25.反省はしても後悔はしない
「こんなにも素晴らしい子達の祖父母となれるとは、私達はなんと言う贅沢者か…」
シャオヤオがムーダンの頭を撫でていると、サモフォル国王の小さな呟きが聞こえてきた。
不意に零してしまった言葉だったのだろう。視線を向けると、その表情には後悔が溢れていた。
命辛々生き延びて、結果子供達は全滅。自分達だけが生き残って、まともに弔う事も出来なかった娘を希望へと仕立て上げて、その恩長を受けてこれからも生き永らえる。
30年。きっとやりようは他にもあった。初動を失敗し、多くの機会を見過ごした。平時の有能が、有事の有能とは限らない。例え治世に問題なき王だと言われていても、そう意味ではサモフォル国王は無能だったのだろう。親として、王として、どれ程の己の無力に打ちのめされた事か…。
だが、それは過ぎたからこそ言える事。
「後からなら、何とでも言える」
シャオヤオだって今でこそ思う。
自分とムーダンが生きる事を選んできた。その為に何でもした。人の命も奪ってきた。とにかく必死にやって来た。
だが暗殺者としてそれなりの力を身に付けた時に、ムーダンが体調を崩した時に、ムーダンを抱えてダスティシュから逃げれば良かったと、今は思う。
きっと出来た。その機会はあったはずだ。
そうしていたら、ムーダンは視力を落とさずにすんだかもしれない。シャオヤオによって奪われた命は今も何処かで平穏に過ごしていたかもしれない。
悔しさに暴れたくもなるし、虚無感に全てを投げ出したくもなる。だけどそれは色々と知った今だから思える事で、たらればの世界に過ぎない。
結果として、シャオヤオが求めた通りにムーダンとこうして今も生きられている事に違いはない。
「生きる事を選んで、結果生き続けられたのなら文句は言うな。それは何やかんやと今、不自由なく生きている奴の、それこそ本当の贅沢。生きられるまで生き続けて、後悔は死んでからすればいいでしょ」
生き残った事を後悔している国王夫妻を叱る言葉ではない。
同じく、不意に零してしまった言葉。自分に言い聞かせた言葉。
シャオヤオは生きている限り、反省はしても後悔はしない。
「……そうですなぁ」
暫しの沈黙の後、サモフォル国王が息と共にそう言葉を吐き出す。小さな言葉だったが、不意に零したモノとは違う、ちゃんと意思を持った言葉。
表情を伺うと、そこには小さな笑みが浮かんでいた。色んな感情が沈む中の、ほんの僅かな上澄みのような笑みだが、笑みには違いない。
シャオヤオの何倍も生きている2人だ。シャオヤオが自分に言い聞かせた事と似たような言葉を何度も、何倍も、きっと彼等も言い聞かせてここまで生きてきたはず。
今更だけれども、今一度、自分に言い聞かせているのだろう。
「これからどうするのですか?」
おずおずと言った様子でムーダンが国王夫妻に尋ねた。
王族は潰えた。偽りの孫であるシャオヤオとムーダンがいるとは言え、サモフォル王国はこれから民主政治に舵を取ると言っていた事だし、視力の問題もあって今更担ぎ上げたりしないだろう。
ならば、2人の居場所はあるのだろうか。
「これから変わり行く国を見守ります。最後の王の役目として」
我が子達が眠る土地で、我が子に出来なかった分まで寄り添い続ける…最期まで。
そう言って穏やかに優しく微笑む夫妻の姿は、何だが無性に愛おしい思いが湧いてくるようで…。国民が献身的に彼等王族を守ろうとした理由が、何となくシャオヤオは分かったような気がした。
この夫妻が認め、見守るからこそ、これまでと全く違う政治体制を残ったサモフォル国民が一丸となって受け入れる。何も出来なくても、ただそこにいるだけで価値がある。本人達としては無力で不甲斐ないと思えても、それを抑え込んでそこに居続ける事は常人には不可能だ。
フリーデン帝国の皇族とは違う、これもまた一つの支配者の形。
有事の有能が、平時の有能とは限らないのだから。
サモフォル国王夫妻との面会を済ませこれでムーダンとゆっくりと過ごせると思いきや、シャオヤオはそのまま一同と共に王宮に移動する事になった。
済ませておかなければならない事がまだ幾つかあるらしい。それを矢尽き場に行うのはサモフォル国王夫妻の都合だ。
フリーデン帝国の軍に反乱軍が蹴散らされたとは言え、サモフォルは極めて不安定な状態にある。政治体制の変更も国民の心の支えである国王夫妻の存在があってこそで、早い話、夫妻は早急に国に戻る必要があった。
往復の日数に高齢である夫妻の必要な休息を加えると、同盟の調印や姉弟の認知等の必要な事は可能な限り詰めて行わなければならない、のだとか。
感傷に浸る暇もない…。
皇太子の台詞ではないが、皇太子との事も含めて今は色々と置いておいて正解みたいだ。それよりもムーダンとのゆっくりな時間を得る為に、さっさと用事を済ませる事だけを考えよう。
さて、所変わって王宮に移動すれば、通されたのは皇帝の謁見室。
そこでシャオヤオも初めて垣間見たのが、貧しい下級貴族の身から破竹の勢いで成り上がり大陸を支配したフリーデン帝国の現皇帝である。もっとこぅ…顔を合わせる時が来るとしたら演出掛かった出会いになると根拠もなく思っていたのだが、普通の初対面だった。そのせいか、感想も大して出てこない。
皇太子の実の父親なだけあって、赤銅色の髪を初め全体的造形はよく似ている。
時間もないと言う事で大した言葉も交わさなかったが、穏やかな笑みを一つシャオヤオとムーダンに向けられた際にはこれまで耳にしていた苛烈なまでの実力主義者には正直見えなかった。
だが、それもつかぬ間。
皇帝が玉座に、その左右に用意された椅子にそれぞれが座ったところへ謁見室に投げ込まれるように連れてこられた男の姿を見た瞬間、それまでの短くも和やかな空気は一気に霧散した。
これから行われるのはささやかな茶番劇のはずなのに、皇帝から溢れ出す怒りの気配に当てられて身が縮こまる。
「陛下! 皇帝陛下! 何かの間違いでございます! 貴方様の忠実な臣である私にはこのような扱いを受ける謂われはございません!」
「…はて、余はこの鼠に発言を許しただろうか?」
「いいえ、陛下。記録はダスティシュが部屋に入ってからとの事でそのように致しておりますが、記録上では陛下はまだ一度も発言なさっておりません」
足を組み、椅子の肘掛けに寄り掛かりながら皇帝は部屋の隅の机で書き記している秘書らしき女性に視線を送る。記録と言っているところを見るに、書き記しているのはこの場での事なのだろう。
凛とした揺ぎ無い女性の声。隅とは言え皇帝の怒りの余波は感じるだろうに、女性は柔和な笑みを浮かべてケロリとしている。ただ者ではなさそうだと、何となくシャオヤオはそんな感想を持った。
「ガーデンベルグ、次にその鼠が許可なく喋ったら舌を引き抜いてしまえ。世が少しばかり静かになろう」
「畏まりまして」
皇帝に呼ばれ、すぐ隣に控えていた体格の良い男性が短く言葉を返した。身に纏うのは軍服。装飾から見て、かなりの高官だ。
皇帝に秘書の女性、恐らくは皇帝の護衛を兼ねている軍人。皇帝から見た左側の席にシャオヤオとムーダン、サモフォル国王夫妻。右側にある1つの席には皇太子が座り、その背後にはいつも通りのセドリック。後、男を連れてきて今は扉の両脇で控えている軍人が2人。
そして、皇帝の言葉に「ヒィッ」と情けない声を上げ自分で自分の手で口を覆う鼠…シャオヤオの雇い主だったダスティシュ。
これがこの場での全員である。
それにしても、皇帝は軍人をガーデンベルグと呼んだか。ガーデンベルグ…ガーデンベルグ…、つまり、あれだ。アズベルトの父親ではなかろうか?
侯爵で、帝国の司令長官。服の上からでも分かる均整が取れた体格をしていて軍服と言う事も相まってかいかにも軍人と言った風体だが、ゴツさやむさ苦しさはなく、上品さが見て取れる。何と言うか、見た目だけなら理想的な領主や上官の姿だと思う。
なのに…あの似合い過ぎる派手な女装男子の父親と思って見ると、もの凄く平凡に見えてくるから不思議だ。息子のせいでしなくていい損をしているのではないだろうか、この人。
「余は無用の時間が嫌いだ。さっさと終わらせよう」
シャオヤオが余計な事を考えていると、静かながらも怒気を含んだ皇帝の言葉により目の前の現実へと一気に引き戻された。知らず知らずに背筋が伸びる。
帝国の絶対なる支配者は不快さと退屈さを隠しもせず玉座にある。




