障年障女
※この物語はフィクションです。実在の人物,団体,地名,事件等とは一切関係ありません。
第一章:ぬくもり
先生はみんなに、手を挙げろと言う。私はそんな先生に不思議そうに尋ねた。「なんで?」でも先生は私のことが見えていないみたいに。私の声は、静かな空気に溶けていった。
「私はそんなにおかしな存在なの。」
ある日、母親にそう言った。母親は、「そんなことはない」と言いつつも、表情は何処か冷たかった。
換気扇はついているのに、エアコンも、扇風機だって。なのに、なのに。空気はどんより湿っていた。
私は一度だって、親に抱きしめられたことはない。
私は本当の子供ではないんじゃないかとも思った。
でも、それでは期待しすぎだったんだ。本当の子供ではなかったほうが、まだましだったのかな…………最悪は、思ったよりも奥が深かった。
部屋は静まり返っている。ーーー
(地震速報)
静かな二人きりの空間に飛び込んできた騒音は、どこか心地よかった。
私は咄嗟に机の下に潜った。
母親は私と机を半分こにして頭を隠した。
(揺れが収まる)
私は少し残念に思った。何かが起こるのではないか。日常が変わるのではないか。そう期待していたから。
私が起き上がろうとしたその瞬間…
母親の悲鳴が響いた。母親が机から顔を出したとき、机の上にあった花瓶が倒れてきた。
私が、机に頭をぶつけたから。
ぶつけてしまったから。
花瓶は眉間で割れ、大きな破片が目に突き刺さる。
私は初めて、電話をかけた。母親の携帯で。
救急車の音は、だんだんと近づいてくる。母親はいつの間にかずっと黙ったまま動かなくなっていた。
ーーー母親の死を悲しむ者は、誰もいなかった。
死んだ母親の温度は、前と変わらなかった。ーーー
第二章:空気
第一節:個性
個性とは、なんなのだろう。辞書的な意味ではない。私の個性は、本当に個性なのか。
なぜ、みんな違ってみんな良いのに、ある程度まで違ってしまったら、おかしな人なのだろう。
なぜ、先生は空気を読めと言うのに、話を勝手に解釈するなと言うのだろうか。
なぜ、言われたことをやれと言うのに、そのくらい考えれば分かると言うのだろうか。
なぜ、なぜだろう。
「みんな、なぜ笑っているの?」
クラスは静まり返った。
先生は分からないことは質問しなさいと言っていたのに。なぜ。
まず一人目がクスクスと笑い声を漏らす。
そして2人…3人……と、徐々に笑い声が広がっていく。クラスは再び笑いに包まれた。
なぜ、笑っているの。
何が、そんなに面白いの。
笑わせたのは…いや、笑われているんだ。私…
私は、おかしな人だろうか。
私のこれは、個性ではないのだろうか。
どうか、個性でありますように。
そう…願った。
一年前の出来事だ。母親が死んだ昨日の、一年前。
私は、空気が読めない。なぜだろう。
なぜ、空気が読めないのか…
そもそも、「空気を読む」という行動自体は、世の中の多数派が気持ち良く過ごせるように自然発生したマナーである。そう、ただ世の中の多数派が価値観の合わない少数派に対して、「空気の読めない人」という印象付けをし、実際にそう呼ばれてしまっている。
近年、「空気を読めない」という言葉を自分達の気に食わない事柄に対して使う人が増えた。自分達の痛いところを突かれたり、正論を言われたりすると、「空気が読めない」や「冗談のつもり」など、なぜか相手の理解力が不足しているという言い訳に至る。
それほど多数派の意見で周りの見る目や、自分自身の意見までねじ曲がってしまう。
たとえ、多数派が間違っていても。
第二節:都合
私には友達がいない。一人も。それはなぜかというと、変だからだ。クラスで空気が読めないのは私だけ。クラスで嫌われているのは私だけ。クラスで母親がいないのは私だけ。クラスで最も都合の悪い存在。
(拍手の音)
都合 二年三組 錦 葉奈
世の中には、「障害者」という言葉がある。私はしばしば思うのだが、障害者の障害というものを世の中は勘違いしているのだと思う。その話をするにあたって少しややこしい言葉である「障害者」を「少数派」、「健常者」を「多数派」とする。
まず、この世の中は多数派の人間が生きやすいようにできている。本来、多数派は自分達の権力を使い、自分達多数派が生きやすい世の中にするというのが自然であるが、やはり自分達が差別され、不平等の被害者になりたくないため、優位な立場であっても、少数派に気を遣うというせんたくをする。
また、「少数派は可哀想」と正論らしいことを言う人たちがこの世の中にはいるため、正論らしいことを言われると、なぜかそちら側に流されてしまう。そして、みんながそれを意味なく復唱する。それによって、だんだんと「そんな人間にならなければ」と洗脳されていくのである。
このようにして、世の中では少数派の生きづらい世の中を変えようとするのである。ただ、先ほど言った通り、多数派は少数派が「可哀想」だから行動する。しかし、それはおかしなことである。助けるという立場にいるのであるのは、自分達の優位性を保っているからだ。
つまりこの世の中で少数派に障害を与えているのは多数派である。
少数派が作ればいいんだ。
少数派の生きやすい世界を。
それをしようとしない少数派。
そしてそれをさせようとしない多数派。
多数派はみんなが生きやすい世界を作ろうとしている。それは無理だと、心のなかで知っているのに。別の世界にすればいいんだ。少数派が多数派の世界。多数派が多数派の世界。好きな方に住めばいい。
実際、この世界を牛耳っているのは多数派だ。
変えていかなければいけないのは思想ではなく、世界である。
(空気は、凍った。)
これは、私が小学2年生のときに発表した演説だ。