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第29話:AIが進化しても、人間にしかできない確かなこと:花岡香織⑨

月曜日の朝8時30分。人事部のオフィス。香織がPCを立ち上げると、メールボックスに2通の未読メッセージが届いている。


1通目——差出人は営業部の林さん。あの日の相談者だ。香織は——胸がドキッとする。


「花岡さん、ご無沙汰しております。あの時、親身に聞いてくれて救われました。上司との関係について悩んでいた私を、優しく導いてくださいました。あれから、心が軽くなり、少しずつ自分のコミュニケーションを変えていくことができました。今では上司とも良好な関係を築けています。そして——今期、営業成績でMVPをいただきました。本当に、本当にありがとうございました」


香織は——あの日のことを思い出す。林さんが相談室に来た時の、疲れ切った表情。上司の言葉に傷ついて、退職も考えていた。でも——話を聞いて、受け止めて、親身になって相談に乗った。それが——こんな結果に繋がっている。


2通目——差出人は経理部の田村さん。彼女も、あの日の相談者だった。


「花岡さん、覚えていらっしゃいますか。経理一筋の38歳でキャリアチェンジを悩んでいた私に、『今からでも大丈夫です』と話を聞いてくださいましたね。あの後、自分が本当にやりたかったデータ分析の資格を取得しました。そして部署異動を申請して、今は財務企画部でデータ分析の仕事をしています。毎日が——こんなに楽しいなんて。感謝の気持ちでいっぱいです」


香織は——涙が出そうになる。田村さんは、あの時、諦めることも考えていた。でも——話を聞いて、励まして、選択肢を提示した。それが——彼女の人生を変えた。


香織は二通のメールを印刷し、岩下部長のデスクへ向かう。部長は、メールを読んで満足そうに頷く。「ありがとう。忘れていた何かを思い出したよ。人事相談の価値はこれなのかもしれないね」


香織が席に戻ると——ふと、先週の陽との会話が心に響く。


金曜日の夜、カフェ・クロスロードで。陽が言った。「SNSって便利だけど、やっぱり最後は直接会って話を聞いてもらう方がいい。画面越しのコメントより目の前の『大丈夫』の方が心に響く」


( AIにできない「人間の温もり」——それが、やはりそれが私の価値なんだ。 )


***


翌日の火曜日、午前10時。役員会議室で、香織と立花がプレゼンテーションを行う。


大きなテーブルの周りに、役員たちが座っている。常務、営業部長、経理部長、IT部長。岩下部長も同席している。


「それでは、始めます」香織が深呼吸をして、スライドを映す。「過去3年間の退職者80名の面談録を分析した結果を報告いたします」


立花がグラフを説明する。「80件中、76件——95%が、3つの要素の内2つ以上が満たされずに転職していました。1つだけの不満で退職したのは、わずか4名です」


役員たちが——目を見張る。興味深そうに画面を見ている。


香織が続ける。「そして、最も多かった不満は『仕事内容』で66名、82.5%。次に『人間関係』が48名で60%、最後が『給料』で42名、52.5%でした」


営業部長が質問する。「つまり、仕事内容の適正配置が最優先ということですね?」


「はい」香織は頷く。「まず、仕事内容が合っているか。これを全部署で調査することを提案します」


経理部長が言う。「給料水準が低く出た我々経理部門については、市場とのベンチマーク比較が必要だな」


香織が答える。「はい。人間関係については、引き続き相談窓口での対応を強化します」


役員たちが——次々と頷く。データが——説得力を持っている。


そして——常務が口を開く。「花岡さん」


香織が——緊張して常務を見る。


「君の8年間の人事面談の蓄積があってこそのデータだ。一人一人に向き合ってきた時間が——この結果に繋がっている。またメールの話も岩下君から聞いたよ。やはり——人事相談は、人間が行うべきだな」


香織の目に——涙が浮かぶ。認めてもらえた。自分の仕事が、価値あるものだと。8年間、一人一人に向き合ってきた時間が——無駄じゃなかった。


***


週末の土曜日、午後2時。上野の国立科学博物館。香織は翔の勧めで訪れている。


「時代の変化のスピードが急なのは今に始まったことじゃない。歴史を見ると面白いよ」翔がクロスロード組のチャットで言っていた。「香織さんも、一度見てみるといいかも」


館内は——静かで、落ち着いている。春の午後の光が、展示室を照らしている。


特別展「人類の進化——200万年の旅」。香織は、一つ一つの展示を見ていく。


原始時代——石器を使い始めた人類。火を発見し、言葉を生み出した。


農耕時代——土地を耕し、定住を始めた。文字が生まれ、文明が発展した。


産業革命——機械が登場した。多くの人が「仕事を奪われる」と恐れた。でも——新しい職業が生まれ、人類は進化した。


そして現代——AI、デジタル化、グローバル化。また同じように、恐れる人がいる。でも——


展示パネルに、一つの言葉が書かれている。「人類は常に変化に適応し、進化してきた。変化こそが、人類の力だ」


香織は——その言葉の前で、長い時間立ち止まる。


翔の言葉が蘇る。「変化を恐れるんじゃなくて、適応していく。」


( AIは——敵じゃない。人類は常に、新しいものを受け入れて、適応してきた。産業革命の時も、そうだった。私も——適応できる。いや、適応するだけじゃない。AIと一緒に、新しい価値を作れる。 )


香織は——心が軽くなるのを感じる。恐れが——少しずつ消えていく。


***


週明けの月曜日、午前9時。常務が香織を呼ぶ。常務室のドアをノックする。緊張する。


「どうぞ」


香織が入室すると、常務が笑顔で迎えてくれる。「花岡さん、座ってください」


香織が——緊張しながら椅子に座る。何の話だろう。


常務が、真剣な表情で言う。「花岡さん、『AIと人間が協働する次世代人事システム』プロジェクトのリーダーを——あなたに任せたい」


香織は——息を呑む。プロジェクトリーダー? 私が?


「君の人事相談の経験と、AI活用への理解。そして、立花さんを含めたデータ分析力。この三つを組み合わせれば、素晴らしいシステムができると思う。人間にしかできない温もりと、AIの効率性。両方を活かせる人事システムを、君たちなら作れる」


香織は——胸が熱くなる。期待されている。信頼されている。そして——自分も、やってみたい。AIを恐れるのではなく、一緒に働きたい。


「ぜひ——やらせてください」香織は深く頷く。


常務が笑顔で言う。「期待しています」


***


その日の夕方5時。人事相談室。夕日の木漏れ日が部屋をオレンジ色に温かく照らす。


香織と立花が、並んで座っている。二人の前には、空の椅子が二脚。次の相談者を待っている。


人事部にとって、人事相談という現場が一番大切。その根本は決して変わらない。


静かな時間。穏やかな空気。


コンコン——扉がノックされる。


香織と立花が顔を見合わせて、微笑む。そして——声を揃えて言う。


「どうぞ」


扉が——ゆっくりと開く。夕日が廊下から差し込む。新しい相談者が、一歩、部屋に入ってくる。


新しい物語が——また始まる。人と人が向き合い、心が触れ合い、温まり、未来が生まれる。


AIがどれだけ進化しても、この温もりは——なくならない。


続く

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