暴風戦線 その1
「ピッ、ガチャン。」
ロックが解除され、扉が重々しく開く。光が差し込んで部屋の中が照らされる。
「うわ、カビくさ!」
楠木将人はゆっくりと扉をくぐる。学校の地下のさらに地下。最下層と呼ばれる研究所の一室は湿気と埃で到底快適と呼べる空間ではない。将人は嫌な顔をしながら中を進む。部屋の中央、たった一つの裸電球の下に天井からのびた鎖で両腕を拘束された沖田昂大がそこにいた。
「大丈夫か?助けに来たで昂大。」
暗い中で将人はニヤッと笑うと、昂大の姿を目で見た。返事はない。まるで意識を失っているかのように下を向いている。その様子は、生気はおろか気力をまったく感じられなかった。
「おい、しっかりしろよ!大丈夫か?」
将人はそんな様子を見てさすがに心配になったのか、昂大に近寄り、体をさすった。
「・・・まさ、と?」
昂大はゆっくりと顔を上げる。その顔は困憊しきっていた。目に力はなく、将人を見つめてはいるがどこか遠くを眺めているようだった。
「お前、何やられたんや!?」
将人はこの時初めて昂大の全身を見たが、それは無残たるものだった。体中いたるところに切り傷のようなものが刻まれており、鈍器のようなもので殴られたのか無数のアザができていた。さらに酷かったのが背中。何度も何度も鞭で打たれたのか、皮がめくれ、肉がむき出しになっていた。血だらけで見るに堪えない。
「・・・」
将人は絶句した。言葉が出ない。この6、7時間の間にどのような出来事があったのか考えれば考えるほど不快になった。
「とりあえずよう利く薬を塗ったるわ。ちょっと待っとけ。」
将人はそう言って腰のホルダーに装着されていたハンドガンを発砲し、鎖を切る。そして足と腰の拘束も撃って破壊する。すると支えを失った昂大は力なく地面に倒れ伏した。
「おお、大丈夫か?」
将人はすぐさま昂大の身体を支えると、とりあえず座らせて上半身の傷すべてに大きなリュックから取り出した薬を塗り始めた。
「・・・痛っ!」
「ちょっと我慢しぃ。」
痛がる昂大をよそに将人は慣れた手つきで薬を塗り、同じくリュックから取り出した包帯をくるくると手際よく巻く。
「ちょっと輸血もしたるわ。」
驚いたことに簡易輸血キットまで携帯しているのだから将人の用意周到さには脱帽である。
「A型やろ?ちょうどA型やねんな。この血。」
将人はニヤニヤしながら素早く昂大の治療を済ませると、ふうと1息ついた。
「何があったんかはわからへんけど、これはやりすぎやな。さすがに俺もムカついて来た。ベルフェゴールの奴ふざけてるわ。」
昂大はその言葉を聞いて突如目に怒りと言う名の生気が宿った。
「将人!ベルフェゴールは?あいつはどこに行った!?」
「おお、急に元気になるんやな。よかったわ。俺が来る時にはおらへんかった。おそらくもう撤収にかかってるんとちゃう?」
「逃げる、のか・・・」
昂大の拳に尋常ではない力が入る。拳を握りすぎて爪を立ててしまったせいか、少し出欠する。
「あいつは、あいつだけは許さねえ。あいつは雪を、みんなを、平気で殺した奴だぞ!」
「雪?みんな?何のこと・・・」
「将人!あいつのところへ行かなくちゃ!」
昂大は立ち上がり歩き始めるが、すぐに痛みで足が止まる。
「ちょお、無理すんなや。」
将人はきょとんとしながらも昂大の身体を支える。
「まあ、落ち着けって。お前だけじゃないやろ?俺もあの狂人に用があんねん。ちょっとくらい頼ってくれてもいいんちゃう?」
将人はやれやれと言った様子で昂大に服を手渡した。
「そんな包帯撒いた裸の姿で行くつもりか?せめてこれでも着ぃ。」
将人が渡したのは半袖の自衛隊Tシャツ。迷彩柄のさらりとした機能性重視のTシャツだった。なぜこれを持っているのか。
「・・・ありがとう。」
昂大は真顔のままそれを受け取り、着用した。
「さて、これで準備は完了やな。いくで、出陣や!」
将人は腰のホルスターから2丁の拳銃を取出し、構えた。
「・・・ぶちのめす!!」
決意とともに2人は歩み出す。
☆
研究棟へと続いていく廊下は至極静まり返っていた。ただ真っ直ぐ続いていく真っ白な空間。そこは埃も汚れもない。気味が悪いほど美しい空間だった。
「・・・用心せなな。」
2人は一列になって用心深く進んで行く。前方の昂大は少し焦っているのか、進みが早い。後方の将人はハンドガンを構えたまま昂大の後ろにピタッとくっついている。
「・・・」
先ほどから昂大は全く言葉を発していなかった。その背中からはただならぬ殺気を感じる。将人はそこにかなりの危うさを感じていた。
「昂大、もう少し慎重に行こうや。」
さすがに何かに焦っているように感じた将人はそう声をかける。
「・・・早く行かねえと、あの野郎は。」
昂大は後ろを振り返らずに、殺気を込めたように静かにそれだけ言うと再び進み始めた。
「ちょ、昂大!」
さすがの将人も昂大の異常な様子に困惑する。そんな時、突然左右の壁をぶち破って複数の黒い影が昂大に襲い掛かる。その手には奇妙な形状の短刀が握られていた。
「昂大!」
将人が叫んだ時、もうすでにきらりと光る刃先が昂大に今にも突き刺さろうとする。
「ドカッ!バキ、ベキ。」
それは一瞬の出来事だった。昂大はまるで時を止めたかのように左右から迫る敵の手を拳でへし折ったかと思うと1人は顔面を蹴り飛ばし、1人はみぞおちを肘で突き、1人は裏拳で右顔面を破壊した。
「な・・・」
将人はあまりの迫力に圧倒された。その研ぎ澄まされた動きは並大抵の動きではない。瞬く間に敵の奇襲を躱し、一撃で粉砕したその手前は見惚れるほどである。
「!!!」
しかし見惚れているのもつかの間、将人の背後から数本の短刀が投擲された。
「バンバンバン!」
将人はさっと振り返ると、確実に、丁寧にすべて撃ち落とした。
「ちっ、なんやねん。やけに静かやと思ったら挟み撃ちかよ。はめられたなあ。」
ぞろぞろと黒い者たちが前後から現れる。黒い者たちは短刀を構え、昂大と将人にじりじりと近づいてくる。
「・・・おい、どけよ。邪魔なんだよ。」
昂大はつぶやくように声を漏らした。しかし当然聞く耳を持つはずもない。どんどん詰め寄ってくる。
「ま、やるしかないやろ。」
2人は背中を合わせて臨戦態勢を取る。
「どかねえなら・・・殺すぞ。」
将人は背中が一瞬ぞくっとするのを感じた。それをかき消すように目の前の敵に向かって発砲する。
☆
数分前
「あなたって本当に強引ね・・・」
走って逃げようとすれば目の前に現れ、フェイントをかけようとすれば腕をつかまれ、フックショットで飛ぼうとすれば爪で切り裂かれもうフックショットはない。煙玉も通用せず、銃も無力化された。まさに羽をもがれた鳥と言うべきである。完全に逃げる手段を立たれた淡路はただ苦笑いするしかなかった。
「もうあきらめはつきましたか?いい加減にしてくれないと私がただの変態みたいになってしまいそうなのですが。」
ヒューは両腕のクローをキラつかせ、余裕の表情である。
「フフ・・・そうね、確かに変態的。でも嫌いじゃないわ。しょうがない、あきらめるわ。」
淡路はそんなヒューの様子を見てか、肩の力を抜きリラックスした様子で近くにあった座れそうな場所に腰かけた。
「おやおや、話してくれる気になりましたか?」
「いいえ、あなた強引だけど紳士的だから私の事を傷つける気はないんでしょう?だからこうして何もしなければあなたがどうするのか逆に気になったの。」
ヒューはやれやれと言った様子で淡路に近づいていく。
「なめてもらっちゃ困りますよ。こう見えても非情なんです。その気になれば・・・」
「嘘ね。あなたは何もできない。そう言う顔をしているわ。」
ヒューは肩をすくめるジェスチャーをする。内心かなり焦っていた。このままだとおそらく自分は何もできないままこの女と時間を過ごすことになる。ヒューは淡路の言うとおりかなりのジェントルマンであったが、ゆえに攻めきれない。そんな性分なのだ。
「まあ、それに時間をかけすぎたわね。嗅ぎつけられたわ。あなたも自分の身を案じた方がいい。」
「???」
ヒューは始め、その言葉の意味が解らなかったがじりっと後ろの方で足音が聞こえた時、少しわかったような気がした。
「ごほ、ごほ・・・お取込み中失礼します。」
ヒューが振り返った時、その姿はもうすでになかった。
(!?)
ヒューの反応より早くその聞いたことのある声は淡路の傍に移動していた。
「加賀、誠。」
ヒューは額から汗が1滴じわっとしみて来るのを感じた。この男はやばい、と直感で感じ取れるほど加賀誠から危険な雰囲気がでている。
「淡路先生・・・大丈夫ですか?ごほ。」
「ええ、私は大丈夫ですよ。ですが・・・」
淡路の目の前で殺気が迸る。
「・・・Freeze。」
ヒューは加賀の首元にクローを突き立てる。当然だがヒューは完全に殺る気である。いや、もはや問答無用で斬り捨てた方が良かったのかもしれない。
「・・・コードネーム“暴獣”。今はあなたに用はありません。それでも殺るというのなら・・・」
キラッと光る爪が加賀誠の顔面を一瞬で切り裂いた。その速さは凄まじいものだったがヒューに手ごたえはない。むしろ、
「!!」
完全敗北と言える。ヒューが気づいた時にはもうすでに片腕はおろか、両腕のクローが砕け散っていた。ヒューはすぐさま危機を察知し、後ろに下がった。
「あーあ。せっかく変装したのにこれじゃ台無しじゃねえの。ま、蒸せて蒸せてしょうがなかったからいいけどよ。」
声色が完全に変わった。若い男の声、ヒューは変装の皮が半分だけ切り裂かれたその顔を見て驚いた。
「君は・・・」
驚いた時にはもう遅い。暗殺術は一瞬の動揺や油断が命とりである。ヒューが反応した時には、男がヒューの懐に潜り込んで、
「ぐはっ!」
ヒューの身体を切り刻んでいた。
「な、に・・・」
ヒューの身体はゆっくりと地面に崩れ落ちる。どさっという音が静かに響き渡る。
「まあ、驚いた。」
淡路は微笑しながらその一連の行為を見物していたが、ただただ見事、と言うより他ならないその手際に感嘆している。
「さて、邪魔者は消えたことだしこれであんたのやりたいことはできるわな。」
「見逃す気?」
「見逃すも何もオレはオレのやることをやるだけよ。」
男は首元から変装のため被っていた皮をめくり、脱ぎ捨てた。
「あなた、何者?」
そこで露になった姿は少し立った茶色の短髪にピアスをつけた童顔の若い男だった。
「オレはただのしがない暗殺者ですよ?スパイの相田マミさん?」
「あら、本名を言ったことはあまりないのだけれど。」
ニヤッといたずらっ気に笑う姿を見て、淡路真須美もとい相田マミはまた少し肩の力を抜いたのだった。
☆
「はあ・・・」
将人は静かな廊下でふと無意識にため息をついてしまったため、少し恥ずかしくなった。長く続く廊下に吸い込まれるようにため息が反響したためである。しかしそんな一抹の恥ずかしさも吹き飛ぶほど、目の前の友人が心配でたまらなかった。
「出て来いっ!!ベルフェゴール!!!」
先ほどから何度か黒い者たちの襲撃を受けたが、そのたびに昂大は目を血走らせて、狂ったようになぎ倒していた。今の昂大には自分はおろか黒い者たちなど見えていない。ただ邪魔するものを粉砕するだけの様子を見て、将人は一種の危うさのようなものを感じていた。
「シュッ・・・」
空気を切り裂く刃物の音。また来た、と将人が思った時、昂大はもうすでに電光石火で敵の顔面を下からアッパー、敵のナイフを奪ったかと思うとダーツでど真ん中に当てるような簡単な感覚で敵の額を連続で打ち抜いた。しかし、敵も何度もやすやすとやられている訳ではない。倒したと思った敵が昂大の背後から飛びかかって昂大の首を肘で絞めつけた。
「バン・・・」
しかしその努力も将人が放った弾丸によりその攻撃は無意味なものとなった。首の力が緩くなったので昂大はすぐさま相手の腕をつかみ、背負い投げる。
「じゃま、するな・・・!!」
昂大はやるせない怒りに身を任せ、背負い投げた黒い者の顔面を何度も、何度も殴りつけた。昂大の拳は相手の血で真っ赤に染まっていく。
「おい!昂大。やりすぎやって、やめろ!」
将人は昂大の拳をつかんで静止させる。よく見ると昂大の拳は傷ついて出血していた。
「ちょっと落ち着けって。なんかうまく言えへんけど、怖いでお前。」
昂大はその言葉に少しだけぴくっと反応したが、何も言わずに立ち上がると、将人の腕を払って再び進み始めた。
「はあ・・・」
将人はまたため息をついてしまった。
少し進んだ時、あたりの様子ががらりと変わった。長い廊下の先にあったのは大きな扉。オートロック式のハイテクな扉だった。
「この先はたしか薬品製造室やったはずや。地上に出るならこの部屋を通らなあかんな。」
将人は懐からカードキーを取り出し、扉の横の機械にスキャンした。
「ピー」
扉が開く。警戒しながら中に入っていく2人。そこで目にしたのは驚くべき光景だった。それは奇妙な色の液体が入ったタンクが立ち並んでいる、そんな光景。
「なんやこれ。」
「似たものを前に見たことがある。」
昂大は前に暗殺に来た際。小林泰子の研究室の事を思い出していた。
「そうなんや。ここで作られてるもんはおそらく人を洗脳する効果のある薬品。これを奴らは奪いに来たと考えるのが妥当やな。」
2人は慎重に部屋を進んで行く。たくさんのベッドに大きな注射器。ついさっきまで何かの実験が行われていたような雰囲気はとても心地よいものではない。
「あんまりここには居たくないな。」
2人の足は自然と早くなった。
「なあ、将人。これ・・・」
不意に昂大はあるものを見つけた。それは何かの文章だった。
「こ、これは!」
そこに書かれていた内容は驚くべきものだった。検体番号、名前、投薬結果・・・。
「ふ、ふざけんなよ!」
将人は文章を投げつけた。とても不快だった。
「このリスト、むちゃくちゃ量がある。しかもほとんどがうちの学校の生徒の名前だ。」
「なんや投薬結果って。いつそんなことされたんや。」
結果欄に書かれていたのはほとんどが陰性という結果だった。昂大はリストを再びめくり始める。
「おい!見ろよ。陽性がいた。」
「なんやて!?」
そこに書かれていた名前は・・・。
「立花千代・・・生徒会長やな。」
2人はしばらく開いた口が塞がらなかった。




