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6.街のねこ司法書士、最後に笑うのは誰?

 下町の雑居ビルの一角にある「佐々木司法書士事務所」は、今日もどこか薄暗く、静まり返っていた。若き司法書士、佐々木健太は、重い資料の山を前に、深くため息をついた。彼の隣では、推定五歳の三毛猫、ミケが、日当たりの良い窓際で気持ちよさそうに丸まっている。ミケは健太の唯一無二の相棒だが、健太自身、その賢すぎる「助言」に半信半疑ながらも強く依存していた。自信なさげな彼にとって、ミケの存在は、まるで砂漠の中のオアシスだった。


「ミケ……この案件、本当に骨が折れるよ。まさか、こんな泥沼になるなんて……」


 健太の呟きに、ミケはゆっくりと片目を開けた。今日の依頼は、不動産の共有物分割。それも、血の繋がった兄弟間の争いだった。


 依頼人である長男の佐藤一郎さん(60代)は、健太の事務所に憔悴しきった様子でやって来た。


「先生、どうか私を助けてください。このままでは、あの家が……親父が遺してくれた家が、バラバラになってしまう」


 佐藤一郎さんの話によると、数年前に父親が亡くなり、実家である戸建ての家を一郎さんと、妹の佐藤花子さん(50代)、弟の佐藤三郎さん(40代)の三人で共有名義で相続したという。当初は「誰かが住むなら、それでいい」と穏便に話が進んでいた。しかし、長男の一郎さんは年金暮らしで、固定資産税などの維持費が負担になり、売却して分割したいと申し出た。ところが、妹の花子さんは「思い出の家だから売却したくない」、弟の三郎さんは「売却するなら、もっと高値で売るべきだ」と主張し、意見が真っ向から対立。話は平行線を辿り、次第に泥沼化していったのだ。


 健太は、法律上、共有物分割請求訴訟を起こせば、最終的には裁判所の判断で売却や分筆などが行われることを説明した。しかし、健太の心には不安がよぎった。訴訟になれば、兄弟間の亀裂は決定的になるだろう。司法書士として、依頼人の利益を最大化することはもちろん重要だが、同時に、彼らの心の傷を最小限に抑えたいという思いがあった。


「ミケ……どうすれば、皆が納得できる形で、この問題を解決できるんだろう」


 健太がため息をつくと、ミケは、一郎さんが持参した古びた家族写真にそっと前足を置いた。写真の中には、若き日の両親と、幼い一郎さん、花子さん、三郎さんが、満面の笑みで写っていた。家は、家族全員にとって大切な「思い出の場所」なのだと、写真が物語っていた。


 ミケは、その写真から前足を離すと、今度は健太のデスクの隅にあった小さな鉢植えのサボテンに鼻先をこすりつけた。そのサボテンは、健太が司法書士になったお祝いに、友人がくれたものだった。


「サボテン……? これは何を意味してるんだ?」


 健太は首を傾げた。ミケは、サボテンを見上げたまま、小さく「ニャア」と鳴いた。その声は、健太に何かを強く訴えかけているようだった。


 健太は、ミケのヒントを頼りに、一郎さん、花子さん、三郎さんのそれぞれに、個別に話を聞くことにした。妹の花子さんは、家への強い愛着を語った。


「あの家には、両親との思い出が詰まっているんです。父が庭で丹精込めて育てていた薔薇、母が焼いてくれたクッキーの匂い……。売ってしまうなんて、考えられません」


 弟の三郎さんは、現実的な意見を述べた。


「兄さんも姉さんも、もう少し現実を見てほしい。あの家を売るなら、少しでも高く売りたい。そうでなければ、僕らが損をするだけだ」


 それぞれに言い分があり、誰もが自分の正義を主張していた。健太は、三人の話を聞けば聞くほど、彼らの心がバラバラになっているのを感じた。このままでは、法的な解決に進んでも、誰も「最後に笑う」ことはできないだろう。


 健太は事務所に戻り、ミケに相談した。


「ミケ、皆、自分では『正しい』と思ってる。でも、お互いの気持ちは全く理解できてない。どうすれば、彼らの心のトゲを抜いてあげられるんだろう……」


 ミケは健太の言葉に反応するように、先ほどのサボテンの鉢植えを、前足で軽く叩いた。そして、健太の指に、サボテンの小さな棘が一本、刺さった。


「いっ!」


 健太は思わず声を上げた。ミケは、その小さな棘を見つめ、健太の顔をじっと見ている。


「これか……! トゲ……皆の心に刺さった、見えないトゲ……」


 健太はミケの意図を理解した。サボテンのトゲは、まさに彼らの関係性を表している。お互いを傷つけ合い、決して近づこうとしない。このトゲを抜かなければ、彼らは永遠に争い続けるだろう。


 健太は、解決策を模索した。法的な解決だけでなく、彼らの心に寄り添い、和解へと導く方法はないか。健太は、長年会っていない兄弟たちが、昔、家族旅行で訪れたという温泉地のパンフレットを、一郎さんの荷物の中に見つけた。ミケは、そのパンフレットの、露天風呂の写真にそっと前足を置いた。


「温泉……? まさか、みんなで温泉に行って、話し合えとでも?」


 健太は、ミケの提案に呆れた。そんな非現実的な提案を、長年いがみ合っている兄弟にできるはずがない。しかし、ミケは健太の顔をじっと見つめ、その瞳は「試してみる価値はある」と語りかけているようだった。


 健太は、勇気を出して三人に提案した。


「皆様、一度、冷静になって、家族として向き合ってみませんか? 私が間に入って、話し合いの場を設けます。場所は、皆様が昔、家族旅行で訪れたという温泉地で、一泊二日の話し合いの機会を設けてみては、いかがでしょうか」


 三人は、健太の突飛な提案に驚いた。特に花子さんは強く反発した。


「そんな! 今さら、あんな人たちと顔を合わせるなんて! 温泉なんて、冗談じゃないわ!」


 三郎さんも冷笑した。


「ふざけないでください、先生。私たちは、遊んでる暇はないんです」


 健太は、自信なさげな自分が出てしまいそうになったが、ミケが足元でそっと擦り寄ってきた。


「もちろん、強制ではありません。ですが、皆様、本当にこのまま、バラバラになってしまっていいのでしょうか? お父様は、きっと、皆様が仲良く暮らすことを願っていたはずです。もう一度、家族として、向き合ってみるチャンスを、与えてみてはいかがでしょうか」


 健太は、家族写真と、石碑に刻まれた「家族の絆」という言葉を思い出しながら、必死に説得した。その言葉は、健太自身の心の底からの願いでもあった。最終的に、健太の熱意に、三人は渋々ながらも同意した。


 温泉宿の一室。健太は、三人の間に座り、緊張した面持ちで話し合いの進行役を務めた。最初は、互いに非難の応酬で、一向に話が進まなかった。健太は、ミケに助けを求めるように視線を送った。ミケは、部屋の隅に置かれていた、家族旅行の時に買ってきたらしい小さな木彫りの熊にそっと前足を置いた。


「この熊……昔、家族旅行に行った時に買ったものですか?」


 健太が尋ねると、一郎さんが小さく頷いた。


「ああ、そうだ。あれは、みんなで選んだんだ。あの頃は、本当に楽しかったな……」


 健太は、この熊が、彼らが唯一共有できる「楽しい思い出」の象徴だと気づいた。健太は、ミケが教えてくれたように、この熊をきっかけに、彼らが共有していた「思い出」に焦点を当てることにした。


 健太は、法律論ではなく、彼らが共有してきた「家」という空間が持つ意味、家族の思い出、そして、亡くなった父親の思いについて、訥々と語り始めた。


「皆様にとって、この家は単なる不動産ではありませんよね。お父様やお母様との、そして皆様自身の、かけがえのない思い出が詰まった場所です。お父様は、この家を通じて、皆様がこれからも仲良く、幸せに暮らすことを願っていたのではないでしょうか」


 健太の言葉に、花子さんは嗚咽を漏らした。三郎さんも、俯いて silently に涙を流した。一郎さんも、目頭を押さえていた。彼らの心に刺さっていた「トゲ」が、少しずつ溶けていくのを感じた。


 そして、健太は彼らに、それぞれの提案を改めて冷静に検討するよう促した。売却して金銭で分割する、誰かが買い取る、賃貸に出して収益を分配する……。様々な選択肢を提示し、それぞれのメリットとデメリットを丁寧に説明した。


 その夜、夕食の後、健太は部屋に戻った。すると、ミケが健太の鞄から、古い携帯電話を取り出していた。それは、一郎さんが持っていた、壊れた昔の携帯電話だった。ミケは、その携帯電話の画面を前足でちょんちょんと叩いた。


「壊れた携帯電話……まさか、これもヒントなのか?」


 健太は、恐る恐る携帯電話を手に取った。画面は割れていて、起動しない。しかし、画面の奥に、古い家族写真の画像が微かに残っているのが見えた。それは、皆で旅行に行った時の、あの温泉地で撮られた写真だった。


 健太は、その壊れた携帯電話を翌日の話し合いの場に持っていった。


「皆様、昨夜、この携帯電話を見つけました。これは、お父様の携帯電話だそうですね。画面は壊れてしまっていますが、中に、皆様が旅行に行った時の写真が残っていました。お父様は、この写真を見るたびに、皆様の笑顔を思い出していたのではないでしょうか」


 健太がそう言うと、三人は、壊れた携帯電話を食い入るように見つめた。そこには、過去の、温かい思い出が詰まっていた。


 その日、三人は、夜遅くまで話し合った。そして、ついに結論を出した。家は売却せず、一郎さんが住み続ける。代わりに、花子さんと三郎さんには、一郎さんが負担可能な範囲で、家賃収入の一部を支払うことで合意したのだ。さらに、家を売却するのではなく、共有名義のまま、一郎さんが家を管理し、何かあった時には三人が協力するという、「家族の絆」を優先した解決策だった。


「佐々木先生……本当に、ありがとうございました。先生のおかげで、私たちはまた、家族として繋がることができました」


 三人は、健太に深々と頭を下げた。彼らの顔には、いがみ合っていた時の険しい表情はなく、穏やかな笑顔が浮かんでいた。


 事務所に戻った健太は、へとへとだったが、満ち足りた気持ちだった。


「ミケ、やったよ! 皆、最後には笑顔になってくれた! 争うことをやめて、家族として繋がってくれたんだ!」


 健太がミケを抱き上げると、ミケは健太の顔をペロリと舐めた。健太は、自分一人では、決してこの解決にはたどり着けなかっただろうと思った。ミケが与えてくれたヒント、そして、そのヒントを信じて行動する勇気が、健太を成長させてくれたのだ。


「最後に笑うのは、皆だったね。誰か一人だけが勝つんじゃなくて、皆が納得して、心が繋がることが、本当の勝利なんだ」


 ミケは健太の言葉に、「ニャア」と力強く鳴いた。その声は、健太に「その通りだ」とでも言っているかのようだった。


 下町の司法書士事務所には、今日も穏やかな光が差し込む。佐々木健太は、ミケという最高の相棒と共に、これからも人々の間に立つ「心の司法書士」として、彼らの「絆」と「笑顔」を守るために、一歩ずつ、しかし確実に、歩んでいく。そして、いつか、自信なさげな自分を完全に乗り越え、誰かの心に「最後に笑う」という希望を灯せる司法書士になるために。彼の奮闘は、これからも続く。

【免責事項および作品に関するご案内】

 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、地名等はすべて架空のものです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。

 また、本作は物語を面白くするための演出として、現実の法律、司法書士制度、あるいはその他の専門分野における手続きや描写と異なる点が含まれる場合があります。 特に、司法書士の職域、権限、および物語内での行動には、現実の法令や倫理規定に沿わない表現が見受けられる可能性があります。

 これは、あくまでエンターテイメント作品としての表現上の都合によるものであり、現実の法制度や専門家の職務を正確に描写することを意図したものではありません。読者の皆様には、この点をご理解いただき、ご寛恕いただけますようお願い申し上げます。

 現実の法律問題や手続きについては、必ず専門家にご相談ください。

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