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第27話:自分がどう思わるか。それよりも大切なこと:白石陽⑨

プレゼンの1週間前。金曜日の夜10時。陽は自宅のデスクでスマホを手に取る。


来週のグリーンテックへのプレゼンのことを考えると、胸が苦しくなる。原稿も書けない。聴衆は50人。新規取引で、会社としても重要な案件。大きな会議室で、50人の視線が一斉にこちらを向く——想像するだけで息が詰まりそうになる。どうしたらいいのか分からない。一人で悩んでいても答えが出ない。


ふと、陽は3人のグループチャットを開く。「クロスロード組」。私もここに相談してみよう。


陽は躊躇しながらもメッセージを打つ。


【陽】こんばんは。夜遅くにすみません。来週、大口クライアントにプレゼンがあるんです。グリーンテックという企業で……新しいマーケティング戦略の提案をするんですが、聴衆が50人もいて、どうしても緊張してしまって。会議での発言は少しずつできるようになってきたのに、こんな大人数の前でのプレゼンとなると——想像するだけで息ができなくなって。お二人に何かアドバイスをいただけたら嬉しいです。


送信ボタンを押す。すぐに「既読」マークがつく。数分後、翔から返信が来る。


【翔】陽さん、こんばんは。先日はありがとうございました。プレゼン、頑張ってるんですね。僕は今、営業でプレゼンすることが多いですが、あまり緊張しなくなりました。慣れもありますが……一つ質問していいですか? そのプレゼン内容は、相手の会社にとって本当に良い提案になるという確信はありますか?


陽は画面を見つめる。確信……?


【陽】言ってみないと分からないですね。うちの会社が進めている戦略を、グリーンテックに合わせて少し調整して提案する形なので……


少しして、翔から返信。


【翔】おそらく、それが答えではないでしょうか。相手に必ず役に立つという確信がないから、緊張するんだと思います。厳しい言い方になるかもしれませんが、プロ意識を持って企業分析をもっと徹底的にやって、相手が今、何に困っているのか。その困っているであろうことに、具体的にどうアプローチできるのか。結果として、「これなら必ずお役に立てる」と確信を持つまでやる。それが緊張しないための一つの回答だと思います。

営業で大事なのは、相手の視点に立つことです。こちらが売りたいものじゃなくて、相手が求めているものを理解する。そうすると、成約率も上がるし、何より相手に喜んでもらえる。それが一番嬉しいんです。


香織からもメッセージが入る。


【香織】翔さんの言う通りだと思います。「こんな提案をして、自分がどう思われるか」という内向き志向ではなく、「この提案で、相手の役に立ちたい」という外向き志向が大切なのかもしれません。私は人事相談では、外向き志向しかないんです。相手の悩みを解決したい。その一心だけで話しているから、緊張しないんだと思います。


陽は二人のメッセージを見てハッとした。自分は——ただ会社から用意された提案を、どう上手に話すかだけに囚われていた。プレゼンの技術。話し方のテクニック。相手の反応をどう受け止めるか。すべて「自分」が中心だった。


でも違う。もっと自分で分析して、相手の役に立とうという姿勢を強く持つこと。それが本当に大切なことなんだ。


【陽】お二人、ありがとうございます。目が覚めました。週末、徹底的に調べてみます。相手のために。


【翔】応援してます!


【香織】頑張ってください! 結果、教えてくださいね。


( 内向きじゃなくて、外向き。相手のために。 )


***


その後の1週間、陽は徹底的に調べた。


グリーンテックの事業内容、経営理念、過去3年間の業績推移。競合他社の動き。業界全体のトレンド。SNSでの評判、顧客の声。過去のニュース記事、プレスリリース、IR資料。


深夜まで資料を読み込み、分析を重ねる。ノートにメモを取り、関連性を整理していく。疲れて目が霞むこともあったが、不思議と苦にならなかった。むしろ、だんだんと楽しくなってくる。


そして——気づいた。


グリーンテックが本当に困っているのは、会社が想定していた「認知度の低さ」ではない。データを見れば明らかだ。顧客からのレビューや口コミは多い。認知はされている。


問題は、「既存顧客のリピート率の低下」だ。初回購入率は高いが、リピーターになる割合が年々下がっている。つまり、商品の魅力ではなく、顧客との関係性が弱いのだ。


陽は深夜、ノートを見つめながら確信する。提案内容を大幅に修正しよう。新規顧客獲得ではなく、既存顧客との関係強化。SNS広告の拡大ではなく、メールマーケティングの最適化とコミュニティ運営の強化。


これなら——必ずお役に立てる。陽は心の底から、そう思えた。


***


プレゼン当日。木曜日の午後2時。グリーンテック本社の会議室。


扉を開けると、目の前に広がったのは——50人分の視線だった。会議室は予想以上に大きく、座席が階段状に配置されている。後方まで人が座っている。マーケティング部門の全員が集められたらしい。部長、担当者、若手社員、管理職。すべての視線が、入ってきた陽に向けられる。


足が震える。息が浅くなる。心臓が激しく鼓動している。手のひらは汗でびっしょりだ。


( 50人——こんなに多いなんて。逃げたい。どこか遠くへ。 )


でも——ここまで来て、逃げるわけにはいかない。会社の期待も背負っている。何より、翔の言葉を思い出す。「相手のために。役に立つ提案を」。


陽は深呼吸をして、前に進む。マイクを手に取る。スライドを映す。部長が「どうぞ、始めてください」と促す。


「本日は……」声が震える。「お時間をいただき、ありがとうございます」


50人の視線が、まっすぐこちらを向いている。あまりにも多い。圧倒される。目が合うと、心臓が跳ねる。資料のページをめくる手も震える。


最初の3分は、地獄のようだった。声が小さくなる。言葉が出てこない。何度も「えっと」「あの」という言葉でつまる。部長の表情が曇る。何人かが時計を見る。


( ダメだ。失敗してる。みんながそう思っている。 )


でも——そこで、もう一度、思い出す。翔の言葉。「相手の問題を理解して、役に立つ提案を」。香織の言葉。「外に向かう」。


そうだ。今、大切なのは——自分がどう見られるかじゃない。この50人に、どうやって伝えるか。どうやって役に立つか。


陽は意識を切り替える。視線を資料から上げて、前列の部長を見る。そして、ゆっくりと話し始める。


「御社の現状を——徹底的に分析させていただきました」


声のトーンが少し落ち着く。部長が顔を上げる。


「過去3年間の業績推移、顧客レビュー、SNSでの評判、競合他社の動き……すべてを見させていただきました。そして——気づいたことがあります」


スライドを切り替える。データが映る。部長の目が鋭くなる。何人かが身を乗り出す。


「御社が抱えている本当の課題は——新規顧客獲得ではありません。既存顧客のリピート率の低下です」


50人の空気が変わる。ざわめきが起きる。何人かが頷いている。メモを取り始める人が増える。


陽の心が弾む。届いている。伝わっている——50人全員に。


「そこで、既存顧客との関係を深めるための3つのステップをご提案します」陽は資料を開く。


その瞬間——急に、体中から汗が噴き出す。額から、背中から、手のひらから。まるで体が悲鳴を上げているようだ。心臓が激しく鼓動する。


( やばい。緊張してる。50人が——。 )


でも——次の瞬間、不思議なことが起きる。噴き出した汗が、スーッと引いていく。額の汗が、背中の汗が、手のひらの汗が——引いていく。そして、それに合わせるように、緊張も一緒に引いていく。


陽は深呼吸をする。視線を資料から上げて、50人を見渡す。もう怖くない。この人たちに、役に立つ提案を届けたい——ただそれだけだ。


陽の声は、もう震えていない。そして一つ一つ丁寧に説明していく。


準備してきた数字、具体的な施策例、他社での成功事例。前列の部長が頷く。後方の若手社員たちも真剣な表情で聞いている。


30分後。プレゼンが終わる。


陽が最後のスライドを閉じると、静寂が訪れる。50人全員が、じっと陽を見ている。数秒の沈黙——それが、とても長く感じる。


そして——部長が口を開く。


「白石さん、素晴らしい提案でした」部長の声が会議室に響く。「これまで多くの外部コンサルタントから提案を受けてきましたが、ここまで深く私たちの課題を理解してくれた方は初めてです。既存顧客のリピート率——まさに、そこが私たちの最大の課題でした。それを、ここまで具体的に、実行可能な形で提案していただけるとは。本当に感謝します」


部長が立ち上がり、50人全員に向かって言う。「皆さん、この提案を社内で真剣に検討しましょう。白石さん、第二回の打ち合わせで、さらに詳しく話を聞かせてください。前向きに進めたいと思います」


会議室を出た後、50人の拍手に送られながら——陽は信じられない気持ちだった。あんなに大勢の前で、伝えられた。同行していた山田部長が嬉しそうに言った。「陽さん、大きく成長したね。相手のことを本当に考えていた。あのプレゼン、素晴らしかったよ」


陽は「ありがとうございます」と答えながら、心の中で思う。


( 50人——あんなに大勢の前で。緊張はした。足も声も震えた。でも、伝えたいという思いがあった。それが私を支えてくれた。相手のために——ただそれだけを考えた。 )


***


その夜、陽はグループチャットに報告する。


【陽】今日、プレゼンが終わりました。50人の前でした。最初は本当に怖くて、声も震えて。でも、相手のために伝えたいという思いがあって、それが支えになりました。前向きに検討していただけるそうです。お二人のアドバイス、本当にありがとうございました。


【翔】おめでとうございます! さすがです。


【香織】素晴らしい! 陽さん、本当に成長しましたね。


***


翌週の月曜日。全体会議。マーケティング戦略の議題。


会議室には15名ほどが集まっている。山田部長が議題を説明した後、尋ねる。「次のキャンペーンについて、意見がある人は?」


陽は——深呼吸をして、手を挙げる。心臓がドキドキする。緊張する。


でも、それでいい。


「グリーンテックでのプレゼンから学んだことなのですが」陽は声を出す。少し震えているが、確かに届いている。「既存顧客へのアプローチも重要ではないかと思います。具体的には、購入後のフォローアップを強化して、リピート率を上げることで……」


部長が頷く。「なるほど。続けて」


他の同僚たちも耳を傾ける。質問が出る。議論が深まる。陽の意見が、会議の流れを変えていく。


会議後、陽は自分のデスクに戻りながら思う。緊張はする。これからもするだろう。でも、それでいい。みんなと同じ。ただ——緊張してでも相手に伝えたいという思いがある。それをこれからも大切にしていきたい。


***


その夜。陽は自宅のデスクで、ノートを開く。


ペンを手に取り、ゆっくりと書き始める。


「自分がどう思われているか——そればかり気にしていた。でも、これからは違う。相手にどう優しくするか。どう相手のために伝えるか。それをもっと考えよう」


陽はノートを閉じて、深呼吸をする。明日も、きっと緊張するだろう。それでいい。相手のために——その思いを、胸に抱いて。


「一歩ずつ。焦らなくていい。私は、前に進んでいる 」


続く

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