第1話 赤ちゃんだけど脳内女神と契約しました
暗闇だった。
一瞬前まで、俺は確かに生きていたはずだ。
でも今、身体が小さすぎる。手足がピクリとも動かない。視界はぼんやりとしか開かない。息をするのも、泣くのも、全てが本能任せ。
……これは、赤ちゃん?
「うわっ……マジかよ」
声が出ない。ただ心の中で呟いただけだ。
すると、突然、頭の中に明るく元気な女の子の声が響いた。
「あらあら~! やっと起きたん? ユウマくん、ええタイミングやわ! 待ってたで~!」
……誰だ?
「誰って、女神やん! リリアーナ! 通称リリちゃんでええよ~。関西弁でごめんな、ユウマくんが前世で関西出身やったから、親近感持ってもらおう思てわざわざ合わせたんや! どう? 親しみやすいやろ?」
脳内に直接響く声は、完全に元気いっぱいの関西弁だった。
俺は頭の中でパニックになった。転生? 女神? これはまさか異世界転生ものか!?
「正解~! ユウマくん、頭回る早いわ! ほな早速説明するで。
ここは『大和皇国』っていう超内向きの和風異世界や。着物に袴が普通で、城は天守閣スタイル。魔法はあるけど、ユウマくんは魔力ゼロで生まれてしもうたんよ。
でも安心して! あたしがチート能力あげるわ。『全言語翻訳家』! 古代語も魔獣語も神語も、人間が話すどんな言葉も完璧に訳せて、逆に話せるで!」
……翻訳家? 外交ゼロの鎖国国家で、そんな能力が役立つのかよ?
「そこはまあ、後で考えるとして! 問題は赤ちゃんやから、前世の知識がどんどん薄れていくねん。
あたしが脳内で常時チャットして、知識維持の手伝いしたる! その代わり……あたしの暇つぶし相手になってくれる? 毎日おしゃべりしたり、地球の話聞いたり、ユウマくんの推し活させてもらったり~♡」
女神リリの声が少し甘えた感じになった。
俺は(心の中で)深呼吸した。
これが転生の特典か。断る選択肢なんて最初からなさそうだ。
「わかった。やるよ」
「やったぁ! 契約成立~♡ ユウマくん、今日からあたしの推し決定や!」
その瞬間、頭の中に温かい光が広がった。
前世の記憶がぼんやりと固定されていく感覚。忘れそうだった常識や言葉が、しっかりと根を張る。
同時に、すぐそばで柔らかくて優しい声が聞こえた。
「あら……ユウマちゃん、目が覚めたのね。かわいいわ~」
母親の声だ。桜という名前だと後で知るが、今はただ温かい。
俺は本能的に口の端を上げた。すると、母親が目を細めて嬉しそうに笑う。
「まあ! 笑った! うちの子、天才かも! ねえ厳さん、ほら見て!」
父親の厳も駆け寄ってきて、珍しく柔らかい表情になった。
数ヶ月が過ぎた。
俺はもう少し身体が動くようになった。
這い回れるし、「アー」「ウー」くらいなら声に出せる。
母親の桜は毎日俺を抱っこして子守唄を歌ってくれる。着物の袖がふわりと香る。父親の厳は仕事から帰ると、俺の頭を優しく撫でて「頑張れよ、悠真」と呟く。
脳内では、リリが毎日大騒ぎだ。
「ユウマくん! 今日のママの着物、めっちゃええ感じやろ? あたしも着てみたいわ~!
ほんでほんで、この世界の常識教えてあげるで! 大和皇国は鎖国状態100年やから、外の言葉なんて誰も話さんねん。だから翻訳家は完全に不遇職扱いや! でもあたしがカバーしたるから安心して! 文官試験の時、あたしが全部耳打ちしたるわ。歴代最高得点で合格させてあげる!」
リリは本当に暇人だった。
俺が母親のおっぱいを飲んでいると「ユウマくん、幸せそうやな~♡」と実況し、
俺が父親の膝の上でうとうとすると「寝顔も推しポイント高得点! 写真撮りたいわ!」と絶賛してくる。
ある日、母親が俺を抱いて庭に出た。
桜の花びらが舞う中、俺はふと声を出した。
「……かぁ……」
母親が目を丸くした。
「ユウマちゃん、『かぁ』って言った!? お母さんのこと!? すごい!」
違う。桜の花を見て「綺麗だな」と思っただけだ。
でも母親は大喜びで父親を呼んだ。父親も珍しく笑顔で俺を抱き上げた。
脳内でリリが大爆笑した。
「アハハハ! ユウマくん、もう親孝行やん! あたしも一緒に頑張るで~。次は歩けるようになったら、私塾の勉強手伝ったる!」
俺は(心の中で)小さくため息をついた。
この女神、絶対に退屈しのぎで俺を推してる。
でも……温かい家族の声と、脳内のおしゃべり女神。
悪くない。むしろ、悪くない。
こうして、俺の異世界赤ちゃん生活は本格的に始まった。
女神リリとの契約と、優しい両親の温もり。
まだ何もわからないけど……なんとかなりそうだ。




