刑事と野球とコンビニ
新田川署の地域課のデスクで大谷はいつももごとくプラモデルを組み立てている。だがその顔はいつもより暗かった。その理由は先日の広島の言葉によるものだった。その内容は捜査の打ち切り、ということである。大谷は落胆していた。というのもただ暇になるのが嫌だった。何より大谷は藤堂と捜査ができることを楽しんでいた。大谷と藤堂が出会ったのはちょうど二年前、新田川署に藤堂が配属された時であった。当初は冷たく、無愛想な印象であったため、近づこうとしなかったが、コンビを組むようになってからは数々の難事件を解決し、(これは大谷の想像だが)とても活躍してきた。そんなことを大谷は思っていると、なおさら憤りを感じるのである。
「この事件も俺たち2人で解決したのに、なんで捜査打ち切りなんだよ。そもそも上からの圧力ってなんなんだよ。あーあ先輩はどう思っているのかな。きっと俺以上に悔しがっているんだろうな。こうなったら俺が慰めに行かなきゃな。」
そんなことを独り言のようにぶつぶつと言っていると、目の前に藤堂が立っていた。
「何をお前はぶつぶつ言ってんだ?さっさと行くぞ。」
大谷は驚いて困惑する。
「えっ?どこに?」
大谷があたふたしていると藤堂が地域課を出て行こうとしている。
「捜査は打ち切りなんじゃないんすか?」
大谷はあわてて後を追いかけていく。
「捜査本部が打ち切っても俺たちには関係ないだろ。」
藤堂は大谷に目もくれず、進んでいく。
「どこ行くんすか?」
「鑑識だ。」
藤堂は笑う。そうして階段を下りて一階に行き2人がたどり着いたのは鑑識課だった。だが2人に捜査の事を教えてくれる当てはなかった。
「大丈夫だ。まかせろ。」
藤堂はそう言って鑑識課に入って行く。
「すみません。芹沢います?」
そう言った芹沢という名に大谷は聞き覚えがなかった。
「だれっすか、芹沢って。」
「まあちょっとした知り合いだ。」
それだけ言うと奥から男が笑いながら出てくる。
「いやーお久しぶりで。藤堂さん。」
芹沢という男は頭をかきながら照れくさそうにでてきた。
「お前は相変わらず変わらないな。」
大谷は2人が馴れ馴れしくしゃべっていることに不満げな表情を浮かべている。
「それで、どうせ何か僕に頼み事でもあるんでしょ。」
「さすがだな。話が早い。」
「じつはこの間の新田川高校の件なんだが捜査資料とかいろいろ見せて欲しいんだがいいか?」
藤堂がそう言うと、少し芹沢の顔色が曇った。
「あの事件は自殺で処理されたんじゃなかったんですか?」
「いいや。あれは他殺だ。お前もそう思うだろ?」
芹沢は少し間をおいて、
「たしかに、少し気になる点はありますね。まず首に防御層がありました。」
そう言って芹沢は2人に前川の遺体の写真を見せた。
「普通自殺ならこんなに深くひっかいたりしません。それにわずかですが被害者のズボンに砂が付着していました。それも裾に。」
「すそっすか?」
大谷はあまり納得していない。
「まあこれを捜査本部に言ったんですが全く聞き入ってくれませんでしたけどね。」
そう言って芹沢は笑う。
「いいことを教えてくれた。今度なんかおごってやるよ。」
そう言って藤堂はそそくさと鑑識課を出て行く。
「えっ?ま、まあよろしくお願いします。」
藤堂の行動には少し芹沢も困惑気味である。
「ちょっと先輩―。なんなんすかホント。」
大きなため息をついて大谷は後を追いかけて行った。
☆
今日は日曜日であった。そして今は午前11時。そんな折、藤堂と大谷は車で新田川高校に向かっていた。車を運転するのは大谷である。
「先輩。今日日曜っすよ。教師誰もいないんじゃないすかね。」
大谷は鑑識を出てからも不機嫌であった。
「そんなに怒るな。ちゃんとお前に説明するよ。それに芹沢は俺の警視庁時代からの腐れ縁だ。何もお前に黙っていた訳じゃない。」
「別にそんなことで怒ってるんじゃないっすよ。」
大谷は赤信号でブレーキを踏んだ。
「ていうか犯人の目星はついたんすか?教師とか?」
「俺もまったくわからん。」
藤堂のその言葉に大谷は肩を落とした。
「じゃあなんで高校に向かうんすか?」
「俺はな、大谷。あの学校には何かもっと壮大な秘密がある気がするんだ。もっと何か残酷な、何かが。」
藤堂はそう言って窓の外に目をやった。
「何かって、なんなんすか?」
大谷はアクセルを踏み、発進する。
「それは俺もわからんが、あの研究室何か臭う。それにどうしてあの事件を報道規制までかけて捜査を打ち切らせて終わらせようとする?誰が圧力をかけたんだ。」
「確かに変っすね。」
大谷は交差点を左折する。
「俺、あの校長室も変だと思います。なんか防犯設備が過剰だったっすよね?」
「ふっ。確かにな。」
そうこうしているうちに新田川高校が見えてきた。
「とにかくもう一度この学校を調べてみよう。」
「はいっ!」
大谷は元気よく返事をし、アクセルをおもいっきり踏む。
「ところで、この変なストラップはなんなんだ。」
藤堂がそう言って指をさしたのはバックミラーにかかっている5体の戦隊モノのストラップだった。
「あーこれっすよ!暗殺戦隊コロスンジャー。もう5体そろえるのにめっちゃガチャ引きまくったんすよー。どうっすか?めちゃくちゃかっこい、ああーーー!」
藤堂はストラップを引きちぎり、窓から捨てた。
「もー。ひどすぎますよ先輩。」
大谷はかなりの涙目になっていた。
新田川高校についた2人は校舎を目指して歩いた。驚いたことに日曜であるのにもかかわらず大勢の人がいた。
「なんかやってるんすかね?」
そう言って2人は声のするほうへ進む。そこには応援の声やチームの掛け声が響き渡っていた。
「なんか野球の試合やってるっすね。ちょっと行ってみましょうよ。」
そう言って大谷は子供の様に駆け出していく。
新田川高校野球部は去年の夏に彗星の如く頭角を現した。それまではまったくの無名だったが平本剛司監督が就任してから瞬く間に腕を上げ、去年の夏は府大会ベスト4にまで上り詰めている。これは公立高校としては異例の出世であった。そんなことから今年の夏の甲子園出場をとても期待されていた。
「おお。7対2で新田川高校が勝ってるっすね。」
対戦相手は私立高校の明哲高校だった。
「明哲高校も毎年府大会ベスト8ぐらいの実力校だがそれを圧倒するとはな。」
藤堂が腕を組み、感心していると、
「先輩って野球好きでしたっけ?詳しいっすね。」
「まあな、新聞ぐらいは読む。」
「俺はサッカー派っすかね。」
大谷はそう言いながらも観戦に夢中である。
試合は5回ウラ、新田川高校の攻撃である。新田川高校はツーアウト二、三塁で次は7番バッターの打順である。ここで監督の平本は動いた。
「代打、沖田だ。行け!」
その言葉を誰が予想していただろうか。ベンチがざわめく。しかしその言葉に誰よりも驚いたのは紛れもなく沖田であった。この練習試合では昂大はベンチで見学をしろと平本に言われていただけなのにまさか出ることになるとは夢にも思っていなかったのであった。昂大は棒立ちしていた。
「なにしてる。早く出ろ。」
平本の言葉は冷ややかだった。昂大が固まっていると、
「昂大!お前ならできる!がんばれよ。」
そう言って肩を叩いたのは三年の7番、谷であった。
「でも先輩おれ・・・。」
「あーもう。お前気にすんなって。早くしないと監督が怒っちゃうぜ?」
そう言った谷の言葉に昂大は押され、昂大はマウンドに立つことになったのだった。
代打に昂大が出てくることを知ったほかの一年はざわめき立った。それは他の見物客にも知れ渡り、瞬く間に相手チームにも知れ渡る。無論相手チームは皆不快な顔をしている。昂大はバッターボックスに立つまでの道のりで様々な声を聞いた。その声のほとんどが昂大を罵倒する声だった。昂大は正直つらかった。だが昂大には監督や谷のように信じて託してくれた者たちがいた。その者たちのためにもここで無様に三振を取るわけにはいかない。その思いが昂大を強くさせた。
かたや相手ピッチャーも気合が入っていた。それはバッターボックスに立った昂大が一番よくわかった。ひしひしと伝わってくる闘志。昂大は楽しくなった。そして自然と笑みがこぼれる。それを見たピッチャーはさらに気合が高まる。
2人が向かい合うその様子はまるで膨大な力を手にした龍と虎が向かい合っている、そんな緊張感であった。そこにはもう怒りや罵倒と言った下等な感情は存在していなかった。しかし昂大にはその中で自分を応援する声がはっきりと聞こえた。そう応援席の中から。それはあの将人であった。昂大にはその声援がはっきりと聞こえていたのであった。昂大はバッターボックスに立ち、構えた。そしてついにその時は突如訪れた。龍の如きピッチャーが足を上げ大きく振りかぶった。そうして一瞬停止した。そして力いっぱいボールを投げた。昂大にはそのボールがまるで龍の息吹のように感ぜられた。龍の息吹はキャッチャーミット目がけて直進する。それが昂大にははっきりと見えた。昂大も足を上げる。そうして地に足をつき思いっきりそのストレートに答えるようにバットを闘志に任せ振り上げた。それは龍の息吹を虎がかわし、龍の喉元に牙を突き立てた瞬間だった。
「カキーン。」
鋭い金属音が空に響き渡った。ボールは空高くぐんぐん伸びて行く。そうしてボールは消えた。誰もが息をのんで見守った。そしてそれは大谷のほぼ真下に落下した。
「ひっ!」
大谷の声を聞いたものはいなかった。
「はいりおったー!」
沈黙を破るように将人が叫んだ。
「うおーー!」
会場は歓喜の渦に包まれた。
☆
「いやー、まじでびびりましたわー。」
試合終了後、大谷はうなだれていた。試合は10対3で新田川高校の圧勝に終わった。だが試合結果というよりも敵味方問わず沖田昂大という名の一年生がホームランを打ったということにインパクトを受けていた。
「おもしろい選手がいたな。一年であんなことをしでかすとは。」
藤堂はいつにもまして面白そうにしている。
「そんなことよりも俺の上に落ちてきたんすよ?もう少しで当たってたんすよ?」
ホームランボールが大谷に当たりかけ、落下したことは誰も気にかけない。というよりも気づいていないのかもしれない。
「おお。そんなことよりも忘れるとこだった。いくぞ。」
藤堂は大谷に目もくれず、かなり帰り始めている観客を追いかけて行こうとする。
「ちょ、気にぐらいしてくださいよー。」
大谷は藤堂の後を追おうと立ち上がった。
「どこ行くんすか?」
「情報収集だが少しラフな感じで行きたいと思う。」
大谷は首をかしげる。
「ラフってどういうことっすか?」
「ふっ。まあ見てろ。」
そう言うと藤堂は近くにいた高校生と思われる者に声をかける。
「こんにちは。ちょっと話をしないか。喫茶店か何かで。」
声をかけたのは先ほど大谷の近くで試合を観戦していた楠木将人であった。
「えっ、おれ?おっちゃんらホモ?」
藤堂はしめた、と思った。
「いやいやホモではない。こういう者なんだが。」
そう言って見せたのは警察手帳だった。
「警察?何でおれなん?」
将人は笑いながらも半信半疑な様子であった。
「いやー、いろいろと情報収集しているんだが、この大谷っていうバカが女子高生と話したいっていうんだ。でもこんなおじさん二人じゃなんか怪しまれるだろ?だから君に紹介してほしいんだ。なんか君結構友達いそうだし。」
将人は少し黙った。そして笑いながら、
「ええでー。おれ結構女の子にモテてるしな。おっちゃんようわかってるやん。」
おれそんなこと言ってないっす。という大谷の言葉は2人には届いていない。
「でも人は見た目で判断したらあかんねんで。」
将人はそれだけ言うと立ち上がる。
「じゃあいろんな人誘っとくから、2時に駅前のからくりや珈琲集合な。」
将人はうきうき気分で駆け出そうとする。
「何でからくりやなんすかね?」
「さあ?」
2人の会話が聞こえたのか、
「あそこのパフェめっちゃうまいねん。おっちゃんらがナンパしてんからちゃんとおごってな。」
ニヤニヤしながらそれだけ言うと姿が見えなくなった。
「大谷。お前払えよ。」
「ええー!なんでなんすか。」
2人はぶつぶつ言いながら車に戻っていく。
☆
まさか打てるとは夢にも思っていなかったというのが昂大の本音である。がしかし思った以上に反響が大きくなってしまい、昂大は焦っていた。そして今試合が終わり、今日はお開きとなったわけだが今昂大の目の前には地元新聞の記者がいるのだ。そうしてインタビューを受けている。
「打つ時どんな気持ちで打ったの?」
「な、なんか気合で打ちました?」
「相手ピッチャーの球はどうだった?」
「け、結構怖かったです。」
とにかく昂大は緊張しすぎてうまくしゃべれないでいた。昂大にとってインタビューを受けることは生まれて初めての経験だった。
「じゃあ最後に感想を。」
「感想っすか、えーと、なんか意外で打てるとは思ってなくて、えー、うれしかったです。」
昂大の顔は真っ赤になっていた。これは緊張というよりも、うまくしゃべれない自分への恥じらいからであった。
「ありがとう。」
そう言って記者は手帳に何やら書き留めて昂大を見た。そして笑って、
「いやー、これからの活躍が楽しみだね。」
と言って去って行った。昂大はそれを見て肩を下ろし、「はあー」とため息をついた。
「インタビューおつかれさん。」
そう言って突然誰かが昂大の肩を叩いてきた。昂大はとても驚いた。それが監督の平本の手であったからだ。
「おつかれさまです。」
昂大はあわててかしこまる。
「今日は本当によくやってくれた。まったく俺の予想以上だった。」
平本は豪快に笑った。
「いや、でもおれもほんとに打つ気なくてまさかホームランになるなんて。」
昂大は下を向いた。
「お前には才能がある。もっと自信持て。」
平本は冷静にそう言って去っていく。
「あざっす。」
昂大はどこか照れくさそうであったが平本の言葉をとてもうれしく思っていた。昂大は単純な人間であったため、褒められることに過剰に反応する。
昂大はうきうき気分で帰路に着いた。昂大には午後からの予定などまるでなかった。つまり昂大にとっての休暇となるわけである。このことが昂大をさらに高揚させる。昂大は徒歩一分のところにある家を素通りして、しばらくしたところにあるコンビニ、ロースンに向かった。昂大はよくこのコンビニに立ち寄る。その目的はもちろんスイーツを買うことであった。コンビニスイーツとは今やそのクオリティは言うまでもなくケーキ屋並みに高くなっている。
昂大はロースンに入るや否やほかの物には目もくれずにすぐスイーツコーナーに向かった。ケーキ、シュークリーム、プリンにパフェといったスイーツの数々を前に昂大は思わず笑顔になる。そして導かれるようにカゴに入れていく。その時の昂大は誰がどう見てもわかる幸せに満ちた表情をしていたことであろう。そして流れるようにレジに向かった。
レジにカゴを置いて財布を出す。
「?」
それは財布であったのだが、そう昂大の財布が、軽いのだ。妙に軽いのだ。そのとき昂大は絶望した。そう、金がないのである。いつかの如く自分へのご褒美と称してスイーツを買うことはおろか、昼食でさえ買うことが危ぶまれるような金額しかないのである。昂大は絶句した。はっとして我に返った昂大はものすごいスピードでカゴを持ちながら、スイーツコーナーへ戻った。そして仕方がなくスイーツを元の位置に戻す。その時の昂大にはさっきの笑顔やウキウキ気分などどこにも存在していなかった。
「ふう。」
悲しみにあふれた昂大は仕方がなくシーチキンおにぎりとおかかおにぎりをカゴに入れてレジに向かった。しかし店員はいなかった。どうやら奥にいるようである。しかし全く昂大に気付かない。昂大は声を出すか出すまいか迷った。そして声を出そうとしたところでようやく奥にいる女性店員が出てきた。昂大は少し戸惑った。それはその店員がものすごく太っていたからである。正直働けるのかなと昂大は思った。
「ああ。レジお願い!」
ものすごく豪快に号令すると、さっきまでいたのかさえ気づかなかったがドリンクコーナーで品出しをしていた男性店員が走ってきた。昂大は下を見ていたのでその店員の靴に目が行ってしまった。汚い。あまりにもボロボロなのだ。
「すいま…」
聞き取れないような声を漏らして昂大の横を通り過ぎ、レジについた。
「いらっしゃせ。」
早口かつ聞き取りにくい。
「…カードはほほちでしょうか。」
「えっ?」
昂大は思わず聞き返してしまった。
「…カードはほほちでしょうか。」
昂大にはカードという単語しか聞き取れなかった。よってとりあえず、
「ないです。」
と答えておいた。それっきりなにもいってこなかったのでおそらくポイントカードのことを聞いていたのであろう。
「…円になります。」
昂大は少したじろいだ。あわててレジに表示された金額のお金を出す。それにしてもあまりにも滑舌が悪いなと昂大は思った。
「…円、ほあずかりします。…円のほかへしでございやす。・・・。」
昂大の耳では全く聞き取れなかった。声は小さいというわけではないのだが、とにかく滑舌が悪かった。昂大は逃げるように店を出た。しばらく行ったところでふと振り返り、ロースンを見た。
「ぷぷっ。」
思い出しただけでふと笑ってしまった。




