旅立ち
「ん? フィリーも一緒に旅立つ? あぁ、そうかい。勝手に行きな」
リン・メイガさんに、旅立つことを告げに来た。ついでに、フィリーがボクの旅に同行する旨も。
対するリン・メイガさんの反応は、とてもあっさりしたものだった。
っていうか、あっさりしすぎじゃないか?
「な! なんだってー!? フィリーとストナードは、いつの間にそんな仲良くなったんだい!? いやしかし、ストナードは爽やかなハンサムボーイだから、フィリーが惚れるのも無理はない! いい男を見つけてよかったな、フィリー!」みたいな反応を想定していたのに、肩透かしを食らった。
対するボクは、「安心して下さい、リン・メイガさん。フィリーは、必ずボクが幸せにします」と言うつもりだった。
せっかく用意していた言葉が無駄になってしまった。残念だ。
「メイガ師匠。あの、はなむけの言葉とかはないでしょうか?」
「はなむけ? 寝言は寝ていいな、フィリー。あんたの目的は復讐なんだろう? 不貞の輩と刺し違える予定の人間に、はなむけなんてあるわけないだろうが」
この人、相変わらず手厳しいな。
「いえ、あの、刺し違えるつもりではないのですが……」
「甘いねぇ、誰かを殺そうと思ってるのに自分の命を惜しむなんて。その見積もりの甘さは悪い癖だよ。ま、そこらへんはおいおいストナードに鍛えてもらえばいいさ」
え? ボク?
「ボクも、甘い考え方をする方だと思いますが……」
少なくとも、フィリーに世の厳しさを薫陶できるような老獪さは持ち合わせていない。
「ストナードはどっか抜けてるからねぇ。厄介事に巻き込まれそうな、そういうタチの悪さが見え隠れしてるんだよ。フィリーが苦労するのは目に見えてるね」
「ありそう……。その苦労、目に浮かぶわね……」
フィリーよ、ジト目でボクを見るなよ。ときめいちゃうだろ。
「そうだろう? せいぜい鍛えられるがいいさ、フィリー」
「いやいや、そんな面倒なキャラじゃないでしょう、ボクは」
リン・メイガさんとフィリーは、二人してボクをしばし見つめた後、目線を落として溜息をついた。
んんん? どういうことだろう?
フィリーは「世間知らずはこれだから」と呟き、リン・メイガさんは「白魔法を使う時点で目立つに決まってるだろうが」と言った。
何かよく分からないけど、ごめんなさい。
「で、ストナードとフィリーは、どこに向かうんだい? 天軸を越えて、妖精に会いに行くかい?」
「そのつもりです」
「そうかい……」
そう言って、リン・メイガさんは黙り込んだ。何だろう?
「そうだね……。フィリーは雷法に才能がある。だから、シュミの頂にも寄っていくといい」
シュミの頂?
「それはどこでしょうか?」
フィリーも知らない場所らしい。
「天軸をなす山脈の中で、一番の高い場所さ。単に天軸を越えるだけなら、シュミの頂まで行く必要はないがね」
ということは、わざわざ迂回して行くほどの価値があるわけか。
「そこには何があるのですか?」
「雷神が住んでいる」
「……は?」
「聞こえなかったかい? 雷神が住んでいるんだよ。世界を統べる12柱の一つが、シュミの頂にいるのさ」
雷神なんて初めて聞いたぞ……。
なんだそれは?
読んで字のごとく、雷の神様だろうか?
そんなのホントにいるのか? ほら、隣にいるフィリーもいつもの平静を失っているぞ。
「メイガ師匠。一ついいでしょうか?」
「何だい?」
「天軸のどこかに雷神がいる。そんな言い伝えは聞いたことがあります。その居場所が『シュミの頂』と呼ばれているとは初耳ですが。
ただ、私が以前聞いた話だと、雷神と話すには、雷神を殺さないといけないということだったのですが……」
「その通りさ。詳しいじゃないかフィリー」
……ん???
雷神と話すには、雷神を殺す…………?
殺しちゃったら、会話なんてできないだろ?
ナゾナゾか?
全く分からん……。
「表情を見ればストナードが何を考えているか分かるから言うけどね。
雷神は不死身で、殺されてもすぐに生き返るのよ。加えて、強い人間にしか心を開かないと言われているわ。
だから、己をも殺せる武人に対してのみ、生き返った後で口を開くという話よ」
①雷神に会う
②戦って殺す
③雷神が生き返るので、それから会話を始める
――ということか。……なるほど、いかにも面倒そうだ。
「雷神と聞くと、おっかなそうなイメージがあるが、実は結構いい奴さ」
リン・メイガさんは朗らかに雷神を褒めた。まるで旧友に対する言い草だ。
「……まさか、メイガ師匠は雷神に会ったことがあるのですか?」
「ああ、もちろん。きっちり心臓を潰してやったんだが、瞬き一つするうちに生き返ったよ。
まぁ、戦うとなるとちょいと骨が折れるが、話す分には気さくで楽しい奴だったね」
「……」
フィリーが呆れたような眼差しをリン・メイガさんに向けた。
「そんな簡単に雷神って殺せるもんなのか?」
「生身の人間では到底不可能だそうよ。私が聞いたところでは、雷の中を泳いでも平気じゃないと殺し合いの舞台にすら立てない、という話だったわ」
「なに、雷への対処なんて簡単だよ。闘気で全身を覆って雷を弾けばいいだけさ。あとはテキトーにぶん殴ればくたばる」
「……」
フィリーとボクは、示し合わせたかのように押し黙った。
リン・メイガさんはさも簡単そうに言うが、それって絶対難しいと思うんだ。
「雷神は気前のいい奴で、頼めば力をくれることもあるんだ。フィリーは雷法との親和性が高そうだから、せっかく天軸に行くなら、ついでにシュミの頂にも行った方がいいだろうね」
「……」
儲けものだろ?――と言わんばかりの表情をリン・メイガさんは浮かべているが、正直なところ同意できない。
話によると、四方八方から雷が襲ってくるらしい。
対処しきれるのか?
いや、無理だろ。
「そんな深刻そうな顔するんじゃないよ。ちょっと手出ししてみて、危なくなったら離脱すれば済む話さ」
「そ、そうですね…」
「フィリーには少々荷が重いかもしれんがね。ストナードには朝飯前だろうさ」
「何故ですか?」
「白魔法なら、雷神の雷も分解できるはずさ。なにせ、創世の魔法なのだから」
白魔法は他系統の魔法を分解できる。出力で負けなければ、他系統の魔法に対する白魔法の優位性は揺るがない。
魔法に限っての勝負であれば、白魔法は無敵だろう。
しかし、雷神の雷に対しても、同様に無敵なのか?
「リン・メイガさんは、白魔法が雷神の雷を分解するところを目撃したのですか?」
「いや、見てないよ。しかし、白魔法なら雷神に打ち勝てることは間違いない。そういう成り立ちだからね」
「成り立ち?」
「そういう世界の成り立ちなのさ。
……腑に落ちないって顔だね。
…………もしかして、ストナードは『受胎の啓示』を読んだことがないのかい?」
「何ですかそれ?」
リン・メイガさんとフィリーは、またもや二人揃って呆れたように溜息をついた。
田舎者なので世間知らずなんです。許してくれ。
フィリーの説明によると、『受胎の啓示』とは、この世界の成り立ちについて記されたもの(つまり神話)のことらしい。
そこには光も闇もなかった。
主が現れ、白い種を蒔いた。
地が生まれ、空が生まれ、光が生まれ、闇が生まれた。
彼らは受胎し、生と蜜をなした。
主は柱を立てた。空が落ちぬように。光が落ちぬように。
その柱の数は12本。
主は柱に褒美を与えた。
柱は力を与えられた。
力が載った天盤を離さぬように12柱に命じ、主は姿を隠した。
主は再び姿を現すと誓った。
再び白い種を蒔くために。
12柱は待つ、主の再来と終末を。
「――という短い話が『受胎の啓示』。有名だから、知っておいた方がいいわよ」
「なんかよく分からん神話だな」
いや、よく分からないのが神話ってもんか。
すごくよく分かる明快な神話なんぞ聞いたことないな。
「一応言っておくと、『受胎の啓示』に書かれていることは紛れもない事実だと伝えられているわ」
「……ふーん」
比喩としか思えない表現が多いし、元となった史実があってもおかしくはないな。
「もちろん、空想に過ぎないと言ってる歴史学者もいるわよ。
それに、『受胎の啓示』をどう解釈するかについても議論があって、一つの有力な説は、‟主”は古代に実在した強力な王を意味し、‟受胎した彼ら”は王子を生む後宮を意味しているというものね」
「すると、この“白い種”ってのは王様の――」
「オホン!」 とフィリーの大きな咳。
「――いや、何でもない」
ボクは静かに言葉を引っ込めた。
フィリーさんはあまり下ネタを好まないご様子だ。
「ストナードの考えたことも理解できるがね。一般的には、この“白い種”は白魔法のことだと言われている」
フィリーに注意されてシュンとなっているボクを見て、リン・メイガさんはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「見事に尻に敷かれてるじゃないか。いいザマだね」と言わんばかりの目つきだ。
尻に敷かれてるのは事実だけどさ。
「そして、“12柱”が与えられた力とは、すなわち白魔法以外の魔法だ」
「もしかして、その“12柱”の一つが雷神?」
「察しがいいね、ストナード。その通りさ。
白魔法は、あらゆる魔法を根源に還すことができる。『受胎の啓示』の記述に従えば、すべての魔法は“主”が用いた白魔法から派生したものだ。雷神の放つ雷も例外じゃない。
ならば、白魔法に対処できないはずがない」
「その『受胎の啓示』に書いてあることが正しいという証拠はあるんですか?」
「もし見つけたら、この国の歴史学の大家になれるだろうね」
つまり、ないってことじゃん。
「……もし雷神に白魔法が通じなかったらどうすれば?」
「戦場から離脱すればいいだろうが」
「雷神がいるシュミの頂って、天軸の頂上なんですよね? どうやって離脱するんですか?」
「…………ふむ」
黙りこくるリン・メイガさん。
「……」
答えを待つが、返事はない。
「……」
「……」
「……男は度胸だよ」
「いやいやいやいや!!」
「うるさい男だねぇ。もう話は終わりだよ。さぁ、とっととどっか行きな!」
えー……。
「メイガ師匠、話を止めないでください。このままじゃ怖くて、シュミの頂に行けません」
「フィリーとストナードなら、たぶん大丈夫だろうさ。勘だけどね。あたしの勘はよく当たるから問題ない」
そんなおざなりなことを言うリン・メイガさんを、フィリーと一緒に引き止めた。
このままだと、備えなしで雷神と戦わねばならなくなる。それは非常に困る。
その後、リン・メイガさんにあれこれ質問して、なんとか雷神との戦いに役立ちそうな情報を手に入れた。
白魔法が雷神に通じるかどうかは不明だが、少なくとも火魔法・水魔法・土魔法・風魔法は有効だと判明した。だいぶ不安は軽減した。
もちろん、シュミの頂を訪れないのが一番安全なのだろうが……。
だが、もし雷神とうまく話がつけば、フィリーが力を得られるかもしれない。
ならば……
雷神を殺す、それくらいが何だと言うのだろう? この程度の試練でへこたれるわけにはいかないだろう。
こんなかたちで、リン・メイガさんとの話は終わった。
挨拶も済んだので、ボクとフィリーはジェルドレア道場を発った。
まずはジェルドレア道場を囲う山々を抜けて、北西の方向にあるメイナス伯爵領に行く予定だ。
「期待してたわけじゃないが、見送ってくれる人はいないんだな」
「他の皆は修行中だもの。他事をするわけにはいかないわ」
「そういうもんか」
「別に、死にに行くわけでもないのに、見送られても気まずいじゃないのよ」
「……この道場に、未練はないのか?」
「あるわけじゃないじゃない。いきなりどうしたの?」
「……いや、ないならいいんだが」
「嫌ね、辛気臭くならないでよ。私はあなたと旅ができて嬉しいわよ?
ジェルドレア道場には思い出があるけど、あなたの隣にいる方が居心地いいもの」
「……」
フィリーを見る目が自然としばたたいた。
「……ありがとう」
「何が?」
「一緒に来てくれること、感謝してる」
「それを言うなら、私こそ感謝したいわよ」
「なんで?」
「あなたのおかげで旅立つ決心ができたのだもの。
いつかはジェルドレア道場を出なきゃいけないって思ってたけど、今までずっと決心がつかなかった。
きっとあなたがいなかったらなし崩し的に居続けたでしょうね」
「……」
「だから、あなたにはとても感謝してるの。
勝てるどうか分からないけど、雷神に会えたら、もっと強くなれそうだし」
「……そっか」
安堵した。
フィリーはどうしてボクに同行してくれるんだろう?――と、ボクは心のどこかで不安に思っていたんだろう。
ボクとの旅に同行してくれるというフィリーの決意が、本意からのものなのか、心のどこかで疑っていたのだろう。
フィリーには、申し訳ない限りだ。
ただ、……そうか、ボクの隣はフィリーにとって居心地がよかったんだな。
素直に嬉しい。
「あ、そうだわ!」
「どうした?」
「『谷越えの歌』を教えてくれるって、この前約束したわよね?」
「そうだったな」
食べるための獣を狩るため、初めて『谷越えの歌』を披露したとき、やたら感動したのか赤面したフィリーが『谷越えの歌』を教えてほしいと言ってたっけ。
「『谷越えの歌』なら、歩きながらでも練習できるし、我がそなたに教えて進ぜよう」
「ははー、おそれいります。ストナード教官」
冗談を交わしながら、メイナス伯爵領へと歩いていく。
「行ったか……」
道場の奥でリン・メイガは溜息をついた。
彼女の探知魔法は、2人がジェルドレア道場のある山を抜けたことを示していた。
トルカート王国随一の武道場の主である彼女は、あらゆる分野の魔法に精通しており、探知魔法にもその才の一端を発揮している。
およそこの世界のありとあらゆる場所での出来事を、彼女は正確に察知できた。
半径数キロメートル圏内なら、人々が織りなす会話の内容さえも聞き取れる。
ストナード・ガリシュがこの道場を訪ねてから、リン・メイガはずっと彼の動向を見張っていた。
彼の性格は穏やかで、魔法の練度は卓越していたから、フィリーに魔法を伝授してくれるよう頼んだ。
フィリーはこれまで一生懸命修行に励んできたが、最近壁にぶつかっていたから、白魔法という珍しい魔法を使うストナードと触れ合って、スランプから抜け出してほしいと思ったのだ。
しかし、見ず知らずの男に愛弟子を預けて放置するほど、リン・メイガは向こう見ずでもなく、はたまた薄情でもなかった。
この2週間、彼女はずっと、ストナードとフィリーを探知魔法で見張っていた。さすがに会話の内容まで覗いていたわけではないが、行動は暇なく見張っていた。
だから、2人が親しくなったことは知っていた。
フィリーはずっと、他の修行者とあまり仲良くしてこなかった。どこか孤高めいたところがあった。
それなのに、たった2週間前に来た男に、フィリーはほだされていた。
探知魔法を通してではなく、その目で実際に2人の修行中の様子を見たときは、その親しげな雰囲気に驚いたものだ。
見てると、ストナードはフィリーに惚れているようで、対するフィリーもまんざらでもなさそうだった。
――ああ、こりゃ、フィリーはストナードと一緒に旅立つだろうね。
そう確信すると、愛弟子が遠くへ行ってしまったようで、ざらついた寂寥感を覚えた。
2人はすぐに仲良くなったが、よくよく考えてみれば、別段不思議なことでもない。
2人とも、修行に対してはストイックな性質は似ているし、お互いがお互いの技量を認め合っている。ストナードは魔法に優れ、フィリーは剣と体術に優れている。一緒にいて、自分を高め合える仲というわけだ。
昨日はコルト町でデートをしていたようだ。かといって、恋の激情に駆られて周囲が見えなくなっているわけでもない。穏やかな親愛が2人にはあった。
ストナードが良い人間なのか、悪い人間なのか、それはリン・メイガには分からない。
相手を本性を見抜くことにかけては、彼女よりもフィリーの方が優れているだろう。人の内奥を見抜く観察眼において、かたや武のみを追求してきた人間が、かたや元は貴族として泥ま
みれの権謀術数を幼少より目の当たりにしてきた人間に勝る道理はない。
フィリーはストナードの人間性を信用した。
ならば、リン・メイガはフィリーの判断を信用するしかない。
しかし、リン・メイガがストナードに向ける本当の懸念は、その人間性ではない。
リン・メイガは見てしまったのだ。ストナードの『白虎』を。
最強の白魔法を。
かつてノルモン島の長であったゲイリーから聞いていた姿よりも、ずっと弱々しいものだったが。
ストナードの『白虎』は、見た目は白い霧の塊で、“生きている獣”という感じではなかった。
リン・メイガが聞いていた『白虎』は、血肉と白魔法が混ざって生まれた、聖獣とも言える存在だ。魔を払っても死なず、心臓を潰しても死なない。
使い手たる主を守り、主の敵に攻撃する。触れただけの相手の魔力を吸い取り、圧倒的なパワーで相手を押し潰す。
それが『白虎』のはず。
比べて、ストナードの『白虎』はひどく頼りないものだった。
だが、いくらストナードの『白虎』が弱々しくとも、看過はできない。
「2人目の、『白虎』か……」
この呟きが、リン・メイガの口から、一体幾度漏れただろう。
『受胎の啓示』曰く――
そこには光も闇もなかった。
主が現れ、白い種を蒔いた。
地が生まれ、空が生まれ、光が生まれ、闇が生まれた。
彼らは受胎し、生と蜜をなした。
主は柱を立てた。空が落ちぬように。光が落ちぬように。
その柱の数は12本。
主は柱に褒美を与えた。
柱は力を与えられた。
力が載った天盤を離さぬように12柱に命じ、主は姿を隠した。
主は再び姿を現すと誓った。
再び白い種を蒔くために。
12柱は待つ、主の再来と終末を。
『受胎の啓示』は、世界の始まりと終わりを記したものだ。
主が“白い種”を蒔いたとき、世界は始まった。
主が再び“白い種”を蒔いたとき、世界は終わる。
『白虎』は、その“白い種”なのだと、ゲイリーは恐れながら言った。
『白虎』を知るものは皆、その出現――つまりは世界の終焉――を恐れている。
過去数千年、『白虎』を扱えた白魔法使いはいない。
誰も目にしたことがないのに、『白虎』の言い伝えは残っている。
言い伝えなんて、普通は数十年で風化するものだ。
それが数千年も語り継がれるなんてあり得ないだろう、とリン・メイガは思っていた。
『白虎』という白魔法が本当に実在するのか、誰も証明できないのだ。それなのに、『白虎』の言い伝えは数千年という長きに渡って、口伝を通して今に伝えられている。
リン・メイガは、どこか不気味に思っていた。あるかどうかも分からないもの――リン・メイガからするとただの杞憂だが――を恐れ、警戒し続ける人々が、自分とは異質なものに感じ
られたのだ。
ゲイリーは大切な友人だったが、『白虎』を恐れている点に関しては、心の中で嘲っていた。
だが、ある日、リン・メイガが目を開かざるを得ない報告が舞い降りた。
――王宮に現れた少女『骸狩り姫』が、『白虎』を使って10万もの革命軍を殲滅した。
リン・メイガは長年ジェルドレア道場の主であったため、数えきれないほどの弟子が国中にいる。
その中の数人は、『骸狩り姫の降誕』の折に王都にいて、突如その時宮殿で解放された圧倒的な魔力に飛び上って様子を見たところ、確かに『白虎』を見たという。
人家並の巨躯を以て、白魔法が具現化した立ち昇る湯気のような気体をまき散らしながら、咆哮と伴に革命軍へと体当たりしたらしい。
数キロメートル離れたところから『遠視』の魔法を通して見ているだけでも伝わってくる圧倒的な魔力と、神聖かつ禍々しい外見は、まさしく伝説通りの『白虎』であった。
――と、弟子たちはリン・メイガに伝えた。
その報告を聞いたとき、リン・メイガは、『骸狩り姫』という得体の知れない存在が暴れまわり始めるのではないかと戦々恐々だったが、幸い、その後『骸狩り姫』は大人しくしている。
10万もの軍勢を全滅させた後にしては、その沈黙具合は腑に落ちないものだったが、かと言ってこちらから手を出すわけにもいかない。
悩んだ末、リン・メイガは様子見することとした。
そして現れた。
『白虎』を使うストナード・ガリシュという男が。
尋ねようかと思った。
――お前はどうして『白虎』を使える?
――お前の目的は何だ?
――お前と同様、『白虎』を扱える『骸狩り姫』という存在を知っているか?
――お前は、『骸狩り姫』の正体を知っているのではないのか?
だが、聞いて何になるのか?
ストナードが本当のことを言うかどうかも分からないし、何より、本当のことを聞けたとしてもリン・メイガにできることは何もない。
伝説の存在が出現したのだ。
リン・メイガに期待される役など、せいぜいがジェルドレア道場を守ることくらいだろう。いくら武人として腕が立っても、一個人が成せることは限られている。
「ストナード……どうか道を誤らないでくれよ……」
リン・メイガは、ジェルドレア道場を離れるわけにはいかない。
ストナードの動向は気になるが、お目付け役としてのフィリーの働きに期待するしかないのだ。
2人が旅立つ前に、ストナードには言っておいた。
「妖精に会うまで、『白虎』は使うな」
ストナードの『白虎』が、知られてはならない相手に知られたら、厄介な事にしかならない。
こんな忠告くらいしか、できることはないのだ。
一昔前には、その武によって名を馳せた強者も、老いてしまえばこの様か。
そんな自嘲にクツクツと笑いながら、しかしリン・メイガの胸中は凪いでいた。
幸か不幸か、伝説の力を持ってしまった少年と、
没落の憂目を負った、愛弟子たる少女。
傍から見れば、決して幸せではない2人。
しかし、リン・メイガの目には、2人は輝いて見えた。
2人の間には、既に、余人には図り切れない絆があるような気がした。2人が挫ける姿が想像できなかった。
それは、友情でも愛情でもなく、
偶然噛み合った歯車のように、手を伸ばした先にいた相手との星の巡りがもたらした繋がりだ。
彼らの幸せには、武が必要だ。
強くなることでしか己の道を拓けない宿命にある。
2人を不憫に思わないわけではない。
2人への懸念が消えたわけでもない。
「だけど、あの2人なら何とかなるだろうね。何が起こっても……」
その淡い期待は、リン・メイガの慎重な性格とはおよそ不似合であったが、紛れもない彼女の本心だった。




