
「なるほど……」
実に有益な情報だった。美人な妖精、これ以上に有益な情報はないだろう。
早速ボクは立ち上がった。燃えてきたぞい。
「すぐに出発するのかい?」
「そうですね、明日にでも出発しようかと思います」
「そうかい。また出発する前には声をかけてくれよ。天軸までの道のりを描いた地図をやるから」
「ありがとうございます。天軸までって、どれくらいの距離があるんですかね?」
「少なくとも1年はかかるだろうね」
「なるほど」
「じゃ、他に何か聞きたいことがあったら言ってくれ。あたしはやらなきゃいけないことがあるから、中に入るよ」
リン・メイガさんは立ち上がって、道場の中へと引っ込んでいった。
「明日出発なんて、随分急ぐのね」
「まぁな」
ボクがここに長くいたところで、できることは何もない。
ここは真剣に修行したい人達が集まっている場所だ。用がないなら、早くジェルドレア道場を出るのが賢明だろう。
しかし、手ぶらでは去らないぞ。
ボクはフィリーと向き合った。
「どうしたの? やけに真剣な顔して」
「フィリーにお願いがある」
「何?」
きょとんとしたフィリーの目を、まっすぐ見つめる。
スゥと息を吸い込んだ。
「一緒に来てくれないか?」
どもらずに言い切った。
「……理由を聞いていいかしら?」
「一緒にいてほしいから」
「……」
怪訝そうな表情を浮かべるフィリー。
何かミスったか?
「い、いや、違う……例えばな、……そう、魔法を教えられる! 雷法以外の魔法とか、ボクと一緒に来てくれれば、身に着けられるよ!」
「……答えになってないわよ」
他に、説得に使えそうな材料はあるだろうか? もっとよく考えてから勧誘するべきだった。
「あ、えっと……」
結局、どもることになってしまった。
「ふぅん、あなたでもアタフタすることがあるのね。脂汗かいてるわよ」
「……そりゃ、必死だからな」
「何故、私と一緒にいたいの?」
「…………そりゃ、一緒にいてくれると、ボクが嬉しいからだろ」
「嬉しいからって……。私が断ったらどうするの?」
「どうしよう……。無理やり連れて行くかな?」
「……メイガ師匠に止められるわよ?」
「勝てばいいだけの話さ」
「なにそれ、私に選択権はないじゃない」
フィリーは薄く笑った。
はぁ、やっぱダメだったか。
口ではああ言ったが、無理やり連れて行くなんてできっこない。
「じゃあ、仕方ないわね」
「……」
あれ?
「どうしたの? あなたに付いていってあげるのよ。何か言ったらどうなのよ?」
「……いいのか?」
「ええ。これでも元貴族ですからね、二言はないわよ」
一瞬、呆然となる。
その言葉が、頭では理解できているはずなのに、どうしてか実感が湧かなくて。
おそまつなお誘いになってしまった。
でも、フィリーは、了承してくれた。
「ありがとうっ!」
感激のあまり、フィリーに抱きつく。
ドガッ!
殴り飛ばされた。
一緒にいるのはいいけど、スキンシップはご法度らしい。