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第19話:AI=魔法のランプ:花岡香織⑥

画面が動く。文字が現れ始める。一行、二行、三行。香織の心臓が止まりそうになる。


「ピープルアナリティクスとは、会社の人事関連のデータを分析して、その会社がより良くなるための方法を見つけることです」


香織の目が、大きく見開かれる。手で口を覆う。「え...これって...」


回答が続く。


「例えば、『どんな人が長く働いてくれるか』『どんな研修が効果的か』『離職率を下げるにはどうすればいいか』といったことを、経験や勘に頼るのではなく、数字やデータで調べて答えを見つけます。具体的には、社員の勤続年数、研修の受講履歴、アンケート結果などの人事関連のデータを集めて、パターンを見つけるのです」


香織の口が開いたままになる。息を忘れている。


( えっ...こういうこと...?こんなに...こんなに簡単なことだったの...? )


参考書では「人材データを収集・分析し、組織のパフォーマンス向上に資するインサイトを抽出する手法」と書いてあって、まるで理解できなかった。難解な専門用語の羅列。意味不明な横文字。何度読んでも、頭に入ってこなかった。


でも、AIの説明は—こんなに分かりやすい。まるで、優しい先生が、ゆっくりと丁寧に説明してくれているような。具体例がある。イメージが湧く。理解できる。


「分かる...」香織は声に出して言う。一人しかいない部屋で。「分かる...!人事のことを、ちゃんとデータで分析するってことなんだ...!」


心臓の鼓動が高まる。でも、恐怖じゃない。興奮だ。もっと知りたい。もっと理解したい。香織は震える指で、次の質問を打ち込む。


「エンゲージメント・サーベイって何ですか?」「タレント・マネジメントって何ですか?」「コンピテンシー・ギャップって何ですか?」


次々と質問を打ち込む。止まらない。すべてに、分かりやすい回答が返ってくる。一つ一つが、まるで友達が教えてくれているような、優しい言葉。実際の職場で起こりうる具体例と共に。


( 分かる。分かる!全部、分かる!私、専門用語に惑わされていただけだった。本質は、こんなにシンプルなことだったんだ...! )


1時間が経った。香織はノートいっぱいにメモを取っている。AIが説明してくれたことを、自分の言葉でまとめる。手が止まらない。


そして、ふと思いつく。あの新人指導計画書。昨日、一文字も書けなかった、あの資料。


( もしかして...AIに聞いてみたら...! )


香織は新しい質問を打ち込む。「新入社員(人事部配属、24歳、大学でデータ分析専攻)の育成計画を作りたいです。3ヶ月間で、どのような内容を教えるべきでしょうか?」


送信ボタンを押す。心臓が早く打つ。画面を見つめる。数秒後、回答が表示され始める。


「3ヶ月間の育成計画案をご提案します:

【1ヶ月目】人事業務の基礎理解

- 給与計算の流れと重要性

- 社員面談の目的と傾聴スキル

- 労務管理の基本

【2ヶ月目】データ活用と分析

- 人事データの収集方法

- 基本的な分析手法の実践

- エンゲージメント調査の実施

【3ヶ月目】応用と実践

- 採用プロセスの改善提案

- 研修プログラムの企画立案

- データに基づく人事施策の提案」


香織は画面を見つめたまま、息を呑む。「これだ...」声が震える。「これなら、書ける...!」


香織はWordを開き、AIの回答を参考にしながら、新人指導計画書を書き始める。指が、キーボードの上を滑るように動く。言葉が溢れ出てくる。昨日、一文字も書けなかったのが嘘みたい。


30分後。A4で3ページの計画書が完成していた。読み返す。内容は分かりやすく、具体的で、実践的だ。立花さんも、これなら理解できるはず。何より、香織自身が自信を持って教えられる内容だ。


( さっきまで、止まっていた自分が嘘みたい。AIと一緒なら、私にもできる。本当に...本当に魔法のランプを手に入れたみたい..! )


香織は立ち上がり、両手を上に突き上げる。香織の心は温かい。軽い。まるで、重い荷物を下ろしたような。鏡で自分の顔を見る。笑顔。そして団子ヘアを解き、ルンルンで髪の毛の手入れを始めた。


***


翌週、岩下部長への報告。


香織は部長室のドアをノックする。先週までの自分とは全く違う。姿勢が伸びている。目に光がある。資料を握る手に、震えはない。


「花岡さん、入って」岩下部長が温かい声で応える。


香織は着席し、資料を差し出す。「立花さんの新人指導計画書と、併せてピープルアナリティクス、タレントマネジメントの計画も纏めました」


岩下部長が資料を手に取り、ページをめくり始める。


「ほう...」部長が感心した声を上げる。「3ヶ月の育成計画。1ヶ月目は人事業務の基礎、2ヶ月目はデータ活用と分析、3ヶ月目は応用と実践...具体的で分かりやすい」


部長は次のページに進む。「タレントマネジメントの定義も明確だ。『従業員それぞれの経験、スキル、能力、意欲を一覧化して会社と従業員双方にとって有益な人材配置を実現していくこと』。ピープルアナリティクスも『経験や勘に頼らずに、人事データを分析して、会社がより良くなるための方法を見つけること』。専門用語を使わずに、本質を捉えている」


香織が説明する。「AIに質問しながら、自分の言葉で纏め直しました。難しい横文字ではなく、誰にでも伝わる表現を心がけました」


岩下部長が顔を上げ、満足そうな笑みを浮かべる。「素晴らしい。花岡さん、これは部内に回覧しよう。みんなに見てもらいたい。特に、タレントマネジメントやピープルアナリティクスの説明は、人事部全員が理解すべき内容だ」


「本当ですか...!」香織の声が弾む。


「ああ。立花さんは優秀な新人だ。でも、君のこの計画があれば、彼女も安心して成長できる。そして何より—」部長は香織を真っ直ぐに見る。「君自身が、大きく成長したね」


香織の目が潤む。言葉が出ない。ただ深く頭を下げる。


***


それから香織は前向きに働けるようになった。そして香織はカフェでの出会いを思い出していた。あの雨の日。「専門的なことは、AIに聞けばいい」「便利ですよね」


あの時の香織は、二人がAIを恐れていないことに驚いて、その言葉の中身が全く入ってこなかった。


( 今なら、わかる。私は必要以上に怯えていただけだった。そして、その怯えが、AIを受け入れる壁になっていた。 )


タスクフォースの仕事も一段落し、「これから何を勉強すれば良いか」とAIに質問してみる。


「人事機能の高度化を目指すなら、以下の分野を学ぶことをお勧めします:1. データ分析の基礎、2. 人事制度設計、3. 組織開発理論、4. タレントマネジメント。資格としては、キャリアコンサルタントや人事総務検定が役立ちます」


「スケジュールも立ててください」と香織が続ける。


「6ヶ月計画:

1ヶ月目:データ分析の基礎(他社事例のケーススタディ、成功事例の分析)

2-3ヶ月目:人事制度設計の理論と実践

4-5ヶ月目:組織開発理論の学習

6ヶ月目:キャリアコンサルタント試験の準備


毎日の学習時間:平日1時間、週末2時間を推奨します」


香織の心が軽くなる。具体的な道筋が見えた。もう闇雲に不安になる必要はない。


( 新しい扉が開いた。AIは敵じゃない。最高の教師だ。そして、立花さんみたいな優秀な新人を迎え入れる準備も、もうできている。私も学び続ければ、一緒に成長できる。 )


香織はPCを開き、学習計画を立て始める。データ分析の基礎から始めよう。他社事例のケーススタディ。そして、人事制度設計の理論。一歩ずつ、確実に。


そしてソファに座り、参考書を開く。今までは難解に感じた専門用語も、AIで学んだ後では、少しずつ理解できるようになっている。ページをめくりながら、重要な箇所に付箋を貼っていく。


30分ほど読み進めたところで、ページの間から何かが落ちる。カード?香織は拾い上げる。


「カフェ クロスロード」——スタンプカードだ。そういえば、二か月前、あの雨の日に立ち寄ったカフェ。店員さんがくれたカードを、参考書のしおり代わりに挟んでいたんだったっけ。


裏面を見ると、小さな文字が印刷されている。


「新作コーヒー 3月20日 春分の日 発売予定」


香織はカレンダーを確認する。二週間後だ。


香織はカードを手に持ったまま、あの日を思い出す。窓際の席で、見知らぬ二人と話した。AIを恐れていない二人。「専門的なことは、AIに聞けばいい」と自然に言っていた。あの言葉が、今の自分を変えるきっかけになった。


( 春分の日...あのカフェに行ってみようかな。もしかしたら、あの二人にまた会えるかもしれない。御礼を言いたい。 )


香織はスマホを手に取り、カレンダーアプリを開く。3月20日に「カフェ クロスロード 新作コーヒー」とメモを入れる。


そして、カードを手帳に挟む。大切に。


AIのチャット画面には、「他に何か質問はありますか?」というメッセージが表示されている。香織は微笑んで、キーボードを打つ。


「これからも、よろしくお願いします」


送信。数秒後、回答が表示される。


「もちろんです!一緒に成長していきましょう」


香織の心に、温かい光が灯る。


窓の外の目をやる。冬の寒さで空気が澄んでいるせいか、アパートからの街明かりが一際明るく感じた。


続く

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