12
夜も更けた公爵邸の門前に、王太子アドリアンがいた。
「……本当に、いらっしゃるのですか?」
侍従が困惑した様子で問いかけるが、アドリアンは躊躇うことなく門を叩いた。
「俺は、今すぐエリスに会わねばならない」
常識外の時間だった。貴族の屋敷を訪れるにはあまりに遅すぎるし、何か緊急の用事があるわけでもない。ただ、ルイスの言葉が頭から離れず、居ても立っても居られなくなったのだ。
もし、エリスが先に「私は殿下に未練はありません」と結論を出してしまったら——。
それを想像するだけで、落ち着かなくなった。
数分後、夜着姿のエリスが、薄く羽織をまとった姿で応接室に現れた。
「……殿下、どうされたのですか?」
夜中に訪れたというのに、エリスは時間について何も言わなかった。ただ、整った仕草で椅子に座り、静かに彼を見つめる。
しかし、アドリアンはそんな彼女の落ち着いた態度に、さらに焦燥を感じた。
彼女は、本当に平然としている。
まるで、この状況すら何も気にしていないかのように——。
「……エリス」
「はい」
「お前は、俺がいなくても、もう何とも思わないのか?」
エリスは軽くまばたきをした。
「どうして、そのようなことを?」
「俺は、お前が王宮を離れてから、ずっと違和感を感じていた」
彼女は扇を軽くたたきながら、落ち着いた顔で彼を見つめる。
「その違和感とは、王太子妃の不在によるものですか?」
「……違うと思う」
アドリアンは、自分でも驚くほどはっきりと答えていた。
「俺は、お前がそこにいないこと自体が、どうしようもなく落ち着かないんだ」
エリスは、しばらく彼を見つめた後、ふっと小さくため息をついた。そして、顔を少し横にそらしながら、どこか不満げに呟く。
「もう……どんどん先を行かないでくださいよ」
むくれたようなその仕草に、アドリアンの胸がわずかに揺れる。
「……先を?」
「ええ。私はまだ恋とは何かを学んでいる途中なのに、殿下ばかりが、そんな恋愛小説の主人公みたいなことをおっしゃって」
彼女は、少し頬を膨らませるような表情を見せた。
それは、彼女が王太子妃としての立場を完璧にこなしていた頃には決して見せなかった仕草だった。
今のエリスは、王太子妃ではなく、ただのエリス・ロウェルとしてここにいる。
その表情が、なぜかアドリアンの胸を強く打った。
「……エリス」
「はい?」
「お前は、今……どう思っている?」
エリスは、彼をまっすぐに見つめる。
「まだ、わかりませんわ」
アドリアンの胸の奥が、わずかに疼いた。
彼女が、自分の気持ちをまだ決めていない。
それなら——。
「……俺が、お前より先に答えを出してもいいのか?」
エリスは驚いたように目を瞬かせた。
まるで、また恋愛小説の登場人物のようなことを言う、と言いたげに。
そして、少し視線をそらしながら、苦笑した。
「……もう、仕方ありませんね」
アドリアンの口元が、ごくわずかに綻んだ。
——どうやら、もう迷う必要はなさそうだ。




