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7.街のねこ司法書士、会務の絆と肉球会議

 佐々木健太は、今夜の司法書士青年会の会議を前に、頭を抱えていた。司法書士になって数年。下町の「佐々木司法書士事務所」で、ようやく仕事にも慣れてきたものの、彼は相変わらず自分に自信が持てないでいた。特に、司法書士会の会務となると、ベテランの先生方の中で意見を言うのは、どうにも気が引けた。


「ミケ……今夜の会合、どうしよう。また俺だけ意見が言えずに終わるんじゃないかな……」


 健太の隣で、三毛猫のミケが、資料の山を枕に気持ちよさそうに寝息を立てている。推定五歳のミケは、健太の唯一無二の相棒にして、彼の法律知識を凌駕する「助言」を与える、賢すぎる猫だ。健太は、ミケの的確すぎる助言に、半信半疑ながらも強く依存していた。ミケがいないと、途端に心細くなり、右往往左往してしまう自分が情けなかった。


 今回の青年会の議題は、「空き家問題に対する司法書士の役割」。深刻化する社会問題に対し、司法書士として何ができるか、具体的な提案が求められていた。健太は、これまで会務に積極的に関わってこなかった自分に、まともな意見など出せるはずがない、と思っていた。


「地域貢献活動は、青年会の中でも特に活発な分野だ。佐々木先生、君も何か、具体的な提案はないか?」


 先日、部長からそう促された時のことを思い出し、健太はまたため息をついた。他の先生方は、きっと素晴らしいアイデアを持っているのだろう。自分だけ、何も思いつかない。


 その時、ミケが「にゃーん」と一声鳴き、健太のデスクの上の、古びた下町の地図にそっと前足を置いた。地図には、健太の事務所周辺の、昔ながらの家々が細かく描かれている。


「地図……? 空き家問題と、この地図がどう関係するんだ?」


 健太は首を傾げた。ミケは地図から前足を離し、今度は、健太が最近読んでいる民事信託に関する専門書の上にちょこんと乗った。


「民事信託……? まさか、空き家対策に、民事信託を使うってことか?」


 健太の頭に、ある考えがよぎった。空き家問題は、相続人が複数いる場合や、認知症などで所有者の判断能力が低下した場合に、適切な管理ができなくなることが原因で発生することが多い。民事信託を使えば、所有者の意思に基づいて、あらかじめ信頼できる人に管理を委ねることができる。しかし、それを会務で提案するには、具体的なスキームと、何より自信が必要だった。


 健太は、ミケのヒントをもとに、空き家問題における民事信託の活用について、資料を読み漁った。だが、専門書を読み込めば読み込むほど、その複雑さに彼の自信は揺らいでいく。


「うーん、やっぱり難しいな……。これ、本当に実現可能なのかな。他の先生方は、もっとシンプルな解決策を考えてくるんじゃないかな」


 会合当日。健太は、重い足取りで司法書士会館へと向かった。会場には、若手司法書士たちが集まり、活発に意見交換をしていた。健太は、隅の方で小さくなり、他の先生方の発表を待った。


「当事務所では、空き家に関する無料相談会を定期的に開催し、所有者の方々への啓発活動を行っています」


「我々は、行政と連携し、空き家バンク制度の活用を推進しています」


 次々と発表される先輩たちの具体的な活動内容に、健太は内心で焦りを感じていた。「やはり、僕のアイデアは現実的じゃない……」


 ついに、健太の番が来た。彼は、どもりながら、用意してきた企画書を手に立ち上がった。


「え、えっと……私からは、その……空き家問題の解決策として、民事信託の活用を提案させていただきたいと……思います」


 健太の声は震えていた。案の定、会場はざわついた。民事信託は、まだ新しい分野であり、その具体的な運用には複雑な側面が多い。


「佐々木先生、民事信託ですか。それは、いささか専門的すぎませんか? もっと、市民に分かりやすい、直接的な支援が必要なのでは?」


「そうですよ。民事信託となると、手続きも費用もかさみますし、普及には時間がかかります」


 先輩たちの厳しい質問に、健太は言葉に詰まった。彼は、自信なさげに顔を俯かせた。「やっぱり、俺には無理だったんだ……」


 その時、健太の鞄に忍び込ませて連れてきていたミケが、突然、鞄の中から飛び出した。そして、健太の足元に小さな肉球のスタンプを置いて、その上にちょこんと座ったのだ。


 会場に、どよめきが起こった。


「な、なんだあの猫は!?」


「佐々木先生、猫を連れてきたのか!?」


 健太は顔を真っ赤にして、慌ててミケを捕まえようとしたが、ミケは健太の指を軽く噛んで抵抗した。そして、その肉球スタンプの上で、小さく「ニャア」と一鳴きした。


 健太は、ミケの行動をじっと見た。肉球のスタンプ……。健太の脳裏に、ある光景が浮かんだ。それは、先日、健太が空き家の所有者である高齢女性と面談した時のことだった。その女性は、猫を何匹も飼っており、自分の死後、猫たちがどうなるかを心配していたのだ。健太は、その時、女性にペット信託を提案した。


「あ、あの……ミケが、何か言いたがっているようです」


 健太は、場を収めるためにそう言った。そして、ミケが示した肉球スタンプと、自分が体験した案件を結びつけた。


「この肉球スタンプは、『寄り添う』という意味だと、私には感じられます。空き家問題は、単なる物理的な問題ではありません。そこには、所有者の方々の人生や、家族の思い出、そして、将来への不安が複雑に絡み合っています」


 健太は、ミケがくれたヒントを元に、自分の言葉で話し始めた。


「特に、高齢者の独居世帯や、ペットを飼っている方々にとって、空き家問題は深刻です。彼らは、自分が亡くなった後、家がどうなるか、大切なペットがどうなるか、深く心配しています。民事信託は、単に不動産を管理するだけでなく、そうした所有者の「願い」や「想い」を、将来にわたって実現するための有効な手段となり得ます」


 健太は、具体的な事例を交えながら、民事信託が単なる法律の手続きではなく、所有者の不安を解消し、安心して暮らせる未来をデザインするためのツールであることを熱弁した。彼が話している間、ミケは肉球スタンプの上で、まるで健太の言葉を肯定するかのように、ゆっくりと瞬きをしていた。


 健太の言葉は、先輩たちの心に響いた。単なる法律知識の羅列ではなく、依頼人の感情に寄り添うという視点からの提案は、彼らに新たな気づきを与えた。


「佐々木先生、なるほど……。その視点は、我々にはなかった。確かに、空き家問題は、法的な解決だけでなく、所有者の心理的なケアも重要だ」


「民事信託は、複雑な手続きが必要だが、その分、柔軟な対応が可能だ。佐々木先生の言う通り、高齢者の財産管理や、ペットとの共生といった問題にも、有効活用できるかもしれない」


 部長も深く頷いた。


「佐々木先生、素晴らしい提案だ。よし、この企画、青年会の来年度の重点活動として、具体的な検討を進めていこう!」


 健太は、信じられない、という表情で会場を見渡した。自分の提案が、まさか、こんなにも真剣に受け止められるとは。これも、全てはミケのおかげだ。


 会合が終わり、健太が事務所に戻ると、ミケは健太の鞄から飛び出し、健太の足元に、あの肉球スタンプを置いてくれた。健太はミケを抱き上げ、強く抱きしめた。


「ミケ、本当にありがとう。お前がいなかったら、俺は何も言えずに、また自信をなくして帰ってくるところだったよ」


 ミケは健太の腕の中で、満足そうにゴロゴロと喉を鳴らした。


 数日後、司法書士会の会報に、青年会が取り組む「空き家問題における民事信託活用プロジェクト」の記事が掲載された。そこには、健太の顔写真と、彼の提案内容が大きく取り上げられていた。


 その後、健太の事務所には、空き家問題や民事信託に関する相談が、以前よりも増えてきた。健太は、一つ一つの相談に、ミケと共に真摯に向き合った。彼は、会務を通じて、司法書士としての専門知識を深めるだけでなく、仲間との「絆」を感じることができた。そして、何よりも、自分の意見を主張し、それが認められることで、少しずつ自信を育んでいった。


 下町の司法書士事務所には、今日も穏やかな光が差し込む。佐々木健太は、ミケという最高の相棒と共に、これからも人々の「願い」に寄り添い、社会問題の解決に貢献するために、一歩ずつ、しかし確実に、歩んでいく。そして、いつか、ミケがいなくても、自分の力で「大丈夫です」と力強く言えるようになるために。彼の奮闘は、これからも続く。

【免責事項および作品に関するご案内】

 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、地名等はすべて架空のものです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。

 また、本作は物語を面白くするための演出として、現実の法律、司法書士制度、あるいはその他の専門分野における手続きや描写と異なる点が含まれる場合があります。 特に、司法書士の職域、権限、および物語内での行動には、現実の法令や倫理規定に沿わない表現が見受けられる可能性があります。

 これは、あくまでエンターテイメント作品としての表現上の都合によるものであり、現実の法制度や専門家の職務を正確に描写することを意図したものではありません。読者の皆様には、この点をご理解いただき、ご寛恕いただけますようお願い申し上げます。

 現実の法律問題や手続きについては、必ず専門家にご相談ください。

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