第24話:ふとした気づきを大切に:白石陽⑧
2週間後の火曜日午後3時、大会議室。定例の全体会議。マーケティング戦略の進捗報告。
今日の議題は「次期キャンペーンのコンセプト」。陽は資料を手に、20人ほどが集まる会議室の後方に座っている。周りの視線が気になる。いつものことだ。
山田部長がスクリーンにスライドを映しながらプレゼンを始める。「次期キャンペーンは、Z世代をメインターゲットに設定します。TikTokでの短尺動画展開を中心に、インフルエンサーマーケティングを組み合わせて——」
陽は資料を見ながら聞いている。ふと、またあの違和感が浮かぶ。「Z世代だけで大丈夫だろうか? ミレニアル世代も購買力があるはずだ。それに、TikTokだけでは、他のSNSユーザーを逃すのでは……クロスメディア戦略の方が……」
言いたい。今度こそ、言いたい。手を挙げようとする。でも—また手が動かない。心臓がドキドキする。「前回も言えなかった。また言えない。私はダメだ……いつまでこのままなんだろう……」
営業部の若手・高橋が手を挙げる。「部長、一点質問ですが、TikTok以外のプラットフォームは検討されていますか?」部長が丁寧に答える。「良い質問だね。それについては次のスライドで説明するよ」
会議が終わる。陽は自分の席に戻りながら、また自己嫌悪に陥る。「また言えなかった。いつも傍観者。いつも沈黙。変われないのかな、私は……」
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会議後、コーヒーを淹れに給湯室に向かうと、若手社員の高橋が駆け寄ってくる。表情が曇っている。
「白石さん、ちょっといいですか?」高橋が小声で聞く。周りを気にしている様子。
「どうしたの?」
「さっき会議で質問したんですけど……あれ、変じゃなかったですか? 的外れなこと言ってないかって、すごく心配で……部長の話の流れを遮っちゃったかもしれないし……みんな、変だって思ってますよね……」高橋の表情は不安でいっぱいだ。声が震えている。
陽は驚く。高橋が不安になっている? あんなに堂々と発言していたのに?
陽は答える。「全然変じゃなかったよ。むしろ、良い質問だったと思う。私も同じこと気になってたし」
高橋は少しホッとした表情を見せる。「本当ですか? 良かった……白石さんにそう言ってもらえると、安心します」
高橋が去った後、今度は同僚の松本が給湯室に入ってくる。松本も疲れた表情をしている。
「ねえ、陽ちゃん」松本が不安そうに聞く。「さっきの私のプレゼン、どうだった? 長すぎたかな? 声が震えてたの、バカみたいって思われたかな……恥ずかしくて死にそう……」
陽は首を横に振る。「誰も気にしてないと思うよ。内容はしっかりしてたから。むしろ、あのデータ分析、すごく参考になった」
松本は「そうかな……ありがとう」と言うが、まだ不安そうな顔をしている。「でも、やっぱり緊張しちゃって……もっと堂々と話せるようになりたいんだけどね」
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午後4時、山田部長との打ち合わせ。本題に入る前に部長が聞く。
「陽さん、さっきの会議での僕の最後のまとめ、みんなに伝わっていたかな? ちゃんと理解してくれているかな? あの説明、分かりにくかったんじゃないかって、少し心配で……」
陽は驚く。部長でさえも、自分の発言を気にしているんだ。あんなに経験豊富で、いつも堂々としている部長が。
「分かりやすかったですよ。みんなも納得していたと思います」陽は正直に答える。
「そうか、良かった」部長はホッとした表情を見せる。
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陽はデスクに戻って考え込む。みんなが自分の発言を気にしている。「変じゃなかったか」「どう思われたか」「伝わったか」。高橋も、松本も、部長さえも。
でも、他の誰かの発言をそんなに気にしている人は、ほとんどいない。みんな、自分のことで精一杯なんだ。
( 周りの評価が気になるのは、私だけじゃない。みんな同じなんだ。それなのに、みんな勇気を持って発言している。不安を抱えながらも、前に進んでいる。 )
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翌日の朝、出社すると、同僚の佐藤が陽のデスクに来る。
「陽ちゃん、ちょっと相談があるんだけど」佐藤が小声で言う。「実は後輩の池山さんが、あなたのこと何か怒らせてないかって、すごく不安になってるみたいなんだ。昨日、私に相談してきて……」
陽は驚く。「え? 私、全然怒ってないよ。どうして?」
「なんでも、先週の朝、廊下で挨拶したときに目を見てくれなかったって。それで、何か怒らせるようなことをしてしまったんじゃないかって……ずっと気になってるらしくて」
陽は思い出す。ああ、あの時か。あの時は、来月のグリーンテックのプレゼンのことを想像して緊張していたんだ。プレゼンの流れをシミュレーションしていて、周りが見えていなかった。池山さんのことなんて、全く気にしていなかった。
「私が原因で、池山さんを不安にさせてしまったんだ……」
陽は池山のデスクに行く。「池山さん、ちょっといい?」
池山は緊張した表情で立ち上がる。「は、はい……」
陽は笑顔で話しかける。「この間送ってもらったレポート、すごく良かったよ。特にここのデータ分析、視点が面白くて参考になった。ありがとう」
池山の表情がパッと明るくなる。「本当ですか? 実は……白石さんに怒られてるんじゃないかって、ずっと心配で……」
「全然怒ってないよ。先週の朝は、プレゼンのことで頭がいっぱいで、周りが見えてなかったんだ。ごめんね、不安にさせちゃって」
「いえ、こちらこそ……安心しました」池山はホッとした表情で笑う。
陽は気づく。自分も何気ないことで、相手を心配させてしまっていることがある。自分が周りを気にしているように、周りも自分のことを気にしている。みんな、同じなんだ。
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数日後の朝、エレベーターホールで総務の青木さんとすれ違う。青木さんは陽に気づかず、うつむいたまま歩いている。以前もこういうことがあった。
以前なら、「何か悪いことしたかな」「嫌われたのかな」と不安になっていた。でも今は違う。青木さんにも、何か事情があるのかもしれない。
陽は自分から青木さんに声をかける。「青木さん、おはようございます」
青木さんがハッとした表情で振り向く。「あ、白石さん……おはようございます。すみません、気づかなくて……」
「大丈夫ですよ。最近どうですか?」陽は優しく聞く。
青木さんの目に涙が浮かぶ。「実は……母が入院していて、頭がいっぱいで……周りが見えてなくて……すみません」
「それは大変でしたね。何か手伝えることがあれば、いつでも言ってください」
「ありがとうございます、白石さん。そう言っていただけるだけで、気持ちが楽になります。本当に……」青木さんは深くお辞儀をする。
( 自分一人が悩んでいるのではない。みんなも同じように、何かを抱えている。そう分かったとき、相手に優しくなれる。)
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その夜、陽は自宅のデスクで日記を書く。
「ここ数日間で大切なことに気づいた。周りの評価が気になるのは、私だけじゃなかった。高橋さんも、松本さんも、部長さえも、みんな同じように不安を抱えている。そして、その不安を抱えながらも、勇気を出して発言している。完璧じゃなくても、前に進んでいる。
私も、同じようにできるはずだ。まずは認めること。みんな、不安なんだ。それでいいんだ。
――そして、池山さんのこと。私が自分の不安でいっぱいで周りが見えていなかったとき、池山さんは『白石さんに怒られてるんじゃないか』と心配していた。青木さんも、お母様の入院で頭がいっぱいで、挨拶する余裕がなかっただけだった。みんな、それぞれの事情を抱えている。
自分も知らず知らずのうちに相手を傷つけているかもしれない。そして、相手の態度は、自分への評価だけじゃ決まらないから、気にしすぎても仕方ない。
どちらにしても、相手に優しく接することが大切。」
ペンを置き、窓の外を見る。夜空に星が輝いている。心が少し、軽くなった気がする。




