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第10話 小さく、そして大きな3人の出会い:クロスロード①

金曜日の夕方6時、街のカフェ「クロスロード」。木製のテーブルが4つ、カウンター席が3つ。落ち着いた照明。窓の外はもう暗くなっている。


店内には客が3人だけ。


窓際のテーブルに陽が座っている。今日のミーティングの反省をノートに書きとめている。「あの言い方、失礼じゃなかったかな...」と眉をひそめる。


奥のテーブルには翔。近くの取引先との打ち合わせが終わったところ。ノートパソコンを広げ、週明けのプレゼン資料を確認している。


カウンター近くのテーブルには香織。資格の参考書を開いているが、専門用語に疲れて視線が泳いでいる。窓の外を見たり、コーヒーカップを手に取ったり、集中できない様子。


三人はお互いの存在に気づいているが、視線を交わすことはない。それぞれが自分の世界に閉じこもっている。店内には静かなジャズが流れている。


6時10分。店員さんが香織のテーブルにコーヒーのおかわりを運んでくる。その瞬間、店員さんの手が滑り、目の前でカップが傾く。


「あっ!」香織が立ち上がる。店員さんが慌てて「すみません!」とカップを持ち直す。幸い、コーヒーはこぼれなかった。でも香織の参考書が床にどさどさと3冊ほど落ち、筆記用具も床に散らばってしまった。


「大丈夫ですか?」翔が自分のテーブルの方に落ちた消しゴムを拾い声をかける。「ええ、大丈夫です」と香織。店員さんが何度も謝る。「本当に申し訳ございません」


翔が拾うのを手伝う。陽も気づき参考書を拾う。香織が「ありがとうございます」と二人に感謝する。二人は笑顔で返す。店内の3人が、一瞬だけ同じ出来事を共有する。そして再び、それぞれの世界に戻る。


6時25分。陽がスマホで取引先の連絡先を確認しようとする。画面に「バッテリー残量5%」の表示。「えっ、まずい...」今日は充電を忘れた。カバンを探すが、モバイルバッテリーもない。


陽は困った表情で周りを見回す。香織のテーブルに、小さなモバイルバッテリーが見える。


陽が恐る恐る声をかける。「あの...すみません。モバイルバッテリーをお持ちのようですが、少しだけお借りできないでしょうか?スマホの電池が切れそうで...」


香織が優しく微笑む。「ああ、どうぞどうぞ。でも、これ小さいのであまり充電できないかもしれません」とちょっと困った表情。


翔が聞こえて、自分のテーブルから声をかける。「僕のバッテリー、大容量のがありますよ。20,000mAhです」


香織が驚いて振り返り言う「本当ですか?それならそちらの方が良いかと」。陽が聞く「でも、いいんですか?」「ええ、どうぞ」と翔がバッテリーとケーブルを差し出す。


陽が「ありがとうございます。本当に助かります」とお礼を言う。「いえ、お互い様ですから」と翔。陽がケーブルをスマホに繋ぐ。充電が始まる音。三人の距離が、少し縮まった。


6時50分。店内の照明が少し明るくなる。7時の閉店時間が近い。三人は帰ろうと準備をし始める。


急に窓の外が真っ暗になる。そしてバケツをひっくり返したような激しい雨。雷鳴も聞こえる。


「これは...」と翔。「外に出れそうにない...」と香織。陽も窓に近づいて「すごい...」と呟く。


店員さんが困った表情で「お客様、申し訳ございません。こんな雨の中、お帰しするわけには...もう少しだけ店内でお待ち下さい」


「ありがとうございます」と三人。店員さんが「ただテーブルを片付けないといけないので、申し訳ないのですが、こちらの一つのテーブルでよろしいでしょうか?コーヒーをお持ちしますね」


三人は窓際の一つのテーブルに集まる。さっきまでバラバラに座っていたが、今は向かい合っている。少し気まずい空気。でも、雨音が大きすぎて、黙っているのも逆に不自然。


コーヒーが運ばれてくる。湯気が立ち上る。三人はカップに手を伸ばす。


陽の携帯が鳴る。充電が完了したようだ。陽が慌てて翔にモバイルバッテリーを返す。「すみません、借りっぱなしで。ありがとうございました。助かりました」


翔が「いえいえ」と笑顔で答える。


陽が言う。「こんな大容量のもの、毎日持ち歩いてるんですね」


翔が苦笑いする。「ええ...まあ、仕事が大変で、残業も多いですから。スマホのバッテリーが切れると困るので」


「残業...」と陽が繰り返す。「そんなに多いのですか?」


「ええ、平日はほぼ毎日。21時、22時まで...終電ギリギリのこともあります」翔が当たり前のように答える。


陽と香織が顔を見合わせる。陽が小さな声で言う。「私...残業、多くても月15時間くらいです。19時には必ず帰りますね」


香織も頷く。「私も...月に数時間あるかないかです。21時とか信じられません」


翔が驚いた表情になる。「え...本当ですか?僕、これが普通だと思ってました...」


少し沈黙が流れる。翔がテーブルに置かれた香織の参考書に目が留まる。「勉強されてるんですね」と翔。


香織が少し恥ずかしそうに「ああ、はい...一応」と答える。「人事関連なんですね。仕事しながら勉強って大変じゃないですか?」と陽。


香織が首を横に振る。「いえ、そんな...ほとんど進んでないです。難しくて」


「でも、勉強しようって思うだけでもすごいですよ」と陽。「私なんて、全然...」


翔も「僕も勉強、全然してないです。昔は資格資格って思ってた時期もあったんですけど、今は実務の方が大事かなって」


陽も同意する。「私も実務最優先ですね。専門的なことはAIに聞けば良いかと」


翔が頷く。「便利ですよね」


香織が少し驚く。目の前の二人は、勉強していない。資格も取っていない。AIも怖がってなく、便利と歓迎している。


その時、「ピロンッ」「ピロンッ」と陽のスマホから連続して音が鳴る。画面を見て、陽が少し慌てた表情になる。また「ピロンッ」。


香織が「人気者なんですね」と笑う。


陽が苦笑いしながら答える。「いえ...これ、SNSの通知なんです。InstagramとかTwitterとか...私、マーケティング関連の仕事をしてるので、常にチェックしてて」


「ピロンッ」。また鳴る。陽が画面を確認するが、すぐにポケットにしまう。「一日中、こんな感じなんです」


「へえ、SNSですか」と翔。「お二人は、SNSとかやってますか?」少し期待した表情で陽が聞く。


翔が首を振る。「昔はやってましたけど、今は全然見ないですね。アカウントは残ってますけど、何年も開いてないです。時間がなくて」


香織も「私は何もやっていませんね。ラインでの友人とのやり取りは多いですが」


陽の表情が曇る。「え...本当ですか?私、毎日何時間もSNSを見てて...でも、お二人は見てないんですね...」


陽の声が少し震える。SNSが全てだと思っていた。でも目の前の二人は、SNSなしで生きている。


ふと雨音が弱まってきた。窓の外を見ると、外に出始めている人が多くいる。


「そろそろ行けそうですね」と翔。「そうですね」と香織。


三人が帰る準備をする。連絡先を交換するそぶりはない。新作コーヒーの発売日のお知らせが壁に貼ってあるが、3人とも見ていない。香織だけが、スタンプカードを一枚取る。


三人は店を出る。「それでは」「お気をつけて」「ありがとうございました」。そうして名前も知らないまま、 それぞれが別の方向へ歩き出す。


でも三人の心には、小さな気づきが残っている。


陽は思う。あの二人はSNSを気にしていない。いいねの数なんて見てもいない。気にしすぎなのかな。


翔は思う。あの二人は残業していない。自分は働き過ぎなのか。


香織は思う。あの二人は資格やAIを心配していない。必要以上に怯えているのかも。


3人はそれぞれ考える。これまで自分は自分の狭い世界で考えすぎていたのかもしれない。


雨上がりの雲間から、うっすらと月明かりが見えた。そして3人とも違う場所から、同じその景色を眺めていた。


続く

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