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第17話:SNS断ちした後の世界:白石陽⑥

陽は迷っていた。本当にアプリを削除してしまっていいのだろうか。


(...消したら...本当に全部なくなるの...?アカウントはどうなるの...?)


念のため調べておこう。


ブラウザを開く。「Instagram アプリ削除 アカウント」と検索する。


いくつかのサイトを開いて読む。目が止まる。


「アプリを削除しても、アカウントは残ります。再度ログインすれば、すべてのデータが元通りです」


(...そうか。アプリを消しても...意味がないのか...?アカウントを削除しないと...)


さらに調べる。「Instagram アカウント削除」「Instagram 退会」。


また別の文字が目に飛び込んでくる。


「アカウントを削除(退会)すると、30日間の猶予期間があります。30日以内に再ログインすれば、アカウントは復元されます。30日を過ぎると、完全に削除されます」


(30日...1か月...)


続けて、Facebookも調べる。同じだ。削除しても、30日間は復元できる。


(本当に...消してしまっていいのかな...3年間の記録が...)


手が止まる。指が震える。


さらにスクロールしていくと——。


「アカウント削除の前に、一時停止という選択肢もあります。一時停止にすると、あなたのプロフィール、投稿、コメント、いいねはすべて非表示になります。他の人から見えなくなります。でも、データは残ります。いつでも再開できます」


(一時停止...?)


陽は何度もその文字を読み返す。


「他の人から見えなくなる」——それが大事だ。繋がりを断つ。数字から離れる。でも、完全に消すわけではない。もしもの時は、戻れる。


(...これだ。これなら...できる...)


陽は深呼吸をする。決めた。一時停止にしよう。ノートに一時停止すると決意を込めて書く。


でも——その前に。もう一度だけ、最後にアプリを開く。これが本当に最後になるかもしれない。別れの儀式。


Instagramを開く。タイムラインをゆっくりとスクロールする。友人たちの投稿。知らない人の投稿。広告。すべてが流れていく。いつもは「いいね」を押していたが、今日は何もしない。ただ眺める。


自分のプロフィールを開く。800人のフォロワー。237件の投稿。3年間の記録。カフェの写真。旅行の写真。友達との写真。すべてが「いいね」のために撮られた写真。


(...ありがとう...そして...さよなら...)


アプリを閉じる。


そして——Instagramを再び開く。設定画面に進む。「アカウントセンター」→「個人の情報」→「アカウントの所有権とコントロール」→「利用解除または削除」。


画面に、二つの選択肢が表示される。「アカウントを利用解除」「アカウントを削除」。


指が止まる。心臓がバクバクする。息が苦しい。両手に汗をかいている。


深呼吸をする。1回、2回、3回。


デスクの上のノートに目をやる。さっき書いた言葉が目に入る。


「決断:SNSアカウントを一時停止する。今日、今すぐ」


(これでいい...一時停止なら...できる...)


—— 「アカウントを利用解除」をタップする。


確認画面が表示される。理由を選ぶプルダウンメニュー。「少し休憩したい」を選ぶ。


パスワードの入力を求められる。指が震えながら、文字を打つ。


そして——最後のボタン。「アカウントを利用解除」。


指が震える。でも——もう止まらない。


タップする。


一瞬の静寂。


そして——画面が切り替わる。


「アカウントが利用解除されました。いつでも再開できます」


その文字を、じっと見つめる。


胸がざわつく。喪失感と——ほんの少しの解放感が混ざり合う。


(...いつでも戻れる...でも今は...離れていい...)


続けて、Facebookも同じように一時停止する。


今度は迷わなかった。さっきより、手順も速い。


「アカウントが利用解除されました」


(...これで...全部...)


でも——同時に、肩の荷が下りたような軽さも感じる。


意外と、呆気ない。もっと大きな決断だと思っていた。もっと劇的な変化があると思っていた。でも、実際は——ただ、アカウントが一つ止まっただけ。


でも、この小さな変化が——きっと、大きな一歩になる。いつでも戻れる。でも今は、離れていい。


そして——陽は決める。今やらないと、また怖くなる。勢いに乗ろう。最後の一つも。


Twitter(X)。このアカウントは、元々そんなに使ってなかった。投稿もほとんどしていない。


(...だったら...完全に消してもいいかな...)


アカウント削除を選ぶ。


「アカウントは30日後に完全に削除されます」という文字が表示される。


タップする。確認画面。もう一度タップする。


「アカウント削除の手続きが開始されました」


3つのSNS。Instagram、Facebook——一時停止。Twitter(X)——削除。すべての手続きが完了した。


陽は深く、深く息を吐く。全身の力が抜ける。ベッドに倒れ込む。天井を見上げる。


涙が出る。悲しいのか、嬉しいのか、分からない。ただ、何かが終わった。そして、何かが始まろうとしている。


怖い。でも——少しだけ、ワクワクもする。


今日、私は変わった。小さな一歩だけど、確かな一歩を踏み出した。


ノートの新しいページを開いて、「新しい習慣」と書く。


「夜:10時以降はスマホを見ない(ベッドに持ち込まない)」

「朝のルーティン:起きたら窓を開けて空を見る→深呼吸3回」

「通勤電車:本を読む」

「昼休み:同僚とランチに行く(一人でスマホを見ない)」


具体的な計画を書いていくと、少し希望が見えてくる。できるかもしれない。今度こそ、できるかもしれない。


***


そして翌日、月曜日の朝。目が覚める。いつもなら、布団の中でスマホに手を伸ばす。でも今日は——ベッドから起き上がり、カーテンを開ける。


窓の外は曇り空。でも、街の景色が新鮮に見える。ビルの間から朝日が差し込んでいる。深呼吸を3回。冷たい空気が肺に入ってくる。胸が広がる感覚。体が目覚めていく。


それからテーブルに置いてあるスマホを見る。ホーム画面にInstagramのアイコンはない。見ようと思っても、見られない。少し寂しい。でも同時に、解放された感覚もある。「見なくていい」——そう思うと、肩の力が抜ける。


洗顔をして、朝食を食べて、出勤の準備。いつもより10分早く家を出られる。スマホを見る時間がなくなったから。


通勤電車。文庫本を開き読み始める。5分、10分。気づけば、3駅分読んでいた。降りる駅のアナウンスで、ハッと顔を上げる。


会社に着いて、デスクに座る。いつもならすぐにスマホをチェックする。でも今日は、まず仕事用のメールを確認する。優先順位を決めて、タスクリストを作る。そして、仕事に集中する。明らかにいつもより進みが早い。


昼休み。同僚の佐藤さんが「ランチ行きませんか?」と声をかけてくれる。いつもなら、「今日は一人で」と断っていた。でも今日は違う。「行きます!」——即答する。


近くの定食屋。佐藤さんと向かい合って座る。テーブルにスマホを置かない。カバンの中にしまったまま。両手をテーブルに置いて、佐藤さんの顔を見る。人と話すって、こんなに落ち着くんだ。


「最近、何か変わりました?」と佐藤さんが聞く。


「何が?」


「なんか、落ち着いてるっていうか...前はもっとバタバタしてた気がする。スマホばっかり見てたし」


陽は少し恥ずかしくなる。そんなに見てたんだ、自分。周りも気づいていたんだ。


「SNS、やめたんです」——陽が言うと、佐藤さんが驚いた表情になる。


「え、本当に?陽ちゃん、あんなにInstagram好きだったのに」


「そうなんです。でも、疲れちゃって。『いいね』の数を気にするのに」


佐藤さんが頷く。「わかる。私も前はやってたけど、しんどくなってやめたんだよね。他の人と比較しちゃうし」


二人で笑い合う。同じ悩みを持っていたんだ。


「やめてみて、どう?」と佐藤さん。


「まだ1日目ですけど...なんか、すっきりしてます。時間ができたし、周りがよく見えるようになった気がする」


「それ、わかる!私も最初そうだった。世界が広がった感じ」


変化に気づいてくれる人がいる。それが嬉しい。


***


水曜日の午後。クライアントとの打ち合わせ。


マーケティング戦略の提案。陽は資料を開き、説明を始める。


でも今日は、いつもと違う違和感がある——いや、違和感じゃない。クライアントの表情がよく見える。現実の世界に100%集中できている。


説明している途中、クライアントの眉がひそまる。何か引っかかっているのかもしれない。


以前なら、そのまま説明を続けていた。資料通りに、最後まで。でも今日は——


「何か気になる点はありますか?」と陽が聞く。


クライアントが少し驚いた表情をして、「実は...」と本音を話し始める。「この予算、ちょっと厳しくて。もう少し抑えられませんか?」


陽は頷く。「わかりました。では、この部分を見直して、コストを抑えた代替案を作りますね」


クライアントがホッとした表情になる。「助かります。実は自分からは言いづらくて...」


相手の声のトーン、話し方の癖、視線の動き、表情の変化。今まで見逃していたものが、見えてくる。聞き逃していたものが、聞こえてくる。


(集中できてる...相手の言葉を、ちゃんと聞けてる...スマホのことを考えてない...)


***


金曜日の夕方。1週間が経った。


陽はデスクで、この1週間を振り返る。SNSアプリを削除して5日間。平日5日間、一度も見なかった。


最初の2日間は辛かった。ふいにスマホを見たい衝動が何度も襲ってきた。胸がざわざわして、落ち着かなかった。でも3日目から、少しずつ楽になった。4日目、5日目——もう、見たいとも思わなくなった。体が軽くなった感覚。肩の力が抜けている。


そして気づく。仕事の効率が上がっている。同僚との会話も増えた。佐藤さんだけでなく、松本さん、田中さんとも、昼休みに一緒にランチに行った。


そして何より——「いいね」の数を気にしなくなった。100という数字への執着が、いつの間にか消えている。


定時の18時。陽は仕事を終えて、オフィスを出る。いつもより30分早い。残業する必要がない。仕事が時間内に終わっている。


***


3週間後の日曜日の夜。陽はベッドに座り、ノートを開く。「SNSをやめて一か月」とタイトルを書く。


「変化したこと」——箇条書きにしていく。


・仕事の効率が上がった

・同僚との会話が増えた

・本を3冊読んだ

・周りの景色に気づくようになった

・睡眠時間が1時間増えた

・『いいね』の数を気にしなくなった


たった一か月。でも、こんなに変わった。


スマホを見る。SNSアプリがない画面。最初は寂しかった。でも今は——これが普通に感じる。


ふとメモアプリを見て、以前書いた、いいね100個を取るための戦略、を見つける。どうでもいい。本当に、どうでもいい。こんなにも簡単に冷めるものだったんだと。自分は一体、今まで何に囚われていたんだろう。即削除する。


この一か月で得たもの——集中力、人との繋がり、周りの景色、自分の時間、心の余裕。体が軽い。心が軽い。朝起きる時、以前のような重さがない。


それは、「いいね」100個よりも、1000個よりも、価値がある。


ノートを閉じる。ベッドに入る。枕元に、新しく買ったライフスタイル雑誌が置いてある。寝る前に少しだけ読もうと思って、今日買ったばかりだ。何気なく読み進めると、ある記事が目に留まる。


「『カフェ クロスロード』春分の日限定 新作コーヒー『春の目覚め』発売」


陽の手が止まる。クロスロード——あのカフェだ。あの雨の日に立ち寄った、あの場所。記事には、春分の日(3月20日)限定で新作コーヒーを発売すると書いてある。


陽は雑誌を持ったまま、あの日を思い出す。窓際の席で、見知らぬ二人と話した。「SNSはやっていない」と当たり前のように言っていた二人。あの会話が、今の自分を変えるきっかけになった。


春分の日——3月20日。あと1ヶ月ちょっと先だ。


( その日、行ってみようかな。あの場所に。 )


陽は雑誌のそのページを折り、最近購入したベッドサイドテーブルに置く。スマホを手に取り、カレンダーアプリを開く。3月20日に「カフェ クロスロード 新作コーヒー」とメモを入れる。


今の自分も、少しだけ、あの二人に近づけた気がする。そして思う——来週も、再来週も、このまま続けよう。SNSのない生活を。できる。続けられる。今の自分なら、できる。


そして、春分の日に、あの二人にまた会えたら、御礼を言おう。——そう決めた。


続く

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