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エリスの元に届いたアドリアンからの手紙は、妙に素っ気なかった。
「エリスへ
周囲から交流を深めるようにと言われたため、観劇に誘うことにした。
お前はあまり興味がないかもしれないが、時間があれば付き合ってほしい」
彼らしいというか、余計な気遣いもなければ、甘い言葉のひとつもない。まるで公務の一環のような書き方だった。
けれど、エリスは手紙を読みながら、扇を軽くたたく。
「観劇、ですか……」
確かに、王宮での公務として舞踏会や式典に出席することはあっても、王太子と二人きりで観劇へ行く機会はなかった。
手紙の言葉通り、「周囲のものに尻を叩かれた」のだろう。両親や王妃、貴族たちが「もっと互いを知るべきだ」と言い聞かせたに違いない。
しかし、エリスがそれ以上に気になったのは、観劇の演目だった。
「——あら、これは……」
プログラムを確認すると、それは彼女がちょうど読んでいた恋愛小説を舞台化したものだった。
劇場の告知によれば、王宮貴族の禁じられた恋を描いた、情熱的な愛の物語。原作小説では、波乱に満ちた恋の駆け引きや、劇的な告白シーンが散りばめられており、読んでいる間も「これが恋というものなのかしら」と思ったものだ。
エリスは手紙を指でなぞりながら、ふっと小さく笑う。
——これは、少し楽しみかもしれませんわね。
アドリアンが選んだわけではなく、ただ「観劇に行けばいい」と言われた結果なのは明らかだったが、それでも、彼が誘ってきたことには違いない。
これまで「王太子妃としての務め」以外で彼と何かをする機会はなかった。それが今、「ただ二人で観劇へ行く」という形で誘われたのだから。
彼が何を考えているのかはわからない。けれど、エリスは手紙を改めて折りたたみながら、観劇の日を少しだけ心待ちにする自分に気づいた。
観劇当日、エリスは静かに鏡の前に立ち、自らの姿を見つめていた。
「エリス様、本日のドレスはこちらでよろしいでしょうか?」
侍女が淡いラベンダー色のドレスを差し出す。それは上品で落ち着いたデザインながら、動くたびに柔らかく揺れる軽やかな生地が特徴的だった。
「ええ、問題ありません」
観劇とはいえ、王太子との外出。華美になりすぎず、それでいて品位を損なわない装いを選ぶのが妥当だろう。
準備を終えたエリスは、公爵邸の玄関で待っていたアドリアンと合流した。
「……」
彼は、いつもの王太子の装いではなく、やや軽装な夜会服に身を包んでいた。もちろん王族としての品格はあるが、どこか普段の公務の場よりも柔らかい印象を受ける。
アドリアンもまた、エリスの姿を一瞥し、ほんのわずかに目を見開いたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻った。
「準備はいいか?」
「ええ。殿下も、観劇はお好きなのですか?」
エリスが問いかけると、彼は少し考え込んだ。
「正直、今まであまり関心を持ったことはなかったが……今回は誘うことになったからな」
「周囲の皆様に尻を叩かれた結果ですか?」
「……否定はしない」
エリスは微かに笑みを浮かべた。
「では、殿下も本日は勉強のつもりで楽しむとよろしいのでは?」
「勉強……?」
「ええ、私も最近、恋愛小説を読んで学んでいるところですので」
「お前は本当にそれを気にしているんだな……」
アドリアンは呆れたように呟いたが、エリスは真面目な顔のまま答えた。
「ええ。殿下も私も、恋とは何かを知らないまま育ちましたから、学ぶ機会は必要でしょう?」
アドリアンは言葉に詰まり、視線をそらす。
「……まあ、確かにな」
こうして二人は馬車に乗り込み、劇場へと向かった。
***
劇場はすでに多くの貴族たちで賑わっていた。王太子と公爵令嬢の来訪に、周囲の人々の視線が集まる。
エリスは慣れたものだったが、アドリアンは少し居心地が悪そうにしながらも、堂々とした姿勢を崩さなかった。
「お二人とも、どうぞこちらへ」
案内されたのは、王族用の特別席。広々とした空間に、ふたり分の座席が用意されている。
エリスが席につくと、舞台に目を向けた。
「殿下、今回の演目についてはご存知でした?」
「いや、特に聞いていなかった。お前は?」
「ええ。実は最近、原作小説を読んでいたのです」
アドリアンは驚いたようにエリスを見つめた。
「お前が?」
「ええ。恋愛の勉強の一環として」
「……本当にそれを気にしているんだな」
「気にしていますわよ」
彼女がきっぱりと答えると、アドリアンは小さく笑った。
「なら、感想を聞かせてもらおうか」
「殿下もご覧になれば、おわかりになりますよ」
ふたりのやりとりの間に、劇場の照明が落ち、幕が上がる。
華やかな舞台、情熱的なセリフ、交わされる甘い言葉——。
エリスは静かに舞台を見つめながら、これから自分がどんな感情を抱くのかを、ほんの少し楽しみにしていた。




