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偽りの惑星―fake planet―  作者: 過去(10年前)のくろひこうき
一章
7/32

嵐の前触。それは経歴詐称


「ぴぴぴぴぴ・・・」


けたたましい目覚まし時計の音が響き渡る。しかし、いつもはうっとうしいこの音も昂大にとって今日は苦ではなかった。ボタンを押して音を止めると言葉に成らない声を発して昂大は起き上がる。そして真っ先に小さな冷蔵庫に向かう。中から出したのは牛乳パックであった。それをコップに注ぎ、一気に飲み干す。そして同じく冷蔵庫から出したクリームパンを食べる。そして顔を洗い、歯を磨く。ふと時計に目をやると、7時27分であった。いつもならまだ起きていない時間である。さらにいつもなら三つの時計を7時半、7時35分、7時40分とセットしているのだが今日は少し変えて一つだけ7時にセットしていた。

その理由は昂大の単なる気まぐれでもあり当然のことでもあった。予定では明日の夜、2時である。昂大は緊張していた。

いつもとは違い、ゆっくりと制服に着替える。そして靴、野球のアップシューズを履きドアを開ける。鳥の鳴き声が聞こえる。いつもと変わらぬ朝であった。まぶしい朝日が立ち込め、昂大を包み込む。昂大はふと目をしかめた。今の昂大には余計この太陽がまぶしく感じられた。


7時45分、担任の堀田が教室に入ってきた。いつもと変わらずに教壇に立つ。そこから見える景色は教室中の生徒たちが自主勉強をしている光景である。しかし堀田はいつもと違うことに気付いた。いつもなら寝ているか来ていないはずの沖田昂大が起きている(・・・・・)のである。このことは堀田を驚愕させた。一か月の間、朝を見てきたがこのようなことは初めてだった。


「号令するぞ。起立!」

「令。」

「おはようございます。」


このような毎日行われるやり取りをこんなにうれしく思ったことはないと堀田は思っていた。


「えー。今日は7限目に学年集会があります。みんなは知らないだろうが校長先生が皆さんにサプライズプレゼントを用意してくれています。」


サプライズプレゼントと聞いて生徒たちは皆首をかしげる。


「まあそうだな。知ってる人は知ってる人が来るかな。」


堀田はいつになく楽しげである。


「じゃ。7限目お楽しみにー。」


それだけ言って堀田はそそくさと逃げるように教室を出ていく。


「なんだよそれ。」


生徒たちは口々に不満を言い出した。


「な。」


そんな中急に昂大は肩を叩かれ、飛び上がる。


「うわっ。なんだよいきなり。」


そこには驚いた様子の将人がいた。


「いやいや、こっちがびっくりしたわ。」

「ご、ごめん。」


昂大はうつむいて席に座る。


「なんかお前元気ないなー思て。なんかあったんか?」


心配する言葉を言いながらもどこか笑っている将人。


「別に、なんもないけど。」


昂大は将人の顔を見ない。


「てかなんなんやろな、学年集会。」

「お、おう。」


正直なところ、昂大は何も聞いていなかった。とにかく考え事にふけっていたのであった。


「あの校長のことやからまた変な奴ら呼んでるんやろ。」


将人は窓の方を見ながらこう言った。


「おーい将人。〈デコピンじゃんけん〉やるぞ。」


遠くのほうで将人を呼ぶ声が聞こえた。


「よっしゃー。やろか!」


そう言って将人は遠くの方へ行く。将人を呼んだのはクラス1のギャグマシーンこと中辻智暉とその他ゆかいな仲間たちであった。デコピンじゃんけんとは今クラスの一部で流行っているよくわからない遊びである。負けた者は勝った者たちから額にデコピンをされるというただそれだけのことなのだが妙に盛り上がるのである。昂大はよく遠くから眺めているのだが、何が楽しいのかよくわからなかった。ただぼんやりと眺めているとどこか自分も楽しくなった。

将人はこのような遊びに積極的に参加していた。クラスの中心にいて常に盛り上っていた。昂大から見て将人はとにかく明るく感じられた。しゃべることが好きで誰とも仲良くなれていた。将人は昂大にとってないものをすべて持っている。昂大は将人が羨ましかった。将人に比べて自分はどうであろうか。人と会話するのが苦手で友達はいない。昂大は今まで自分を顧みてよかったことなんて一度もないと思っていた。机に腕を組み、顎を乗せて暗闇からデコピンじゃんけんを一人、見つめていた。



7限目、学年集会が行われるので一年生は皆体育館に集まっていた。壇上には机とマイクがセットされており、明らかに誰かが来ることを暗示していた。生徒たちは教師たちが用意したであろう長椅子に順番に座っていった。そのとき体育館はざわめいていた。


「座ったものから口を閉じろ。」


学年主任の平本がマイクでそういうと少しずつ静かになっていく。そこに誰がどう見ても上機嫌とわかる表情を浮かべた橋本が入ってきた。


「一年生の皆さん。では学年集会を始めますよ。今日はなんとスペシャルゲストの方にお話をしてもらいます。しっかりと聞きましょうね。」


そう言って橋本は早速壇上から下りる。


「では、登場して頂きましょう。ジョーンJさんです!」

「えっ。」


何人かの女子生徒は驚きの声を上げる。

そして入り口からスーツを着たダンディな男が入ってきた。


「キャーー!」


すさまじい女子生徒の黄色い声に臆することなく男は一礼し、壇上に上がりマイクを取る。


「こんにちは。えー、初めましてジョーンJです。」

「ぎゃーーー!!」


女子生徒の黄色い声援は収まったのにそのうえから橋本のどす黒い声援が聞こえた。一番盛り上がっているのは紛れもなくこの校長である。


「えー、校長先生。有難うございます。」


ジョーンJの声はとにかく低くて渋く、ダンディであった。


「はあ。」


橋本の巨体は立ちくらみにより地面につく。それを周りの教師が支えようと必死である。


「皆さんは私のことを知っているかわかりませんが、自己紹介をしたいと思います。私はプロフェッショナルコンサルタントをしています。プロフェッショナルコンサルタントとは簡単に言えば、その人がその人らしい人生を送れるようにアドバイス、つまりお手伝いをすることです。私の場合はアメリカで会社を設立して様々な国の自治体なんかにアドバイザリー業務を行っています。」


とても落ち着いた物腰である。


「今日は進路指導の話をしてくれと言われていますが、如何せん何をしゃべったらいいかわからなくて困っていました。」


そう言ってジョーンJは微笑する。その姿に女子生徒たちは釘づけである。


「そうですね。私はとにかく努力をしました。でも高校生の時はまったく勉強しませんでした。まあその時はスーパーコンサルタントになろうとはこれっぽっちも思っていませんでしたから。ですから大学のとき資格をとるのに一日10時間近く勉強しました。」


会場からは歓声が上がる。


「ですから、まず伝えたいことは高校生の今だからこそ自分に負けずに勉強をしてもらいたい。私はそう思います。そしてもう一つはこの高校生活のうちに自分のやりたいことをなるべくですよ、なるべく見つけてほしいと思います。」


ジョーンJの力強い言葉は聞いている人を魅了する。


「あと、私はカナダで生まれて12歳の時に日本に来たんですけどその時はとにかく慣れなくて苦労しました。まったく文化が違うものですから、たとえばそうですね、欧米ではやはり土足の家が多いんですよね、だから日本に来て友達の家なんかに言った時、間違えて土足で入ってしまいそうになるんですよ。」


少し一同は微笑する。


「まあそんな感じでしたが日本語は母がつねに家でしゃべっていたのでペラペラでしたしそこは不便じゃありませんでしたけどね。そんな私の少年時代でしたけれどもその当時から思っていたことがあったんですよ。それは世界で仕事をしたいということでした。小さいころからしゃべれる英語を使って仕事をしたいと思いました。その~。まあ転機、と言いますか夢を叶えるきっかけとなったのは大学への入学でした。そこでようやく自分のやりたいこと、まあつまりスーパーコンサルタントへの道を進むことでプロフェッショナルコンサルタントになりたいと思いました。まあなんというかふとそういうことを思ったんですよ。今思うとこれは私の人生を決定したことになりますし、神様からの暗示だったのかな、と思っています。」


生徒たちは少し気が脱け出し、しゃべり出す者が現れる。


「そう思い出したら、とにかくいても経ってもいられなくなりましてもう死ぬ気で勉強をしました。そうして運よくミラノに留学できましてたくさんの友人ができましてその友人の勧めでカウンセリング能力を高めることができ、今に至るわけです。まあ振り返って見るととても運がよかったと思います。たくさんの人たちに支えられて本当に感無量なんです。本当に感謝してもしきれません。しかしやはりこの年になるとあまりそれを示せる場がないんですね。ですから皆さんに何が言いたいのかと言いますと常日ごろから支えてくれる人たちに感謝の意を伝えることを忘れないでほしいものです。これで私、ジョーンJの話を終わります。皆さんご清聴ありがとうございました。」


そう言ってジョーンJは深々と頭を下げた。会場は拍手に包まれた。ジョーンJは壇上を下り体育館をそそくさと出て行った。


「みなさん、本当に良い話が聞けましたね。とても良い機会になったと思います。」


橋本は一人、涙をハンカチで拭いながら感激している。


「ではこれで学年集会を終わります。扉に近い七組と一組から退場してください。ああ後野球部は長椅子を運ぶのを手伝ってください。」


平本がそう言って学年集会はお開きとなった。帰っていく生徒たちはまるで魂が抜けたかのように不思議そうな様子の者ばかりである。


「なんやったんや、この集会。」


将人は一人ぼそりとつぶやいた。



また朝が来た。まだ五月だというのにかなりの暑さである。京都の夏はとにかく暑い。盆地であるからなのだが、最近は五月の終わりごろなのに真夏以上の気温を記録することがある。昂大の住んでいるこのアパートは朝の7時であるのに暑かった。


「うっ。」


昂大はうめき声をあげ、目を覚ました。時刻は7時10分、今日はやはり気まぐれでいつものように三つの目覚ましをセットしていた。よって目覚ましが鳴る以前に昂大は起きたことになる。このようなことは珍しいことである。昂大は暑かったのか布団を蹴とばし、服を無意識にまくり上げ、寝ていた。昂大はゆっくりと立ち上がり、洗面台に向かった。そして頭から水をかぶる。とにかくこうして目を覚まそうとしたのである。今日の目覚めはとんでもなくひどいもので、頭が重い。

無意識に昂大は部屋に転がっていたリモコンを手に取り、スイッチを押す。すると部屋の片隅に置かれた小さな古いテレビがゆっくりとつく。そこでは朝のニュース番組をやっていたのだが、その内容を見て昂大は大きく目を見開き、丸くした。


『ジョーンJことジョーン・ジョンソン・上越氏。輝ける経歴まさかの詐称か!』


と題された見出しにMCとコメンテーターが語り合っていた。


「なんとあの人気コメンテーターのジョーンJさんが経歴を詐称していたと今日発売の週刊聞文が特集を組んでいます。その内容ですがまず名前はジョーンJなどではなく田中譲司であり、カナダで生まれたのではなく日本で生まれていたんですねー。さらにカウンセリングの国家資格を取得したとされていたのですが、なんと無資格で、セミナーを聞いただけであったということですから驚きですね。」

「セミナーというのも怪しいものです。」

「ひどいですね。さらにミラノへの留学等も事実無根であったことがわかりました。」

「とことんうそですねー。」

「さらに週刊聞文はジョーンJ氏のパワハラ疑惑についても言及しており、さらなる疑惑が暴かれるかもしれません。いったんコマーシャルです。」


昂大は空いた口が塞がらなかった。つい昨日饒舌に語っていたことを思い出すと、


「ぷぷっ。」


思わず昂大は吹き出してしまった。



「カランカラン」


乾いた高音が店内に響き渡る。


「いらっしゃいませ。」


店内はとても落ち着いた雰囲気を醸し出しており、どこか昭和モダンがにじみ出ていた。そして広い店内の奥から二番目のカウンター席に藤堂は静かに座った。


「マスター。いつもの。」

「かしこまりました。」


 このバーのマスターはとても奥ゆかしい初老の男性でチョビ髭をはやしている。藤堂は二年前に東京の警視庁から新田川署に異動になったときからの行きつけなのだった。


「はい。ジンライムです。」


 マスターはスタイリッシュで洗練された動きでカクテルを作る。


「ありがとう。」


 藤堂は微笑し、少しすする。


「カチャン。」


 そうしてライターの蓋を親指で押し上げ、タバコに点火する。


「ふーーー。」


 藤堂は足を組み、深く腰掛けリラックスする。店内には他に客が何人かいて皆思い思いの時間を過ごしていた。


「何か事件でも?」


 マスターは藤堂に優しい口調で話しかける。


「何でわかるんです?」

「いや、藤堂さんは何か考え事をしているときは絶対に上を向くんです。」


 マスターは笑う。


「マスターに隠し事は出来ませんね。」


 藤堂も笑い、タバコの灰を灰皿に落とす。


「まあ今は退屈ではないですね。」


 藤堂は静かにそう言い放った。


「刑事さんのお仕事も大変そうですね。人のことを疑わなければいけませんし。」


 マスターはなにやらキッチンで作っている。


「マスターこそ客のことをよく見てますよね?」

「まあ私たちにとって、お客様は神様ですから来ていただいた方はすべて覚えることにしています。」


 マスターは微笑している。


「ふふ。マスター刑事に向いてますよ。」


 藤堂は上機嫌である。


「ありがとうございます。どうぞ、たこわさとアヒージョです。サービスですよ。」


 マスターはそういう点ですこぶる気前がいい。


「いつもありがとう、マスター。」


 藤堂はマスターの気前の良さについいつも飲みすぎてしまう。


「藤堂さん。今からそこのステージで歌手が歌うんですよ。」

「歌手?」

「たまに来てもらってるんです。」


 このバーには少し小さいステージがあり、そこでたまにミニライブが行われる。


「そうなんですか。楽しみですね。」


 そうすると奥から全身白の密着した服を着た女が現れる。しかし藤堂の目にはそれ以上全く見えない。なぜならステージからやたらとスモークが出始めたからだ。ステージは瞬く間に靄がかかる。


「こんばんはー、YURIEです。今日は一生懸命歌うので聞いていってくださぁい。」


 店内は皆ステージに釘づけである。


「♪~♪~」


 YURIEは持ってきたラジカセからバックミュージックを流す。


「♪~~♪~~~♪~~~」


 その歌は全くメジャーなものではなかったが、どこか聞きやすい歌であった。しかし最も重要なことはそれではない。


「マスター。何であんなにスモークを炊くんですか?」

「実はあの機能は最近付けたんですよ。それでYURIEさんに初めて使ってもらってるんです。」


 マスターは何やら自慢げな表情である。それにしてもなぜこんな機能を付けたのかと藤堂は思っていた。


「♪~~~♪~~~」


 歌は終盤に差し掛かる。店内にはなかなかの数のファンがいつも間にか現れていた。


「包ま~れ~て~ゆく~」


 歌が終わりに差し掛かった、その時だった。


「ビー!ビー!ビー!」


 店内に謎のアラーム音が響き渡る。そして、


「ジャー!」


 勢いよくスプリンクラーが作動し、YURIEが立っているそのステージに滝のように降り注いだ。


「???」


 あまりに突然の出来事で当の本人は言葉も出ない。先ほどまでモクモクとステージに立ち込めていたものはすべて掻き消え、そこにはズブ濡れでただ立ち尽くすYURIEがいる。


 「・・・。」


 観客もあまりの出来事に開いた口が塞がらなかったが、


「ブ、ブラボー。」


 一人のファンが口を開いたことにより辺りは喝采に包まれる。


「あ、ありがとー。」


 YURIEは少し不機嫌そうであったが、次第に口角を和らげていく。


「ふふ。なんか面白いですね。」


 藤堂ははにかみながらジンライムを飲み干す。


「私はずぶ濡れになっても歌い続けまぁす! 聞いてくださぁい。いえぇー」


 そうかっこつけるとアカペラで歌いだす。

 バーは今日限りにぎやかなライブハウスと化した。こうして藤堂刑事のつかの間の休息は幕を閉じる。



夕方五時半、少し夕焼けに染まり始めるこの時間帯に非常勤数学教師石川雅治は北校舎の三階からグラウンドを見ていた。そこでは野球部がノックをしている。


「もっと動けや!へぼサード!!」


その大きな怒号は野球部監督の平本のものであった。あまりにも理不尽に出された球をサードの選手がヘッドスライディングしてとろうとするが、とれない。そのような様子を石川はつまらなさそうに蔑んで見ていた。


「ふん。つまらん。」


そうつぶやくと石川は階段の方へと移動する。そして耳に何かイヤホンのようなものを装着する。そこからは橋本と吉田の会話が聞こえてくる。


《今から今月の報酬を渡しに加藤さんが来るわ。》

《で、ではどちらへ?》

《そんなもんここで受け渡しに決まってんだろ!暑いのに、移動なんてまっぴらだよ。》

《もも、申し訳ございません。》

《とにかく!9時にここに来るんだからちゃんと用意しとけ。わかったな。》


橋本は学校での温厚なイメージとは全く違い、言葉遣いが荒かった。


《し、失礼します。》


吉田の声が聞こえたと同時にドアの開閉音が聞こえた。石川はイヤホンを外す。そして階段を一歩一歩下りながら言った。


「賽は投げられた。」


石川の口元が歪んだ。それは不気味で残酷な狂気の笑みであった。



夜7時前、もう暗くなり始めたその時間帯に昂大は帰宅した。部屋に入るや否やすぐさま照明を点ける。今日も大変昂大は疲れていた。学校ではやはり昨日饒舌に語ったジョーンJの経歴詐称についての話題で持ちきりだった。騒がしくて昂大が昼休み一睡もできなかったほどである。荷物を下ろし、制服から着替えようとすると、部屋の片隅に置いてあった一本の携帯の着信音が鳴った。その携帯は昂大が普段使っている物ではない少し分厚いガラケーであった。昂大が渋々中のメールを確認すると、


『未明2時、決行。』


とだけ書かれていた。昂大は「ふう」とため息をつき制服を脱ぐ。そして肩を大きくぐるりと回し、大の字に部屋に倒れこんだ。


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