旅の目的
フィリーも一緒に旅をしてくれることになった。
軽く見積もっても、これから1年間は一緒にいれるだろう。
もしかしたら、その間に甘い関係へと至れるかもしれない。ふほほ、腕が鳴りますな。
かれこれ18年、辺境の孤島で大した享楽も覚えずに暮らしてきたが、むっふっふ、あの苦節の日々がようやく報われるかもしれんぞい。
「私自身、前々からジェルドレア道場を出ることは考えていたのよね」
「そうなのか?」
「メイガ師匠に言われたのよ。私は魔法よりも剣術の方が得意だから、道場で素振りしてるよりも、旅に出て魔物を狩った方が余程経験になる、ってね」
「……そうかもな」
正直言って、今のジェルドレア道場でいくら修行しようと、剣術の上達なんて期待できないだろう。
他の修行者のレベルが低く、模擬戦闘の相手としては不足なのだ。
「もちろん、旅には心惹かれたわ。でも、そうは言っても、一人で異国に放浪する決心はなかなかつかなかったから……」
「そりゃそうだ……」
旅に出れば、絶えず周囲の気配を探りながら、剣を研ぎ、命の奪い合いに参加することになる。そんな苛酷な状況を一人で切り抜けるのは至難だろう。
パーティーを組んでいれば夜は交代で見張りにつけばいいが、一人で魔物の巣窟に踏み入ったら不眠か死だ。
「ストナードは、旅をした経験はあるの?」
「いや、ないな。これまでずっとノルモン島にいたし。島を出てからジェルドレア道場に来るまでの道のりは、まぁ、一人旅って言えなくもないけど、ほんの数日間のことだったしなあ」
「ノルモン島って、どんなところなの?」
「うーん、何の変哲もない島だぞ。住人のほとんどが白魔法使いってだけで、他は目立つ特徴なんてないと思う」
「何故、ノルモン島を出たの?」
「そりゃ、出たかったからだよ。まだ行ったことのない場所に行ってみたい、とかフィリーも思ったりするだろ?」
「ふーん。……私、やはりあなたと一緒に行くのやめようかしら」
「え? なんで?」
「あなた、嘘ついたでしょ」
「?」
「あなたは白魔法を上達させたいから島を出たんじゃないのかしら? そんなようなこと、以前言ってなかった?」
「……」
一瞬、言葉に詰まる。
「……その通りだ」
「ねぇ、私はこれからあなたと一緒に旅をするのよ? せめて、パートナーがどんな目的で旅をするのかくらい、知る権利があるわ」
「……」
正論だ。
「目的地は、妖精の里。あなたの白魔法をもっと強くするために。――これ以上のことを、私は知らないわ。あなたが強くなりたい理由、とか」
フィリーを見る。
強い意思を宿した瞳がそこにある。
「……そうだな。フィリーの言う通りだ。これまで言うのを避けてきたからな」
「ストナードって、自分のことを話したがらないものね」
「そうか?」
「そうよ。滅多に自分のことは喋らないじゃない。あからさまだったわよ」
自覚はなかったが、そうかもしれない。
これまでは話す必要のないことだったが、今は違う。
旅の連れとなってもらうのだから、ボクが白魔法を強くしたい理由を告げる義務があるだろう。
「……前にも言ったかもしれないが、ノルモン島には、今はほとんど人がいないんだ。
3年前に異国船が攻めてきて、かなりが死んだ」
「……」
突然何の話だろう?――という表情を一瞬だけフィリーは浮かべたが、すぐに真面目な趣に変わった。
黙って聞いているようなので、話を続けよう。
「異国船の襲来は、ブランダーク伯爵が革命を起こしてから数週間後のことだ」
話しながら、ボクは歩き出した。
ジェルドレア道場の前で、込み入った話をするのは気が進まない。道場の周りは修行者が沢山いて、喧噪に包まれている。静かな所で、話したかった。
ノルモン道場を中心に広がる平地を抜けて、森の中へと向かう。フィリーは黙ったままだ。
「ノルモン島にも、ブランダーク伯爵が革命を起こしたことはすぐに伝わった。さすがに騒然となったよ。
革命の騒ぎでトルカート王国の国力が落ちたら、隣国の侵略を許しかねないからな」
ここトルカート王国は隣国と平和協定を結んでいる。だが、誰もが弁えているように、平和協定なんて子供の口約束みたいなものでしかない。
平和協定があるから隣国は攻めてこない!――なんて考えている人間は1人もいないだろう。
内紛で国力が落ちれば、他国に侵攻されるのは自明の理だ。
だからこそ、革命の発起人たるブランダーク伯爵は、革命に貴族しか巻き込まなかったのだろう。商人や学会なども巻き込めば革命の成功はより盤石になったろうが、手勢を大きくすれば機動力が落ちる。
うかうかしている間に隣国に攻め込まれたらお終いだ。だから、味方につけるのは貴族だけに絞り込み、ブランダーク伯爵は性急に事を運んだのだろう。
ブランダークの手際が見事なものだった。そこには反論の余地はない。だが――
「案の定、隣国は攻めてきた。ノルモン島に」
ブランダーク伯爵が血気盛んだったために、ノルモン島は壮大な貧乏くじを引くことになった。
「一体どこの国が攻めてきたのか、攻撃目標地点はノルモン島だけだったのか、どうしてノルモン島を攻めてきたのか、今になっても不明な点は挙げればキリがないが、とにかくノルモン島に隣国が攻めてきた」
唇を噛む。舌の上を転がるのは鉄の酸味。
あの日の光景が、まざまざと甦ってくる。
水平線を覆い尽くしてもなお余りある大軍が、高潮を超えてやってきたあの日。台風が襲ってきていたにも関わらず、あの黒い船は転覆することも撤退することもなく、揚々とノルモン島の侵略を開始した。
一斉に大砲や攻撃魔法が撃ち込まれ、迎撃しようした島民は木端微塵に散っていった。
でも、悪夢はそれだけでは終わらなかった。
白魔法使いの手練れたちが異国船を破壊しようとした時に、船から一つの影が飛び出したのだ。
その影は赤い人形で、空に浮かび上がったまま、ノルモン島へと近づいてきた。
真っ赤に燃える無数の人形を配下に置き、人間離れした巨体に業火を纏い、見る者全てに恐怖を与えずにはいられない。
対して、ノルモン島の長であり最強の武人であったゲイリーは、人目見て危険と判るその男を早々に潰すべく、乾坤一擲の大規模魔法を放った。
しかし、奴の体から放出していた火焔が迫りくる白魔法を相殺し、反撃としてゲイリーの胸に掌底を叩き込んだ。ほんの一瞬のことだった。
ノルモン島の住人全てが見上げる中、ゲイリーの体は人間としてはあり得ない方向にねじ曲がり、加えて火焔に包まれて黒焦げになった。
ゲイリーの死を皮切りに、ノルモン島で武の誉れを欲しいままにしていた強者たちが、ドミノのようになぎ倒されていった。
あの炎の男は、たった一人ながら、人形を自在に操り、全身から炎をまき散らし、島民を易々と虐殺していったのだ。
ボクは何もできず、焦げた臭いに包まれながら、頭上の空中で知り合いが殺されていくのを、ただ見ていることしかできなかった。
あの日、胸中を占めた絶望と怒りは、必ずこの手でお返しして――――
「ストナード!」
「っ!」
思い出していた光景が霧散した。
ここは、……森の中だ。隣には、フィリーがいる。…………ここはノルモン島じゃない。炎も煙も、なかった。
気温が高いわけでもないのに、全身に汗がにじんでいる。
「ごめんなさい、余計な詮索だったわ」
「あ、あぁ、いや……」
フィリーに手を握られていた。
ボクの手を包んでくれている、剣を握ることに慣れた堅い掌は、ボクの体温より少し温かい。
「悪い、どうかしてたな」
「いいのよ。私がいらぬ事を聞いたから」
ボクが落ち着いたのを確認して、フィリーは握ってくれていた手を放した。
「ストナード、手! 血が出てるじゃない!!」
「え?」
フィリーは慌てた様子で、堅く握りしめていたボクの拳を解いていった。自分の拳のはずなのに、うまくその手が動かせなくて、拳は堅いままだ。フィリーは力づくでボクの掌を広げている。
フィリーの手も赤いが、ボクの手はもっと赤かった。爪が皮膚に食い込んだのだろう。
「はぁ、まだまだだな。ボクも」
手に治癒魔法をかけながら、ため息をついた。
あの悲劇は、もう3年も前のことだというのに。思い出すと、他の事に意識がいかなくなる。いつになったら折り合いをつけられるのか。
「ごめん、もう大丈夫だ」
「本当に?」
フィリーの瞳が揺れている。ボクは頷いて、話を続けた。
「ま、そういうわけで、ノルモン島は異国に攻撃され、あえなく全滅寸前の状態になった。
攻めてきた奴らがノルモン島に残らなかったのは幸運だったな。もし残留していたら、島民は本当に文字通り全滅してた」
「もういいわよ! やめましょう、こんな話。尋ねた私も悪かったわ」
「いや、大丈夫だから、続けさせてくれ」
ボクが、知ってほしいのだ。
フィリーは抗議の視線を送ってくるが、静かに見つめ返していると、やがてふいっと横を向いた。
「続き、聞いてくれるか?」
「……ご勝手に」
横を向いたままのフィリーは、しかし再度ボクお手を握ってきた。
「いきなり暴れ出したときは、私が抑えてあげるわ」
「……ありがとう」
「……ふん、強がりさんめ」
フィリーもこう言ってくれてることだし、続きを話そう。
「ノルモン島が襲われたのは一度きりだった。
すぐに革命が終わったからな、『骸狩り姫』のおかげで。隣国も、迂闊に手を出せなくなったんだろう。
ただ、ノルモン島の被害は甚大で、生き残ったのはボクを含めて20人もいなかった。もとは数万人が住んでいたのにな」
ここまで言って、思わず空を仰いだ。青い。
フィリーの手がぎゅっと握られた。こちらを気遣う不安げな瞳に、大丈夫だよ、と視線を返す。
「……異国船の襲来を受けてからしばらくして、ノルモン島の外にいた奴らも戻ってきてくれてな。生き残った人間で、島を何とか立て直した。
建てた家の数より、掘った墓穴の数の方が多かったのは、結構辛かったが。
ただ、ようやく生活の目途も立ったところで、看過できない情報が入った。
――ノルモン島の外で、白魔法使いが暗殺されている、ということだった」
「暗殺……?」
「おかしな話なんだ。島の外に出ている奴らは、誰もが高度な白魔法を修めている達人だ。
白魔法の防御は、常に途切れることなくその身を守る鉄壁の魔法。それを破って暗殺なんて、相当な手練れにしかできない。しかも、暗殺は1件や2件じゃなかった。仲間が調べたところ、島を出ていたうちの約半数が殺されていた。
だが、奇妙なことに、こんなにも沢山の白魔法使いが暗殺されているというのに、白魔法が使えない魔法使いはみんな無事だった。
つまり、敵の狙いは魔法使いの全員じゃなく、あくまで白魔法を使える人間ってことだ。
すると、疑念が湧いた。
何故、白魔法の使い手が暗殺されたんだ? その動機は? 白魔法に限らなければ、他にも強い魔法使いは山ほどいるというのに。
何故、異国船はノルモン島を襲ったんだ? その理由は? 他にも、攻撃目標の候補地はあったはずだ。ノルモン島が襲った連中の狙いは、このトルカート王国なのか? ブランダーク伯爵の革命につけこんだ侵略行為だと思っていたが、本当は白魔法使いを潰しに来たんじゃないのか?」
「……」
フィリーは静かに、ボクの話を聞いてくれている。
「ここまで考えると、あの革命にも疑問が残るんだよ。聞いたところでは、単に王位簒奪を目論んだブランダーク伯爵が起こした革命。
だけど、それは絶対に違う。
単なる偶然と片付けるには、おかしなことが多すぎる。ブランダーク伯爵の行動は、単なる革命じゃない。裏に、必ず何かがある。
真実を、ボクはつきとめないといけない。真実を知るまでは死ねない。……これが旅をする理由だよ。真実を知るには力がいる」
言い切ると、ボクは地面に視線を落とした。どうしてか、フィリーの顔を直視できなかった。
「……そう」
フィリーの言葉が耳に届く。
「納得したわ。あなたの目的」
いや、まだ話は終わってない。ボクが言いたいことは、まだあるんだ。
今度はボクが、フィリーの手を握り返した。
顔を上げ、フィリーの瞳を見つめる。
「旅の途中、ボクのところにも暗殺者が来るかもしれない。危険なのは分かってる。
でも、来てほしいんだ、一緒に!」
「……随分、私が同行することにこだわるのね」
「好きになっちゃったからな」
「……」
「……何か言ってくれよ」
「……ごめんなさい、ちょっと驚いてしまって」
「兆候はあっただろ?」
「兆候? 何の?」
「今までボクと接してきて、『あれ? コイツ、私のこと好きなんじゃ?』って思わなかった?」
「思わなかったわ」
「OH……」
「あなたは『フィリーが一緒にいてくれると嬉しい』って言ってたけど、それも単純に戦力の増強を見込んでのことだと思ってたわ」
「そんなわけねえよ……」
「私の何がいいのか、皆目見当つかないし」
「いいところ沢山あるだろ。できれば結婚してほしい」
「ひっ」
「……」
本気の悲鳴だった。落ち込む。
「そんな悲しそうな顔しないでよ。あなたが嫌ってわけじゃなくて、その……結婚なんて考えたこともなかったから」
「…………希望が全くないわけでもなさそうだな」
「旅が危険なことくらい承知してるし、あなたと同行するのに異論はないわよ。
それに、あなたの目的は、革命の謎を解き明かすことなんでしょう? なら、私の目的とも似通ってるし、協力するのは理に適ってるわ」
よかった……。
「あの、ちなみに、ボクはフィリーのこと好きなんだけど、フィリーはボクのことをどう思ってるんだろう?」
「友達の感情はあるけど、恋人の感情はないわよ」
「デスヨネー」
いいや、フィリーに同行してもらえるだけで、今のところは十分満足だ。