鏡のメンバー
さやかが交流会に現れなくなったのは、ある水曜日の夜からだった。
最初は体調かもしれないと思った。翌週も来なかった。静香はチャットでメッセージを送った。「最近見かけないけど、大丈夫ですか」。
返信が来たのは三日後だった。
「心配してくれてありがとうございます。
実は少し前に碧さんの個別セッションを受けて、その後から眠れなくて、会社も休んでしまって。
静香さんがセッションを受けたって話してくれてたから、私も申し込んでみたんです。
碧さんのことは好きだし、責めているわけじゃないけど……しばらく休みます」
静香は画面を閉じた。
しばらく動けなかった。
翌日、もう一度そのメッセージを読んだ。
静香さんがセッションを受けたって話してくれてたから。
自分がさやかに話した記憶はある。
あのセッションが良かった、碧さんはちゃんと聞いてくれる、と言った。
勧めたつもりはなかった。ただ話しただけだった。
でもさやかには、それが十分だった。
静香はサロンのチャット履歴を遡った。
さやかとのやり取りが並んでいた。碧の言葉の引用、問い、相槌。
スクロールするほどに、さやかがいつも同じ形で問いを立てていたことに気づいた。
「碧さんがこう言っていたから、こうすれば変われますか」
「セッションを受けたら、何か変わりましたか」
変えてもらえる、という前提が、いつもそこにあった。
静香はそれに気づいていたか。気づいていたかもしれない。
でも何も言わなかった。それどころか、頼られていると感じて、温かい気持ちになっていた。
さやかが頼ってくれることが、素直に嬉しかった。
もっと聞いて欲しかった、頼ってくれることに価値を感じていたのかもしれない。
その考えが浮かんで、静香はまた画面を閉じた。
責めているわけじゃないけど、という一文を、静香は何度も読んだ。
さやかは碧を責めていない、と書いている。
でもその言葉は、助けてくれないという気持ちを押し込めているように見えた。
それはかつての自分に似ていた。
松田に怒ったとき、「松田には分からない」と言いながら、本当は何かを押し込めていた。
静香は碧にメッセージを送った。
さやかのことを簡単に説明して、
「私が何か言ってしまったのかもしれません。碧さんは何か感じていましたか」と書いた。
送ってから、自分が何を求めているのか分からなかった。
謝罪してほしい?違う気がする。
それとも、あなたのせいではないと許されたいのか。
答えを求めているのはわかった。
返信が来たのは翌日だった。
「それは、静香さんにとってどういう意味がありますか。」
それだけだった。
静香はその言葉を何度も読んだ。
碧は逃げているのか。
それとも本当のことを言っているのか。
答えは私の中にあるのか——それも碧さんの言葉なのか、私から出てきたのかわからない。
ふと、33,333円のことが頭をよぎった。
あの金額は、何への対価だったのか。
使命に向かうための投資、と思っていた。
でも今、その言葉が少し遠かった。
ただ答えを聞きたくて払っただけではなかったか。
両方かもしれない、と思った。
碧の言葉はたぶん正しいのだろう。
でも静香が感じていることは、静香のものだ。
問いを問いで返すのは、答えは私しか出せないということなのか。
碧は誠実でない気もする、考えれば考えるほど、嫌なものが出てくる気がした。
その夜、静香は松田とのことを思い出した。
構造だけ見て判断するな、と怒った。
エビデンスで人の気持ちは測れない、とも言った。
でも静香は、ずっとジャッジしていた。
松田のことを「分からない人」と決めつけていた。
さやかのことを「まだそこまで来ていない」と思っていた。
新しいメンバーの疑問を「成長途中だから」と流していた。
全部受け入れる風で、何も受け入れていなかった。
松田が静香のこと、碧のことをジャッジしていると怒った。
でも静香がしていたことも、同じだったのかもしれない。
いや、もっと巧妙だったかもしれない。
松田は少なくとも、素直に考えていたことを言っていたと感じる。
私は素直に受け取ってはいなかった。
静香は、優しい顔をしながら、人を格付けしていた。
そんなことを考え始めると、胸が重くなった。
そんな思考を止めたい、そう願った。
さやかへの返信を何度か書いては消した。
「大変でしたね」は違う。
「碧さんのせいじゃないと思います」も違う。
「私も話してしまってごめんなさい」も、何かがずれている。
結局、こう書いた。
「ゆっくり休んでください。また話せる時に」
送ってから、これでよかったのか分からなかった。
でも他に言える言葉が、今の静香にはなかった。
返信は来なかったが、しばらくして通知は来た。
さやかがサロンを退会しました、と。
静香は画面を見た。それから、そっと置いた。
「ため息が出ちゃう」
実際は出ていないが、静香はそう呟いた。




