第零編:『リンド・トゥルペンフェルト』
俺はリュウ・センシャ。もっとも、それが本当の名前ではないし、本当の名前すら知らない。16歳。里親の家族が次々と虐殺されるという血塗られた人生を送ってきた。そしてある日、神は地球を滅ぼすことを決めた……俺だけを残して。
一人の少女――その正体は熾天使だった――が俺の手を取り、俺たちは光り輝く扉を通り抜けた。
その瞬間、呼吸が完全に止まった。無理やり息を吸おうとしたが、全く空気が入ってこない。
目を開けると、セラフが「さようなら」と言うかのように微笑みを残して消え去っていくのが見えた。そして、俺の周りにはただ暗く冷たい空間だけが広がっていた。
息もできず、この虚無の空間で窒息しながら、俺はただ周囲を見渡すことしかできなかった。
俺はある太陽系にいた。だが、俺の知っている太陽系とは違い、惑星は太陽の周りを円を描いて回っているのではなく、太陽を真ん中にして一直線に並んでいた。
地球に似た巨大な惑星が見える。だが、遠近感が狂っているせいで、地球より小さいのか大きいのか、本当の大きさは分からなかった。
ほとんどの惑星は俺の知る太陽系にとても似ていたが、9つではなく8つの惑星しかなかった。どのアステロイドベルト(小惑星帯)も存在しない。
そして……
体の中に激痛が走った。まるで内臓が内側から溶けていくような感覚。その痛みは耐え難いものになっていく。
窒息しているせいで叫ぶこともできない。それに……叫んだところで誰が聞いてくれる?宇宙空間では、音は一切伝わらないのだ。
そして……
自分の皮膚が焼け焦げ、溶け落ちていくのが見えた。骨がむき出しになる。痛みはさらに極限へと達していく。
そして……
俺の骨は蒸発した。
一握りの骨の粉になった。
そして……
俺は細胞に戻った。
「オギャァァァ!オギャァァァ!」
誰が泣いてる?誰かの泣き声が聞こえる。
「あなた、男の子ですよ」
今度は女が喋っている。
「オギャァァァ!オギャァァァ!」
この赤ん坊、泣き止む気配がない。イライラしてくるな。
「おお、マロデウオス神に感謝を!光は清らかに輝いております!チャールズ=リンド卿、ついに後継者が誕生いたしましたぞ」
今度は老人が喋り出した。それにしても、こいつらの言葉は全く意味不明だが、ドイツ語かゲルマン系の言語にそっくりだ。
「お母様、私にも弟を見せて!」
次はガキの番か。クソッ、俺はどこにいるんだ?真っ暗で何も見えない。
「ダメよ、メリッサ。伝統に従って、まずはお父様からよ」
「でも、早く見たいの!」
「マリーナのところへ行きなさい。貴族の森で待っているわ」
「パーティーなんて大嫌い」
「行きなさい」
ああ、ようやく目を開けられそうだ。
視界がぼやけている。
「オギャァァァ!オギャァァァ!」
相変わらず赤ん坊は泣き叫んでいる。
フィルターがかかったようにぼやける視界の中、緑の髪をした女と、赤毛の男の顔がかすかに見えた。その二人は笑顔で俺を見つめているようだった。
周りを見回すと、自分がベッドの中にいることに気づいた。木製の柵で囲まれた小さなベッド……まるで赤ん坊の揺りかごだ。
待てよ。俺が揺りかごの中にいて、赤ん坊の泣き声が聞こえていて、生まれたばかりの我が子を見るような目で二人の人間が俺を見つめているとしたら……。
それが意味するのは一つしかない。俺自身がこの赤ん坊なんだ。
つまり、俺は転生したってことか。
「オギャァァァ!オギャァァァ!」
どうりでこの赤ん坊の泣き声がやたらと近くで聞こえるわけだ……俺の泣き声なんだから。視界がぼやけていたのも、涙のせいだったらしい。
「チャールズ=リンド卿、儀式を始める準備が整いました。神聖ローゼンクランツ帝国の未来の皇帝を、民衆がお待ちですぞ」
あーあ、こいつらの言葉がさっぱり分からないのが残念だ。マスターするまでに数ヶ月から数年はかかりそうだ。
「ああ、行こう」
待て、なんでこのジジイは俺の脇の下を掴んで持ち上げてるんだ?どこへ連れて行く気だ?それに、まだへその緒がついたままだぞ!
「愛しのイヴィ、ついに私たちは男の子を授かった。おまけに光まで灯ったんだ」
「ええ」
ジジイは俺を黄金の扉へと向かわせた。黄金の鎧を着た衛兵がそれを開く。目の前に広がっていたのは、吊り橋のような形をした巨大なバルコニーだった。四隅には、黄金の鎧に身を包み、ハルバードを構えた衛兵たちが立っている。
修道士のような身なりをしたそのジジイは、吊り橋の先端へと俺を運んでいった。両親は俺の後ろに続き、さらに三人の少女――おそらく俺の姉たち――を伴っている。
修道士と俺はついに橋の先端にたどり着いた。奴は俺の脇の下を掴んだまま、空高く持ち上げた。そして、群衆のざわめきが聞こえてきた。
「親愛なるローゼンクランツの民よ!」
虚空の上に俺をぶら下げたまま、ジジイは演説を始めた。赤ん坊にとってこれは恐怖でしかない。泣き続けるしかなかった。
「オギャァァァ!オギャァァァ!」
「黒きルビーと第三の剣の日に、今日、誕生した!我らが偉大なる君主、神聖皇帝チャールズ=リンド・トゥルペンフェルトは、ついに偉大なるマロデウオス神より御教示を賜った。王座を継ぐ後継者が誕生したのだ!」
「ハイル・ディア、カイザープリンツ(万歳、皇太子殿下)!」
群衆が叫び声を上げた。繰り返すが俺には全く理解できなかった。だが、ゲルマン語に似ていることを考えれば、習得は早いかもしれない。
「これより、生命の茎を断ち切る」
待て、このジジイ何してやがる?なんで俺のへその緒を掴むんだ?
痛ッ!
「オギャァァァ!オギャァァァ!」
クソッ、へその緒を素手で引きちぎりやがった!クソ痛ぇ!
「貴族、平民、奴隷、女、異邦人よ……」
ジジイは言葉を切った。父親が俺たちの方へ歩み寄る。ジジイは俺のへその緒を親父に渡した。
「今日、汝らの皇帝であるこのチャールズ=リンド・トゥルペンフェルトが、これなるリンド・トゥルペンフェルトの生命の茎を汝らに授けよう」
親父は俺のへその緒を真下へと放り投げた。巨大な群衆がそれを奪い取ろうと全速力で殺到し、争奪戦を繰り広げている。
その後、俺たちは俺が生まれた部屋に戻り、俺は再び揺りかごに寝かされた。
どうやら、どこかの大帝国の皇太子として転生してしまったらしい。あとは、この世界に巨大な伝説の生き物がいるのか、それとも魔法が存在するのかどうかだ。
そういえば、玉座に座っていた別の種族の存在には気付いていた。月桂樹の冠を被ったエルフ。冠を持たない鹿の獣人。兜を被ったドワーフ。そして最後の一人は、緑色の肌でエルフのように尖った耳と出っ張った歯茎をしており――おそらくゴブリンだろう――骨の冠を被っていた。
ということは、この世界には人間だけじゃないってことだ。だが今のところ、魔法の兆候は見られない。
「オギャァァァ!オギャァァァ!」
ああ、また泣いてるわ俺。
「奥様、赤ん坊が用を足したようです」
「エルヴァ、頼むわね」
メイド服を着た黒髪の少女が近づいてくるのが見えた。だが、その胸があまりにもデカすぎて、顔が全く見えなかった。




