第22話:果たして仕事は結果を出せば全て許さるのか??:氷室翔⑦
11月第2週。木曜日の午後3時。翔は会議室で組織風土調査の結果レポートを見つめていた。
画面に映るのは、冷たい数字の羅列。「チームの働きやすさ」2.8点(5点満点)。「上司への信頼度」3.1点。「自律性」2.5点。全社平均を大きく下回っている。特に「自律性」の項目は、全社最下位だった。
一方で——営業成績は全社2位。目標達成率は128%。四半期連続で表彰されている。翔自身も、リーダーとして全力を尽くしてきたつもりだ。毎日、朝6時にはメールをチェックし始め、深夜まで案件を詰める。部下の報告は細かく確認し、アドバイスを出す。商談には必ず同行し、後でフィードバックをする。ノー残業デーを導入し、働き方改革も意識している。
それなのに——なぜ、こんな結果なのか。
( 何が足りないんだ。何を間違えたんだ。 )
***
金曜日の夜7時。赤坂の高級日本料理店。常務との会食。
個室に通される。静かな空間。窓の外には夜景が広がっている。常務は上機嫌で、日本酒を注いでくれる。
「氷室君のチーム、本当に素晴らしい成績だね」常務が笑顔で言う。「今期も全社2位だ。来期は1位を目指してほしい。君なら、必ずできる。期待しているよ」
翔は頭を下げる。「ありがとうございます。チーム全員で頑張ります」
常務は満足そうに頷く。刺身を口に運び、ゆっくりと味わう。翔は——言うべきか、言わざるべきか、迷う。でも、今しかない。意を決して、口を開く。
「ただ……実は、組織風土調査の結果が気になっていまして。全社平均を大きく下回っているので、どうしたものかと…」
常務は笑顔のまま、日本酒をもう一杯注いでくれる。「ああ、あれか」軽い口調で言う。「氷室君、気にしすぎだよ」
常務は刺身を口に運びながら、笑って続ける。「会社は、仲良しサークルじゃないんだよ。稼ぐ場所だ。顧客に価値を届けて、利益を上げる。それが私たちの仕事だろう?」
翔は——言葉に詰まる。常務の笑顔が、逆に重く感じる。
「組織風土調査のスコアを上げることより、営業成績を上げることが大切なんだよ」常務は言う。「君のチームは結果を出している。それで十分じゃないか。部下が多少不満を持っていても、給料をもらっているんだ。プロとして、結果を出すのは当然だろう? ははは」
常務の笑い声が、個室に響く。でも——翔の胸には、重いものが沈んでいく。
「それに」常務は日本酒を飲みながら、軽く手を振る。「組織風土調査なんて、正直、あてにならないよ。人事がやってるガス抜きだ。不満を持つ人間は、どんな環境でも不満を言う。気にしなくていいとは言わないが、気にしすぎたら、君が疲れちゃうよ。むしろ、来期の目標達成に集中してくれ。君なら絶対できるから!ささ!もう一杯!はっはっは!」
翔は「……はい。ありがとうございます」と答える。でも、心のモヤモヤは消えない。むしろ、重くなる。
( 本当に、それで良いのか? 結果を出していれば、部下が疲弊していても構わないのか? )
***
翌週の月曜日。午前10時。部長との1on1ミーティング。
部長の個室。コーヒーが出される。翔は深呼吸をして、思い切って切り出す。
「部長、組織風土調査の結果について……正直、どう受け止めれば良いのか分からなくて。常務からは『結果を出していれば良い』と言われましたが、でも、このスコアはあまりにも……」
部長は静かにコーヒーカップを置く。翔の目を真っ直ぐ見て、ゆっくりと口を開く。
「翔君、結果を出していることは——確かに素晴らしいことだ。でも、それは本当にチームの力なのか?」
翔の心臓が、ドクンと跳ねる。
「君は、全ての情報を集めて、全ての意思決定をしている。商談には必ず同行し、報告は細かくチェックし、アドバイスを出す。確かに、それで成果は出る。でも——それは、君が個人プレーで頑張っているだけではないか?」
翔は言葉を失う。
部長は続ける。「マイクロマネジメント、という言葉を知っているかな。細かすぎる管理をすると、部下は考えなくなる。全員が君の手足でしかなくなる。組織は思考停止し、疲弊する」
「実は——大塚君が、そう言っていた」
翔の顔が、青ざめる。大塚が——? あの、いつも笑顔で「はい!」と答えていた大塚が、そう思っていたのか。
「彼は言っていた。『氷室さんは優秀です。でも、自分で考える余地がない。全部、氷室さんの指示通りに動くしかない。僕は、氷室さんのロボットなんでしょうか』と」
翔の胸が、締め付けられる。
( ロボット……。そんな風に思われていたのか。 )
部長は、温かい口調で言う。「翔君。チームリーダーとしての目標は、数値だけじゃない。部下の育成も含まれる。会社は永続するが、君個人は永続しえない。きちんと次世代を育成することを会社は求める」翔は頷く。
部長が続ける「指示をして動かすだけでは、人は成長しない。思い切って——えいっと、任せてみるのも必要なんじゃないかな」
翔は黙って頷くしかできない。頭では理解できる。でも——心が追いつかない。
***
その日の深夜。23時半。オフィスには、翔一人しかいない。
デスクの上には、開いたままのノートPC。画面には、未読メールが87件。To-Doリストには、赤字で「緊急」と書かれた項目が12個。明日の商談資料は、まだ半分しか完成していない。
目標は達成している。しかしその度に会社は新しい目標を設定してくる。今期もまた売上20%増。さすがに翔もキャパオーバーだ。
翔は目をこする。疲れが、全身を覆っている。最近は、朝6時に起きて、メールをチェックする。To-Doを整理し、優先順位をつけ、部下に指示を出す。日中は商談と会議で埋まり、夜は報告のチェックと資料作成。家に帰るのは、毎日午前2時過ぎだ。
このままでは——身体が持たない。部長の言う通り、部下に任せるべきなのか。でも、任せて失敗したら? 数値を達成できなかったら? 常務の期待を裏切ることになる。
そして——今月は、さらに厳しい。大口クライアントとの長期契約が、期限切れになった。新規開拓をしなければならない。でも、それができるのは、自分しかいない。部下たちは、商品知識は十分だが——相手の目線に立った提案、信頼を築く話し方が、まだできていない。
大塚の言うことも——分かる。分かるけれど、まだ任せられない。やはり、自分がやらねばならない。常務の言う通り、会社は稼ぐ場所だ。競争意識を持つことは、悪いことじゃない。
でも——しかし——。
翔は窓の外を見る。真夜中のオフィス街。ほとんどのビルは、暗い。たまに、ぽつりと光っている窓がある。きっと、自分と同じように、誰かが働いているのだろう。
( 結果を出すこと。部下を育てること。どうバランスを取ればいいんだ? 常務は「結果が全て」と言う。部長は「育成も大切」と言う。どちらが正しいんだ。どちらも正しいのか。それとも——どちらも間違っているのか。 )
翔は深く息を吐く。ため息が、静かなオフィスに白く響いた。
続く




