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偽りの惑星―fake planet―  作者: 過去(10年前)のくろひこうき
一章
4/32

新田川市の長い夜


次の日、新田川高校では緊急の全校集会が行われた。内容は自殺した化学教師前川清志のことであった。昨日の臨時休校の事を保護者に対して説明することは、校長の橋本にとってかなりの疲労のもとになったらしく、橋本の顔には隈ができている。そんな中体育館の舞台に立った橋本はこう切り出した。


「みなさん、もうわかっている方も多いと思いますが我が校の先生がお亡くなりになりました。大変残念なことだと思います。」


そう言って橋本は黒いハンカチを持ち、泣き出す。生徒たちは動揺した。それに準じて泣き出す生徒も現れた。


「こんなことが起こったのは私の責任です。本当に申し訳ありませんでした。」


橋本の態度は切実であった。今まで生徒たちはざわめいていたが、橋本の謝罪を受けてまだしゃべっているような者はいなかった。


「皆さんの中には心理的に傷ついている方もいらっしゃると思います。だから今から一年間、皆さんの心のケアに努めてくださる方々を紹介します。入ってください。」


そう言うと生徒たちの目線は入り口に釘付けになる。次の瞬間、全校生徒は凍りついた。黒い服を着てとても長い仙人のような髭を生やした男が入ってくる。その男は橋本に促されて舞台に立つ。その後をやせ形の小男が続く。誰がどう見ても不信感が湧き上がる。舞台に上がると頭の薄い小男が口を開く。


「えー。皆さんこんにちは。私たちは人類の発展と世界平和のために尽力している、MPO法人VIMPATIOR(ヴィンパティオ)と申します。皆さんの心が乱れていると聞き、駆けつけました。私たちが皆さんの心のケアに努めさせていただきます。これから一年間。保健室にいるのでいつでも保健室に来てください。」


おそらくこの瞬間その場にいた誰もがこう思っただろう。

「こんなキモイ奴らが保健室にいるのか!?」と。小男は続ける。


「ああ私たちの自己紹介がまだでしたね。私はVIMPATIOR(ヴィンパティオ)の副代表の小岩井と申します。そしてこちらが代表の六本木です。」


六本木と呼ばれた髭の男はマイクをとった。


「わたしが、だいひょうのろっぽんぎです。」


ものすごく滑舌が悪い。何を言っているかほぼわからない。


「きみたちとたくさんはなしをしたい。そうすればきっとみらいがみえる。」


意味が分からなかった。もはや違うことをしようとしているのではないかと思う人がほとんどであろう。


「みなさん。六本木さんと小岩井さんにたくさん話を聞いてもらいましょう。この悲しさを乗り越えて強くなります。」


そんな橋本の強い言葉で全校集会はお開きとなった。



昂大のクラスでは2限目の数学の時間であるのにもかかわらず、ざわめいていた。それは全校集会のときの謎の男二人についてだった。その直後などは授業中であるのにもかかわらずソーシャルネットワークサービスのズイッターなどで騒ぎとなっていた。そのコメントのほとんどが、


「何あのおっさん。キモすぎワロタ。」

「あんなきもいやつに話なんか聞いてもらいたくねえよ。」


など、批判コメントばかりであった。そもそもあの妙な団体は何なのか。そのことばかりが皆の疑問であった。


「なあなあ昂大。あの変なきもい奴ら何なん?」


そう話しかけてきたのはあの将人である。


「何でおれが知ってるんだよ。」


昂大は相変わらずの低いテンションである。


「試しにさ、保健室に言ってみいひん?」

「やめとけよ。」


将人は昂大の思っているより好奇心が強いらしい。


「なんか世界平和とかなんとか言ってへんかった?。」

「そうやったっけ。」


昂大には全く記憶がない。なぜなら全校集会などほぼ聞いていないからである。


「やっぱりいきたいなー。」


将人はニヤニヤしながら昂大を見る。どうも誘っているようである。


「えーーー。やっぱりやだ。」


そう言って昂大は狸寝入りしてしまった。


「ちぇー。つまんねえの。」


将人はつまらなそうに去っていった。



前川先生が自殺。その事実は生徒会長立花千代を激震させた。普段は冷静かつ知的な千代もその時だけは立ち崩れ、涙を流してしまった。人知れず、悲しげに。化学教師の前川は教師たちとは違い、生徒にはとても優しく接していた。特に千代は前川の研究室を訪れるほどの仲であった。


どうして、前川先生が。


千代は臨時休校となった日、自分の部屋に閉じこもった。親には体調が悪いとウソをついて。しかし、一日たってもその傷が癒えるはずもなかった。

じぶんのせいだ。

千代は自分を責めていた。最後に前川と話した時のことを思い出す。ああ、涙が出てきた。ここは教室なのに。

千代のいる二年一組でもあの全校集会のことを何か言っている。しかし千代にはわからない。とにかく誰かに聞いてもらいたい。この気持ちを。私のせいで前川先生が死んだ。この気持ちを。

気が付けば夕暮れであった。もうすぐ六時かというような時間でさえ今の彼女には実感のできないものであった。

ここは、保健室?

それは千代にとって光り輝く天界への扉だった。千代は笑った。そしてその扉を開いた。しかし中には誰もいない。保健室の先生さえも、いないのだ。窓から差し込む紅い夕日。それを千代はただ黙って見ていた。


「君は、自分を責めている。強く、深く。そうして泣いている。違うかい?」


後ろから小岩井はやさしく話しかける。気が付けば千代は涙を流していた。


「はっ。私。なんで。」

「いいんだ。自分に嘘はつかないで。ありのままでいてください。」


小岩井は笑う。夕日に照らされた小岩井の顔は温かかった。そして強い。千代は心から打ち明けた。そう、すべてを。すると小岩井は黙って微笑し、


「君ならできる。自信を持ちなさい。」


とだけ言った。千代はただただうれしかった。


「また、来てもいいですか。」

「もちろん。いつでも。」


日は沈む、どんどんと。そして夜が始まった。長く、短い夜が。そこには人工的な明かりが人々を照らしていた。



藤堂はずっと考えていた。なぜあの事件が起こったのか。そして誰が何を隠しているのかを。殺人か、自殺かを考えているのではない。もっと重大な何かがあの学校にはある、そう考えていた。


「先輩。」


大谷の声で我に返った藤堂はふとため息をつく。


「さては犯人、考えてたんでしょ。」


あれから二日たったが一向に靴は見つからない、それはどこにもなかった。


「俺は、なんかあの化学教師が怪しいと思います。なーんか隠してる気がするんすよねー。」


藤堂もそう考えていた。


「あの研究室。妙に広くなかったか?。」

「あー!。たしかに。」


化学教師皆に与えられている研究室。たしか訪ねたのは小林泰子の研究室だった。そこはとても整理整頓されており、きれいであった。しかし藤堂はそこに何か違和感を感じたのである。


「藤堂君。それに大谷君も。」


そこに現れたのは広島であった。しかしいつものような明るい様子はなく、どこか暗い印象だった。


「管理官。靴はどうでしたか。」

「靴を見つける必要はなくなったわ。」


唐突なその言葉に2人は驚く。


「なんでっすか。!?。これからが技研の捜査なのに。」


大谷は声を張り上げる。


「上が、自殺で処理しろって、圧力を掛けてきたの。だから明日で捜査は打ち切り。」


広島は壁にもたれかかる。


「そんなの納得できません。ねっ先輩?。」


藤堂は何も言わない。ただ押し黙っている。しばらくして、


「なんで、圧力を?。」

「わからないわ。」


首を振る広島。


「失礼します。」


そう言って藤堂は席を立つ。


「先輩。」


さすがの大谷も後を追わない。藤堂が消えた後の部屋にはどこか気まずい空気が漂った。こうして新田川署も暗い夜を迎えようとしていた。



新田川市郊外の住宅地のど真ん中にそれ(・・)はあった。白い佇まいの新しめの建物。異質なのは大きな門に、敷地を囲む鉄格子。まるで刑務所か、自衛隊の基地のようである。そこにNPO法人VIMPATIOR(ヴィンパティオ)の京都支部がある。その場所にも秘密が隠されていた。

一台の外車が入り口ではなく裏口に止まる。そして中から出てきたのは小岩井である。


「お帰りなさいませ。」


すぐさま裏口で待機していた厳つい男が小岩井を迎えた。


「・・・。」


しかし男のことを気に掛ける様子など微塵にも見せず小岩井はさっさと裏口から入っていく。

そして少し歩いた先のエレベータに乗る。子のエレベータは普段は業務用で一般人が乗ることは出来ないようになっている。迎えの男が何やらカードキーを差し込むと行先を指定していないのにエレベータは動き出す。


「チーン。」


そうしてついた先に待っていたのは廊下である。そこからは様々な扉に分岐しており人の居住スペースとなっていた。


「おかえりなさいませ。」


その部屋からは男、女、いや子供まで皆黒い服を身にまとい、小岩井に頭を下げる。


「やあ、君たち。」


先ほどの迎えの男に取った態度とは大違いな程小岩井の笑顔は、まぶしい。

小岩井は廊下の奥にある大きな部屋に行き、扉を開けた。


「どうしましたか?何か?」


小岩井は目の前の集団に問いかける。そこには明らかに厳つい男を引き連れた一人の老人と大柄で屈強な男を二人引き連れた六本木の姿があった。


「やあ、小岩井。元気そうだね。」

「これはこれは組長。お久しぶりです。」


組長と呼ばれた初老の男に小岩井は頭を下げる。


「まさか、組長自らお忍びで来られるとは思ってもみませんでしたよ。」

「はは、これは我々にとっての一大イベントだからね。」


和やかそうに話す二人を見て六本木はどこか嫉妬している。


「いやー、六本木君。君もたいしたものだ。こんなにも信者を増やすとはな。」

「わたしはかみからおつげをうけましたから。」


六本木はとてもうれしそうである。


「まあ、組長。で、受けてもらえるんですね?あの話は。」

「もちろんだよ。」


組長の顔がこわばる。


「でもな、小岩井。日本をひっくり返せるようなことをする覚悟がお前にあるのか。」


組長は静かにそして恐ろしいほど冷たく言い放った。


「もちろんですよ。」


小岩井は嘘くさく笑う。


「ははは。冗談だよ。検討を祈る。」


組長は大きな声で笑うと立ち去ろうとする。


「ああそうだ、分け前の金はしっかりよこせよ。私たちも最近じゃ貧乏でねー。」

「わかってますよ。」

「今度部下に取りに越させよう。」


それだけ言い残すと組長とその部下は静かに部屋を出ていく。


「ああそうだ、今度家に来なさい。久し振りに飲もうじゃないか、なあ小岩井。」


組長の笑いはとても猟奇的である。


「また、伺います。」


それだけ言うと厳つい組員を引き連れた組長は扉の奥へと消える。


「あの人は、苦手だ。」


小岩井は微笑する。


「今から信者を呼べ。」


小岩井は突然打って変わって六本木に命令する。


「わかった。」


六本木は何やら横のがたいのいい男たちにごにゃごにゃ言うと男たちは部屋を出ていく。


 「もうすぐだ。六本木。」

 「ああ。そうだな。」


 広い部屋に不気味な空気が流れる。



昂大はとにかく焦っていた。気が付けばもう三日も経っているからだ。美樹の家に行くということをすっかり忘れていた。部活帰りにようやくこのことを思い出したのである。ぼろいアパートに荷物を置き、私服に着替える。昂大の私服はジャージであった。というよりジャージしか持っていなかった。

そのまま少しのお金を持って飛び出した昂大は新田川駅に向かう。新田川駅は最近できた駅でその周りには超大型ショッピングモールや高層マンションなどが立ち並び、とても賑わっている場所だった。その駅前の高層マンションの最上階に美樹は住んでいた。


「あー。まじチャリ欲しー。」


昂大は独り言を言った。昂大の住んでいるアパートから新田川駅までは徒歩で10分ほどかかる。その距離でさえ今の昂大にとって苦痛となっていた。

しばらく行くと、人が増えて賑やかになった。どうやら今日はショッピングモールのセールか何かあるらしく、もう7時になろうとしているというのにどこか明るかった。昂大はその明るさに少し嫌悪を抱いた。昂大は次々と人とすれ違っていく。自転車に乗った小学生くらいの子供たち三人、ぺちゃくちゃしゃべる女子高生たち、買い物帰りの主婦や犬の散歩をしている若い男性など、数多の人間と昂大はすれ違った。皆楽しそうでなにより明るかった。そのすれ違った大量の人たちは誰も昂大のことを見ない。まるで存在そのものをかき消すように風を纏い、すれ違っていく。昂大はその風を強く受けた。

ショッピングモールの前はなお明るく光り輝いていた。しかし昂大は近づかない、というより近づけないのだ。その前に横たわる劣悪な大河のせいで、その大河が昂大の住む場所を位置づける。昂大は少し立ち止まり、また歩き始めた。


ふと、前から三人の家族が歩いてきた。お父さん、お母さんの間に三歳くらいの女の子がいた。手をつないでいる。そしてその先頭を切るボディガードのような小学生くらいの男の子が歩いている。女の子の兄であるようだ、と昂大は思った。偉そうに胸を張り歩いている男の子を見ていた。そう、ずっと。どんどん近くなる。近づいてくる。昂大は我に返った。そしてうつむき、曲がり角を曲がった。昂大は見るに耐えられなくなっていたのである。


美樹のマンションはもう見えていた。しかし昂大は近づく気になれなかった。少し気分が悪くなった。すると近くに公園を見つけた。とても小さく、暗かった。街灯は一つしかなく、しかももう電球が切れそうになっていたのか、チカチカ点滅している。昂大は吸い込まれるように公園に入っていく。そして少し古びたブランコに腰を掛ける。そして昂大はため息をついた。弱く、浅いため息だった。そしてしばらく凍りついた。駅前から少し入っただけなのに静かで暗い場所だった。未だ誰も通りかかる者はいない。昂大は思い出していた。黒く、鮮やかな血で染められた過去を。リビングで血を流して倒れている父親。娘を守るようにして死んでいた母親。そして無残に切り刻まれ、母親に抱きかかえられている妹。さっきの家族はまるで封じ込めたはずの過去への扉を開くカギだった。そのカギは昂大に見せたくないものを見せた。醜くそして無力だった自分の姿を見せた。昂大はブランコの持ち手を強く握った。意識的ではなく無意識のうちに。昂大は深いため息をついた。少し吐き気を覚えて立ち上がろうとしたその時だった。昂大の後ろ、つまり背後からとてつもない殺気が迸った。昂大は後ろを振り向く間もなく背中を蹴とばされる。その威力は昂大をブランコの前にある鉄の柵に激突させた。


「ぐっ!。」


昂大は思いっきり冷たい鉄の柵に腹をうちつけた。そこで初めて自分を襲った黒い影の姿を見た。その影は無慈悲にも昂大の首をすぐさま絞めつけ、後ろに体重をかける。昂大の息は完全に停止する。しかし昂大は足を曲げ、鉄の柵に押し付け、そして力いっぱい柵を蹴りあげた。バランスを崩す黒い影。その刹那に昂大の首を絞めつける力が弱まる。その瞬間を逃さず昂大は左腕に力をいれ、背後の影の頭をめがけて後ろ手に殴った。それが決定打となり、影と昂大は後ろに倒れる。2人とも軽々と受け身をとり、身構えた。


「ごほっ、ごほ。」


昂大はまだ絞めつけられた喉を押さえながら痛みをこらえている。


「ふん。ちゃんと俺の攻撃をかわせたな、ナマケモノめ。」


その声は籠っていたが、殺意に満ちていた。昂大はその声の主をよく知っていた。


「本気でおれを殺す気だったでしょ、石川さん。ま、いつものことだけど。」


昂大の声は小さく俯いている。


「俺の尾行に気が付かなかったのか?馬鹿め。どれだけお前は怠ければ気が済むんだ。」


影、石川雅治は怒っている。強く、冷たく。


「怠けてませんよ。ちゃんとおれなりにいろいろと調べてます。それに。」


そう言いかけた時、昂大の頬を銀色に光るものが当たった。そして後ろの木に突き刺さる。


「言い訳はいい。もし次に俺が怠けているとお前を判断したら、この任務にも、そして今後もいらん。殺す。」


そう言って石川は消えるように姿を消した。黒いフードの中に見えた赤い鬼の面を見た昂大は何も言うことができなかった。そして何よりも石川の殺す(・・)という言葉が重くのしかかってきたのであった。



昂大はとにかくふらふらと歩いていた。そして美樹のマンションに到着する。一階のエントランスはとにかく派手で、豪華な花や何とも言えない大きさのシャンデリアなどで彩られている。昂大は少し落ち着かず、きょろきょろしながら奥にあるインターホンに向かい部屋番号を入力する。


「ピーンポーン。」

「はーい。やっほー昂大。」


美樹はどうやらハイテンションであるようだ。


「おーす。今日よかった?」

「もちろん。いつ来てもいいように準備しといたわ。」


昂大はこのことを聞いてほっとした。


「じゃ、鍵開けるわー。」


そう言って美樹は目の前の防犯扉を開ける。昂大は扉をくぐり、階段に向かう。そして登っていく。

美樹の部屋はなんと17階にある。よって本来、エレベーターを使わずに階段で登っていくなど自殺行為に等しいのであるのだが昂大は息も切らさずに一心不乱に登っていく。


「うわ!」


昂大があまりにも素早く登ったので途中で前から下ってきていた物好きなおじさんに少しぶつかってしまった。


「あ、すいません。」


昂大は頭を下げて再び登り始める。


「ふう。」


あっという間に昂大は17階にたどり着く。しかしほとんど息は切れておらずむしろどこか清々しい様子であった。昂大はその足で美樹の住む角部屋に向かおうとしてふと、足を止めた。目の前から一人の老婆が歩いてくるのである。ゆっくり、ゆっくりと音もたてずに。昂大はぎょっとした。さらになにやらごにょごにょとよくわからないことをつぶやいていた。


「う~~う~~う~~~」


うめき声をあげた謎の老婆は亡霊のように昂大の横を通り過ぎて行った。



「あーあ。派手にやられたのねー。」


訪ねてきた客に向かって言った第一声がこれである。というより昂大が思っていた以上に頬をかすったナイフの傷が深く、血が大量に流れていたのだ。昂大は今考えると美樹の部屋にたどり着く前に3人ほどとすれ違ったが、昂大の顔を見て、皆驚いた様子であった。たった一人を除いて。


「まったく。あいつは厳しすぎるのよね。てか、もし誰かに見られていたら問題じゃない。」


そう言って美樹は大きな絆創膏を持ってきた。


「いらねえよ。ばんそうこうなんて。小学生かよ。」

「ふふ。てか小学生みたいじゃん昂大。」


美樹は無理やり昂大の頬にばんそうこうを張った。


「お子様みたいな昂大にはお似合いよー。」

「はあ?お子様じゃねえよ。」


美樹は照れて恥ずかしがる昂大の顔を見るのが好きだった。


「ところでさーあの変なおばあさん誰?まじ怖かったんやけど。」

「あー。確かに変な人よねー私もよく知らないのよ。でも言えることは一人暮らししてるみたいよ、あの人。」


昂大はそれを聞いて再びぎょっとした。


「はーい。今日はビーフストゥーを作りましたー。」


そう言って出てきたのはとてもいい香りで具だくさんで。なによりよだれが出てきそうなものであった。


「う、うまそー!。」

「昂大君の怒られ記念だからいっぱい食べてねー。」


昂大はがっついた。そしてあっという間に完食し、おかわりもした。美樹は昂大の食べっぷりを見て満足そうに微笑んだ。


「ほんとおいしそうに食べてくれるからうれしいわ。」


あっという間にビーフシチューはなくなった。美樹の作る料理はとてもおいしく、昔から昂大は大好きだった。


「ごちそうさまー。」


明るいテーブルの上には空っぽになった鍋とお皿があった。昂大はそれを流しに持っていく。


「おれも洗うの手伝おうか?。」

「いいわ。別に。」


昂大はとぼとぼとテーブルに戻っていく。


「それにしてもいい家だなー。おれのとことは大違い。」


昂大は拗ねたように足を組む。


「これが実力の違いよ。まあ私に追いつくことはないからずっとワンルーム暮らしじゃない?」

「いやだ。」


美樹の住んでいるこの部屋は最上階で3LDK、ジャグジーやサウナまでついている。そしてなによりこの絶景。京都の町を一望できる。


「すっげー。あれ京都タワーじゃん。おれの学校も見える!」


昂大はとにかく大はしゃぎしている。


「確かにいいところだけどあたいには広すぎ。」


美樹のテンションも高い。


「おれの家なんかかび臭いし狭いし。それに風呂もないんだぜ?。」

「風呂!そうだ入って帰りなさいよ。」

「ええ?いいのか?帰りに入って帰ろうと思ってたんやけど。」


昂大の顔がほころぶ。しかし早速案内された風呂を見て。昂大は愕然とした。


「やっぱやめとく。」


なんとガラス張りなのである。つまり中の人はまる見えであった。


「なんでよ。私は見ないでしょ。」


そう言いながらも美樹の目はにやけている。


「それでもなんか嫌だ。」

「なによ。昔なんて一緒に入ってたじゃない。お風呂。」

「だから昔っていつの話だよ!。」


昂大は逃げようとする。しかしとても広くてジャグジーまでついているお風呂に入りたいという欲も捨てられなかった。


「じゃあいいわ。もう帰る?。」

「い、いや。やっぱり入ります。」

「そーお?だったら。」

「やめてくれー。」


そう言った後しばらくの沈黙が流れた。そして2人は一斉に笑った。



「ふー。きもちー。」


昂大は風呂が好きだった。1日の疲れをじわじわと浄化していくような温かみが何よりも気持ちよかった。おまけにジャグジーなど生まれて初めて体験することになる。目の前にスイッチがたくさんあった。その中からジャグジーの起動スイッチを探し当てる。これを押せば作動するはずだ。昂大はおそるおそるそのボタンを押す、しかし寸前で思い留まった。


「こえーな。なんか。」


進もうかよそうか迷っているその時、


「どう?昂大?気持ちいい?。」


という美樹の声が聞こえた。その声に驚きすぎてボタンを押してしまった。すると高圧の水が昂大の背中を襲う。


「げえ!。」


昂大は急にとてつもない水圧を背中に受けたことにより驚いて立ち上がってしまった。


「なんなんだよこれ。」


昂大はすっかりガラス張りの風呂であることを忘れていた。先ほどのたくさんのボタンの中には『自動ブラインド』というボタンがあったことに昂大は気づいていない。


「しゃあね。サウナにすっか。」


と言って次はサウナのボタンを押す。しかしサウナは一向に発生しない。


「おっかしいな。壊れてんのかな。おーい!。」


やはり昂大は風呂がガラス張りであることを忘れている。そして美樹もまさか昂大がブラインドを掛ける機能を使っていないとは思っていなかった。


「何?どうし・・・ぶっー。」


美樹は昂大の裸を見てしまった。すぐに顔をそむけたがもう遅い。その瞬間昂大と目が合ってしまっていたのである。


「ぎゃー!。」


昂大はまるでのぼせたように顔を赤らめ、浴槽にもぐりこんだ。


「なんでブラインド絞めてないのよ。」


昂大は風呂から上がっても一向に何も言葉を話さない。そしてなにより顔を真っ赤にして美樹をにらんでいる。


「ま、まあそんなに見てないから大丈夫よ。しかもなかなかいい体してたし。」

「もう帰る。」


そう言い残して昂大は帰ろうとする。


「待って。ほ、ほらシャトマーレのシュークリームあるわよ。これで機嫌直して。」


そう言ってシュークリームを冷蔵庫から出してくる。シャトマーレは昂大が大好きな店であった。昂大はそれを見て一瞬だけ止まる。しかしすぐに動き出す。


「ちょっと待ってよー。」


いくら美樹が呼び止めても止まらない。


「はあ。もう。ごめんってば。」

「ブラインドなんて知らなかった。ブラインドなんて…。」


魂が抜けたように昂大は廊下を動いていく。美樹はあまりにもおもしろいのでふと笑ってしまった。


「なんで笑うんだよ!。」

「いや、なんか昂大あほやなーって思って、あーおもろ。」


昂大も美樹があまりに笑うのでどうでもよくなって笑った。その笑う顔は温かく幸せな雰囲気に包まれた。


「まあ、しゃあなし、また来るかもな。」

「はーい、いつでもどうぞ。ああ、あと絆創膏貼ってあげるわ。」


そう言って美樹は先ほどの大きな絆創膏を昂大の頬に強引に張り付けた。


「・・・ありがと。」


昂大は照れくさそうにそう言って帰路に着いた。

来る時よりも昂大の背中は明るく感じられた。



夜の祇園の街はどこか物静かで落ち着いた雰囲気を醸し出している。その中の一軒の料亭〈ふくとみ〉では秘密の会談が開かれていた。


「で、開発はなかなかうまくいってるのかね?。」


高級懐石料理を平らげながら、新田川市市長の跡部は笑みを浮かべる。


「はい。もちろん順調ですよ。」


流れる汗を黒いハンカチで拭きながら新田川高校校長の橋本米は答える。その横では色白で20代くらいの女が化粧直しをしている。


「君に聞いてるんじゃないよ橋本君。私は大久保君に聞いているんだ。」


跡部は不機嫌そうに料理をつまむ。


「そ、そうでしたか。すいません。」


橋本の笑顔は引きつっていた。


「市長のおっしゃる心配事でしたら全く問題ありません。研究は最終段階まで来ています。」


化粧直しを終えた女、大久保晴子は冷静な口調でそう答えた。


「あれが開発できたら、それは今よりもっと金が稼げるね。だろう?」


跡部はまた、料理をつまむ。


「それはそうと、今日は何のお話なんでしょう?」


橋本は恐る恐るそう質問した。


「わからないのか?君はバカだな。死んだだろう?一人優秀なる研究員が。」


跡部は橋本を侮蔑したような態度で続ける。


「警察には私が手を回して圧力を掛けておいたから大丈夫だと思うけど、まあ君が今みたいにバカな行動をとったりしたら話は別だな。」


橋本は下唇を噛んだ。


「それより警察よりももっとやっかいな連中が動き出したかもしれない。」


跡部は橋本を見る。


「そこでだ。プロの殺し屋を雇うことにした。」


その跡部の言葉は一同を困惑させた。


「市長、それは我々の研究所を守るためにですか?」


大久保は不快な表情を浮かべる。


「市長―。なおさらばれそうじゃありませんか?なんか私は不安です。」

「うるさい!君はほんとにバカだな!いい加減にしろ。」


跡部は急に激怒する。橋本は震えあがった。


「大丈夫だよ大久保君。夜のうちだけだから。研究室内には入らせない。それにだ、これは僕の信頼してるパートナーからの要望でね。そのパートナーの紹介だから心配いらない。」


跡部は不敵に笑う。


「跡部さん。私はあなたに従うようにと言われているのでかまいませんが、いったい誰が警察よりやっかいなんです?」


大久保も料理をつまみながら言う。


「うーん。実は私もわからないんだよ。彼がそう言うんでね。」

「ふ。すべてそのパートナーの指示、ですよ。」


大久保は微笑しながら茶を一口飲んだ。その時跡部の携帯電話が鳴り響いた。跡部はその発信者の名前を確認すると笑って、


「ああもういいよ君たち。会計はしとくから帰りなさい。」


そう言って部屋を出て行く。


「ああ姫――。え、今から?いくいくー待っててねー愛してるよー・・・」


跡部の気味の悪い声を聴いた2人はいつまでも口角を引きつらせて笑っていた。


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