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【禍津怪異譚】弐・山麓トンネル

作者: Soh.Su-K

彼に近付いてはならない。


彼は、さまざまに呼ばれてきた。

『占い師』『探偵』『浮浪者』『傍観者』『観察者』『干渉者』『触媒』──

『霊能力者』『拝み屋』『呪術師』『祈祷師』『霊媒師』、そして『ペテン師』。


誰が何と呼ぼうと、彼はいつも笑っていた。


ある者は彼に救いを見た。

ある者は彼に地獄を見た。


そして皆、最終的にはこう言う。


「あの男に関わったのが、すべての始まりだった」


彼に近付いてはならない。

だが──それでも出会ってしまったなら。


そのとき、あなたにはもう、彼の力が必要になっている。


……良くも、悪くも。

 九州南部、日本百名山にも数えられる見事な円錐形の山の裾野をぐるりと回る道にそのトンネルはある。

 『山麓(さんろく)トンネル』と呼ばれるそこは、地元でも有名な心霊スポットだ。

 大学生になり、車の免許を取った私は親から中古の軽を買ってもらい、乗り回す日々だった。

 高校からの悪友、隆と耕助に私を含めた3人は、ドライブと称して県内の隅々まで回る勢いで遊んでいた。

 九州であるが故に県内には温泉も多く、そういった場所も回っていたのだが、一番テンションが上がるのは当然心霊スポットだ。


「今度は山麓トンネル行こうぜ」


 隆が笑いながらスマホを見せてきた。

 それは九州の心霊スポットをランキング形式で紹介をしているサイトで、山麓トンネルはその上位に入っている。


「お前の軽なら余裕で通れるだろ」

「なんでいつも俺の車で行くんだよ」

「車持ってんのお前だけじゃん。原チャリで行くのはめんどくさいだろ?」

「はぁ……」


 隆も耕助も大学へは原チャリで通学しており、車を使っているのは3人の内、俺だけだった。

 とは言っても、2人とも車の免許は持っているので、遠出する時は交代で運転するのが通例だ。


「まぁまぁ、いつも通りガソリン代は割り勘な」


 耕助がニシシと笑う。

 こうして山麓トンネルへのドライブは決定した。

 夏休みも近付いてきた6月下旬、ドライブの当日を迎えた。

 とは言っても、目的のトンネルまでは大学から車で1時間半程度。

 特に他の目的もないので、夜中に出発する事になった。

 それまで、大学近くの耕助の自宅に集まり、ゲームをしたりして時間を潰した。

 日付も変わった頃、私達はドライブの準備を始める。

 準備と言っても特に何をするわけでもないのだが、人数分の懐中電灯を持つくらい。

 私達は高いテンションのまま車に乗り込み、途中でコンビニなどに寄り道しながら、夜中の2時過ぎにトンネルへ到着するように走った。


「さて、ココだ」


 私は一度車を止めた。

 車一台がやっと通れるくらいの狭いトンネルがあった。

 街頭などは全く存在せず、車のヘッドライトだけが光源になりトンネルの入り口を不気味に照らし出していた。


「雰囲気あるな」

「マジで何も見えん」


 決行日を決めたのが隆だが、どうやら新月の日をあえて選んだのだろう。

 昼間でも薄暗いであろう森の中を通るこの道は、月明かりすらない今はより異質な様相だった。


「何でも、天井の穴から女が覗いてくるって話らしい」


 隆はスマホに目を落としながら言った。

 どうやら山麓トンネルの噂について調べているようだ。


「女が覗いてたらどうなるんだ?」


 後部座席に座った耕助が隆に聞く。


「連れて行かれるとか?」


 私が鼻で笑いながら言う。


「なんでも、帰りに事故に遭うとか」

「はぁ?」


 私と耕助が同時に間抜けな声を上げた。


「事故に遭うってなに?」

「しょぼくね?」

「だよな」


 私達は同時に笑い出した。

 心霊スポットにしてはインパクトない内容だ、まるで子供騙しである。

 まぁ、一種の呪いなのだろうが、事故に遭うというだけでは何とも心許ない。


「けどさ、天井の穴って何?車から見えるの?」


 私は気になった事を隆に聞いた。


「何でも、ライトがない代わりに採光用にいくつか穴があるらしい」

「でも、天井なら車から見えないだろ」

「だよな」

「じゃあ、歩いていくか」


 隆が言い出した。

 確かに、穴が見えないなら来た意味がない。

 特に恐怖心を感じることなくエンジンを切って車から降りる。

 梅雨明けの湿気を帯びた夜の空気が肌にまとわり付いてきた。

 車の中では全く感じなかった、異質な空気に一瞬にして私は怖気付き始めた。

 3つの懐中電灯の光が、無秩序に辺りを照らす。

 その光によって木々の影が生き物のように伸び縮みする。

 無意識に呼吸が浅くなる。

 言いしれない緊張感が漂っていた。


「なんか、一気にそれらしくなったな……」


 隆が鼻で笑いながら言う。

 しかし、その声色に余裕などは微塵もなかった。

 車から降りた私達全員が後悔していた。

 ここはヤバい。

 それだけはハッキリと分かった。


「……」


 耕助が無言のままトンネルへ歩き出した。

 その背中が、妙に“軽い”ように感じた。いつもなら小言の一つでも言う奴なのに、まるで音を失った人形みたいだ。

 懐中電灯の光が横顔をかすめた時、その目が焦点を結んでいないことに気づいた。

 歩き方もどこか浮いているようで、足が地面を蹴っている感覚がまるでない。ただ前へ、導かれるように進んでいた。



「おい、耕助?」


 隆が声を掛けたが全く反応せずに歩いていく。

 仕方なく私達も後を追ってトンネルへ向かった。

 隆の事前情報通り、トンネル内には人工照明の類が全くなく、新月の夜中とあって真っ暗だった。

 トンネル内の空気は、ひんやりと冷たく、しかし湿気を帯びているせいで重い。

 その中を何も言わずに歩いていく耕助。

 ヤバい。

 本来ならば無理矢理にでも耕助を連れて帰るべきなのだろうが、耕助自身が別の何かに変わっているようにも見え、私達は逃げることも出来ずにいた。

 やがて耕助が立ち止まる。


「臭う……」


 耕助がポツリと言った。


「臭う?」


 私と隆は顔を見合わせ辺りの匂いを嗅ぐ。

 雨を吸い込んだ森の匂い。

 しかし、その中に異質な臭いが微かに混じっている。


「何の臭いだ……?」


 嗅いだことのある臭いだ。


「錆びた鉄棒みたいな臭いだ……」


 隆がそう言った瞬間、前にいた耕助の肩に何かが滴った。


「おい、耕助」


 耕助はゆっくりとその肩に落ちたものを手で確認する。


「……これ、血……?」


 私と隆はハッとして天井を見た。

 全身の毛が逆立つのが分かった。

 女がいた。

 採光用の穴から顔を覗かせている。

 懐中電灯で照らした訳でもないのに、その顔はハッキリと見えた。

 湿気った長い黒髪を垂らし、蒼白い顔面には裂けたに大きな赤い口があった。

 笑っている。

 上手く息が出来ない。

 身体は酸素を欲しいているのに、喉は空気を全く通さず、カヒュっという情けない音を立てるだけだ。

 錆びた鉄棒の臭い、それは血の臭いだ。

 あの女の口から滴っている赤黒い血。

 トンネル内が一瞬にして血生臭くなる。

 突然、背中をバシリと叩かれる。

 隆だ。

 その行動のお陰で金縛りのように固まっていた身体が動く。

 私と隆は耕助の腕を掴み、急いで車へ戻る。

 私達の背後でゴシャッというくぐもった音がした。


「ヤバい!ヤバい!」


 それだけを叫ぶ。

 必死に足を動かした。

 やがてトンネルの外に私の車が見えてくる。

 車の後部座席へ耕助を投げ込み、運転席に滑り込む。

 キーを回してエンジンを掛け、ギアをバックに入れた。


「バックするのか!?」

「女は轢けとでも!?」

「いや、バックだ!」


 アクセルを踏み込む。

 通常ならばあり得ない速度でバックする。

 道幅も広くはない。

 少しでも操作を間違えれば道を外れて事故る。

 しかし、強烈なアドレナリンの効果で、車は事故る事なく大きな道に出た。

 私はハンドルを切り、大学へと戻る道を走り出した。


「何だったんだ、あれ……」


 隆も私もまだ肩で息をしていた。


「分からん……。耕助は?」


 隆が後部座席を見る。

 耕助の白いTシャツはその大半が赤黒く染まっていた。

 血だ。

 そのせいなのか、車内にも濃い血の臭いが漂っている。

 そんな中でも耕助は放り込まれた時の姿のまま眠っていた。


「おい、耕助!起きろ!」


 隆がいくら呼びかけても耕助は起きない。


「おい、ヤバくないか……?」

「とりあえず、コンビニに寄るぞ」


 私は目に入ったコンビニの駐車場に車を滑り込ませた。

 エンジンを切り、外に出る。

 先に降りていた隆は、耕助の血に汚れたTシャツを脱がせていた。

 私は車内にあったレジ袋にそのTシャツを押し込み、口を縛る。


「新しいTシャツ買ってくる」

「頼む。耕助起こしてみるわ」


 そう言って隆は耕助の肩を揺さぶりながら声を掛け続けた。

 ゴミを手にしたまま店内に入る。

 深夜という事もあり、私以外に店内には誰もいない。

 都合がいい、店の出入口近くに設置されたゴミ箱にゴミを放り込んだ。

 私の入店音に気づいた店員がのそのそと奥から出てきたのはその時だった。

 私は買い物カゴを手に取り、まずはTシャツを探す。

 その一つをカゴに入れ、ドリンクの方へ向かう。

 冷蔵庫の前には男が立っていた。

 私が店内に入るまで、誰もいなかった筈なのにだ。

 何処から現れたのか。

 入店音と店員が奥の部屋から出てるく時の音以外、店内BGMしか聞こえていなかった。

 この男は何の音もなく現れたというのか。

 私は男をマジマジと見てしまう。

 まるで先程のトンネルの暗闇がそのまま切り抜かれたように、その男は全身黒尽くめだった。

 黒いニット帽を目深に被り、夏だと言うのに黒い長袖のパーカー、スキニーの黒いジーンズ。

 薄ら寒さを感じた私の方をチラリと見た男はニヤリと口元だけで笑った。


「これはこれは、厄介な事になってますね」


 男は何処か楽しげにそう言った。

 その態度に私は苛立ちを覚えた。

 しかし、よく見ると男が見ているのは私ではない。

 私の更に後ろ。

 男の視線の先には、私の車があった。


「これ、お願いします」


 男はそう言ってボトル缶のコーヒーを俺のカゴに入れた。


「アンタ!」

「300円程度で問題を解決してもらえるんですよ、良心的だとは思わないんですか?」


 男は相変わらずニヤリと笑いながら言う。

 そして、再びの入店音。

 いつの間にか男は外に出ていた。

 私は急いでレジへ向かい、会計を終わらせて男の後を追った。


「それじゃ起きませんよ」


 男が隆に話し掛けていた。


「はぁ?」


 隆は睨むように男を見上げる。


「私の時は出てきてくれなかったのに……。よっぽど彼がタイプだったんですね」


 何処か楽しげが男がパーカーのポケットから手を出した。

 今気が付いたのだが、男は両手に黒い革手袋をしている。

 男はおもむろに耕助の頭の上辺りの虚空を掴んだ。


「ほぉ……、そうとう気に入ったんだね」


 男が力を入れたのが分かる。

 そして、何かを引きずり出すように、掴んだ手を車外に出した。


「少し離れて」


 男が車から少し離れ、何かを呟き初めた。


「……、かしこみ怒みもまをす」

「祝詞……?」


 私がそう言った瞬間、男が掴んでいた辺りからゴリッボキッという不吉な音がした。

 それと同時に何もない空間から不規則に液体が湧き上がり、駐車場の地面を濡らした。

 ゴキッボリゴリ。

 その不快な音を聞きながら、私はなんとなく分かった。

 これは咀嚼音だ。

 男が掴んだ何かを、男が呼んだ何かが喰っている。

 地面を濡らしているのは恐らく血なのだろう。

 漠然と、しかし何故か自然にそう納得した。


「ゴボッ、オエェ!」


 私は嘔吐した。

 血と何かが腐ったような不快な臭いがする。


「だから見ない方がいいと言ったのに」


 やはり男は何処か楽しげだ。


「もう終わります。さっき買い物したものの中から、清酒を出して下さい」

「清酒……?」


 そんなものを買った覚えがない。

 そう思いながらレジ袋の中を見ると200mlのカップ酒が入っていた。


「なんで……?」


 私は戸惑いながらその酒を手にする。


「こちらに投げてくれていいですよ」


 言われるがままにカップ酒を男の方に放り投げた。

 男が受け取るのかと思いきや、中を舞ったカップ酒はいつの間にか消えていた。


「これで大丈夫だと思いますよ」


 男は耕助の肩を軽く揺らす。


「……ん?」


 耕助が目を覚ました。


「耕助!」


 自体が把握出来ていない耕助は私達の顔を交互に見るだけだ。


「じゃあ、これで。心霊スポット巡りは辞めたほうがいいですよ。それとコーヒー、貰っていきますね」


 男は片手にボトル缶を2本持ちながら消えていく。

 私達は何事もなく耕助の自宅までたどり着き、そのまま夕方まで泥のように眠った。

 日を改め、昼間に再び山麓トンネルへ向かった。

 あの夜、本当に見たものは何だったのか。あれは夢だったのかもしれない──そう思いたかった。

 確かめなければ、ずっと現実感のないまま、あの女の顔だけが焼き付いて離れなかった。

 焼き付き、夢の中でも笑っていた。目を閉じても、闇の中に口だけが浮かび上がる──そんな夜が何日も続いた。

 あのコンビニに寄る。

 そこは昼間でも客は少なかった。

 車を降りて、男が何かに何かを喰わせていた場所を見る。

 そこには何もなかった。

 大量の血溜まりが出来ていた筈の場所は綺麗なものだった。


「また来たんですか?」


 振り返るとあの男がいた。


「あんた、何者?」

「深沢といいます。もう心霊スポットにはいかない方がいいと言ったのに」

「いえ、確かめたい事があって」

「あの女の霊についてですか?」

「……、はい」

「少し話しますか」


 深沢はそう言って、勝手に私の車の助手席に座る。

 私は溜息を吐きながら運転席に座った。


「先に言いますが、()()は霊ですらありません」

「はぁ?」

「あの場所には曰くというものがない。ただ、薄気味悪いだけです。野戦病院があっただの赤痢病棟があっただのという噂がありますが、どれも事実ではありません」

「つまり、あの雰囲気だけで誰かが付けた尾ひれって事か……」

「しかし、人の言葉とは恐ろしいもので、言ったことが本当になる事がある」

「言霊信仰……」

「そうそう。よくご存知で」

「そんな事が本当にあるのか?」

「現に、見たでしょ?まぁ、憑かれていたのは寝ていた方だけでしたが」


 耕助のことだろう。

 深沢はクスクスと笑い出した。


「しかし、可愛げのある女でしたよ。後部座席にしおらしく座って、彼に膝枕してあげてましたから」


 私は思わず後部座席を見る。


「そう、ちょうどそこで」


 私はゾクリとした。


「噂を核にして、肝試しに訪れる人々の恐怖などを溜め込んだモノ」

「噂が女だったから、女の姿だったって事か」

「言ってしまえばそうですが、アレはむしろ融合体。周りの浮遊霊なんかと溶け合って、混ざり合って、変質してしまった。元々の実体のない噂の具現ならば消せますし、思念の塊であれな散らせばいい、霊なら成仏させればいいんですが。変質してしまったらどれも無理です」


 だから喰わせた、という事らしい。


「アンタ……」


 そこまで言いかけて私は辞めた。

 これ以上、深沢に関わる事は良くない気がしたのだ。


「フフフ、賢明です。出会った時点で縁が繋がってしまっている。もう二度とお会いしないことを祈ります」


 男はそれだけ言って車を降り、あの日と同じように消えていった。

 隆と耕助には、男に再び会ったことは話さなかった。

 そしてその日以降、私達は心霊スポット巡りを辞めた。

 興味本位で近付いてはならない場所が、この世にはあるという事だ。

 しかし、あの道は地元の人達も普段から使う生活道の筈だが……。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、「本当は曰くも何もない場所が、噂によって心霊スポットになってしまう」──そんな話でした。

深沢の憑き神による、珍しく“食事”をする場面も相まって、なんとも奇妙な流れになったかと思います。


言葉が形を取り、噂が命を持つ。

そんな怖さを、少しでも感じていただけたら幸いです。


なお、本作の舞台となった山麓トンネルには、ある実在の心霊スポットがモデルになっています。

読む人が読めば、きっと分かるはずです。

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