おまけ.皇太子の事前準備(前)
それは、建国祭より前の事ーーー
「皇帝陛下、即位15年の記念にサモフォルの技術なんて、欲しくないですか?」
フリーデン帝国の皇帝が執務室で公務の合間の休憩を取っていると、息子であるラウレンティウス・アレク・ミューラー皇太子がやって来た。
皇帝の休憩に付き合って共にお茶をしていたのは皇妃と、盟友とも言っていい忠臣ガーデンベルグ侯爵である。
皇太子の登場に皇帝は顔を僅かに顰めさせる。皇太子が嫌いなわけではない。愛する息子だ、そこに偽りはない。
しかしその愛しい息子は近年、己の痛いところばかりを的確に突いて来る。
痛いところだけに、面白くはないし正直腹も立つ。しかし逃げては父としてでもなければ皇帝としてでもない、己自身の矜持に傷が付く。正面から向き合わなければならないのだ。
そんな絶妙な話ばかりを皇太子は持ってくるので、いくら愛していたとしても、いつしか皇帝は皇太子と対峙する時に身構えるようになっていた。ごく限られた近しい者にしか分からない程僅かに、であるが。
そんなごく限られた者である皇妃とガーデンベルグは顔を見合わせて苦笑する。近年のこの親子のやり取りはそれなりに見応えがあって楽しめるものの、居合わせた以上は自分達も参加しないわけにはいかない。話の内容によっては、自分達にも飛び火する事になっても…。
「今度はどんな話でお父様を困らせようとしているのですか? ローレン」
「殿下の話は時として私などの耳も痛いものですからね、恐ろしい事だ。サモフォルと言うと、東の小国でしたか? ずっと内乱状態の」
言いつつガーデンベルグは背を少しだけ反らして皇太子の後方を見遣る。
皇帝の執務室とは言え、皇太子が1人で訪れたわけではない。案の定そこには女性と見紛う煌びやかな装いに身を包んだガーデンベルグの息子にして皇太子の側近、アズベルト・ガーデンベルグがいた。とても美しいが、息子は間違いなく息子である。
もう1人の側近、セドリック・ウェインは部屋隅に皇帝がいつでもお茶を飲めるようにと特別に備え付けた給湯が出来る省スペースで自分達人数分のお茶の用意をしている。皇帝と皇太子のやり取りは大抵人払いをし、今回もその例に洩れない様子なので最早勝手知ったる何とやら、である。
さてはて、サモフォルなんて遠い国の名前が出たが、どんな話になるのやら。心なしか、父から見て息子アズベルトが遠い目をしているのが妙に気になる…。
「サモフォルの内乱は帝国に何ら関わりはない。お前は何を持って余にサモフォルの話を聞かせる?」
「そう身構えますな。即位15年の記念と申しているでしょ? 帝国がサモフォルの王族側について軍事介入し内乱を終息させれば、サモフォルの技術の大部分が手に入る。本日はその道筋をお持ちしたまで」
「武力行使の勧誘とはお前らしくないな。帝国は東大陸へ領土を拡大する予定はない。離島とは言え東大陸に属するサモフォルへ帝国が、例え一時的だとしても乗り出せば東大陸の諸国に緊張を呼び要らぬ争いへと発展する恐れがある。それはお前が良く言うところの、やらかしではないか?」
「無論です、私はどっかの戦いたいばかりの軍人とは違いますから。東大陸への影響がゼロなんて都合の良い事は言いませんが、可能な限り抑えられますし帝国への印象を良いモノに出来ると思われます。鎮圧における帝国軍の被害も、こちらもゼロとは言いませんが最小限で済むでしょう」
「その理由は?」
「反乱軍などと仮称したところで、ダラダラと長年肥えていただけの豚など帝国軍の遊び相手にもなりません。しかし若手将校に手柄を立てさせるには丁度良いはず。彼等を活躍させる場が少ないとガーデンベルグ司令長官も零していた事ですし」
ねぇ? と皇太子は軍を預かる役職に就くガーデンベルグに笑顔を向ける。どうやら、ガーデンベルグが同席している時を狙って来たらしい。
皇太子の言う通り、武力で西大陸を統一した帝国の軍事力は巨大だ。統一を目指していた全盛期の頃に比べれば少しずつ縮小させてきたものの、平和維持の為には一定以上は減らせないし、多くの“成り上がり”を生んだ時代を見て育った若者が我こそもと夢を見て軍の門を未だに叩くのが現状だ。
だが帝国が大陸を統一し、最後の戦争からおよそ10年。小競り合いこそ多少はあるものの、国を巻き込む大規模な争いは無い。
とても平和で、とても素晴らしい時代となった。
停滞は退屈。
退屈した者は刺激を求めて危険行為に走る。
何処かで発散させなくてはならない。
夢に見た“成り上がり”になれず不満を抱えている若者に発散の舞台にしようと皇太子は言う訳だ。
「勿論、それは福次効果の一つに過ぎません。そして効果は一つじゃない」
「と言うと?」
「サモフォル国王は民主化をお望みです」
聞く姿勢を見せた皇帝に、皇太子はニコリと笑みを見せる。
「既に王族の血筋は途絶えた状態で、復権は今更望んではおられません」
「サモフォル国王の所在は不明のはずでしだが…直接確認が取れたのか?」
断言する皇太子に、意外な思いでガーデンベルグは後ろに控える息子アズベルトを見た。
父の視線を受けアズベルトが一つ溜め息を吐くと、ガーデンベルグの問いに答えたのはセドリックであった。
「コハクさんに探してもらいました。一応、サモフォル国王の意向を記した書状も入手しています」
コハク…その名で全てが納得出来た。
彼の者ならば内乱によって閉ざされた国に侵入する事も、何処かに匿われている国王を探し出す事も、あと反乱軍の内情などを探る事も可能だろう。
そう言う者である。深く突っ込んではいけない。
話を進めるだけだ。
「内乱終息に我が帝国を頼っておきながら、属国となるのではなく民主化による独立か。皇太子は帝国を安売りするつもりか?」
「サモフォルを属国にすれば東大陸に無用の緊張を呼ぶ…陛下も危惧されておられたじゃないですか。福次効果の二つ目は内政面にあります」
「ほう…」
「帝国軍によりサモフォルの反乱軍を片付けた後、帝国は実質サモフォルから手を引きます。帝国国内に、父上が平定し吸収した上で自治を認め存続させた民主主義の国があるでしょう? 民主化への手伝いはそこの政治家達にやらせます」
西大陸の統一を果たした帝国だが、広大となった領地の全てに帝国の政治体制を敷いている訳ではない。
属国としてではあるが、自治を認め統一前の政治体制を続けさせている国もある。
「あの国は民主主義の思想を残そうと属国の中では最後まで抵抗し、その意地と誇りを陛下に認めさせた非常に厄介な国です。俺は好きですけど」
「余とて嫌っている訳ではない。皇帝と言う地位にあっては軽々しく好意を口に出来ないだけだ」
「お察し致します。しかしどんなに思想が素晴らしくとも、それを語る人間全てが素晴らしいとは言えない。それはどの政治体制でも同じ事…」
帝国軍の若者が不満を抱えているように、民主主義に関わらず帝国の自治区…属国となっている現状に不満を抱えている者が現れ始めていた。
民主主義の場合、そう言った者達が徒党を組んで国を先導する事は専制政治より起こり易く、また時として容易だ。
こちらにも発散の機会を与えなくてはならない。
「陛下から打診するだけ良いのです。サモフォルの民主化への改革に手を貸してほしいと。君主制国家が民主国家へ変わると言うのですから、彼等は断れません。それこそ、民主主義の精神に反します」
「失敗でもしようものならあの国の…ひいては民主政治の能力に疑問を生じさせる事になる。さぞ必死になってやってくれるだろうな」
「さすが陛下、底意地の悪い。彼等の能力、ひいては民主主義の素晴らしさを見せつける為に必死になる…と言えばいいものを」
ククク、フフフ。
よく似た顔で笑い合う皇帝と皇太子は、間違いなく血の繋がった親子であった。
アズベルトとセドリックが溜め息を吐きガーデンベルグが苦笑している中、柔和な頬笑みを浮かべた皇妃が口を開く。
「政治面の福次効果はそれだけではないでしょう。陛下がサモフォルの民主化を後押しし、その協力を民主政治の自治領に仰いだとなれば、帝国内外に大きな影響を及ぼします。それも良い方向で」
現皇帝が即位して15年、大陸全土を帝国が統一して10年。
各領地が良からぬ事を企てない限り、余程の事がない限り、皇帝は自治領の取り扱いも含めて現状のままに据え置くつもりでいる。
しかし、各領地が皇帝のその考えを正しく把握している訳ではない。
帝国に侵略され消えた国、同盟を結んでも吸収された国、自治が認められず政治体制を変えられた国。
混乱期の記憶は未だに新しい。
とても平和で、とても素晴らしい時代となった一方、本当にこれからもこのままでいられるのか…不満ではなく不安が付きまとい時には膨れる。
それらをいずれかの反乱分子に利用されては困った事態になる。
「陛下が本来相対する思想の民主主義にも、民主政治にも敬意を持って接していると示せればそれだけで安堵する自治領は多くあるでしょう」
「皇妃、貴女がそう言うのなら間違いはあるまい。そこにサモフォルの技術が入るのならますます言う事はない。しかしな、皇太子よ」
皇帝は皇太子を極めて冷静な目で見据える。




