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第9話 脅威の新人 デジタルネイティブスピーカー:花岡香織③

木曜日の午後3時、本社7階の第2会議室。新卒採用の最終面接。長方形のテーブルを挟んで、面接官側に香織と部長の岩下さん、応募者側に候補者が一人。


候補者は立花理沙さん。23歳、横浜大学経済学部卒業。紺色のスーツ、白いシャツ、控えめなメイク。でも目には自信が溢れている。明るくハキハキした話し方。履歴書を見ると、「人事データ分析ゼミ」「AIと組織行動の研究」「データサイエンス副専攻修了」という文字が躍っている。


香織は履歴書を見ながら、胸が重くなる。8年前、自分が就職活動をしていた時とは、求められるスキルが全く違う。


8年前。香織は大学4年生だった。就職活動の面接で聞かれたのは、「学生時代に頑張ったこと」「チームで協力した経験」「あなたの強みは何ですか」。エントリーシートには、サークル活動やアルバイトのエピソードを書いた。「コミュニケーション能力」「協調性」「前向きな姿勢」。それが評価された。


でも今、立花さんの履歴書に並んでいるのは、全く違う言葉。「データサイエンス副専攻修了」「Python、R言語習得」「機械学習プロジェクト参加」「論文発表3本」。デジタルポートフォリオのQRコード付き。


たった8年で、世界が変わった。求められるものが、根本から変わった。香織が学生だった頃、「AI」や「データ分析」なんて言葉は、一部の理系学生のものだった。でも今は、文系の人事志望者でも当たり前になっている。


( もし私が今、就職活動をしたら...内定をもらえるんだろうか...? )


岩下部長が基本的な質問をする。志望動機、学生時代に力を入れたこと、将来のキャリアビジョン。立花さんは淀みなく答える。内容も具体的で、説得力がある。


香織の番が来る。香織は恐る恐る質問する。「立花さんは人事データ分析を専攻されていたそうですが...ピープルアナリティクスについて、どのようにお考えですか?」


週末に必死で勉強した言葉。テキストを何時間も読んで、ようやく使えるようになった専門用語。香織にとっては精一杯の質問。


立花さんの目が輝く。「はい!データドリブンな人事戦略は、今後絶対に必須だと思います!」と身を乗り出して答える。


「エンゲージメント指標とパフォーマンス指標の相関分析から、組織の生産性向上につながるインサイトが得られますし、特に機械学習を使った離職予測モデルとか、めちゃくちゃ面白いんです!」


流暢に、楽しそうに語る立花さん。専門用語が自然に口から出てくる。まるで母国語を話すように。


「特にAIを活用したセンチメント分析や予測モデリングは、従来の定性的アプローチでは見えなかった課題を可視化できるんです。私、大学のゼミでまさにそれを研究してたんです!」


「具体的には、社内コミュニケーションデータをNLP—自然言語処理で分析して、チームの心理的安全性をスコア化する研究をしていました。結果、心理的安全性が高いチームほど、イノベーション指標が23%高いという相関が見られて」


香織は静かに頷きながら聞いている。でも内心は動揺している。立花さんが話している内容の半分以上が理解できない。「NLP」って何?「心理的安全性」って聞いたことあるけど、具体的には?「イノベーション指標」ってどうやって測るの?


香織が数時間かけて、辞書を引きながら理解しようとした内容を、立花さんは自然に、生き生きと話している。しかも、香織のテキストには載っていない、もっと高度な内容。


( …信じられない。まるで違う国から来たみたい。 )


8年という年齢差。たった8年。でもこの8年が、デジタルネイティブ世代とアナログ世代の、決定的な差に感じられる。


面接が終わる。立花さんが会議室を出た後、岩下部長が満足そうに言う。「優秀な子だね。即戦力になりそうだ。データ分析もできて、コミュニケーション能力も高い。うちの人事部に欲しい人材だ。採用するように人事部に言おう」


香織は笑顔で同意する。「そうですね。素晴らしい方でした」。でも心の中では、不安が渦巻いている。


(とんでもないことになった。なんという新人だ。彼女がここにやって来るとは。私も何か頑張らないと。何か、何か… )


岩下部長が香織に聞く「彼女が入社したら、花岡さんにインストラクターをお願いしたい。1年間はペアとして彼女に仕事を教えてあげて欲しい。頼めるかな?」


香織は笑顔で答える。「もちろんです。お任せください」


部長が去った後、香織の笑顔が消える。そして香織の中で時が止まる。廊下の窓から、東京の街並みを見下ろす。高層ビルの間を、小さな人々が歩いている。


( えっ……インストラクター...? えっ…私が??誰に? )


心臓の鼓動が早まる。人事データ分析、AI活用、NLP。立花さんが持っている知識の、どれ一つとして香織は教えられない。むしろ逆だ。彼女が、私のインストラクターになるべきなのではないか。


( 失望させてしまう。絶対に。「花岡さん、8年も先輩なのに全然詳しくないんですね」って思われる。勉強しなきゃ。今すぐ、何か勉強を... )


しかし何も思い浮かばない。勉強しなければと思うのに、その「勉強」が何を指すのかさえ、わからない。


( あれほどまでの差を見せつけられて...私は、一体どこから始めればいいの...? )


香織は椅子に座ったまま、呆然とパソコンの画面を見つめている。そこには、立花さんの履歴書。輝かしい経歴、資格の数々。


ふと思い出して、香織は引き出しから「新入社員インストラクターマニュアル」を取り出す。3年前に人事部で作成したもの。表紙には「新入社員を一人前に育てるために」と書かれている。


ページをめくる。「第1章:社内ルールの説明」「第2章:基本的なPCスキルの指導」「第3章:電話応対・ビジネスマナー」「第4章:社内システムの使い方」。


香織の手が止まる。このマニュアル、立花さんには全く役に立たない。社内ルール?ビジネスマナー?基本的なPCスキル?立花さんが必要としているのは、そんなことじゃない。


立花さんが求めているのは、最新のデータ分析手法、AIの活用方法、人事戦略の実践。でも、このマニュアルには何も書いていない。香織自身も、教えられない。


( このマニュアル、いつの時代のものなんだろう...たった3年前に...でも、もう古い... )


立花さんからみれば、私はこのマニュアルのような古ぼけた存在なのではないか。


—終わる、このままだと終わる。


AIに、そして新人に、自分の存在意義がかき消されていく。


窓の外を見る。夕日が沈むにつれ、東京の高層ビル群をオレンジ色に染めている。美しい光。


その光に照らされて、香織の影がどんどん長くなっていく。まるで、自分の存在が薄く、透明になっていくような感覚。そしてそのまま限りなく薄くなって、暗闇に溶けていった。


続く

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