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9. 隣国の王太子は粘り強い


「武装したまま王都に入ったというのか……。まさか外交特権を盾に?」


 横に立つ夫——王太子のクライスは、相手には聞こえぬよう呟いて。

 呆れたような表情を浮かべた。


 垂れ目だから気づかれないだろうけれど、けっこう冷徹だったりして。

 相手が隣国の王太子だからといって、簡単には容赦しないはず。


 ——『迎撃』一発で息の根を止めらても、私は知りませんよ。



 やがて、剣を没収されては堪らないと思ったのか、学生服で一団の先頭に立つ金髪碧眼の若い男が口を開いた。


「私はダイアンサス王国王太子、レオハリス・フォン・ダイアンサスだ。カノン・ド・バーデンベルク侯爵令嬢を迎えに来た」


 館の空気が隅々まで、ピキピキと音を立てて凍っていく感じ。

 いったいこの人、何をどう間違えたら他人様の陣地でここまで無礼に振る舞えるのか。


 私は苛立ちを抑えきれず、本当にどうしても我慢できなくなって。

 とりあえずの静かな一礼だけ済ませると、再び出しゃばった。



「王太子殿下、ご丁寧にありがとう存じます。しかしながら、この館の所有者は私――マジリエス王国の王太子妃エミリアでございます」


「承知した。だが……彼女を引き渡してもらいたい」



 おかしなことに、レオハリスの声に迷いはなかった。

 ただそこあるのは、これまたおかしなことに、後悔のようなもどかしい熱。



「カノンは、あの件の後すぐに姿を消した。だが私は……彼女を失いたくない。あの時の私は愚かで、彼女の言うことを信じなかった。だから今度こそ――」


「では、あなたは……その剣でいったい何をするつもりなのかしら?」


 私の声は、自分で言うのもなんだけれど、聖地の湧水のごとく澄んでいた。

 だからこそ嫌味も言っていないのに、刺すような静けさを生んでしまって。

 結果的に、レオハリスは口をつぐむことになった。


「この館は『ダイヤモンド・ホール』という高級娼館でした」


 私は後を振り返って、軽く手を挙げ、ナオミに合図を送った。

 

「ナオミ、証言をお願い。彼は今朝までオーナーだった人物で、さっそく私たちの良き理解者となった者です」


「はいはい。カノリア……あ、今はそういう名前になったんですけどね、元カノン嬢は、身元も知られないまま『無名の女』としてここに売られました。身分証も紹介状もございませんでしたけれど、もぅあなた……ご存じのとおり、あの美貌でしょう?……なんか私、無条件に感動しちゃって!?ものすごい高値で買っちゃったのよ。ということで、私は彼女が侯爵令嬢だなんて知らず……はぁ、どうりで美しいはずだわ」



 レオハリスが、控えめに目を見開いた。

 どうやらナオミの個性にやられてしまって、シンプルに驚愕しているようだ。



「つまり、姿を消した理由が明確でないにもかかわらず、貴国からの通報も保護要請も一切なかったということになるな。我が国では、それを『遺棄』と見なす。そして今回のように、遺棄された者を保護すること、それは我が王家の義務であると私は判断した。……あ、レオハリス殿下、お久しぶりです。一度お会いしましたね。私はマジリエスの王太子、クライスです」



 今度は、隣に立つクライスが口を開く番だった。

 王太子としての、揺るぎない姿勢。

 なんて素敵なんだろう——今日の彼は。

 あぁ——やっぱり顔もいい。



「…………ではその『保護』から外してもらうには……」



 口を挟もうとするレオハリスを完全に無視して、我が夫クライスは、こう続けた。圧巻というより、だいぶ勢いがついて言い過ぎの感すらある。



「この館は既に王国の庇護下にあり、館に属する者たちは娼婦も従業員もすべて、我が妃エミリアによる保護対象だ。……つまり現在のところ、カノン・ド・バーデンベルク嬢は、マジリエス王家に保護されているも同然。それでなくとも、彼女は我が妻の遠縁にあたる。血のつながりまでも証明された人間を、みすみす『危険人物』の手に渡すなど、どんな理由があろうとも許可できない。しかも……彼女の爵位を剥奪したそうじゃないか。彼女に代わり、『どのツラさげて』と言わせてもらいたい」


「…………だがクライス殿下、彼女と私が直接会って話をすれば、きっと彼女も…………」



 諦めの悪い男なのだろうか、レオハリスは引き下がることを知らない。

 再びなんとかして口を挟もうとしている。



「なんの先触れもなく勝手に越境し、剣を携え兵を伴い、他国王家の血縁者を『奪いに来た』と判断されれば、それは立派な外交問題になる。――それでも、引かぬと仰せか?」


「…………っ」



 ここまで言われてようやく、レオハリスはゆっくりと剣を鞘ごと床に置いた。

 そうしてなぜか、私の方へ向き直って。

 絞り出すような声で、こう聞くのだ。


「エミリア殿下……彼女は本当に……ここで、生きていけるのでしょうか?」


「いいえ、今のままでは無理ですわね」


 まだ誰にも話していない私の計画に則って、正直に答えることにした。


「……彼女はこの『ダイヤモンド・ホール』で生まれ変わるのです。あなたの『お隣』など捨てて、彼女自身の足で立つのですわ。『一人の女』としてね」



 私の言葉が珍しく説得力を帯びて、レオハリスは返す言葉を失った。

 そうしてしばらく沈黙を守った後、彼は剣を拾い、私たちに背を向けた。



「……帰る。だが『後悔くらいはさせてくれ』、そうカノンに伝えてくれないか」



 ——この後、私は自分の耳を疑うことになった。


「あぁそうだ、外は雨だし。しばらく学校を休んで、君もマジリエスに滞在してみないか?」



 せっかく帰ってくれると言った『危険人物』に、我が夫が公然と『しばらく我が家に泊まっていきませんか?』と誘うような真似をしたからである。


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