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第13話 AIへの恐怖、そして残酷な宣告 :花岡香織④

月曜日の朝。香織は洗面所の鏡の前に立ち、自分の顔を見つめていた。


「必要以上に心配しない」香織は鏡の中の自分に向かって言う。


あのカフェの二人を思い出す。二人はAIのことを恐怖とは考えていなかった。きっと、詳しくは知らないけど、あの二人の仕事も、これからAIに代替される可能性はあるのだろう。でも、二人は気にしていない様子だった。


( そうだ。何も私の仕事だけがAIに取って代わられるわけじゃない。みんな同じリスクはあるはず。でも気にしていない。私が気にしすぎているだけなんだ。大丈夫。 )


「大丈夫、私にはAIにはない人間としての価値がある」心の中で繰り返す。

自分が誇りを持ってやっている人事相談業務、不安がらずにこれまで通り一生懸命やろう。


深呼吸する。胸いっぱいに空気を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。鏡の中の自分に向かって、笑顔を作る。少し不自然だけど、笑顔だ。「大丈夫。私は大丈夫」。呪文のように繰り返す。


通勤電車の中、香織はいつもの習慣を意識的に変えようとしていた。スマホを取り出しかけて、止める。ニュースアプリを開かない。最新のAI関連ニュースを見ない。それが今週の目標だ。


代わりに窓の外を見る。街路樹の葉が赤や黄色に色づいている。冷たく澄んだ空、薄い雲、通り過ぎていく街並み。マンション、商店街、公園。人々の生活が流れていく。


午前9時、オフィスに到着。香織はデスクに座り、今日のスケジュールを確認する。そして淡々と仕事をこなしていく。順調だ。


午前10時、香織の電話が鳴った。表示を見ると、岩下部長からだ。


「香織さん、ちょっといいかな。今、時間ある?」


「はい、大丈夫です」


「じゃあ、3階の第二会議室に来てくれる?話したいことがあって」


電話を切ると、香織は少し緊張する。部長から直接呼ばれることは珍しい。何か問題があったのだろうか?それとも...


第二会議室のドアをノックする。「どうぞ」という声。ドアを開けると、岩下部長が大きな会議テーブルに資料を広げて座っていた。50代半ば、温厚な人柄で知られている。


「座って、座って」岩下部長が笑顔で椅子を勧める。「コーヒー、飲む?」


「いえ、大丈夫です」香織が座る。心臓の鼓動が少し早くなっている。


岩下部長が身を乗り出す。「実はね、香織さんに頼みたいことがあって」


「はい」


「全社的なプロジェクトがあってね。新規タスクフォースを立ち上げることになった」岩下部長が資料の一枚を香織の方に向ける。「香織さんにメンバーになってほしいんだ」


香織の胸が高鳴った。タスクフォース。全社的なプロジェクト。自分が選ばれた?「私に...ですか?」


「ええ」岩下部長が頷く。「人事部から一人、実務に詳しい人が必要で、誰かを推薦して欲しいと。香織さんは8年のキャリアがあるし、現場のことをよく知っている。適任だと思ってね。」


香織の顔が少し赤くなる。認められている。自分の仕事が、ちゃんと評価されている。そして全社のタスクフォースに抜擢された。その事実が、香織の心を温める。


「大変光栄です。ありがとうございます」香織が深く頭を下げる。「どのようなプロジェクトでしょうか?」


岩下部長が資料を香織に渡す。A4サイズ、10ページほどの企画書。表紙には「AI—人事業務効率化プロジェクト」というタイトル。


「人事業務の効率化プロジェクトだ」岩下部長の声が、いつもより真剣だ。「システムやAIを活用して、業務を大幅に効率化する。これは経営層からの強い要請でね。全社の方針なんだ。」


——AI。


香織の心が停止する。その言葉が、香織の耳に痛く響く。そして胸に切れ味良く突き刺さる。香織の身体は動かない。


「具体的には」岩下部長が説明を続ける。「給与計算、タイムシート集計、セミナー案内、新卒採用パンフレット、そして...」


やばい。危険を察知して、香織の心が、身体をそこに置いたまま、 避難しようとしているのが分かる。


岩下部長はお構いなしに続け、資料の3ページ目を指差す。「人事相談業務」


宣告を受けた。これで私の居場所は無くなった。


岩下部長の声が続く。「このプロジェクトで、人事部の業務時間を30%削減できる試算だ。もしかするともっと削減できるかもしれない」


「香織さん?聞いてる?」岩下部長の声。香織は我に返る。「あ、はい。すみません」


「香織さんにこのタスクフォースに入ってもらって、現場の視点から、どの業務をどうシステム化できるか、提案してほしいんだ」


(私は分かる…これをすれば...自分の居場所を、自分で壊す形になる... )


「部長...」香織がようやく声を絞り出す。「これまで通りできるのであれば、無理に効率化しなくてもいいのではないでしょうか」


岩下部長が少し驚いた表情を見せる。「どういうこと?」


「いえ、その...今のやり方でも、ちゃんと回っているので...急いで変える必要は...」


岩下部長が腕を組む。「香織さん、気持ちは分かるよ。慣れたやり方を変えるのは不安だよね。でもこれは全社の方針なんだ。経営層が決めたこと」


「でも...」


岩下部長の声が少し強くなる。「香織さん、これは人事部にとっても重要なチャンスなんだ。従来型業務はAIにどんどん仕事を落として、我々は人事のプロとして、もっと専門的な仕事に集中する。人事機能の高度化を進めるんだ」


人事機能の高度化。その言葉の意味が香織には分からない。


「これは重要な仕事だ。香織さんの経験が必要なんだ。期待している」同意を求める声。応じない訳にはいかない。


香織は気力を振り絞って、満面の作り笑いで、必死に答えた。「分かりました。全力で取り組まさせて頂きます。」


その夜、帰宅した香織は、部屋の明かりも点けずに座り込む。タスクフォースの資料を手に持ったまま。


窓の外には、東京の夜景。無数の明かり。その一つ一つに、人の人生がある。仕事をしている人がいる。家族と過ごしている人がいる。笑っている人がいる。でも香織には、その光が遠く感じられる。あの光の中に、自分と同じように絶望している人がいるのだろうか。


( なぜ...なぜ私だけ...? )


その言葉が、心の底から湧き上がってくる。


( 私、何か悪いことした?真面目に働いてきた。8年間、一度も手を抜かなかった。給与計算も、面談も、パンフレット作りも、全部丁寧にやってきた。辛い時もあった。何度も泣いた。それでも頑張ってきた。なのに、なぜ?なぜ私の仕事が、AIに奪われなきゃいけないの? )


香織の目から、一筋の涙が落ちる。そして次々と。止まらない。暗闇の中、資料を握りしめる手が震えている。


( 私より不幸な人なんて、いないんじゃないか。自分の仕事を自分で壊す。自分の居場所を自分で消す。そんな残酷なことある?しかも、それを「期待してる」って言われる。 )


涙が止まらない。声を殺して泣く。誰にも聞かれたくない。誰にも見られたくない。この惨めさを。この無力さを。


( 分かってる。会社の方針は正しいことは分かっている。でも私、何のために頑張ってきたんだろう。8年間、何のために...。 )


初冬の寒さが厳しさを増し、吹き荒れる夜風が窓をミシミシと震わせていた。


続く

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